エピソード7:その男、伊達男につき。④
「さて、自分の見解はこんな感じだけど……他に何か聞きたいことはある?」
コーヒーをすすりながら尋ねる聖人に、ユカが「はいっ」と手を上げて、一度、統治を見やる。
「伊達先生、統治は『関係縁』を無くしてしばらく経つけど……何か体に悪い影響があったりせんと?」
ユカの質問に、聖人も統治をマジマジと見つめ……口元に笑みを浮かべた。
「今のところ、大丈夫だと思うよ。普通の『因縁』なら、切れた時点で肉体に何らかの悪影響が及ぶけれど、名杙の『因縁』は特殊過ぎて、その特殊な状態に慣れている統治君の体には、僕らの普通がまだ通用していないみたいだね。ただ……」
「ただ?」
「いつまでも特殊な状態でいられるわけじゃないと思うべきだろうね。早めに取り戻したほうがいいし……もしも他の人物に繋げられたら、取り戻すのが厄介になるんじゃないかな」
名杙の『因縁』を、別の誰かに繋げる……そんなこと、出来ないと思っていた。
普通の人間の『因縁』がロープならば、名杙の『因縁』は常に電流が流れている電線のようなものだ。普通の『縁故』ならば――ユカや政宗でも――触れただけで怪我をしてしまう、特殊な状況下でなければ扱うことさえ出来ない、何世代も前からの能力を今に伝える重要な導線。
しかし、聖人がそう口にするということは……ユカは乾いた口内をコーヒーで潤し、彼に尋ねる。
「そもそも名杙の『因縁』って、他の人に繋げられるような代物なん?」
「普通は無理だけど、相手はそんな特殊な『縁』を『切る』ことが出来た実力者だよ。時間をかければ、あるいは――正直、データが何もないから分からないけれど、このまま時間が経過すれば、良くない結果に近づいてしまうと思う」
その言葉に3人が神妙な面持ちで考えこむと……そんな空気をぶち壊すように、聖人が身を乗り出してユカを見つめた。
「じゃあ自分からもいくつか、ケッカちゃんに質問をしてもいいかな?」
「へっ!?あ、はぁ……ど、どうぞ?」
気圧されつつ首肯したユカを確認した聖人はどこからともなくペンとノートを取り出し、「緊張しないで、素直に答えてね」と、笑顔で前置き。
「まず、ケッカちゃんは19歳なんだよね。それは間違いない?」
「あ、うん。証拠はコレ」
ユカが財布から取り出した身分証を提示すると、それを借り受けた聖人が「彩衣さーん、コレ、コピーとっといてー」と、部屋の奥にいた彩衣を手招きし、渡す。
「ちょっと借りるね。じゃあ、コピーの間に次の質問。ケッカちゃんは体のどこかが弱いとか、病気になりやすいとか、特定の季節に弱いとか、ある?」
聖人の質問に、ユカは首を横に振った。
「いやー、特になかよ。風邪っぽいなーと思うことはあっても市販の薬で大丈夫、高熱が出て寝こむまでには至らないっていうか……こんな状態でも、体は弱くないつもり」
『生命縁』が傷ついている=病弱、というわけではない。現にユカの体はピンピンしているし、ここ数年、インフルエンザにもかかっていない。
ただし……病気よりもあっさり、唐突に、この世からいなくなってしまう可能性は高いけれど。
「ふむふむ。じゃあ次の質問、ケッカちゃん、彼氏、もしくは好きな異性とか、いる?」
「ぶほっ!?」
と、吹き出したのはユカではなく、彼女の隣に座る政宗。全員の視線が彼に集中する中、当の本人は顔を真っ青にして、プルプルと肩を震わせながら……今にもちゃぶ台をひっくり返しそうな勢いで、ユカを凝視する。
「ゆ……ケッカに彼氏!? ど、どこの馬の骨だ!? お父さんは許さん!! 許さんぞ!!」
「いつから政宗があたしのお父さんになったと!?」
