エピソード9:そこにあるのは揺るぎない正義。①
『仙台支局』に2人が戻ったのは、18時を少し過ぎた頃だった。
華蓮の追跡を頼んでいる仁義と里穂、分町ママの姿はなく、ガランとした夕暮れのオフィスには2人きり。入り口横のスイッチで部屋の電気を付けた政宗はそのまま部屋の奥へ移動し、先ほどプリントアウトしておいた資料をユカへ手渡した。
「ようやく、片倉さんの正体が分かった」
「片倉さんの正体? このネットニュースに何が……」
印刷されていたのは、政宗が先ほどパソコンで見ていたネットニュース。先の災害で多くの人が犠牲になった地区で発生した、悲劇的な内容だった。
避難した人ごと流された公民館、その公民館に率先して住民を誘導していた人物に関する考察。
「……名波、華さん……?」
当時25歳、記事にはNPO職員と記されている。
明るく聡明で正義感が強く、地域の行事にも積極的に顔を出していたため、その地域ではちょっとした有名人だったようだ。自身のFacebookから引用されたという写真の中では、髪の長い、キリッとした目つきが印象的な美人が微笑んでいる。
机上の荷物を片付けている政宗の隣で立ち読みをしていたユカは、一旦記事から顔を上げ、政宗に問いかける。
「この女性が、どげんしたと?」
「伊達先生の言葉、覚えてるか? 桂樹さんには異母兄弟がいる。2歳年上のお姉さんがいるって話だ」
「あぁ、それはね……彼のお姉さん、確か、ハナさんっていったと思うけど、彼女は前妻だったお母さんと一緒に、先の災害で亡くなったんだ。身を寄せていた親類の家が沿岸部にあって、家ごと全部流されてる。お母さんは確か見つかったんじゃないかと思うけど、彼女は今でも行方不明のはずだよ」
「――あ!」
「恐らく、この名波華さんという女性は、桂樹さんのお姉さんだと思う。まだ彼女のFacebookが残っていたからそこを見たんだが……母親を亡くしてから、同じ名字の親戚筋に身を寄せていたんだ」
「そうなん……そのページって今見れる?」
ユカの申し出に、政宗は閉じていたノートパソコンを開き、スリープ状態から起動させた。
そこには、ユカを迎えに行くまで政宗が見ていた、彼女のFacebookが表示されている。
簡単な経歴と、自身が所属していたNPOやボランティアの活動紹介が主な内容になっており、地域の子どもやお年寄りと一緒になって笑う彼女の笑顔からは……今回の騒動を引き起こすような腹黒さは一切感じられない。
彼女が慕われていたことは周囲の笑顔でよく分かる。だかこそ違和感を感じるのだ。
斜め後ろに立つ政宗の指示通りに画面をスクロールさせていくと……彼女と背の小さな男の子、2人で撮影された写真があった。
それは、4年前の1月に撮影されたもの。初詣の帰りに撮影されたという写真は、神社の鳥居と人混みを背景に、少し恥ずかしそうな横顔の男の子と、彼の手を握って笑う彼女がいた。
見上げて説明を求めるユカに、政宗は写真を指さし、こう言う。
「華さんが身を寄せていた家には年下の男の子がいて、姉弟のように仲良くしていたらしい」
「年下の男の子……この写真の?」
「そうだ。名前は名波蓮、今年16歳になるらしい」
ユカが脳内でその名前を反復した瞬間……『そのこと』に気が付き、目を見開いた。
「……ちょっと待って、蓮!? まさかとは思うけど……その、名波華さんが弟みたいに可愛がってたのが、片倉さんってこと?」
見上げて尋ねてユカに、政宗は静かに頷く。
「俺はそう睨んでる。彼女の名前と自分の名前を足しているところに悪意さえ感じるな。だから、仁義君がいくら調べても、今年4月以前の情報が見つからなかった……当然だな、片倉華蓮なんて人間は、今年の4月以前には存在してなかったんだ」
「名前も性別を偽ってあたし達に接触してきたってこと? どうして……」
「そこまでは分からない。ただ……そんな発想ねぇよ、というのが正直な感想だ」
ため息混じりに呟く政宗に、ユカは、先ほど自分が感じた違和感の正体が分かったような気がした。
あの時――地下鉄長町一丁目駅で華蓮と入れ違いにトイレに入った際、洋式トイレの便座が全て上がっていたことに、違和感を感じたのだ。
