エピソード6:『親痕(しんこん)』さんいらっしゃい!③
華蓮と分町ママの初顔合わせから1時間後の17時過ぎ。本日の研修は滞り無く終了した。
「今日は私のせいで、ご迷惑をおかけいたしました。引き続き、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をした華蓮が、扉の向こうへ消えていく。
その背中を3人で見送りつつ……彼女の気配がフロアから消えたことを確認した分町ママが、真顔で政宗を奥に促した。
ユカも2人の後に続き、自分の席に腰を下ろす。
政宗はメールを確認するために、立ったままで机上のノートパソコンを起動した。
ユカの正面――統治の席の上――に浮いている分町ママは、普段ならばジョッキなりグラスなりを取り出して一服しそうなものだが、特にそんな様子もなく、神妙な面持ちで何かを考えている様子。
ユカは机上のタンブラーで水分を補給しつつ、普段と違う分町ママに話しかけた。
「分町ママ、今日はどうかしたんですか? たまに怖い目やったけど……」
ユカをチラリと見下ろした分町ママは腕組みをして、苦虫を噛み潰したような表情で尋ねる。
「ケッカちゃん、彼女……何なの?」
それは、今まで誰に対しても好意的だった分町ママが、初めて見せた嫌悪感だった。
こんな彼女は珍しいので、政宗も手を止める。戸惑ったユカも、質問に質問で返してしまう。
「何なの、って……どういう意味ですか?」
「どうして気づいていないの? あの子……存在が変よ。全部変、絶対変」
「変、って言われても……具体的にどこでそう思ったんですか?」
若干苛立った分町ママが、普段の調子を取り戻すために、手元のジョッキに入ったビールを一気に飲み干して……ふぅ、と、長く息をつく。
そして、戸惑いしかないユカと政宗を交互に見やり、もう一度、これみよがしなため息をついた。
「まず、持ってる『因縁』の本数がおかしすぎるでしょう。普通、未婚の女性の『因縁』は2本よね。でも、彼女は4本持ってるじゃない」
「よっ、4本!?」
分町ママの指摘に、ユカと政宗は目を合わせて絶句した。
今まで、分町ママ以外は……生きている人間は、誰一人、その事実に気がつけなかったのだから。
「ぶ、分町ママ、それ本当ですか!?」
「私がケッカちゃん達に嘘をつくわけがないでしょう? え? ちょっと……政宗君まで、本当に気づいてなかったの!?」
驚きと批難で声を上げた分町ママに、ユカは机上で肘をつき、頭を抱えた。
だって、自分は……華蓮と初めて会った時に、違和感を覚えていたのだから。
「あたしが初めて彼女と会った時、片倉さんの『因縁』はグチャグチャ絡まってて、はっきり見えなかったんです……正直、家庭環境が複雑な人は、一時的にそうなることもあるし、次に会った時は正常な状態だったから、あたしの見間違いだったんだろうって……そうじゃなかったんだ……!」
あの時の違和感が、『因縁』の本数が多すぎることに対してだということに気がついていれば……。
もっとあの時、初対面で感じた違和感を追求するべきだった。今更悔やんでもしょうがないのだが、あそこで一歩引いてしまった自分の行動に苛立ちが募る。
後悔に押しつぶされて机に突っ伏したユカを横目に、政宗は分町ママを真っ直ぐ見据え、尋ねる。
「分町ママ、片倉さんの『因縁』の中に、統治のものはありませんでしたか?」
彼の質問に、彼女は首を横に振った。
「それはなかったと思うわ。というか……それがあったらあなた達が真っ先に気付きなさい。そこまで落ちぶれたわけじゃないでしょう?」
分町ママのジト目に「面目ない……」と肩をすくめた政宗が、指をおりながら数を数える。
「2本はまぁ、彼女が本来持っている『因縁』だとしても、だ……あと2本? 仮に結婚していたとしても多すぎるし、そんな情報は仁義君からも来ていないし……第一、『因縁』を倍持ってる人間なんて、聞いたことねぇぞ……ケッカ、どう思う?」
自己嫌悪からひとまず離脱、上半身を起こしたユカだったが、政宗の問いかけに再び頭を抱えた。
「うぅー……正直、あたしも聞いたことなかよ。それよりも、あたし達が彼女の『因縁』に気がつけなかった原因を探ったほうがいいっちゃなかとね? 政宗だけじゃなくて、あたしも、心愛ちゃんも……分町ママ以外、誰も疑問に思わんかった。そのからくりを解明せんと、今のあたし達は彼女たちに対して何も出来んと思う」
