エピソード6:『親痕(しんこん)』さんいらっしゃい!④
政宗が住んでいるのは、仙石線・小鶴新田駅から徒歩10分強のところにある、7階建てのマンションの最上階。
仙台のベットタウンというべき閑静な住宅街、その一角にある。
駅まではいつも自転車で移動している政宗だが、今日はユカがいるので二人分の荷物をカゴに乗せ、自転車をおして歩く。帰り道には地元のスーパーやドラッグストア、レンタルビデオ店にファーストフード店まであるので、一人暮らしでも家族住まいでも生活しやすい地区だ。
ちなみにユカの住まいの最寄り駅も同じなのだが、政宗とは反対側にある県道沿いの地区に住んでいるので、スーパーより先に行ったことはなかった。
自転車をおす彼の隣を歩きながら……キョロキョロと周囲を見渡す。家族向けや単身者用のマンションが立ち並び、割と最近になって開発が進められた雰囲気。まだまだ元気のある町並みを楽しみつつ、無言で前を見ている彼に話しかけてみた。
「買い物とかせんでよかと? 分町ママはまだしも、あたしの分の食事まではなかろうもん」
スーパーを素通りする政宗の上着を引っ張って尋ねるユカに、立ち止まった彼はドヤ顔でユカを見下ろした。
「大人になった俺を舐めるなよ、ケッカ。既に統治には連絡済みで準備済みだ!!」
「をを、政宗が役に立つ!!」
ユカの失礼な物言いにも胸を張る政宗は、何かを思い出したのか、締りのない表情になる。
まるで、いるはずがないのに家で待っている若奥様を妄想しているような……積極的に近づきたくない雰囲気。
「……政宗、顔が全体的にたるんどる。気色悪かよ?」
ボソリと呟いた彼女の言葉は、既に脳内で酒盛りを始めている政宗には届かなかった。
そして、ユカは気付かない。統治が既にユカの分の食事を準備しているということは……この宴会は彼女が思っているよりずっと前から計画されているということを。
「ただいまー」
「おっじゃましまーす……」
扉を開いた瞬間、部屋の奥からそれはもう良い香りが漂ってくる。
この部屋は2LDKの間取りになっており、玄関を入ってすぐ右手に5畳の洋室、左側にトイレやお風呂等の水回りが配置されている。
真っ直ぐ伸びた廊下の先、そのまま突き進めば6畳の洋室、突き当りを右に入れば10畳のリビングダイニングがある。その香りは間違いなく、リビングダイニングの方から漂ってきていた。
鼻に入るだけで唾がたまるような、そう、仕事終わりの空っぽの体には耐えられない、食欲を全力で刺激してくる香りが。
無言で靴を脱いだ2人は、廊下の奥にあるリビングへと早足で向かい、ほぼ同時に扉を開いた。
「佐藤、山本……」
普段は2人用のテーブルにパイプ椅子を用意していた統治が、飢えた2人を見つけて……若干引く。
「……2人とも、顔がおかしいぞ。何かあったのか?」
刹那、脱力したユカが統治を見つめ、ため息をついた。
「顔がおかしいって……政宗はまだしも、女性に対してその物言いはヒドいと思うっちゃけど……」
「おいケッカ、さっきから俺に対するお前の態度が一番ヒドいんじゃないか!?」
隣でツッコむ政宗を華麗にスルーしたユカは、扉から入って右手にある台所へ駆け寄った。
リビングと対面のカウンタータイプになっている台所のどこかに、この、空腹を刺激しかしない美味しそうな香りの正体があるはずだから。
カウンターにかじりついて目を凝らすユカだが、角煮やビーフシチュー的な、何か煮込み料理でも仕込んであるのかと期待して覗きこんだ台所には、鍋用に切られた野菜の盛り合わせと、蓋の閉じた土鍋が1つ。それ以外はスッキリ片付けられているため、怪しいのは土鍋だ。よく見ると、蓋にあいた穴から、白い湯気が出ているし。
「ねー統治ー、今日の晩御飯は何?」
振り向いたユカに、統治は椅子の上に座布団を固定しながら返答した。
「今日はせり鍋だ」
「せり鍋? せりって……水菜みたいな野菜のことだよね。あれがメインの鍋なの?」
椅子の設置を終えた統治がコクリと頷く。
「じゃあ、このいい匂いは? これがせりの匂い?」
「いいや、これは出汁の匂いだ。昨日から昆布だしを仕込んでいる」
「昆布だけ?」
「昆布と薄口醤油……後はみりんと砂糖だな」
冷静に返答した統治は、別室に荷物と上着を置いて戻ってきた政宗に、夕食を何時から食べ始めるのか確認した。
政宗は腕時計で時間を確認し、腕を組む。
「今は6時過ぎか……ケッカ、どうしたい?」
ユカは飛びついていたカウンターから離れると、右手を垂直に伸ばしてこう主張した。
「今すぐ食べたい!!」
政宗がテーブルにカセットコンロを用意する間、取り皿やお箸を運ぶために台所へ入ったユカは、鍋の蓋を開いて最後の調整をしている統治の隣に立つ。
「統治、いつからこげん料理上手になったと?」
