寒狭川
想い出の中の夏は、今も 胸の中で 疼きつづける。
誰にでも ひとつは大切に仕舞ってある宝物があるだろう。
それは、きっと こんな風な なんということのない日常の中にあったはずなんだ。
第一話『寒狭川』
「好きだ!!」
なんのことか、寝ぼけ眼の私には すぐには理解できなかった。
夏休みも後半に入って、登校日も過ぎた、ある日、私は村の神社に呼び出されて 不意に思わぬ言葉を 面と向かって浴びせかけられた。
ぷるぷると震える 握りしめた両手を 身体に沿わせた気をつけの姿勢のままで、十数年来の親友と思っていた健汰が、今 目の前に立っている。
じーわ じーわと油蝉が盛大に 蝉時雨とやらを降りしきらせてはいたが、健汰の言葉は 確かに そう聞こえた。
目を反らしかけて、それでは相手に対して失礼だと悟り、私こと篠原こずえは 齢12にして 愛の告白を 真正面から受け止めることになった。
*****
その年の夏は、例年以上の猛暑に襲われ、N県の山間にある磯壁村は まるで地獄の釜の蓋が開いて、その中へと まっ逆さまに突き落とされたような陽気が 連日続いていた。
しかし、村に たったひとつある磯壁村立小学校のプールは、折悪しく 夏休み前にプールへの給水施設が故障した上に、プールの底に いささか見過ごすわけにはいかないヒビ割れが 数ヶ所見つかり、夏休み中いっぱいをかけての大補修に突入したものだから、磯壁村立小学校の生徒たちは 涼をもとめて 近年は禁止されていた 川での遊泳をしたいと 磯壁村立小学校の校長先生に集団直訴した。
磯壁村立小学校の校長は、安全面についての不安をあげて 最初は難色を示していたが、自身もこの村出身であり、幼少の頃は 磯壁村の西部に流れる寒狭川で泳いだことを思い出し、村議会に 緊急提案という形で 児童たちの総意と熱望を 議題として提出した。
あにはからず、緊急議題は、磯壁村立小学校教員 もしくは村の青年団員が 常に2名 安全監視につくという条件で、即刻認可された。
こうして、私たちの最後の夏が 始まったのだ。
*****
おおかたの宿題は、大急ぎで 夏休み最初の一週間で片付けた。 あとは 毎日の天気を 夏休みの日誌に書き込むだけだ。
どうしても時間のかかる夏休みの自由研究は、まだだけど、寒狭川の蟹や魚の観察記録で 誤魔化すつもりだから 問題ない。
こうした習慣は 母から譲り受けた性格から来るものだろう。
とはいえ、その母親との思い出も 私が9歳の春で ぷっつりと途絶えている。
母が死んだのだ。
理由は、病死。
元来、身体の弱かった母親は 子供の頃から長生きは出来ないと言われていたらしいから、結婚をし、私という子供を産み育てたのだから偉いよ…と、葬式の時に 泣きながら笑顔でいたのを覚えている。
そんなことがあったせいなのか、祖母は うるさいくらいに 私のことを心配するが、 母親とは違い、健康に恵まれた私は すくすくと育ち、今年の5月5日で 12歳となった。
父親は 磯壁村にある最大の産業である林業にたずさわり、私を大切に育ててくれているが、少々口やかましいのが 玉に傷。
その日も、私は 父親の心配する大声(地声)を背にして 家を飛び出した。
手には 大きめのバスタオルと小さな下着を詰め込んだプールバッグ。
水着は 当然のごとく 水色のノースリーブのワンピースの下に装着済みだ。
プールと違い、寒狭川には 更衣室などない。 年少の女の子なんかは、気にしていないが、12歳ともなれば 当然 体形に変化はあるし、同級生の悪ガキどもは 変に色気づいているから 油断も隙もない。
泳いだ帰りに 濡れた水着のままで帰るのは気持ちが悪いので、寒狭川からあがったら 木陰で着替えることになる。
ワンピースなら、一瞬で 脱着が可能!