両手を上げてゲンナリした表情を浮かべているユカに、政宗は何かを思案した後……開いていたノートパソコンを閉じた。
「それもそうか……よし、ケッカ、俺の家へ来い」
「は?」
何の脈絡もなく政宗の家に招待されたユカは、両手を上げたまま大きな目を丸くして間の抜けた声をもらす。
顔に疑問符しかないユカに、政宗はテキパキと机の上を片付けながら……満面の笑みで言葉を続けた。
「今日は自分の不甲斐なさを嘆くやけ酒パーリーを開くと決めたんだ。当然、付き合ってもらうぞ。あ、勿論ケッカはノンアルコールだけどな」
「いやいやちょっと政宗、何言ってるか分かんないよ!?」
まだ、一応の就業時間なのだが……何の躊躇もなく電話を留守番電話に切り替える笑顔の政宗。
ワタワタするユカを尻目に、政宗は足元に置いていた黒いビジネスバッグを机の上に置くと、スマホや筆記具を片付けていく。
あまりの手際の良さに、ユカは若干引いていた。
「ちょっ……政宗、よかと?」
「いいんだよ。この件に関しては早急に統治の意見も聞きたい。そして、俺はもう今日はこれ以上働きたくない。しかし、まだ時間は早い……ということは、呑み会だ。ノミニケーションだ。そうですよね分町ママ!!」
嬉々として宙に浮いた分町ママを見つめる政宗。それを受けた分町ママは、妖艶なウィンクを返した。
「そうねー♪ 政宗君、今夜は寝かさないぞっ♪」
「お手柔らかに頼みますよー、俺、明日も仕事なんですから」
すっかり笑顔で意気投合する2人に、ユカは別の意味でゲンナリした表情になり……ボソリと本音を呟いた。
「この2人、プライベートが超面倒くさい……」
早々に『仙台支局』を閉めた政宗とユカは、JR仙台駅に向かった。
丁度、学生や会社員の帰宅ラッシュが始まろうとしている時間だ。人がそれぞれに流れていく合間をすり抜け、Suicaをかざして自動改札を抜ける。
「ケッカもSuicaなんだな。福岡にも面白い名前の奴があっただろ?」
政宗はSuicaの入った財布をカバンに片付けながら、同じくパスケースをカバンの外側ポケットに押し込むユカに、意外そうな眼差しを向ける。
ユカは歩きながら、隣の彼をジト目で見上げた。
「……覚えとらんと?」
この言葉にあることを思い出した政宗が、驚いた表情で軽く目を見開く。
「まさか……それ、あの時のか?」
「そうだよ。今は九州でも問題なく使えるけんね」
ユカが使っている、印刷が薄れて少しくたびれたSuicaは、10年前の夏、ひょんなことから政宗がユカに渡したものだった。
あの頃はタッチ&ゴーといえばコレしかなかったが、今は各地域ごとに独自の乗車カードがある。現に福岡にはJRや私鉄等がそれぞれ、計3種類発行しているため、政宗もユカは福岡の乗車カードを使っていると思っていたのだ。
10年ぶりに見たそれに、色々な思いがこみ上げるが……政宗は1人、心の底から湧き上がる様々な感激を表情に出さないようにするのが精一杯だった。
それらの感情を一言で言うと……すっげー嬉しい。
「持ってて……くれたんだな」
「あの研修関係で残ったモノといえばこれくらいやけんね。写真でもあればよかったけど……なんか、これを見ると初心に戻れる気がするし。それに、何だかんだ言っても結局……ずっと好きなんよ」
そう言って目を細めるユカ。何故か政宗の顔が赤くなり、歩く速度も早くなる。
頑張って彼と同じ速度で歩くユカが、キョトンとした表情で政宗を見上げた。
「どげんかしたと? 政宗だってあたしがずっと好きなことは知っとろうもん。言ったことあるよね?」
「へっ!? あ、えっと……そ、そうだったっけか?」
明後日の方向を向いてすっとぼける政宗に、ユカは頬を膨らませて再度問いかける。
「そうだよ! あたしがこのペンギンのキャラクターが好きなこと、忘れたと?」
刹那、政宗はどこかくたびれた表情で前方を見つめ、歩く速度を遅くした。
「……あー、そういえばそうだったな」
「コレはJR東日本のキャラやけん、九州ではなかなかお目にかかれんとよ。そのうちクリアファイルでも買おうかなー♪」
ユカは満面の笑みでまだ手元にない某ペンギンのキャラが描かれたクリアファイルを妄想し、ニヤニヤしている。
政宗は……1人、孤独にため息を付いたのだった。