女性ならば、蓋をあけてしまえば問題がないから。
華蓮が気分が悪くて吐いていたのではないかと思ったのだが、本人は特に気分が悪い様子でもないし……自分が待っていることで焦ってしまい、よく分からない行動になってしまったのかと思って、特に深く追求することもなかった。それ以上に、ユカには考えなければならないことがあったから。
そして同時に、その態度がユカに対する挑戦だということも理解出来る。
1人で納得しているユカを尻目に、後ろから手を伸ばしてパソコンの蓋をしめた政宗が「行くぞ」と声をかけた。
「行くって……どこに?」
状況を飲み込めずに理由を尋ねるユカに、政宗は部屋の電話を留守番電話に切り替えながら理由を説明する。
「仁義君や里穂ちゃんと交代しなきゃダメだろうが。2人は今、仙台駅にいる。あの2人がいくら優秀でも、まだ未成年の高校生だ。ただでさえ管轄が違うし、これ以上、俺達の問題に巻き込むわけにはいかない」
「それもそうやね……ゴメン、そこまで気が回らんかった」
納得し、ユカも慌てて身支度を整える。先ほどもらった資料はまだ全部読めていないため、とりあえずトートバッグに突っ込んでおいた。
刹那、施錠されているはずの電子ロックが解除される音が響く。
来客の予定はないし、そもそも仁義と里穂は予備の鍵を持っていない。この部屋を開けることが出来る人間は、2人とも、室内にいるはずなのに。
一体誰なのか、2人がその場で身を硬くして、開く扉を見つめると……。
「統治!?」
扉を解錠して室内に入ってきたのは、息を切らした統治だった。
白いワイシャツに細身のジーンズ、足元は紐が外れかけたスニーカーで、駅から走ってきたのか、珍しく両肩を上下させて息をしている。今にも倒れそうな前のめりで部屋に入ってきた彼は……近くにあったソファに腰を下ろし、乱れた呼吸を整えた。
予想外の人物の登場に、政宗が慌てて彼に近づき、ここにいる理由を尋ねる。
「統治、何かあったのか? お前が連絡もなくここに来るなんて聞いてなかったぞ」
「……あ、が……」
言葉を絞りだすも、息も絶え絶えなので聞き取りづらい。見かねたユカが冷蔵庫からいつものミネラルウォーターを取り出し、キャップを開けた状態で彼に差し出した。
「とりあえず、これでも飲んで落ち着かんね」
「……た、か……る……」
ユカからボトルを受け取った統治は、中身を喉に流し込み……ゆっくり、呼吸を整えていく。
そして、心配そうな表情で自分を覗きこんでいる2人を交互に確認した後、改めて口を開いた。
「今の俺は、あの部屋から出るべきでは……ない、と分かっている。しか、し……緊急事態だ」
「緊急事態?」
キャップを渡しつつ尋ねるユカに、統治は一呼吸おいて、その理由を告げた。
「心愛が……さらわれた」
「なっ……!?」
予想以上の緊急事態に、ユカと政宗の目が大きく見開かれた。
肩を落とす統治に、政宗が確認するように問いかける。
「統治、それは確かな情報なのか?」
その言葉に統治は首を縦に振り、事情を説明する。
「今から20分ほど前に……桂樹さんから電話がかかってきた。心愛を軟禁している、心愛のままで返して欲しいならば、俺と山本、2人で、メールで指定した場所に来い、と……」
心愛のままで返して欲しいならば――この文言の真意が気になるところだが、今はそれよりも気になることがある。何やら思案する政宗に代わって、ユカが更に問いかけた。
「あたしと統治で? 政宗は?」
「どちらでもいいそうだ。桂樹さんは俺たち2人に用事があるらしい」
「ふーん……で、心愛ちゃんが軟禁されているという証拠はあるん?」
電話だけで信用するのは危ない気がしていた。相手の要求に従ってノコノコ出向いた結果、心愛がその場にいなければ意味が無いからだ。
統治は一度頷き、ポケットからスマートフォンを取り出す。
「メールで、住所と写真が送られてきた」
そう言ってスマートフォンを操作した統治は、メールに添付されていた写真を2人へ見せた。
そこには……薬か何かで眠らされているのか、特に外傷のない制服姿の心愛が、フローリングの上で倒れていた。
