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滅びのイリヤ  作者: 和仁
第一章 イルリットの謳姫
2/9

001 旅人

 乾いた風が吹き荒れていた。

 見上げる空に太陽の姿はなく、どんよりと重たい雲に覆われている。

 陽の光の届かない地上は冷え冷えと寒くひび割れて、トカゲの鱗のようにごつごつと硬い岩盤に覆われた大地には雑草さえ芽吹かない。

 寂しい、荒れ果てた大地がどこまでも続いていた。

 生きているものを見つけることさえ難しいその中を、ふらふらと歩くひとつの人影があった。

 その人物は、巻き上がる砂塵と冷えた空気からから肌を守るように体中に布を巻きつけ、周囲のすべてから自身を隔てるかのように、黒いフードの付いた厚手の外套マントを目深に被っている。

 外套マントは風にさらされボロボロで、布の端々に泥がこびりつき、無数の穴が開いていた。

 一見すれば浮浪者のようにすら見えるその姿は、彼の長い長い旅路を物語っていた。

 彼の進む先には、行く手を阻むように巨大な壁がそそり立っている。

 外から見ればただの壁にしか見えないそれは、外界から人の住まう街を守る市壁だった。

 荒れ果てた荒野の中に造られた街としては規模の大きな街だったが、街の中と外を行き来する為の門はひとつしかなく、更には硬く閉ざされていて人の姿はない。

 くぅ~と、力のない音が腹の底から聞こえてきた。

 一体どれくらい前から食事を取っていないのか。手持ちの水も底をついて、十日ほどはたっただろうか。

 朦朧とした意識の中、彼は吸い寄せられるようにふらふらと閉ざされた門へと近づいていき、そのままぱたり、と寄りかかるようにして崩れ落ちた。

「・・・・・・」

 空腹で死ぬことはないと分かっていても、それによって引き起こされる生理現象から逃れられるわけではないのだ。

「・・・・・・ん?」

 ちょうど市門の中にある詰め所から外を見下ろしていた憲兵のひとりが、門に寄りかかるようにして倒れる人物の存在に気がついた。

「お、おい大丈夫か?」

「ふぁぁ~。なんだ? どうしたんだ?」

 突然騒ぎはじめた同僚に、同じ見張り番の男はあくびをかみ殺しながら寝ぼけ眼を向ける。

 過酷な荒野を越えて、街に人が訪れることなどめったになく、生き物のほとんどが消え去ったこの土地で、外敵の脅威にさらされることもない。この街での門衛の仕事というのは、本当に何もない荒野を見張るだけの退屈なもの。気が緩むのも仕方のないことだった。

 見つけた彼自身も、信じられない気持ちで門の外を指す。

「いや、あそこに人が倒れているんだ」

 いくら気持ちがたるんでいたとはいえ、こんな距離に近づいてくるまで気づかなかったのが不思議なくらいだ。

「人だと? そんなことあるわけ・・・・・・って本当マジか! こりゃ大変だ! 行くぞ」

「あ、ああ」

 にわかに元気付いた同僚に気おされながら、それでも気になって付いていく。

「待ってろ、すぐ助けてやる」

 このことはすぐさま詰め所内にいる全員に伝えられ、数十年に一度あるかないかの珍事に、退屈しきっていた門衛たちは沸き立った。

 全員が持ち場につくと、地面が揺れるような振動と共に、歯車がガタゴトと回り始める。しばらくすると門の真ん中の切れ目がぱっくりと割れて、重たい扉がゴゴゴゴゴゴゴッと音をたてて開いていく。