「俺がお父さんで統治がお母さんだろう!?」
「気色悪いこと言わんで!! 第一、こんな境遇と外見で彼氏なんて出来るわけがないやん!! それ以前に、自分以外の誰かを盲目的に思いやる余裕なんてなかよ!! あたしは忙しかと!!」
フン、と政宗から視線を逸らしたユカは、何やら熱心にメモを取っている聖人をジト目で睨んだ。
「伊達先生……今の質問、どういう意図があると?」
聖人は手を動かしながら、顔を挙げずに返答する。
「んー? 単なる好奇心」
「はぁっ!?」
「……という冗談はさておき、ケッカちゃんには心の拠り所として異性という選択肢があるのか、ちょっと気になっちゃっただけだよ。その疑問も見事に判明したけど」
顔を上げ、ニヤリと口の端に笑みを浮かべる聖人。いつの間にかコピーから戻ってきていた彩衣が、心底呆れた瞳で彼を見下ろしている。
彩衣はユカに身分証を、聖人にコピーを渡すと、再び自分の仕事へと戻っていった。
「あたしの、心の拠り所……?」
財布にそれを片付けながら尋ねると、聖人が笑顔で首肯する。
「そう。ここからは僕の個人的な見解も入るんだけど、『生命縁』っていうのは、意志の力が割と干渉出来る可能性が高いものなんだ。例えば、鬱々とした気分で「死にたいな―」と思ったら色が薄くなったり、「人生ハッピー♪」と思っていたら、濃くて綺麗な緑色だったり。知っていると思うけど、『縁』の色が濃ければ濃いほど、切れにくくなるよね。そういう感情と色の変化における相互関係は、特定の人物を観察していれば顕著に現れる事象なんだけど……『縁故』の場合は点でしか関わらないから、その変化には気づきにくいんだ。死人の『縁』しか見てこなかったケッカちゃんが気付かないのも当然なんだよ」
「へー……」
「そんなケッカちゃんの場合、過去の事故での傷が完全に癒えていないから、色はあんまり綺麗じゃないけど、それでも、過去より大分マシになってきてると思うよ。実は麻里子さんに頼んで定期的にデータや映像を見せてもらっていたんだけど……最初の頃はドブに生えた苔みたいな色だったのが、今は岩の裏に生えた苔みたいな色になってきたからね」
「違いがよく分からんっちゃけど……というか、本人の許可無く勝手に映像って……って、ちょっと待って、伊達先生って『縁故』じゃないのに『縁』が見えとると!?」
先ほどの話から総合すると、聖人はユカの『縁』が見えていることになる。確か、彼は『縁故』ではなく、研究の結果たどり着いたという奇特な一般人だったはずなのに……。
話が違う、目を見開いて聖人を見つめるユカに、彼は自分がかけている眼鏡を指差して解説する。
「自分は『縁故』になれる素質はないけれど……この眼鏡を使って、一時的に『縁』が見える状態を創り出しているんだ。もっとも、違法な電波を出して無理やり視覚に干渉しているから、、1回につき1時間くらいしか連続で使えないけどね」
何だか話が思わぬ方向へ飛躍しているが、しかし実際、今の聖人にはユカの『縁』が見えていると考えた方が自然だ。
「……あぁ、なるほど。確かにこれは、非常にレアなケースだね……」
先ほど、聖人と対面した時の彼の言葉を思い出す。華蓮が使っている。『縁』を見えなくするような眼鏡を作れる人物なのだから、彼女の眼鏡と逆の機能を持った眼鏡を作れても……おかしくはない。
自分の目の前にいる人物に底知れない何かを感じたユカは、心情的に数歩後ずさりしつつ……気になっていることを尋ねた。
「そこまでして……伊達先生の体は悪くならんと?」
先ほど彼は、自分専用の違法電波で視覚に干渉している、というようなことを言っていた。そんなことを続けて、体は悪くならないのだろうか?