2人が目指すのは、西口の改札からは少し離れた場所にある仙石線のホーム。他の沿線のホームへ向かう人々を追い越し、突き当りにある長いエスカレーターを下りながら……ユカは、前の段に立っている政宗の背中に問いかけた。
「そういえば、桂樹さんって他に何か仕事しよると? 学校が何とかって……」
「ああ、確か、火曜日、木曜日、金曜日は、非常勤のスクールカウンセラーとしていくつか学校を回っているんだ。もしもそこで、『縁』が見える子に出会ったらすぐに対処できるように。子どもは感受性が強いから、ふとしたキッカケで見えるようになる子もいるらしい」
「ふーん……珍しいね、名杙が外部で働くことを許可しとるげな」
「俺もその辺はよく分からないんだが……名杙の中でも色々考えていることがあるんだろうさ」
統治があれだけ心を許している人物なのだから、優秀すぎて別の仕事も任されているのだろう……ユカはとりあえずそう結論づけてから、ニヤリと口角を上げて、前にいる政宗のスーツの襟元を引っ張った。
「あと、政宗……桂樹さんのこと、好かんやろ?」
「そんなことないぞ。頼りになる先輩『縁故』だし、一応、『仙台支局』のアドバイザー的なこともしてもらっているからな。ただ……桂樹さんは仁義君との折り合いが悪いから、俺が仁義君に頼りまくっていることは内緒だ! あとそこを引っ張るな首が苦しい!」
エスカレーターが終わり、再び横並びで通路を歩く2人。
アンバランスな後ろ姿の2人を、何人もの人が無言で追い抜いていく。
「ねぇ、政宗……分町ママが片倉さんの『因縁』を見間違えた可能性って、あると思う?」
「どういう意味だ?」
「例えば……片倉さんは本当に統治の『因縁』を持っとる。当然、それを隠し通さんといけんけど、あたし達『縁故』と、分町ママみたいな『痕』では、多分、『縁』の見え方が違うっていうか……それぞれに対してカモフラージュする必要が出てきた。あたし達には、正常に見えるように。そして、分町ママに対しては……同じことが出来んかったけんが、本数が増えたように見せることで、統治の『因縁』を隠している、みたいな可能性……どげんやろ?」
「可能性がない、とは、断言出来ないんだが……そんなこと、可能だと思うのか?」
「例えば……まぁ、全部仮定の話しか出来んっちゃけど、片倉さんに、名雲側の血が混じっているとすれば?」
「名雲、か……」
政宗がユカの言葉を反すうしながら歩くと、ホームへ続く下り階段に到着。人の流れに従って、更に地下へ下っていく。
ようやく辿り着いたホームは、電車を待つ人でごった返していた。地下にあるホームなので天井も低く、線路が続くトンネルの向こうは真っ暗で何も見えない。
程なくして、4両編成の電車がホームに滑りこんでくる。流れに沿って車内に乗り込んだ2人は、扉近くに向かい合って立った。
ユカの目線の高さには、扉の開閉を内側から操作出来るボタンがついている。宮城を含む北日本の電車には、こうした開閉ボタンが付いている車両が一般的だ。特に冬はすべての扉を開けてしまうと車内が一瞬で寒くなってしまうので、乗客が降りる扉のみ、内側から開けるようになっている。ちなみに、発車時は自動で全て閉まるようになっている。
先日、ユカが初めて宮城の電車に乗った時、駅についても目の前の扉が開かないことに1人で焦りまくり、後ろにいた政宗が無言で「開」ボタンを押したのだ。あれは事前に教えて欲しかった……と、未だにユカが根に持っている出来事の1つだったりする。
車内は混み合っているが、身動きが取れない程ではない。ユカは政宗を見上げ、少し躊躇いながら……話を切り出した。
「麻里子様に聞いてみるのは、どげん思う……?」
政宗は一瞬思案し、真顔で首を横に振る。
「まだ勘弁してくれ。それは、八方塞がりで四面楚歌になった時の最終手段、俺達のリーサルウエポンにしておきたい。麻里子様の耳に詳細が入れば、名杙の当主をすっ飛ばして、この問題に介入してくる可能性が極めて高いからな。勿論、それで解決するかもしれないが……今はリスクが高いと思うぞ」
「だよねー……あたしも、仙台に笑顔で殴りこんでくる麻里子様の姿が見えるよ……」
2人で同時にため息をついた。と、ここで政宗が、「ただ……」と、こんな提案をする。
「麻里子様じゃなくて、伊達先生に聞いてみるか?」
「伊達先生って……確か、『縁』を研究しとるって……」
