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エピソード1:結果、仙台に降り立つ。②

 空港から車で5分ほど走ったところには、まるでフィクションの世界、映画の中にいるかのように、現実味のない空間が広がっている。

 周囲に目立った建物――住宅を含む――はなく、建造物の基礎だけが残る、寂しい空間。むき出しの鉄骨は朽ち果てるのを待つばかりで、茶色く枯れた雑草の隙間から新たな芽が芽吹き始めている。少し遠くには防砂林が点在していて、その手前では大きな重機が忙しなく働いていた。


 周囲には、何も、ない。


 住宅も、コンビニも、学校も、田んぼも……何もない、雑草が生い茂る荒れ野。


 道の脇、邪魔にならないように車を止める政宗。その助手席から初めてこの場所に降り立ったユカは……数歩歩いて言葉を探すが、結果として何も言えないまま。車に鍵をかけて追いついた政宗が、彼女の肩に手を置いた。

「……言い方は悪いが、慣れてくれ。これでも大分マシになったんだ」

 彼の言葉に、彼女は首を縦にふる。

 そして、改めて周囲を見渡した。

「ニュースやネットで知ってるつもりやったけど……百聞は一見にしかず、やね。まさか、あんな遠い国の余波がここまでとは、思っとらんかったよ……」

 時折吹く風に帽子が飛ばされないよう注意しながら、ユカはこの場所が体験した悲劇を思い返していた。


 ここにはかつて、誰かの生活があった。

 具体的に誰なのかは分からないけれど、ここだけじゃない、隣にも、その隣にも、誰かの生活があった。

 海沿いに広がる閑静な住宅街。市街地へのアクセスも良く、ベッドタウンとしてそれなりに栄えていた地域。

 海で働く人、街で働く人、色々な人が生活を共にしていた、穏やかな日常。

 そしてそれは、ずっと続いていくものだと信じていた。


 しかし、日常はあっけなく崩壊する。今から4年前の2010年3月上旬、まだ時折粉雪が降るような寒い時期に、この場所を含めた日本の太平洋側は、世界規模の災害の『とばっちり』を受けることになる。

 その日の明け方、ほぼ地球の反対側である南米で、大規模な地震が発生した。その地震の影響で津波も発生し、南米の海岸沿いを呑み込んでいく。

 これだけならば、世界のどこかで大変な人がいるんだな……という、言葉を選ばなければ『他人事』として、誰しもがテレビのニュースを聞き流していただろう。

 しかし、彼らを当事者にする問題はここから発生する。津波は海を伝播していき、オーストラリア、ハワイ等を経て日本に到達した。到達したのは、地震発生から約25時間後、日本は朝の慌ただしい時間で、人々は自分たちの『今日』を始める準備に追われていた。

 そして、誰しもが一度は思ったに違いない。「あんな遠い国の地震で発生した津波が、そんなに高いはずがない。だから、避難する必要もない」と。

 現に今までも、発生した地震による津波注意報は何度となく発令され、全てが肩透かしの結果に終わっていた。

 だから、多くの人が情報を甘く見て、避難しようとしなかったのだ。


 結果として、場所によっては最大8メートルの津波が襲いかかった。波は全てを巻き込み、圧倒的な力で全てを押し流し……引いていく。まるで、そこには最初から何もなかったかのように。


 各地で尊い命が失われた。2014年4月時点での死者は668人、行方不明者は184人にのぼっている。

 殊更、ここ宮城県が、死者・行方不明者共に多く、今でも身元不明の遺体が引取を待っていたり、捜索活動が続けられているのが現状だ。


 あれから、4年が経過したというのに。


 この場所は、全てが『無』になったあの時から、何も変わっていない。


 仕事で何度もこの周辺を訪れている政宗は、なかなか変わらない現状に歯がゆさを抱いているが、同時に、この場所に人が戻ってくるのは難しいのではないかとも感じている。

 この辺りはいずれ、大きな地震が発生すると言われているのだ。地球の真裏で起こった地震の津波でさえあの威力なのだから、より近い場所が震源になって津波が発生した場合、どれだけの被害が出るのか想像も出来ない。