健康な体を自分で傷つけるなんて……ユカには絶対出来ない行動だから。
ユカの心配そうな眼差しに、聖人は指先でペンを回しながら、笑顔で答えをくれる。
「今のところ、たまに肩こりと偏頭痛が起こるくらいかな。ありがとうケッカちゃん、久しぶりに心配してもらえて嬉しいよ。あと、これは自分用に設定してあるから、仮に他の人がかけても『縁』が見えることはないんだ」
言いながら眼鏡を外し、白衣の胸ポケットに入れていた違うものと付け替える。今度は黒縁フレームのメガネを装着してユカに笑顔を向け続ける聖人は、左手に持っていたコーヒーを最後まで飲み干し、空のカップをソーサーに戻した。
「まぁとにかく、今のケッカちゃんは人生を楽しんでいるなぁと感じたんだよ。だから、その理由は何かと思って……例えば政宗君か統治君と遠距離恋愛だったのが解消されたからかな、とか、思っちゃったりしたわけ」
話が戻る。この言葉を受けたユカは、頬を膨らませてこう答えた。
「伊達先生の期待に応えられず申し訳ないっちゃけど、政宗とも統治とも、そういう関係になることはないと思う」
刹那、聖人がペンの動きを止めた。そして、周囲を一瞥してから、話を続ける。
「それはどうして? 2人ともタイプの違うイケメンだと思うよ。社会的立場もあるし。個人的には三角関係でドロドロした場合の良き相談相手に立候補したいな、口は軽いけどいつでも相談においで」
「伊達先生の下心が最悪やね……」
ゲッソリした表情で吐き捨てるユカ。先程から尋問されている気分だけど、不思議と、彼の前だと饒舌になってしまうのだ。
「それはさておき、正直、あとどれくらい生きられるのかも分からんあたしに、恋愛をする余裕なんてなかですよー。それに……万が一、億が一、兆が一、やけど……あたしがどちらかに想いを寄せていた場合、告白された方は過去の罪悪感から断れんと思う。それはあたしも不本意やけんね。だから、まずは自分の問題を解決する、それまでは……他人を自分以上に気にかけることなんか、出来んよ」
「なるほど……今、割と面白い解釈が出来る告白をしたよねケッカちゃん」
「はい?」
後半、ボソリと聞こえた言葉の意味が分からずに眉をひそめるユカに、聖人は「いや、何でもないよ。ゴメンゴメン」と右手を振って言葉を続ける。
「要するに、今のところ『仙台支局』の若き支局長も、名杙家の次期当主も、ケッカちゃんのおメガネには叶っていないってことだね」
聖人の言葉を受けて、ユカは隣の政宗と、斜め前の統治をそれぞれに見つめた。
そして……はぁ、と、これまでで一番重たいため息を吐く。
「まぁ……仮に統治と結婚したら名杙家がついてくるし、政宗はどうにもナヨナヨしていて頼りがいに欠けるし……うん、無理」
「おいケッカ、さっきからお前の俺に対する評価がヒドいんだが――!」
政宗が笑っていない目を向けるが、ユカの冷ややかな視線には敵わない。
「少なくとも、あたしにはそう思われとるってことやん。部下からの評価を素直に受け止める器の大きさを見せんね。そういうところが頼りないって言われる由縁の1つなんよ」
「ぐぬぬ……」
言い返せずに拳を握りしめた政宗は、自分の前で涼しい顔をしている統治に標的を変更。
「おい統治、お前も何か言うことはないのか!? ケッカに言われたい放題だぞ!?」
仲間を求めた政宗に、シュークリームを咀嚼した統治が言葉を返す。
「それが山本の俺に対する評価なのだから、俺がどうこう言ったところで意味がないだろう」
「ぐぬぬ……」
味方を得られなかった政宗は、握りしめた拳を膝に置き、悔しそうな表情でユカを見やる。
そんな彼へ、聖人が笑顔を向けた。
「でもまぁ、良かったんじゃないかな政宗君。これから頼りがいのある大人の男アピールをしていけば、ケッカちゃんも好きになってくれるってことだよね」
刹那、話をふられた政宗が首を横に振る。
「はぁっ!? お、俺は別に、ケッカに好きになんかなってもらわなくても――!?」
「いやいや政宗君、嫌われるより好かれたほうがいいんじゃない? 『同じ支局で働く仲間としては』」
「――っ!?」
聖人のわざとらしく一部を強調した口調と笑顔、言外に含まれた意味――お前、本当は仲間以上に好きになってもらいたいんだろう分かってんだよグヘヘ――を察した政宗は、顔を真っ赤にして口をつぐんだ。
そして、完全においていかれたユカと統治は……。
「統治……結局、どういうことなん?」
「そうだな……山本は恋愛以外の新たな生きがいを見つけて、アフター5を充実させろ、ということではないか?」
