異世界を救った男の絶望
「おっぱいおっぱいうるさいよ……変態……小五からくらべたらかなり大きくなってるし」
誰に見られているわけでもないのに、私は涙を堪える。
魔王が怖いなら、そう言ってくれたらよかったのに。
なんで異世界の話も全部教えてくれなかったのだろう。
そうしたらきっと私はタケル君を止めた。
危険な目に遭ってまで異世界なんて救わなくていい。
きっと私はそう言ったのに。
いや、それは言い訳だ。
タケル君がいなくなって、さらにこの目で異世界を見たからこそ言えることだ。
ただ単にタケル君が異世界の話をしたところで私はきっとそれを信じることが出来なかっただろう。
それにしてもタケル君はまだ死んでいないのにこの『異世界を救った男』を読んでよかったのだろうか?
異世界に行き、タケル君と顔を合わせたとき気まずい。これは読んでいなかった振りをしておこう。さすがにこれを読まれたと知ったらタケル君もかなり恥ずかしいだろう。
そんなことを思いながら続きを読む。
冒険記をメモリーカードに落としたタケル君はそれを「もし自分が死んだら陽向に渡して欲しい」とおばさんに託して、異世界へと旅立った。
異世界では相変わらず人類と魔王の戦いが続いている。
タケル君は最前線に立ち、敵を打ち破っていた。そして遂にダークサイドの姿になっても自らを失わないという力まで手に入れる。
だが事態は刻一刻と人類を危機に陥れた。
各地で暴れる魔族をタケル君一人で抑えることは出来ず、被害は深刻化していく。
魔王は人間を一人残らず抹殺するまで力を緩めるつもりはないようだった。
そしてタケル君は決意する。
魔王との直接対決を。
シャーロット達ハーレム女子だけを連れ、タケル君は魔王城へと乗り込む。彗星の騎士団長リュークさんとか戦えそうな奴を連れて行けばいいのに何故か美少女だけだ。
拍子抜けするほどすぐに魔王の元へと辿り着けたのは、当然魔王の作戦だった。
向こうもタケル君との直接対決でこの戦争を終わりにしてしまいたかったのだ。魔族は魔族でタケル君の脅威を感じていたというわけだ。
いよいよ異能の救世主対魔王の最終決戦が始まる。
魔王の作った結界により誰も邪魔出来ない状態だった。
二人は死力を尽くして戦うが、実力は見事なまでに拮抗しており勝負がつかない。二人の力は完全に互角であった。
しかしそれは当たり前のことだった。
実はタケル君の能力は、魔王の能力とまったく同じだったのである。
その事実を知ったとき、タケル君はもちろん、魔王も衝撃を受けていた。
魔王すら予期していなかった事態。しかしどちらかが死ぬまで結界は解けない。
ダークサイド化したタケル君であっても魔王には勝てず、二人は限界ギリギリの死闘を繰り広げていた。
膠着状態を打破すべく、タケル君は賭けに出る。自らの命と引き替えに魔王を殺すという無謀な賭けだ。
もししくじればタケル君だけが死に、成功しても魔王と共にタケル君が死ぬ。リスクの大きすぎる賭けだった。
しかしその覚悟が、魔王を上回った。
捨て身のタケル君に魔王が怯んだ。
その僅かな隙を逃さず、タケル君が死ぬ寸前で魔王に勝ったのだった。
結界が解け、すぐにシャーロットが駆け寄る。相変わらず馬鹿と叱られてしまったところでタケル君の意識がなくなった。
遂にタケル君は見事、異世界を救ったのだった。
────
──
目が醒めると見覚えのない天井が視界に映った。
「ここはいったい……」
慌てて立ち上がろうとすると背中に激痛が走った。
「痛っ!!」
皮膚が剥け、肉が剥き出しなのかと思うほど痛みが広がる。その声で看護師が慌ててやって来た。
「タケルっ……よかった!! 先生っ! タケルが目を醒ましましたっ!」
看護師さんが歓喜の声を上げると慌てて駆けてくる足音が聞こえた。
騒ぐ人々の声を聞きながら記憶を手繰る。
そうだ、僕は魔王と戦い、そしてギリギリのところで勝ったんだ。
そのあとシャーロットが駆け寄ってきて──
「シャーロットはっ……?」
僕はシャーロットの回復魔法に助けられた。シャーロットがいなければ恐らく僕は死んでいたであろう。誰よりも先にシャーロットにお礼が言いたかった。
しかし僕のその問い掛けにそれまで喝采をあげていた人達が気まずそうに俯いてしまう。
「……シャーロットは今、寝ているの」
「結局私に言わせるのね」と言わんばかりの顔をしたエマが教えてくれた。
「そうか。そうだよね。激しい戦いのすぐ後だし、疲れてるんだよね」
エマは無気力に微笑みながら首を振る。
「あなたが魔王を倒したのは二日前。あなたは丸二日間寝ていたの……そしてシャーロットも」
「えっ……」
僕は笑顔を消す暇もなく、頭が真っ白になる。
「消耗しきったあなたを助けるため、シャーロットは限界を遙かに超えるまでヒーリングの魔術をあなたにかけ続けた。その反動で今も眠っているの」
「そんなっ……」
この異世界は、いつだって無情だ。人の生き死にがあまりにも日常に近すぎる。
シャーロットは自分の命を危険に晒してまで、僕の命を救った。
「なんでシャーロットはっ……そんな馬鹿なことをっ……」
布団が破けるくらい強く握り締めた。
散々僕を馬鹿だと罵っていたくせに、本当の馬鹿はシャーロットだ。戦争が終わっても自分が死んでしまったら何の意味もない。
僕はシャーロットが平和な世界で笑って生きていけるために命懸けで世界を守ったんだ。
それなのにシャーロットが死んでしまったら意味ないじゃないか……
「大丈夫。シャーロットは必ず回復するわ。魔力の使いすぎで倒れたから、ヒーリング魔法では癒やせないけど。でも魔力消耗というのは死に至らないことが多いの。時間はかかるけど、必ず助かる」
エマの断言は自分に言い聞かせているような、気弱な力強さがあった。
「シャーロットに会わせてくれ」
痛む身体に鞭を打ち、立ち上がる。僕を止める人はいなかった。エマに肩を借り、頼りない足取りでシャーロットの病室に向かう。
簡素なベッドの上でシャーロットは目を閉じて横たわっていた。
時おり瞼がぴくっぴくっと微かに動く。その微動が「生きてるよ。心配しないで」と伝えてくれているようだった。
「シャーロット……ごめん……」
僕はそのベッドの傍で跪き嗚咽を漏らした。人目を気にせず、息を詰まらせていた。
「嘘だろっ……目を醒ませよっ! ……頼むからっ……頼むから目を醒ましてよ……無茶苦茶なことしてって叱ってくれよ……こんなの
あんまりだろ……」
白い肌から透き通る血管も、時々ぴくっと動く長い睫毛も、艶めいた赤い唇も、生きようとしているシャーロットの生命力を伝えている。
しかしシャーロットは何も言わず、静かに眠るだけだった。
僕の快復力チートは未だに健在のようで、翌日には痛んでいた背中や脚などもだいぶよくなっていた。しかしシャーロットは昨日となにも変わらずに昏睡している。
僕はなぜ回復の魔法が使えないのか。
チート能力なんて一番大切なことにはなんの役にも立ってくれない。