ユカの知っている統治に、料理上手というイメージはない。ましてや、実家暮らしでお手伝いさんもいる家柄の彼に対して、料理をするという印象さえなかったのだから。
戸棚から人数分の取り皿を出した統治が、ユカにそれを手渡して再び鍋の前に立った。
透き通る出汁色のスープは、フツフツと泡を立て始めている。それをお玉でかき混ぜた統治は、お玉を脇において、鍋つかみを両手にセットする。
「上手かどうかは分からないが……高校を卒業した頃から、少しずつ勉強している」
「へー、知らんかった……どうして?」
「実家では誰も、俺に包丁を持てとは言わないんだが……あそこにいる支局長は、放っておくと破滅するんだ」
そう言って、統治は、カウンターの向こういる、いつの間にか合流した分町ママとビールの銘柄を吟味している政宗を顎でしゃくった。
しかし、そう言われても……意味が分からない。
「どういう意味? 統治は、政宗のために料理を覚えたってこと?」
真意をつかめずに重ねて尋ねるユカに、統治は土鍋の蓋を閉じて、一度、息をついた。
「……知っていると思うが、佐藤は頼れる身内がいない。あいつは、寮のある高校時代では三食しっかり食べられたんだが……高校を卒業して大学に進学し、同時に『良縁協会』の協会員として働き始めてから一人暮らしになった。そこで、食生活が乱れに乱れたんだ」
「あらー……」
安易に想像できる事態に、ユカが苦笑いを浮かべる。当時のことを思い出したのか、統治の口元がへの字に歪んだ。
「見かねた俺や周囲が差し入れをするんだが、1食差し入れたところで残りがジャンクまみれなのは変わらないし、面倒だからと食べないことも多かった。そして、本人は料理の才能が絶望的だった。佐藤が無理をして食材をムダにするのが勿体ないから、俺がやってみることにした」
効率を重視する統治らしい回答だが、大の大人をそんなに甘やかなさくても……ユカは統治にジト目を向け、思わず突っ込んでしまった。
「統治……あんたは政宗の彼女ね?」
統治はコンロの火を切りながら、ユカを見ることもなく淡々と言葉を返す。
「食生活の乱れで生活習慣病を引き起こし、入院や早死にされたら困る。最近は改善されてきたとはいえ、コンビニの弁当やファストフードを食べ続けるのは決して良い傾向とは言えないだろう。おかげで、結束バンドやフードプロセッサーの便利さも理解出来た。効率と味を考えて料理をするのは頭を使うことにもなるし、俺にとっても良い経験だった……と、思うことにした」
「ふーん……ならいいけど」
統治の答えにとりあえず納得したユカは、手持ちの取り皿をテーブルへ運ぶことにした。
こうやって、2人は信頼関係を築いてきたんだろう。自分が遠ざかっていた間、じわじわと。
もっと過去の話を聞いていたいけれど、美味しそうな匂いに空腹が白旗を振りまくっているのでいずれまた。テーブルに移動して皿を並べながら、頭上で既に中身の入ったジョッキを用意している分町ママに笑顔で会釈した。
「分町ママ、来とったとね。っていうか政宗、野菜とかコップとか運ぶの手伝ってよ! どうせ、ここに出したビールは全部飲むっちゃろうもん!!」
「ケッカは分かってないなー。味が違う各社のビールを、どれから飲めば全てを楽しめるのかを慎重に検討してだな……」
「どげんでもよか!! 手伝え!!」
ユカは初めて食べたせり鍋だが、シャキシャキした食感が癖になるせりの根っこからプリプリの鶏肉、そして、〆の蕎麦に至るまで綺麗に完食。
デザートに冷凍庫から発掘したバニラ味のアイスキャンディーを舐めながら……自分の右側、パイプ椅子に座って5本目のビールを飲み終えた政宗に、話を切り出す。
「ちょっと政宗、完全に酔っ払う前に……統治に今日のこと、話したほうがいいっちゃないと?」
ユカに視線を向けられ、政宗の目が泳いだ。
「え? ああ、そうだったなー……」
「まさか、忘れとったっちゃないやろうね?」
「俺様が忘れるわけないじゃーん……えぇっと……そうそう、話す前にトイレっと……」
頬を紅潮させて、ヘラヘラした表情の政宗は……数秒黙った後、そのまま席を立って部屋を出て行った。
信じられない、と、軽蔑の眼差しを向けるユカに、同じく席を立った統治がガラスのコップに水を注いで戻ってくる。
そのコップを政宗の席に置いた統治は、つまみ代わりの塩茹で枝豆を食べながら、ユカに尋ねた。
「あの状態の佐藤に聞くのは面倒だ。山本、何があったのか教えて欲しい」
これにはユカも同意せざるを得ない。
「了解。これは、分町ママが気付いてくれたことなんだけどね……」」
ユカの左側で自分なりの宴会を楽しんでいた分町ママも、表情を引き締める。
2人から今日のことを聞いた統治は、『因縁』が4本あったという話を聞いた時、枝豆を食べる手を止めて、眉をひそめた。