 人が通れるほどの隙間が出来ると開閉はピタリと止まり、中から簡素な鎧を着込んだ憲兵がわらわらと飛び出してきた。

「君、どうしたんだ?」

「意識はあるか?」

 旅人は瞬く間に取り囲まれて、朦朧とした意識の中、両脇を抱えられるようにして中へと引っ張り込まれる。

 全員が門の内側へ戻ってくると、門はすぐに大きな音をたててピッタリと閉じられた。

 両脇を抱えられた旅人はそのまま寝台に投げ込まれ、「大丈夫か?」と男たちの介抱を受けている。と、旅人の鼻がピクリと動き、突然むっくりと起き上がった。

 男たちが何事かと見守る中、旅人は迷いもなく炊事場へと駆け込み――――


 ガツガツ

 バクバク

 んぐんぐ

 ごくん


 時間はちょうど昼時なのだろう。旅人はおいしそうな匂いが充満するその中で、門の守衛をする憲兵たちの為に用意された昼食を、まるっきり平らげていた。

「・・・・・・・・」

 行き倒れの後を追いかけた憲兵たちは、あっけに取られて彼の行動を止めることもできず、ポカーンと口をあけたまま、その一部始終を見守った。

「マジかよ・・・・・・」

「Oh、神様」

「俺たちのメシがぁぁぁぁ」

 空っぽになった鍋を見て悲嘆にくれる男たちの中央で、空腹が満たされて我に返った旅人が、

「あ・・・・・・悪い・・・・・・」

 と、一言。気まずげに謝るのだった。

「はぁ~。悪い、じゃねーよ」

「俺たちだってメシまだだったのに・・・・・・」

 男たちの中で深々とため息が漏れる。

「まあ、でも。腹が減ってただけだって分かってよかったよ」

 落胆する彼らの中で一番年若そうな青年が一人、のんきそうな声を上げる。

「たしかにな。あんなところで死んでたなんていったら目覚めが悪い」

「だなー」

「は、ははは・・・・・・」

 憲兵たちの間で笑いが沸き起こり、少しばかり少しばかり空気が和んだところで、リーダー風の男がのしのしと現れる。

「あ、隊長」

「おう」

「どうもっス」

「ああ」

 部下の挨拶にうなずき返しつつ、隊長と呼ばれた男は旅人の目の前までくると、ドカリと椅子に座った。

「しかしまぁ、よくもこれだけ全部平らげたもんだ。これはな、俺たちの昼メシだったんだぞ。どうしてくれる?」

 どうするも何も、無意識とはいえ食べてしまった以上はどうしようもない。かといって弁償できるだけの持ち合わせも、持ってはいなかった。

「・・・・・・悪い」

 旅人はただ、無愛想にその一言を繰り返すだけ。

 隊長はお話にならない、とその返答に深々とため息をつく。

「まあ、いい。一食くらい抜いたところで死にゃせんからな」

 隊長がその一言を言い放つと、周囲で落胆と不満の声が上がる。だが気にした様子もなく、男は話を続ける。

「それにしても一体あんたは何者だ? こんな荒野をひとりで渡ってくるとはただ者じゃあない」

 尋問のつもりなのだろう。世間話のような流れに乗せて、的確に核心をつく。

 それもそうだろう。町を一歩でも外に出ればそこは、水も食料もない過酷な荒野が広がっている。川や湖は枯れて、干からびてひび割れた大地に生える草木もなければ生き物の姿もない。

 動植物ですら生きることの難しい過酷な土地を、ちっぽけな人間がたった一人で渡ってくるなど容易なことではない。

 だからこの男の疑問はもっともだ。

「それは・・・・・・」

 旅人は言いかけて顔をうつむかせる。すると被ったままのフードが更に下へとずり落ちて、彼の顔に影が差す。

 それ以上彼が何も話そうとしないのを見て取ると、隊長は荒く鼻息をついて口を開いた。

「言葉を変えよう。あんたはどうしてこの街を訪れた? 何しにここへやって来た?」

 静かだったが、沈黙を許さない迫力のある声音だった。その声に脅かされたわけではないが、旅人は男の疑問に言葉を返した。

「この街にやって来たのは偶然だ。街の名前も知らないし、たまたま通り道にあっただけ。別にあんたたちに危害を加えるつもりはないし、長居をするつもりもない」

「そうか」

 男はうなずいて思案する。

「まあ、とりあえず今は、それだけ聞ければ十分だ。俺たちに危害を加えるつもりだなんて抜かしていたら、上の櫓から外に突き落としていたところだ」

 冗談とも本気ともつかないことを言って、男ははははと豪快に笑った。だが、これ以上詮索するつもりがないのは確かなようで、旅人の身の上について、これ以上たずねることはしなかった。

