エピソード7.5:女子高生と熟女にもてあそばれる男。
聖人の話を聞いて各々がそれぞれの感情を抱いた後、一日おいて金曜日、時刻は16時45分。
政宗は、目の前にいる『彼女』にどんな言い訳をすれば帰ってもらえるか……そんなことばかりを考えていた。
「あー、あのね里穂ちゃん、彩衣さんから何を聞いたのか知らないけど、本当に、君が期待しているようなことは何もないんだよ……」
「えー!? そんなことはないでしょう政さん、伊達先生から精神攻撃を受けて負けたって聞いてるっすよー、その辺詳しく事細かに教えて欲しいっすー!!」
学校帰り、唐突に『仙台支局』の扉を叩いた『彼女』――里穂は、慣れた手つきで統治の席の椅子を引っ張り出し、当たり前にそこに腰を下ろした。
高い位置のポニーテールが揺れる。パリっとした真新しい制服姿に対してドロで汚れた通学カバンがミスマッチな里穂は、ブレザーのポケットからスマートフォンを引っ張りだし、指先でいじり始めた。
ちなみに、里穂と彩衣はメル友である。
そんな新米女子高生をパソコンの脇からジト目で見やり、政宗がウンザリした口調で、先程から気になっていることを尋ねる。
「というか里穂ちゃん、部活はどうしたの? 入学前の春休みから女子サッカー部で練習してたよね?」
政宗の問いかけに、里穂は顔を上げ、頬を膨らませて理由を説明した。
「今日は珍しくお休みっす。何でも、校舎の一部に欠損が見つかって緊急の工事が必要になるから、学校にいちゃダメってことになったっすよー……おかげで、週明けまで部活出来ないっす」
ヤレヤレ、と、スマートフォンを片付けつつ肩をすくめる里穂は、椅子の足についたキャスターを使って一気に政宗の隣へ移動すると、彼の机に置いてあったアーモンドチョコレートを一粒拝借。ポリポリと口の中で音を立てながら……改めて、室内を一瞥した。
本来ならばこの部屋にいるはずの、ユカの姿が見当たらないのだ。
「そういえば……ケッカさんはどこ行っちゃったっすか?」
「ああ、ケッカなら片倉さんを連れて『遺痕』の『縁』を切りに行ったよ。この間も対処の遅れた『痕』が動いていたから、片倉さんの研修も兼ねて、2件ほど処理してもらう予定」
よって、この部屋には華蓮もいない。統治は政宗の部屋で内職中なので、『仙台支局』はしばらく2人きりだ。
現状を理解した里穂が、目をキラキラさせて声高らかにこう言う。
「なるほど……じゃあ、心置きなく恋バナが出来るっすね政さん!!」
「だからどうしてそうなるのさ……いいから帰りなよ……」
心底迷惑そうな口調の政宗に、里穂は口の中のチョコを飲み込み、上目遣いでお願いする。
「邪険に扱わないで欲しいっすよー。それに、仁もここに寄るって聞いているので、折角なので一緒に石巻へ帰ることにしたっす。だから、もうちょっとここに居させてくださいっ」
そう言って、眼前で両手を合わせる姿を見ると……邪険に扱えないのが佐藤政宗という男だ。
「相変わらず……仲がよろしいことで」
パソコンのマウスを動かしながら呟く政宗に、里穂はドヤ顔を向けた。
「だって許嫁っすよ。羨ましいっすかー?」
「あーそーだね羨ましいなー」
棒読みで里穂から視線をそらした政宗は、そのまま、ユカの席を見やる。
昨日、聖人が口にした驚きの内容。ユカがあの提案を受けるかどうか、今の政宗には分からないけれど……でも、少しでも可能性があるなら懸けて欲しい、そう思ってしまう。
それは……ユカのため? それとも、自分のため?
「……さん、政さん?」
隣にいる里穂に名前を呼ばれ、政宗は我に返った。
「あ、ゴメン里穂ちゃん、何だっけ?」
「もー、ちゃんと聞いていて欲しいっす! ケッカさん、しばらく仙台で仕事をするかもって、本当ですか?」
さすが情報が早い。今回は彩衣からのリークだろうと予想しつつ、どう答えようかと考えを巡らせた。
「あー、それね。正直、まだ何も決まってないんだけど……」
かいつまんで説明すると、里穂は「はへー」と間の抜けた声をもらす。
「さすが伊達先生……目の付け所がシャープっすね」
「でも、どうなるか分からないよ。ケッカも決めかねてるみたいだし」
刹那、里穂が目を丸くした。
ユカにしてみれば渡りに船、二つ返事で承諾したものだと思っていたから。
「へ? どうしてっすか?」
当然の疑問に、政宗は言葉を選びながら答えていく。
「んー……今まで誰も、ケッカの『生命縁』をどうにも出来なかったんだ。ただでさえ不安定な状況がこれ以上悪化したら責任を取れないし、現状維持が一番だと思っていた。それがいきなり、何とか出来るかも知れないから協力して欲しいって言われて、本人も半信半疑なんだと思う。それに……」
「それに?」
「正直、福岡がケッカを手放すことにすんなり同意するとは思えない。それだけ優秀な『縁故』なんだよ、あいつは」
政宗の目下の悩みはそこだ。人材不足なのでユカがこのまま残ってくれればいいと思う。でも、果たして……福岡のあの人が、それを許可してくれるだろうか?