「そうなんか……どげんしよ」
2人して首をかしげ、まぁ、何となく納得したのだった。
「そうそうケッカちゃん、コレは1つの提案なんだけど……」
彩衣が全員に2杯目の飲み物を配膳し終わってから、聖人はノートをペン先でトントンと叩きつつ、こんなことを言い出した。
「この仕事が片付いても、しばらく仙台にいるつもりはない?」
「へっ?」
唐突な提案に、ユカも間の抜けた声を漏らす。政宗と統治も軽く目を見開き、聖人にその理由を説明するよう促した。
3人から見つめられた聖人は、湯気が立つコーヒーを一口すすり、口元に笑みを浮かべる。
「いやね、自分の研究を進めていく上で、ケッカちゃんはこの上なく重要で貴重な存在なんだよ。これまでは麻里子さんに賄賂を送り続けて、何とかデータや映像をもらうことが出来たけど、もしもケッカちゃんがもうしばらく仙台にいてくれるんだったら、たまにここにお茶を飲みに来て、楽しくおしゃべりして、ついでに、自分のデータ収集に付き合って欲しいな……とね」
「それは……でも正直、あたしの一存で決められることじゃなかけんが……」
「勿論、タダでとはいわない。そうだね、報酬は……ケッカちゃんの『生命縁』の治療、これでどう?」
「っ!?」
刹那、ユカがソファから立ち上がり、目を最大限に見開いて聖人を見つめた。
立っているユカに見下ろされている聖人は表情を変えることなく、右手に持ったペンをクルクル回しながら言葉を続ける。
「これまでに続けてきたことが延命だとすれば、自分が行うことは完治に向けたものだと考えて欲しいんだ」
「完、治……!?」
ユカは、彼が何を言っているのか分からなかった。
今まで誰からも……あの麻里子からも、そんなことは言われたことがないから。
「そんな……そんなこと、本当に……?」
半信半疑のユカに、聖人はペン回しをやめて、そのペンでユカの頭上を指す。
「勿論、成功する保証はない。でもねケッカちゃん、先程から君の『生命縁』を観察させてもらっているけれど、その状態で君が生きているのは、それだけで奇跡なんだ。奇跡が続くには何らかの要因があるはず。それが分かれば、『生命縁』を元に戻す糸口に繋がるかもしれない。自分はそう考えている」
「……」
「今すぐに返事をして欲しいわけじゃないよ。まずは、目の前の問題を解決するために全力を注いで欲しい。そして、それらが解決した後にケッカちゃんが協力してくれるなら……全力でサポートするよ。ま、とりあえず座りなって」
終始笑顔で語る聖人に、ユカは頷くのが精一杯だった。
ソファに身を沈め、何かを考えこむユカへ声をかけようとする政宗と統治を、聖人の言葉が遮る。
「あと、これは2人……特に統治君へお願いしたいことなんだけど、今日の話、むやみに口外しないでね。仁義君には頼み事をするだろうし、その関係で里穂ちゃんにバレるのはしょうがないとしても、心愛ちゃんには伝わらないように細心の注意を払って欲しい。当然、片倉さんって人は完全にダメ。桂樹さんも遠慮して欲しい。要するに……名杙家の人には話さないで欲しいな、当主との信頼関係が揺らぎそうだからね」
シー、と、左手の人差し指を口元にあてる聖人に、統治が躊躇いつつ尋ねる。
「じゃあどうして……俺には話をしてくれたんですか?」
「それは――君は名杙家の中でも異端になってきたから、かな」
刹那、統治が眉をひそめる。
「俺が……異端?」
そんなこと、今までに言われたことがなかった。
訝しげな表情の統治に、聖人はウンウンと頷きながら、その理由を説明する。
「そ。だって今、政宗君やケッカちゃんっていう、完全に外部の人間と協力して仕事をしているよね? 仁義君や里穂ちゃんも、厳密に言うと名杙から外れた子達だし、そんなメンバーの中で名杙を振りかざさない次期当主筆頭の統治君は、自分も結構注目しているんだよ。まぁ、現当主はちょっとヤキモキしてるけど……いずれ、君が結果を出せば、納得してくれるんじゃないかな?」
「……分かりました」
聖人の答えにとりあえず納得した統治は、コップに残るミネラルウォーターを一気に飲み干した。
政宗の恋心は、基本、ユカ以外に隠し切れないという可哀想な設定なので諦めて欲しいです。統治が知っているのかどうかは……第2幕で分かります。
そして、ユカに降って湧いた「宮城に残らね?」という提案。今までは誰もが怖がって手を出さなかった領域に笑顔で踏み込める聖人は、ある意味最強かもしれません。まぁ、それも当然かな……「伊達」という名字を与えたキャラクターですから。