 そして、そんな災害が発生すれば……恐らくこの場所は、今と同じ、もしくは今以上に悲惨な状態になってしまうだろう。

 災害前は沿岸部に住んでいた人で、災害後に内地への移転を決めた人も少なくはない。自分たちの安全を考えた時に、この場所にある危うさを無視することは出来ないのだ。

 でも、ならばこの場所は……ずっと、このままなのだろうか。

 県や国はこの場所を整備して公園にしたりする案を提示しているが、話し合いはまとまらず。とりあえず道路や土地、田んぼの整備を続けながら、今に至っている。


 そんな、予想以上に変化が遅い中で4年の歳月が経過した今年の4月、ひっそりと、ある条件が緩和された。

 この地域に残っている『遺痕いこん』の『えん』を切ることを容認する――と。


 ユカは、目の前にしゃがみこんでいる『彼女』の背中を見下ろしていた。

 長い髪の毛をゆるく1つにまとめ、華奢な背中。顔が見えないので年齢は分からないが、あまり歳を重ねているようには見えなかった。

 家の基礎が辛うじて残っているだけ、背丈の高い草が生い茂るこの場所で、『彼女』は微動だにせず、ただ、地面を見つめている。

「こんなとこで、何しとると?」

 ユカが静かに問いかけると、彼女は振り向かずに呟いた。

「……帰ってくるのを、待っているの」

 その声はか細く、風の音にかき消されそうになる。

「帰ってくるの……お父さんも、お母さんも、ココアも、みんな、ここにいれば帰ってくるから……」

「ココア?」

「犬を、飼っていたの。私、1人だったから、妹みたいに可愛がってた……お姉ちゃんと一緒に逃げたはずだったのに、まだ帰ってこないんだよ」

 何かを思い出したのか、『彼女』の言葉に笑みが混じったような気がした。

「……ふぅん」

 返事を返しながら、左手を一度握って、開く。

 そして、一度まばたきをしてから対象を確認した。残っているのは右手の親指から伸びる一本だけ。この僅かな糸に囚われて、『彼女』は、この場から動けない。

 『彼女』の名前は分からないけど、でも、この程度だったら――やれる。

 ユカの方を振り返るわけでもなく、『彼女』は地面を見つめたまま、自分語りを続けた。

「私はお姉ちゃんと一緒に逃げたんだ。お姉ちゃんがこっちだって、お父さんとお母さんも後から来るからって……後ろからココアもついてきてるって思ってたのに……」

 そんな『彼女』を見下ろしたまま、ユカは静かに右手を動かし、空間に漂うそれを掴んだ。そして。

「そっか……でも、ね――」


 刹那、『彼女』の頭上に翳した左手でピースサインを作ると、ハサミで糸を切るように、人差し指と中指をくっつける。


 次の瞬間、今まで『彼女』が座っていた場所を……風が吹き抜けていった。まるで、最初から誰もいなかったかのように。

 そして、先程まで家族の帰りを待っていた『彼女』の姿は、どこにも、見当たらなかった。


 ユカは一度遠くを見つめる。重機の音が少し遠くから聞こえた。海の音は……聞こえない。

 海岸線なんてここから見えないのに、あの波は、全てを洗い流してしまった。

 改めて足元を見下ろす。ユカの膝丈ほどの雑草に混じり、青くて小さな野花が風に揺れていた。

 塩水に浸された大地でも、こうして花が咲く。ただ……その花を希望だと感じる余裕があるかどうかは分からない。

 きっと、先ほどの『彼女』には、そんな余裕なんか、なかっただろう。

 帰ってこない家族を待ち続けることしか出来ない、『彼女』には。

「……でも、この場所には誰の『縁』も残ってないみたいやけん、みんな先に行っとるよ……貴女も追いつかんと、ね」

 ユカの言葉が『彼女』に届いたかどうか、確認することは出来ないけれど。

 ただ、『彼女』はそう遠くない未来に、家族との再会を果たせるだろう。その確信があったから、こうして『縁』を切ったのだ。

 数メートル後ろから事の成り行きを無言で見守っていた政宗が、苦笑いで嘆息しながらユカに近づいて……。

「相変わらず……容赦ねぇな、ケッカは」

「容赦?」

 彼の方を向いたユカは、彼に侮蔑混じりの視線を向けて吐き捨てる。

「情にほだされるのも大概にしとかんねよ、政宗。『痕』の声を聞いたところで、あたしたちに彼らの願いを叶えることなんか出来んし、その必要もなか。彼女たちはもう……死んどるっちゃけん」

 そうはっきり言いきったユカと政宗の間を、冷たい風が吹き抜けていった。

 この物語に登場する災害は、「東日本大震災」というよりも、1960年の「チリ地震津波」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E5%9C%B0%E9%9C%87_(1960%E5%B9%B4))を参考にしています。この時も最大6メートルの津波が三陸沿岸を襲いました。

 参考を東日本大震災にしなかったのは、原発問題を扱うだけの力が私にないからです。東日本大震災は原発事故も合わせての災害だと思っています。震災を参考にする以上、原発事故から目を背けるわけにはいかないのですが……あの事故については私自身もどう書いていいか分からないし、伝え聞くニュースが不愉快で救いのない内容ばかりなので、扱うのをやめました。

 ただ、ユカが見た景色は、「東日本大震災」後に私が見た景色です。今は沿岸部もかさ上げ工事や道路の建築等が始まっている場所が増えましたが、未だに手付かずで残された家屋を見ると、なんとも言えない気持ちになります。

 今現在(2015年8月)でも仮設住宅に住んでいる方は大勢いますし、夏になってもオープン出来ない海水浴場も多く存在します。何をもって復興とするのか、人それぞれすぎて一概に言えませんが……この物語の中だけでも、物理的な復興が進んでいくような描写を心がけたいと思っています。


※追記(2017年4月)

宮城県内の仮設住宅は、大分減りました。自治体によってはゼロになったところも増えています。

ただ、それでも……全てがゼロになったわけではないのが現状です。災害公営住宅も遅れているところは遅いみたいですし……段々差がついてきているなぁ、と、理由があってしょうがないにしても、ちょっと残念な気持ちになりますね。

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