「『因縁』が、4本……? そんな馬鹿なことがあるのか?」
「分町ママが嘘をつくはずがないし、あたしも正直、彼女と会った初日に、彼女の『因縁』がよく分からんかったんよ。その時は疲れや環境が変わった影響だろうって思っとったけど……統治、どげん思う?」
分町ママがウンウンと頷く様子を確認した統治は、烏龍茶を一口すすり、考えを巡らせる。
「俺は正直、件の彼女とは顔を合わせたことがないし、そもそも今の俺では『縁』を見ることも出来ないんだが……通常、『因縁』の本数は、生きている人間であれば3本以上になることはないはずだ。それ以上増えてしまうと、バランスが崩れて実際の生活にも支障が出るだろう。ただでさえ『因縁』は相性があると言われているのに……」
「『因縁』に、相性?」
「『因縁』は、祖先から受け継がれてきた、その人間のルーツにもなりうる重要な『縁』だ。『因縁』がその人物の性格を決定づけるとも言われている。生理的に合わない人間というのが出てきた場合は、自分が生まれる前の過去に相手の祖先と何らかの衝突があり、それが『因縁』に刻まれているからとも言われているな。それくらい、無意識のうちに影響を与えるのが『因縁』だ。夫婦が離婚するのも、増えた『因縁』とこれまで持っていた『因縁』の相性が悪くて、その結果、相手のことが生理的に嫌になってしまう、という場合もあるらしい……と、研修で教わったはずだが?」
「そ、そうやったねー……うん、今思い出した、思い出した」
食べ終えたアイスの棒を空っぽのコップに立てて、統治の小鉢から枝豆を数個拝借したユカは、あさっての方向を向いて剥いた豆を頬張る。
「統治も聞いたことなかったかー……と、なると……やっぱ、伊達先生って人にも助言を貰ったほうがよさそうやね。統治、伊達先生ってどんな人なん?」
「個性的な人だ」
「具体的にどの辺が?」
「それは……実際に会って山本が判断すればいい」
「なんそれ……」
まったく答えになっていない、意味ありげな口ぶりの統治にユカはジト目を向けつつ……宙に浮いている分町ママにも聞いてみることにした。
「分町ママは伊達先生って知っとる?」
ワンカップをグイッと飲み干した彼女が、ユカの問いかけに笑みを浮かべる。
「ええ勿論。30いかないくらいなのに、聡明で面白い人よね」
「面白いって……具体的にどの辺が?」
「伊達君は、私みたいな『痕』や、『縁』に関する独自の情報と持論を持っているわ。私も何度か協力したことがあるけれど……まさか、科学的に私達を認識しようとして、それが成功するなんて思わなかった。華蓮ちゃんが使ってる眼鏡とか、軌跡の産物よね。そういう成果を出すことが出来る、他人とは違う面白い感性を持った研究者だと思うわよ」
そう言って目を細める分町ママの様子から、信頼できる実力者であることを感じ取ることが出来る。
どんな人物なのか、増えるワカメのごとく期待が膨らむユカだが……分町ママに向けていたその視線を、政宗が出て行った扉へスライドさせた。
政宗が、戻ってこない。
「と、いうか……政宗はなんばしよっとね!?」
「……見てくる」
ため息をついて席を立った統治は……3分後、トイレから出たところで座り込み、夢の中へ片足を突っ込んでいた政宗の首根っこを掴んで戻ってきた。
「ぐふぇっふぇ……ココは俺様の場所だからなーっ」
意識はほとんと夢の中、服を引っ張られて床を引きずられても上機嫌な政宗は、テーブルの横にあるソファ代わりの大きなビーズクッションにダイブ。そのままクッションを抱きしめ、ゴロゴロ転がりだした。
統治が水の入ったコップを差し出すが、「いらなーい」と手を振る始末。
「ケッカとー、統治がー、俺の翼だーっはっはっは!!」
椅子に座ったままその様子を見下ろしていたユカだが……立ち上がり、統治の背後に移動する。
「統治……アンタ、あたしがおらん間に政宗を甘やかしすぎたっちゃなかと?」
「……」
上から降ってきた指摘に、統治は二の句を継げなかった。
せり鍋……実は食べたことがないんです! 情報としてしか知らないので、いつか食べてみたい!
今回のレシピは、「伊達美味マガジン Volume3(http://www.dateuma.jp/magazine/pdf/dateumamagazine03.pdf)」を参考にさせていただきました。
統治が料理男子になったのは、元々凝り性で性格が細かいこと&自分の身を捨てる勢いで動き続ける政宗を休ませるためには、自分が料理をして彼が帰る場所を作ろうと思ったこと、等があります。ちょっと甘やかしすぎだと最近になって反省しているんだとか。(苦笑)
そして、政宗は酔っ払うと陽気になります。地味に面倒です。