「ああ。今は名杙の後ろ盾があるから宮城に住んでいるんだが、ここに来るまでに全国を点々としてきたらしい。恐らく、『縁』の研究を進めるために、名雲家についても俺達より詳しいんじゃないかと思う」
あの名杙家が一目置き、自分たちの手の届く範囲においている、『縁故』ではない人物。
どんな人物なのか、ユカも気になっているところだった。
「なるほど……麻里子様よりあたしたちに実害はなさそうやね」
「ケッカに異論がなければ、早めに会えるように連絡をしておくよ。遅かれ早かれ、ケッカを連れて行こうと思っていたからな」
そう言った政宗が、鞄からスマートフォンを取り出した。
親指で操作する彼の顔を見上げつつ……ユカは一度、浅く息をつく。
「政宗は……大人になったねー……」
「は?」
ポツリと呟いたユカの言葉に、政宗は作業の手を止めて彼女を見下ろした。
「何だいきなり。ケッカは俺がいつまでも子どもだと思ってんのか?」
口を尖らせた政宗は、電車が駅に着いたので降りる人のために、ユカの頭上にあるボタンを押す。
扉が開き、少しだけ冷たい空気が入りこむ。人の波が電車から降りて、パラパラと乗車してくる。
程なくして扉が閉まり、定刻通りに電車は駅を後にした。
ユカは、先ほどの発言に対して説明を求める政宗を見上げ、少し自嘲気味に笑う。
「一緒に仕事して、変わっとらんなーって思うこともあるっちゃけど……やっぱり、政宗も統治も、2人とも大人になったなぁって思うことが多いよ。何というか……今まで横並びで一緒に歩いとるつもりやったけど、いつの間にか前にいて……あたし、置いて行かれるんじゃないかって……」
それは、ユカが仙台に来てからずっと感じていることだった。
以前は、何の壁もなく接してきた。だからこそ、ぶつかり合うことも多かったけれど……その分、より強い関係を気づけたと思っている。
しかし、今は……政宗も統治も、自分と一定の距離を保ったまま接しているのではないか、と、思うことが増えた。それは2人がユカを避けているのではなく、ちゃんと、その場に応じた態度を選択しているから。
それは……2人が、ユカの知らない時間に、ユカの知らない経験を積んで身につけた処世術だ。
政宗は先日の諍いまでユカとの距離に悩んでいた様子だが、今の彼にそんな不安はない。勤務時間内は、ユカの友人である前に『仙台支局』の支局長として、彼女に接している。
でも、それは当然のことであり、その変化を「寂しい」と思う自分こそが、まだまだ子どもだということも……ユカは十分理解していた。
刹那、車内がぱぁっと明るくなった。仙石線は仙台駅を出てからしばらくは地下鉄のようにトンネルを走行するのだが、苦竹駅手前から地上に出てくる。窓から入り込んできた夕日の光が眩しくて、ユカは思わず目を細めた。
「それは――」
彼女に反論しかけた政宗を遮って……ユカは、口元にニヤリと笑みを浮かべる。
次の駅――苦竹駅に着いた電車が、規定の位置で停車した。この駅で降りる人は階段に近い他の扉を使っているので、目の前の扉は開かない。
「でも、あたしだって負けんよ。それに……ケッカちゃんは安心したと。政宗がちゃーんと、支局長としての役目を果たせる大人になっとったけんね」
程なくして、車内アナウンスと共に電車が走りだした。次は、政宗とユカが利用している最寄り駅。カバンの持ち手にぶら下げたパスケースを確認するユカを、政宗は静かに見下ろして……。
「いつまでも子どものままじゃ……結果を助けられないからな」
彼が呟いた言葉は、電車の走行音にかき消された。
仙石線のホームって……西口からだと本当に遠いですよね!! ね!?(参照:仙台駅構内図→https://www.jreast.co.jp/estation/stations/913.html)
そして、電車の扉に開閉ボタンがついている(外側からは「開」のみ)という衝撃。「全部自動で操作されるんじゃないんだ!?」と、慣れるまで大変でした。
ちなみに、福岡には「nimoca」とか「SUGOCA」とか「はやかけん」とかありますし、それらも今は東日本で使えるようになりましたが……こら政宗、その程度で全力で喜ぶんじゃない!(笑)
また、最後の政宗が誰の名前を呼んだのかは、ご想像にお任せします。まぁ……あえて漢字にした時点でバレバレなんですけどね。そうか、君はそんなにユカのことが好きなのか……知ってる。