そういうわけで、少しでも 悪ガキどもの企みを阻むためには、これが 最善の装備というわけだ。
「よ~う、今から?」
寒狭川へと向かう畦道を ひとり歩いていると、背後から ガチャガチャと自転車を漕ぐ音と間抜けな声が聞こえた。
「見れば 分かるでしょ!」
私は、振り返りもせずに その声に応える。
「相変わらず、そっけないなぁ」
間抜けな声!
聞いてると イライラする。
こんな奴と 生まれた時から ずっと付き合いがあったと思うと尚更だ。
奴の名は 山中 健汰
私が生まれた村にひとつの病院で、なんと同じ日に産まれ、乳児室の隣のベッドに寝かされていたというのだから 恐れ入る。
あー、神様!
何故に このような仕打ちを!!
「行き先が 一緒なんだから、裏に乗せてやろうか?」
健汰は 私の冷たいあしらいにもめげずに、そう誘ってきた。
「自転車の二人乗りは、校則で禁止されています!」
「誰も 見てないって、恥ずかしがるなよ」
ひとの話を聞いてないの!?
「誰が 恥ずかしがってるって!?
私は、校則の話をしているの!! 」
「ちぇっ、せっかく 荷台に座布団をくくりつけて来たのに…」
健汰の残念そうな声。
振り返ると、小柄な健汰には少し大きめの自転車の荷台には 可愛い花柄の座布団が 二つ折りにして 細紐で ぐるぐる巻きに縛りつけてある。
がたぼこ道でも お尻が痛くならないようにとの気遣いなのだろう。
「暑いわね…」
私は、また前を向きなおし、健汰に言った。
「このままじゃ、寒狭川に着く前に 汗びっしょりになりそう」
健汰は、遅すぎる走行スピードのせいで、よたよたと 左右に自転車に揺らされながら 黙って私のあとについてくる。
「この炎天下、倒れちゃうかも…」
それでも、健汰は ふて腐れた顔をしながらも あとをついてくる。
ガチャガチャ がたぼこ ガチャガチャ がたぼこ
私は 大きく溜め息をつくと振り返り、腰に手をあてて 仁王立ちすると 健汰にいい放った。
「折角だから、乗ってあげるわ」
途端に 健汰の目が輝いた。
「うん、暑いからね!」
健汰は、自転車を止めて、私が 後ろに乗るのを待っている。
私は、横座りに 座布団が敷かれた自転車の荷台に乗った。
「股がってくれたほうが、漕ぎやすい…」
「ワンピースで 股がれって言うの!?」
「でも、そのほうが、バランスがとりやすいんだけど…」
「つべこべ言わない!! さぁ、出発シンコー!!」
健汰は、私に言われるまま、仕方なくペダルを漕ぎだした。 小柄な健汰には 最初のひと漕ぎは とても重そうだったけれど、しだいにスピードが増してゆくと 健汰の愛用の自転車は 安定して走り出した。
見上げると 青い空に かすかに白い雲。
遠くの山の背には 大きな入道雲がそびえている。
畦道は一直線に続き、あそこに見える村の神社の森を越えると 寒狭川は すぐそこだ。
「ありがと」
小さく 私は呟いたが、懸命にペダルを漕ぐ健汰の耳には届かなかったようだ。
「あっ!!? なんか言った?」
二度も言うもんか!
この おたんちん!!(←方言)
代わりに、私は 健汰の腰に回した腕に力を込めて言った。
「急げ!! 目標は すぐそこだ!!」
「アイアイサー!!」
間髪鋳いれずに 健汰が 応答する。
これが、二人の日常だったんだ。
to be continued……
初めまして、時帰呼と申します。
今回、少しばかりのお時間をいただいて、仄かな恋物語をしたためさせていただきたいと思います。
もし、よろしければ しばしの間、おつきあいをお願いいたします。