エピソード8:ユカがお仕事。④
河川敷から再び大通りに戻り、地下鉄の駅前で分町ママと別れた2人は、改札口の方へ向かって歩いていた。
これで本日の仕事(及び研修)は終了。JR東北本線を使って帰宅している華蓮は、わざわざ地下鉄で仙台駅まで戻らなくても、JR長町駅から電車に乗ることが出来る。その旨を説明して、ユカと別行動ををとろうとしたのだが……。
「片倉さん……大変申し訳ないっちゃけど、JR仙台駅の改札口まで連れて行ってくれんやか……?」
と、半泣きのユカにすがりつかれて苦笑い。土地勘のないユカを知っている場所まで送り届けるまでが研修、ということになったのである。
学生の帰宅時間ということもあり、制服に身を包んだ男女が楽しそうに2人を追い越していく。そういえば、華蓮が制服を着ている姿を見たことがないな、と、思いつつ……彼女のジト目に負けて、大人用・250円の切符を購入した。
「あ、スイマセン、ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」
「うん、よかよ。じゃあついでにあたしも……」
改札を抜けるとトイレがないため、2人は来た道を戻り、階段脇にある女子トイレに入った。
個室が3つあるが、1つしか空いていない。華蓮に譲ったユカは少し離れた場所で順番を待ちながら……ふと、聖人に言われたことを思い出した。
「勿論、タダでとはいわない。そうだね、報酬は……ケッカちゃんの『生命縁』の治療、これでどう?」
「これまでに続けてきたことが延命だとすれば、自分が行うことは完治に向けたものだと考えて欲しいんだ」
そんなこと、言われたことがなかった。というか、誰にもその発想がなかったのだ。
自分に出来ることは、現状をこれ以上悪化させないこと、そして、現状を受け入れて諦めること……そう、思っていたから。
でも、もしかしたら――どうしても期待してしまう。
どれだけ願っても叶わない、そう思っていたのだから。
麻里子はこれを見越して、自分の仙台行きを許可したのだろうか?
もしも、本来の自分になれるのだとすれば……。
「……さん、山本さん?」
頭上から名前を呼ばれて顔を上げると、心配そうな表情の華蓮がユカを覗きこんでいる。
「大丈夫ですか? どこか具合でも悪いのでは……」
「あ、ゴメン、何でもない……外で待っとってよね! 勝手に行ったら怒るよ!!」
手洗い場へ行く華蓮の背中に念を押してから、入れ違いになるかたちでトイレの個室に入った。
残り2箇所が全く出てこないことに憤慨しつつ、洋式トイレに座ろうとして……。
「……あれ?」
違和感を、感じる。
用を足したユカは、トイレの出入口で待っている華蓮と合流し、ホームへ下るエスカレーターに乗った。
「山本さん、本当に体の具合は大丈夫ですか?」
先を歩く華蓮が肩越しに振り返り、ユカの様子を気遣う。
眉間にシワを寄せていたユカは慌てて顔の筋肉を弛緩させ、苦笑いを浮かべた。
「あ、ゴメン。やっぱり短時間で2件の処理はしんどかったかもしれん……今日は早めに休むよ」
「私のために、スイマセン……」
「ううん、外回りばっかりでこっちの仕事を疎かにしとる政宗が悪いと。本当、心愛ちゃんにはさっさと独り立ちしてもらわんと、『仙台支局』に未来はないね」
苦々しい表情で呟き、ベンチに腰を下ろした。
ほぼ入れ違いで目当ての電車が発車してしまったため、あと10分ほど、ホームで時間を潰す必要があるのだ。
隣に座る華蓮は、トートバッグからペットボトルのお茶を取り出したユカを横目で見やり、こんなことを尋ねる。
「山本さんは……心愛さんの研修が一段落したら、福岡に戻られるんですか?」
ユカはペットボトルから口を離し、仄暗い天井を見上げた。
「うーん、どうやろ……それは、あたしが決めることじゃないけんね」
自分の意思を交えないユカの答えに、華蓮が少し意地悪な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「佐藤さんは残って欲しいと思っていらっしゃると思いますよ」
その言葉に、ユカはゲンナリした表情で、電車の状況を知らせる電光掲示板を見上げる。
「そりゃあ、貴重な働き蟻を逃したくはないやろうね。まぁ、今日の交通費が経費で全部落ちるんやったら……考えてあげてもいいかな」
「……気づいてないんだ」
華蓮が思わず漏らした独白は、駅のアナウンスと反対側のホームへ入ってきた電車の音でかき消された。
「ん? 片倉さん、何か言った?」
「いえ、全部経費というのは難しいんじゃないかと思います……」
苦笑いの華蓮に、ユカは口をへの字に曲げて吐き捨てた。