もしも、ここの責任者として福岡まで出向いて説得してこいと言われても……政宗には、自分が舌戦で負ける未来しか見えなかった。
無意識のうちにため息をついていた。そんな彼を見て、里穂は1人で納得する。
「なるほど……確かに、この短時間で2件も処理出来るのは凄いっすよね」
「凄いというか……異常なんだけどな」
ポツリと呟いた独白は、里穂まで届かずに消えた。
『縁故』が『遺痕』や『痕』の『縁』を『切る』際、それなりのストレスがかかる。
それは、他人の『縁』に無理やり干渉した代償。身体的に辛くなる場合もあれば、精神的に辛くなる場合もある。
過度な『縁切り』は『縁故』の身を滅ぼすため、通常は最低でも1日あけて行うのが望ましい、と、言われているのだ。
しかし、『痕』が悪化した『遺痕』の数は増え続けるし、時には偶発的な事象に対処しなければならないことだってある。コンスタントに件数をこなすことが出来る『縁故』は、どこの支局でも喉から手が出るほど欲しい逸材なのだ。
「そういえば、ケッカさんは何を使って『縁』を切ってるっすか?」
「自分の指だ。ピースサインでハサミを模してる」
「ふへっ!? ゆ、指!?」
刹那、里穂が飲もうとしていたペットボトルを取り落とした。幸いにもキャップは開いていなかったため、大惨事は免れたが……里穂はコロコロ転がったボトルを拾い上げ、驚きを隠し切れない表情で、まじまじと政宗を見つめる。
「ゆ、指で……指って……マジっすか?」
「ああ。俺も統治もやめろって言ってるんだけどな……」
他人の『縁』に直接触れる行為は、『縁故』へかかるストレスを増長させる可能性が高い。だから『縁故』は間に道具を挟み、自分にかかるストレスを軽減しているのに。
「ケッカは……あの事件があってから、どんな瞬間でも『痕』に対応出来るようにするために、道具を使うことを止めたんだ。それこそ、風呂に入っている時とか、寝ている時とか……いかなる事態にも対応出来るように。ケッカの『生命縁』の回復が遅いのはそのせいもあるかもしれないからやめろって、何度も言ってきたんだけどな……いずれ、伊達先生からも釘を差してもらうか……」
表情を曇らせて呟く政宗に、里穂は2個目のチョコレートをつまみつつ……。
「じゃあ、仙台に残ってくれることになった暁には、政さんが一緒に選んであげたらいいんじゃないっすか?」
「俺が?」
「そうっすよ! 政さんも古いハサミを使っているので、いっそ、2人で新調するというのもいいと思うっす! 我ながら名案だと思うっす!!」
「……考えとくよ。ありがとう、里穂ちゃん」
そう言って、政宗が笑顔を向けた瞬間――インターホンの音が鳴り響く。
手元の電話で相手を確認した政宗は、立ち上がって扉の方へ歩いて行った。
地元野球チームのキャップをかぶり、全身黒い私服でやって来た仁義は、椅子に座って手を振る里穂に苦笑いを浮かべる。
「里穂……駅で待ち合わせじゃなかったっけ?」
里穂は椅子ごとクルクル回りながら、「やっほー」と仁義に手を振り続けていた。
「駅よりもこっちのほうが居心地がいいっすよー。今はケッカさんも出払ってて、政さんが1人で寂しい時間を過ごしていたっす」
「そういえば、山本さんはお休みですか? 渡したいものがあるのですが……」
壁に立てかけらていた予備のパイプ椅子を組み立てた仁義は、里穂と政宗の間に陣取り、カバンを膝の上にのせる。
回るのをやめた里穂は3つ目のチョコレートをつまみつつ、首を横に振った。
「今は仕事だって。例の片倉さんと一緒に」
「そうですか……では、心愛さんもご一緒ですか?」
「ココちゃん? 違うと思うけど……政さん、ココちゃんも来てるっすか?」
心愛のことをココちゃんと呼ぶ里穂が政宗に尋ねるが、政宗は首を横に振る。
「いいや、心愛ちゃんが今週来る予定はないけど……仁義君、どうして?」
「いえ、駅で似た方をお見かけした気がしたので……僕の気のせいだと思います。それで政宗さん、僕に話というのは、里穂が同席していても構わない内容ですか?」
政宗は一瞬思案したが……里穂の好奇心が溢れでた視線に、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、里穂ちゃんならギリオッケーって伊達先生にも言われてるけど……でも、絶対に口外しないで欲しい。メールや電話を使わずに直接話をするのも、証拠を残さないようにするためなんだから」
