幼なじみの失踪とメモリーカード
本郷尊君が行方不明という事実を先生が公表したのは夏休みに入る直前のホームルームだった。
教室内に緊張が走ったが、それが彼の身を案じてのことでないのを私は知っている。
先生は一応心当たりがあるか訊くが、クラスメイト達は「静かにしなさい」と注意された時よりも沈黙を保っていた。
タケル君の失踪を既に知っていた私は当然驚かなかった。
しかしタケル君が家出したというのを最初に聞かされたときも、悲しみとか不安より先に呆れと怒りが勝ってしまった。またタケル君がご両親を心配させてるという呆れと怒りだ。
幼稚園の頃からの幼なじみが行方不明だというのに薄情な人間だとは思う。
でも私はタケル君の失踪よりも彼のご両親が憔悴しているのを見ている方がむしろ胸を締め付けられた。
タケル君の失踪は突然だった。
ある朝突然なんの置き手紙もなく、大した荷物も持たずタケル君は姿を消してしまった。まるですぐ済む用事に出掛けたかのように。
夜になっても連絡がなく、タケル君のご両親は警察に相談をした。少し警察に連絡するのが早い気もするが、ここ最近タケル君は夜中に出掛けることも多かったため、不安が大きかったらしい。それから四日経った今もタケル君の消息は糸口さえ摑めていない。
警察は今も調べてるというが誘拐や事件を示唆するものがないので、どれくらい本腰を入れて探してくれているのか怪しいものだ。警察の仕事内容なんて、ただの女子高校生の私は全く知らないのだけれども。
ホームルームが終わり担任の先生がいなくなると、不良生徒の何人かが笑みを浮かべてコソコソと何かを話し合っていた。
タケル君が自殺したんじゃないかと話し合っているようだった。
タケル君は彼らにイジメを受けていた、らしい。
私は直接見たわけではないが、そういう噂は耳にしていた。
「ブヒルがさぁ……」という会話が聞くともなしに聞こえてくる。タケル君は『ブヒル』という蔑称をつけられていた。小太りで根暗、オタクということでつけられたあだ名だ。
彼の安否より自分たちのせいで命を絶ったのではないかということに不安を覚えているようだが、半笑いで喋っているところを見ると罪の意識なんていうものはなさそうだった。
でも彼らを責める資格は私にもないのかもしれない。私はタケル君と幼なじみであるということを隠し続けた薄情な人間なのだから。
配られたプリントは発見したときの連絡先なども載っており、その中には学校や警察の他にタケル君の家の住所も記載されていた。いても立ってもいられないご両親の依頼で追加記載されたのだろう。
「陽向ちゃんの家って本郷君の家と近所なんだね?」
遙華ちゃんはそのプリント片手に私のところに来てそっと訊いてきた。
私が隠していたことを気付いたようなその気遣いが、余計に私の罪悪感を煽った。
「うん……まあ……」
曖昧に頷くと彼女はそれ以上は訊かずに俯いた。
教室内の空気は既にタケル君の失踪のことなど忘れてしまったようで、明日から始まる夏休みに浮き足立った賑やかさで沸いている。
居たたまれない気持ちになり、私は足早に下校した。
帰宅途中にある公園の前で足を止める。
ここは昔、タケル君とよく遊んだ公園だった。そして彼が失踪した一日前もここで話をした。
呼び出されて公園に行ったものの、特に大した話もなく拍子抜けしたが、今思えばあの時タケル君はもしかすると何か大切なことを私に伝えようとしていたのかもしれない。
(ちゃんと親身になって聞いていてあげていれば、失踪しなかったかもしれないのに……)
気付いてやれなかったことを悔やみ、唇を噛む。
小さな公園で遊具も少ないからか、この時間に遊んでる子供はいなかった。
懐かしい気持ちになってふらりと立ち寄り、ブランコに座る。
まだブランコを漕げなかった頃の私たちは、互いの親に背中を押してもらいながらどちらが高いかよく競ったものだ。
でも小学生も高学年になった頃にはほとんど会話もしなかったし、中学時代は学校で顔を合わせてもほとんど他人の振りをしていた。別に嫌いだったわけではない。思春期特有の照れからだ。
たとえタケル君がイケメンであっても私は同じように接していただろう。