「その辺が政宗のちっちゃいところなんよねー。たかだか数百円の地下鉄代くらい、ポケットマネーで出すとか、こう、帳簿をちょろっと……」
「それは駄目だと思います……」
諌められたユカは、頬を膨らませながら……改めて、華蓮に今日の感想を尋ねる。
「さて、今日は改めて、あたしの仕事を見てもらったけど……何か感じることはあった?」
華蓮はしばし考え込んだ後、言葉を選ぶように語りだした。
「そうですね……色々な原因でこの世界に留まっている人がいるんだなぁ、って、改めて感じました。ただ……」
「ただ?」
「何と言いますか……その、矛盾してるなぁって……」
「矛盾……?」
予想外の言葉にユカは目を丸くする。華蓮は小さく頷いた後、その場に立ち上がってユカに背を向けた。
「今日の2件目の……鶴谷さんみたいなパターンは、無理に切る必要がなかったんじゃないかと思ったんです。これから好きなだけ姪っ子さんの成長を見守って、気が済んだら、きっと消えていただろうし……でも、山本さんは『縁』を『切った』」
自分の行動を遠回しに非難していると気づいたユカは、一瞬激高した感情を頑張って抑えて……普段通りの口調を心がけ、反論のための言葉を組み立てる。
「それが仕事やけんね。最初に説明したと思うけど、この仕事は『痕』を減らさないと新しい命が生まれないっていう考え方が根底にある。だから、『痕』は……その中でも特に、『遺痕』っていう厄介な存在から減らしたほうがいい。あたしは個人の感情じゃなくて、その理念に基づいて行動しとるだけよ」
「じゃあ、分町ママさんはどうなんですか? 自分たちの言うことを聞く『痕』は見て見ぬふりをして、そうじゃない『痕』を『遺痕』だと認定して、消していくんですか?」
そこで分町ママを引き合いに出されるのは少し面倒だった。確かに、ユカ達『良縁協会』は、同じ存在でも『痕』と『遺痕』という区別を独自につけて、独自に処理している。それが世界のためになると、何の根拠もなく信じたまま。
でも、それでも……『遺痕』となってあの場から動けなかった『彼女』に殺されそうになったユカは、自分と同じ思いをする人間を、これ以上増やしたくない。だから、最前線でこの仕事を続けている。
「んー、分町ママは『親痕』っていう契約関係やけんね。それに、何事にも優先順位はつけていかんといかんよ。今日の2件はほぼ『遺痕』状態で、このままだと悪影響を及ぼす可能性が高かったけんが……」
「では、先の災害で死にたくないのに亡くなった皆さんは……『遺痕』だと一方的に判断されて、消されるんですか? 彼らがまた沢山この世界に留まっているから……悪影響があって、復興は進まないんですか?」
「それは正直何とも言えんよ。確かに、先の災害で多くの『痕』が生まれて放置されとるけど、復興が遅いのは行政の事情もありそうやし……誰も、その因果関係を調べとらんけんね」
饒舌に質問を投げかける華蓮に努めて冷静な口調で返しながら……ユカは一度息をつき、彼女の背中を改めて見つめた。
改めて感じる。彼女が……ユカをこれっぽっちも信頼していないことを。
「片倉さんが、あたしの仕事に不信感を持っとるのはよーく分かった。片倉さんの基本はデスクワークやけんが、今日みたいに現場に出ることはほとんどないと思うけど……でも、そんな気持ちを持って働ける? もう一度、政宗と話し合った方が……」
「……から……くは……」
「え?」
彼女が小声で呟いた言葉が聞こえず、ユカは椅子に座ったまま、前のめりで聞き返す。
刹那、振り向いた華蓮が右手を伸ばし、ユカの帽子を剥ぎ取ろうとした。
「なっ……!?」
体を捻り、寸でのところで交わして慌てて立ち上がるユカ。そのまま華蓮と距離を取って……悔しそうな表情で息をつく彼女を、改めて見つめる。
ユカを見つめる華蓮の表情は今まで見たことがない……感情を殺した、人形のような顔。
「片倉さん……何を……!?」
「……もう少しだったのに」
華蓮がボソリと呟いた瞬間、電車がホームに滑りこんでくる。
カバンを持ち直し、電車とホームを仕切る自動扉の前へ移動した華蓮は、自分に対して警戒しているユカへ、普段通りの笑みを向けた。
「山本さん達の考えていることはよく分かりました。だから『僕』も、自分の考えで動くことにします」
「片倉、さん……!?」
「――では、お疲れ様でした、山本さん」
降りる人、乗る人……人が入れ替わり、電車は定刻通りに発車する。
誰もが動いている中、ホームに残されたユカは……震える左手で自分の頭に触れ、ちゃんと帽子を被っていることを確認して……。
「……帽子って、こういう時に奪われやすいのが難点やね……」
何とか呟いた強がりは、改札口へ向かう人の喧騒でかき消された。