「分かってます」
「了解っす!!」
2人が首肯したことを確認した政宗は、昨日聖人から聞いた話をかいつまんで説明した。
桂樹に関するエピソードは2人とも知らなかったので、驚きと共に腑に落ちたような表情になる。
政宗が話を終えると、仁義は表情を曇らせ、重たいため息をつく。
「そうでしたか……僕の調査でそこまで至らず、申し訳ないです……」
「いや、これは仁義君が悪いわけじゃないよ。統治さえ知らなかったことなんだから、そう簡単に出てくる事実じゃないんだ」
政宗が優しくフォローを入れるが、仁義は納得していない表情で、カバンの上で両手の拳を握りしめる。
「ですが……正直、悔しいですね」
「そうだね。俺達は後手に回りすぎている。この現状を何とかするためには……やっぱり、2人の力が必要なんだ」
政宗の言葉に静かに頷く仁義。「2人」と言われて戸惑った表情になる里穂。
「え? 私もっすか?」
「当然だよ里穂ちゃん。『仙台支局』は人材不足だから、未来ある若者をこき使う主義なんだ!」
「えー!? 政さん、それはヒドいっすよー!」
里穂は笑顔を浮かべつつ、4つ目のチョコレートを手に取る。
その様子を見ている仁義が、これみよがしにため息を付いた。
「……里穂、食べ過ぎ」
「ふ? あ、仁も食べる?」
「いやコレ、君のものじゃないし……」
チョコレートの箱を指さして突っ込む仁義に、政宗が笑顔でそれを差し出す。
「あ、仁義君も食べていいよ。元々仁義くんが好きだと思って買ったんだし」
「里穂がスイマセン……」
ペコリと頭を下げつつ、仁義も椅子から腰を浮かせて、チョコレートを1つとった。
口内のチョコレートを飲み込んだ里穂は、ペットボトルのお茶で口の中を整理しつつ……。
「んで、政さんは見事にケッカさんに振られた、と」
「ま、まぁ、そうなっちゃうね……別にいいけど……」
もう否定を諦めた政宗は、空笑いで返答した。
昨日、複数の目撃者がいる前で「無理」と言われたのだ。いくら『仙台支局』の代表として立ち回れるほどメンタルの強い政宗でも、さすがに凹んだ……らしい。
彼を取り巻く空気がどんよりしたことを悟った仁義が、ジト目で里穂を見やる。
どうして君はいつもそういう余計な一言を言うのか、と。
その目を感じ取った里穂が、慌てて言葉を取り繕った。
「で、でも、(多分)脈が無いわけじゃないっすよ! 政さんにも挽回のチャンスはある(はず)っす!」
「だといいけどね……」
「あら~、政宗君、弱気になっちゃダメよー」
「分町ママ!?」
刹那、全員が天井を見上げた。そこには普段通りの服装で少し頬を紅潮させた分町ママが「ハロー」と上機嫌で漂っている。
政宗が苦笑いでツッコミを入れた。
「分町ママ……もう飲んだんですか?」
「あら、これも仕事のうちなのよ。時間外なのに頑張ったんだから」
愚痴混じりの口調で政宗の背後にふわりと陣取った彼女は、政宗が操作しているパソコン画面を覗き込み、一言。
「あら政宗君、仕事してるのかと思ったら、ネットサーフィンなんかしちゃって」
サボりを指摘された政宗は、苦笑いで肩越しに振り返る。
「嫌だな分町ママ、これも立派な仕事ですから」
「そうなの? えぇっと……あ、コレ、先の災害でちょっと話題になった話よね」
「えぇまあ。ちょっと気になりまして……」
政宗が開いていたのは、先の災害で問題になった、避難場所ごと流された人々のエピソード。
その公民館は、海岸線から1キロほど離れた場所にある、地域の人々の避難場所として行政に指定されていた場所だった。あの日も大きな地震に不安を感じた人々が続々と集まり、不安を払拭するように世間話をしていたという。
そこを……波は容赦なく襲い、建物ごと全てを流してしまった。辛うじて生存者はいたものの、今もまだ行方不明の人も多いのが現状だ。
実はこの公民館に避難するよう、誘導していた人がいたという。若いながらにその地域のムードメーカー的な女性だったという彼女は率先して人々を誘導し、家に残ろうとする人々を動かし、公民館に集めた。
彼女の行動は、決して間違いではない。だけど……この悲劇的なエピソードが全国ニュースで放送され、彼女を含めて多くの方が亡くなった現状では、もっと先を見据えた行動が出来なかったのか……等と、無責任にも感じる声が上がったのも事実だ。