ただ両家の親が仲良しだったので、一緒にバーベキューをしたり、キャンプに行ったりという私生活での家族ぐるみの交流はあった。
高校は偶然同じ学校に入学したので、たまに帰りの電車が同じになって会話をすることもあった。
彼はいつもライトノベルと呼ばれる類の本を読んでいた。
亡くなるつい数日前もたまたま帰りの電車で会い、私と会話もせずに本を読んでいたのを思い出す。
「面白いの、それ?」
「陽向も読んでみる? 貸してあげるよ?」
「いいよー。本とか、苦手だし。読んでると眠くなるから」
「面白いのに」
幼い頃から知っており成長過程を知っているからなのか、私は別にオタクであろうがタケル君に嫌悪感は抱いていなかった。しかし好感を持っていないのも事実である。
「この小説はいわゆる異世界チーレムものなんだけど、意外と人間ドラマが泣けるんだよね」
「ふぅん」
『異世界チーレム』がなんたるかは知らないが、別に知りたくもないので訊きもしなかった。
そのあと「そういうのばっかじゃなくてもっと健康的な趣味も持ったら?」とか酷いことを言ったのを思い出して胸が痛んだ。
あの時のタケル君の悲しそうで申し訳なさそうな顔は忘れられない。
それを振り払うかのように、ブランコを漕いだ。油が切れて不快な音を立てようが、スカートが翻ろうが気にせずに漕いだ。
そして幼い頃していたようにブランコからフワッと飛び降りる。まだキモオタもスクールカーストも関係なかったあの頃のように。
────
──
タケル君が行方知れずになってから二週間後、突然タケル君のお母さんから「渡したいものがあるから来て欲しい」という連絡を受けた。
学校での暮らしなどを色々訊かれるのだろうか?
困惑しながら訪問すると、お母さんは少しやつれた顔ではあったが笑顔で迎え入れてくれた。
「ごめんね、陽向ちゃん。突然呼び出しちゃって」
「いえ……」
高二にもなって気の利いた言葉すら言えない私は、ただ黙って頭を下げる。
「あの子がね……いなくなる一日前だったかな……突然このメモリーカードを私のところに持ってきて」
そう言って取りだしたのは、どこにでも売ってるようなありふれた黒いメモリーカードだった。
「もし僕が死んだらこれを陽向ちゃんに渡してくれって」
「死んだらって……タケル君はきっと元気でどこかにいますからっ!」
「もちろん。おばさんもそう思ってるわ。でも取りあえず何か大切なことが書かれているといけないから」
「い、いいんですか、私なんかがそんな大切なものを……」
「いいのよ。あの子は陽向ちゃんに読んで貰いたかったんだし。私は見てないから安心してね。絶対に見るなよって念を押されたから」
「はい」
「あの子ってなんか時々そんな変なこと言うでしょ。アニメとかに感化されたみたいな台詞とか……『もし僕が死んだら』なんてその類の発言なのかなぁって思ってたんだけど」
笑い話にしたかったのか、無理におばさんは口許を緩めた。しかし喋りながらその時の光景がフラッシュバックしてしまったようで目を潤ませてしまう。
今のおばさんはタケル君に纏わるどんな笑い話も悲しい話に変えてしまうのだろう。
「ほら、あの子、陽向ちゃんのこと好きだったじゃない?」
「え? そんなことはないと思いますけど……?」
驚いて否定する。確かにタケル君が話をしていた女子というのは私ぐらいだったかもしれないが、恋慕の念というものは一切感じなかった。
『本郷は二次元の女の子にしか興味を示さない』
クラスメイトがそう囃し立てたのを信じていたからではないが、普段の彼の言動を見ていたら少なくとも現実世界で恋愛をしたがっているようには見えなかった。
「こんなにメモリーカードに何を延々と綴っているのやら……ごめんね。気持ち悪いだろうけど」
「いえ、そんなっ……」
戸惑っていた私を見透かしたようにお母さんに言われて焦った。
『気持ち悪い』というのはタケル君の見た目や性格のことではなく、『死んだら渡せ』というメッセージについて言及したのだろうが、心の奥底にあるものを指摘されたようで余計に気まずかった。
私はメモリーカードを受け取り、逃げるように家に持ち帰る。
このとき私はまだ知らなかった。
タケル君が『異世界を救った男』だということを、そしてその冒険の物語がこのメモリーカードに記されているということを。