ユカが奇襲を受けてから約20分後――
「――ケッカ!!」
地下鉄から我先にと降りてきた政宗が、ホームのベンチに座っていたユカを見つけて駆け寄ってくる。
あの後、電話で現状を説明したユカに、政宗は現場待機を指示した。自分が合流するまでそこで待っていて欲しい……と。
華蓮の件はどうするのかと尋ねるユカに、丁度事務所には里穂と仁義がいて、この2人ならば華蓮の顔を知っているけれど実際に面識はないので尾行に適しているから、すぐに仙台駅に派遣すること、分町ママにもサポートを頼むことを説明し、ユカも納得した。
時刻は17時40分。会社終わりのサラリーマンやOLも帰宅を始めるタイミングになったので、余計に人の流れが複雑になっている。
ユカも政宗の顔を見つけて、一瞬、安堵の表情を浮かべたものの……すぐに口を歪め、苦言を呈した。
「政宗、公共の場で騒がしかよ」
彼女の調子がいつも通りであることを安堵しつつ、政宗は周囲を警戒しながら近づく。
『痕』も含めてどこで誰が見ているのか、油断出来ないのだから。
「しょうがないだろ……まさか、こうも連続でお前が殺されかけるとは思わなかったんだよ……」
ユカの隣に腰を下ろして一息ついた政宗は、自分を見上げる彼女の全身を観察して、特に異変がないことを確認した。
「とりあえず無事で良かったよ。今度からはスタンガンでも持ち歩いて、自分をもっと守ってくれ」
「そげな物騒なこと言われても……正直、あたしが狙われるのは仙台に来てからなんやけどね」
無意識のうちに帽子に手を添えていた。この帽子が取れていたら、もしかして……考えただけでも背筋を嫌な汗が伝う錯覚。
マイナスの想像を忘れるため、ユカは政宗を真っ直ぐに見据え、尋ねる。
「政宗……片倉さんはこのままあたし達と敵対すると思う。どげんするつもり?」
ユカの問いかけに、彼は迷いなくこう答えた。
「俺も策を考えてないわけじゃない。ひとまず……共有しておきたい情報があるから、一旦『仙台支局』に戻るぞ」
丁度、目的の電車がやって来るというアナウンスが響き渡り……電車がホームに滑りこんでくる。
立ち上がった政宗に続くユカは、少し混みあう車内で彼の近くを陣取り、手すりを右手で掴みながら……まだ体に残る先ほどの恐怖を払拭したくて、左手を強く握りしめる。
予想していないわけではなかった華蓮の裏切りだが、さすがに目の前で見せつけられると……残念な感情と共に、自分が消えていたかもしれないというショックが、時間が経過するにつれて大きくなっていく。
……怖かった。
そんな彼女の左手に、政宗の手が触れた。
驚いて彼を見上げると、普段よりも至近距離の彼が、心配そうな眼差しでユカを見下ろす。
「……大丈夫か?」
一瞬、ユカの緊張の糸が緩んだ。しかし、それは一瞬のこと。
すぐに口元を引き締めたユカは、左手で政宗の手を強く握り、深呼吸を繰り返す。
ここで気を緩めると……人目も憚らず、泣いてしまいそうだったから。
「……うん、大丈夫」
「無理はしなくていいんだぞ?」
「分かっとるよ。ただ……」
そう呟き、ユカは窓の外に視線を移した。
間もなく電車は仙台駅に到着する。この電車を降りた瞬間、今回の仕事は大詰めを迎えるだろう。
それがどんな結末なのかユカには全く分からない。ただ――
「――ただ、泣き叫ぶにはまだ早いって思っただけ。そう思って自力で動けるから……あたしは、大丈夫」
ユカはそう言って、繋がった手に力を込め、政宗にグリグリと押し付けた。
まだ強がるだけの余裕があるのは嘘じゃない、だから今は大丈夫だ、と。
「汗ばんだ手を、どうもありがとうござます佐藤支局長」
口元にニヤッと笑みを向けて彼を見上げると、政宗は決まりが悪そうな表情で視線をそらす。
「うるせー、一言余計なんだよお前は」
「だって事実やん。でも……ありがとね、本当」
ユカがそう言って手を離そうとするが……なぜか政宗の手は緩まず、2人は繋がったまま。
「政宗?」
訝しげなユカが彼の名を呼ぶと、政宗は横目でユカを見下ろした。
「誰がどこで仕掛けてくるか分からない。『仙台支局』まではこのままだ」
刹那、ユカの表情が明らかに不機嫌になる。
「えー!? やだよ離してよ恥ずかしかよー」
「いいから黙って繋がれてろ。2日連続で危ない目にあってるんだぞ……これ以上、俺の寿命を縮めないでくれ」
一方的にそう告げた政宗は視線をそらし、もう片方の手でポケットから取り出したスマホの画面を確認している。
「……ヘイヘイ。好きにせんね」
過保護になった政宗にユカが嘆息した瞬間、電車が、地下鉄仙台駅に到着した。
政宗君頑張った!! こういうシーンが大好物なので、半ば無理やり付け足した感もありますが……満足です!