彼女はただ、自分の正義を信じて実行しただけなのに。
記事を斜め読みした分町ママが、腕を組んでため息を付いた。
「あの現状を知らない外野は、いくらでも想像で事を語れるわよね……それが完全に悪いことではないと思うんだけど、もう少し配慮が欲しいと思っちゃうわー」
「そうですね」
同意した政宗は、ウェブページをプリントアウトしつつ、衝立の向こうに半分ほど見える扉を見つめた。
ユカはまだ、帰ってこない。
「ケッカちゃん、そろそろ帰ってくるんじゃない? 片倉さんと地下鉄に乗って仙台駅まで連れてきてもらうってことになったのよ」
後ろから分町ママに突っ込まれ、政宗は軽く目を見開いた。
「見てたんですか?」
「ちょっとトラブルもあってね。それに……あの片倉さん、やっぱり気になるし」
表情を険しくした分町ママだったが……「それよりも!」とすぐに破顔して、今度は仁義と里穂の間を漂う。
「政宗君、あの程度で弱気になっちゃダメよ! 昨日は私も聞いていたんだけど」
「やっぱりいたんですか……」
「そんなことはどうでもいいの。それよりも……ケッカちゃんは政宗君のことが嫌いなわけじゃないんだから、これからもっと押していけばいいのよ!!」
ビシ、っと政宗を指差す分町ママに、プリントアウトしたウェブページを整理しつつ……政宗がゲンナリした表情を向ける。
「分町ママ、話聞いてたんですよね? 俺、割とバッサリ振られましたよ」
刹那、分町ママの目がクワッと見開かれた。
「んもー、バカねー! ケッカちゃんはこう言っていたでしょう? まずは自分自身の問題を解決してからだ、って」
「はぁ、そういえば……そうでしたっけ?」
「ケッカちゃんの問題に関しては伊達君っていう可能性が浮上したから、これから前向きになる可能性が高いわね。と、なると、ケッカちゃん自身の問題が解決した後だったら、政宗君にも十分チャンスがあるのよ。むしろこれから精神的に不安になるであろうケッカちゃんを支えていけるじゃない!!」
フフン、と、饒舌なドヤ顔を決めた分町ママに、隣の里穂が「流石っす!!」と追随する。
「その展開いただきっすよ政さん! 今はまだ正直言ってケッカさんに支えられていますけど、これから徐々に逆になっていけばいいっす!!」
「俺がケッカを、ねぇ……」
マウスをクリックしながら気乗りしない声音を返す政宗に、分町ママがダメ押しの一言を加える。
「それに昨日のケッカちゃんの言葉は、あくまでも、『彼女自身が2人を好きな場合』として語られていたわ。加えて、『過去の罪悪感から告白を断られるのは不本意』だとも言っていた。と、いうことは、今告白したって政宗君の恋心は微塵も伝わっていないし、ケッカちゃんも「どうせ過去のことがあったから責任感じてるんでしょ?」的な感情で、良い印象を持たないかもしれない。今の政宗君は、ケッカちゃんに借りを作っている状態なんだから、まずはその借金を精算して、彼女と精神的に互角になる必要があるわ。そのためにはどうすればいいのか……当然、今後不安に襲われる(であろう)ケッカちゃんを精神的に支えることによって、頼りない印象も払拭してこれまでの借りも返せる、一石二鳥ってわけよ!!」
「流石っす分町ママ!! 政宗さんの欠点も補ってしまえる完璧な作戦っすね!!」
ほろ酔いの勢いで長々と演説した分町ママに、拍手喝采の里穂。
政宗は仁義と顔を合わせて苦笑いを浮かべつつ……なるほど、と、1人、今後の作戦を立て直すのであった。
次の瞬間、パソコン脇に置いていた政宗のスマートフォンが着信を告げる。
画面には「山本結果」の表示。抜群のタイミングに思わずニターと醜悪な笑みを浮かべた里穂と分町ママを牽制しながら、政宗は電話を取った。
「――もしもし、ケッカか? 仕事は終わった……は……?」
ユカの話を聞いていた政宗の表情が、明らかに強張る。
そして……。
「片倉さんに……襲われた……!?」
政宗の口から出た言葉に、その場に居た全員が硬直した。
女子高生と熟女に弄ばれる政宗……書いていてそれはもう楽しかったです。
里穂をサッカー部にしたのは、仙台に強い学校があるからと、これなら仁義と一緒に遊べるな、と、思ったから。なでしこも有名になりましたからね。
そして、政宗がいじられて終わる外伝かと思いきや、ここから物語が一気に動きます。分町ママの飲酒の理由と共に、お楽しみくださいませ。