メール本文には、住所と地図のURLが記されている。どうやらマンションの一室らしく、住所は太白区長町、と、記載されていた。
「長町……恐らく、統治がおったところやろうね。政宗、どげんするつもり?」
「そうだな……好都合だ」
「は?」
ポツリと呟いた政宗の言葉にユカが不快感を表すと、誤解を察した政宗が「いや、心愛ちゃんがさらわれたことじゃなくてだな」と、慌てて訂正する。
「桂樹さん達は、ケッカと統治、2人は必ず来るように指示しているんだろう? 要するに俺はお役御免、向こうにとっては役立たずってわけだ」
「まぁ、そうなるけど……でも、どうしてそれが好都合なん?」
「言っただろう? 策を考えていないわけじゃないって。俺のやりたいことは、俺がその場にいると成立しないんだよ」
「どういうこと? 具体的に説明してもらわんと分からんっちゃけど……」
真意が掴めないユカと統治に、政宗は、自身の考えた策を説明する。
突拍子もない、それでいて、自殺行為にもなりかねない内容に……統治は首を横に振った。
「それでは佐藤のリスクが高すぎる。これは名杙家の歪みが生み出した問題だから、佐藤にそこまでのことをさせるわけにはいかない」
悲痛な眼差しで見つめられ、政宗は苦笑いで頬をかく。
「まぁ、普通はそう思うよな……ケッカは、どう思う?」
「そうやね……」
意見を求められたユカは数秒考えてから……口元に笑みを浮かべる。
「面白いと思う」
「山本!?」
反対すると思っていたユカが賛成したため、統治は驚いてユカを見上げた。
見上げられたユカは……目は笑わずに、自分の見解を述べる。
「多分、それくらいせんと、相手の意表をつくことは出来んと思う。あたし達はまだ、相手の戦力をほとんと把握しとらんけん、どんな隠し球が襲ってくるか分からんけど……統治に対する思い込みがある今なら、隠し球が飛んでくる前に終わらせられるかもしれん」
「それは……だが……」
煮え切らない統治に向けて、ユカは「それに」と言葉を付け足した。
「要するに、さっさと終わらせて戻ればいいだけの話やろ? あたし達の目的は心愛ちゃんを取り戻して、桂樹さんと片倉さんの2人を止める、それだけの話やけんが……うん、問題なかよ」
サバサバと語るユカに、統治は呆気にとられて……思わず、吹き出してしまった。
あまりにも簡単に、彼女が言い放ったのだから。
「それも……そうだな。俺達が問題を片付けて帰ってくればいいだけの話だ」
「そういうこと。あたし達が覚悟決めんと、既に覚悟しとる政宗に申し訳なかよ」
ユカはそう言って右手を握り、前方に突き出す。
そこに政宗が拳を突き合わせ、そして……統治もまた、右手を握りしめ、2人のところに合流した。
「今度こそ、3人で乗り切るんだ。俺たちの底力、麻里子様に見せつけてやろうぜ!!」
「了解っ!!」
「……ああ」
政宗の力強い言葉に、ユカと統治もそれぞれに声を出す。
3人が、揃った。
華蓮の正体は、女装した男の子でしたー……って、分かりませんよね。勿論霧原は最初からこのつもりで書いていましたよ!!
元々、蓮というサポート役の男の子(今で言う政宗っぽいポジション)がいて、最初は敵対することもなかったのですが……その後、ユカ、政宗、統治の3人が軸となることになり、里穂が生まれ、心愛が生まれ、取り残された蓮君は自分も他人も騙す女装男子となってしまったのでした。
あと、実際に避難誘導をした人を非難するような報道はなかったと思いますが……作中では、そういう映像を作ったのは東京のテレビ局、と、勝手に思っています。深く知らずに調べずに事実を切り取った、みたいな印象です。
ちなみに、誰にも気付かれないと思うので自分で言ってしまいますが、1-②でユカが宮城で初仕事をした際、『縁』を切った女の子が語っていた『お姉ちゃん』とは華のことです。また、4-③で語られたのも華のことになります。華蓮(蓮)は話の途中でそれに気付き、ユカが姉の行為を避難したと思ったため、あんなに激高してしまったのでしたー……ほ、ほら、伏線回収したよ! 思いつきで書いてるばっかりじゃないんだよ!(苦笑)