「なぁ、長居をするつもりはないといっても、すぐに出て行くというわけではないんだろう? 外の話を聞かせてくれよ」

「そうそう。まだ身体も衰弱しきっているみたいだし、しばらくの間、この街でゆっくりしていけばいいよ」

 隊長のことばに若い憲兵がうなずく。

 外の話を聞きたがる憲兵たちが旅人の周りにわいわいと集まり始め、収拾が付かなくなりそうになったところで隊長が手をたたき霧散させる。

「おいおいおめぇら、いい加減持ち場に戻れ! 暇だからって、サボってんじゃねぇぞ!」

「は、ハイ!」

「わかりました隊長」

「へい!」

 上司の怒鳴り声に、憲兵たちは反射的に敬礼をして口々に返事をすると、散り散りになって去っていく。

「なくなった昼飯の代わりにあとで酒とつまみを用意しておいてやるからな、気合入れて仕事しろや!」

 部下の背中に向かってそうつけ加えると、隊長は「ああ、そうそう」と旅人に向き直った。

「言い忘れていたんだが」

 困惑する旅人に、男はにやりと笑みを浮かべる。

「我々は君を歓迎しよう。イルリットへようこそ、我らが同胞よ」

 低い、静かな声だった。

「『同胞』?」

「それはまあ、形式みたいなもんだが・・・・・・この世界に生きる俺たち人間のことだ。『大災厄』は知ってるだろ? あれのせいで多くが死んだ。水も大地も枯れて、生き物は死に絶え植物は育たない。太陽だって厚い雲に覆われて・・・・・・。こんな何もない、ただ滅んでいくだけの世界で生き残った俺たちは、手を取り合ってがむしゃらに、ただ生にしがみついて生きていくしかない、仲間、だろ」

 そう言う男の顔は、先ほどまでとはどこか別人のように疲れきった顔をしていた。

「まだ、外側で生き残っている奴がいたんだな」

「外側?」

 それはイルリットまちを護る、巨大な市壁かべの向こう側。荒野を指して男は言う。

「お前で三度目なんだ。『大災厄』以来、この街に人がやって来たのは。『大災厄』以前は多くの移民を受け入れてきた街だっていうのにな」

「・・・・・・」

 旅人はかける言葉を見つけられず、うな垂れる男から目を背けた。

 会話が途切れ、空気がしんみりしかけたところへ、どこからか鐘の音が聞こえてきた。

 遠く、響き渡るような鐘の音だった。

「ああ、もうそんな時間か」

 隊長は鐘の音を聞いて顔を上げる。

「ちょうどいい。お前さん、今から中央広場に行ってみな。おもしろいものがみられるぞ」

 旅人は話しかけられて、相槌を打つ代わりに視線を男に戻す。

「っていっても、別に見世物ってわけじゃないんだが。外から来たお前なら気づくんじゃないか? この街がどうしてこう・・なのか。まあ、その理由といったらなんだが、疑問に答える形にはなるだろうよ」

 わけがわからないことを言って男は席を立つ。

「来いよ。出口まで連れて行ってやる」

 そこまで言われて座っていることもできず、旅人は誘われるまま席を立ち、男についていく。

 続きになった小さな部屋や廊下を通り抜け。見張りの兵が警備する門の前へやってくる。外の門とは比べ物にならないくらい小さいけれど、それでも馬や荷車が通るには十分なくらいの大きさがあった。

 見張り番の男たちは二人に気づくとさっと敬礼をする。隊長はそれに目配せで応じ、

「悪いがその門を開けてくれ」

 と声をかけ、旅人に向き直る。

「街へはこの門から行ける。中央広場にはこの門を出で、すぐ目の前にある大通りを真っ直ぐ歩いていけばいい。人だかりがあるからすぐに分かるはずだ」

 話をしている間にも見張りの男たちがかんぬきを外し、門を開ける音がキィィィィと響き渡り、少しずつ差し込んでくる光が門の中を明るく照らし始める。

「そうそう、宿はここに泊まるといい。嫌なら他を探せばいいが、安いし飯はうまい。お勧めだ」

 隊長はそう言って書き付けた髪を旅人に握らせる。話がひと段落したところで見張りの男が声をかけてくる。

「隊長、門が開きました」

「ああ、悪いな。それじゃあ・・・・・・」

「どうも・・・・・・いろいろ、ありがとう」

 旅人がぶっきらぼうにお礼を言い、そのまま出て行こうとしたところで隊長が引き止める。

「そういやお前の名前、聞いてなかったな。俺はガレフだ」

 お前は? と尋ねるようにガレフが旅人にあごを向ける。

 身体を半分だけくるりと向けて、旅人は答える。

「オレは・・・・・・イリヤ」

 ぼそりとつぶやくような声だったが、男はそうかとうなずいた。

「この街で何かあったらオレを訪ねてきな。この街の憲兵隊。まあ、自警団みたいなもんなんだが、そこの隊長なんてものをやっている。多少は力になれるだろうよ」

 ガレフはそれだけ言うと、今度こそ門の向こうへと消える旅人の姿を見送った。

前回に引き続き、今回はこの章のプロローグです。

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