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エピソード6:『親痕(しんこん)』さんいらっしゃい!②

 心愛があっさりと分町ママに懐柔された月曜日。

 彼女の次のお仕事は、彼女の予定も考慮して、改めて来週の月曜日で確定した。心愛の希望で、分町ママの付き添い付きである。

 それはそれで良い、心愛が自分の中にある恐怖の理由と冷静に向き合って、彼女なりの落とし所を探そうと動き出したのだ。あの調子で数をこなしていくことが出来れば、次第に恐怖心も薄れるだろう……多分きっと、という希望的観測。

 ようやく問題が1つ、前進した。非常に喜ばしいことだ。

 しかし……ちっとも安心出来ない。だって、大きな問題は、『彼女』なのだから。

 

 翌日、火曜日の午前10時半、ようやく週末の報告書を書き上げたユカは、椅子の背もたれに体重を預けて、大きく背伸びをした。

 緊張していた背筋の筋肉が伸びる、心地良い感覚。

「ぐはー……終わった、終わったー!!」

「提出するまでが仕事だぞ、ケッカ」

 奥の自席に座ってパソコン仕事をしていた政宗が、ユカにジト目を向ける。

 統治が在宅仕事なので、『支局』内は二人きり。地元FM局のラジオをBGMとして流しながら、それぞれの雑務を片付けている最中だ。

 政宗の忠告に、ユカは机上のタンブラーの蓋を開くと、中身オレンジジュースを一口流し込んでから、フフンと鼻で笑う。

「ちゃんと提出しとるよーっだ! 共有フォルダに入れとるけんが、確認しとってねー」

「一部、プリントアウトして渡せって言っただろーが……」

「えー? 政宗が確認して問題なかったら、プリントアウトしてファイリングしとってねー」

「差し戻してやろうか……」

 政宗と目も合わせないユカに政宗は口を尖らせつつ……持っていたペンでユカを指し、尋ねる。

「で、今日はどうするつもりだ? ケッカ。片倉さんは恐らく、一筋縄じゃいかないぞ」

「分かっとるよ……政宗、仁義君とやらからの報告はまだね?」

「残念ながら、明日か明後日になりそうらしい。今日はやめとくか?」

 彼の問いかけに、ユカは首を横に振った。

「ううん、やる。もしも、もしも彼女が、先の災害の被災者に成りすましているんだったら……個人的にも許せんけんね」


 そして、時刻は16時過ぎ。

 今日は外回りのない政宗も『支局』に待機。ユカは特にレジュメも用意せず、応接用のソファに腰を下ろし、彼女の到着を待っていた。

 刹那、インターフォンの音が響く。ユカは立ち上がると、扉に近づいて開き――。

 そして、絶句した。

 目の前にいたのは、片倉華蓮だ。それはいい、それはいいんだけど……隣に、もう1人。


「桂樹、さん……!?」

「こんにちは、山本さん。突然の訪問をお許し願いたい。緊急事態だと判断しました」

 Vネックのカーディガンにロングスカートという私服姿で俯いている華蓮の隣で、スーツ姿の桂樹が静かに頭を下げた。


 扉の前で硬直するユカ。予想外の事態を察した政宗が、奥から苦笑いで近づく。

「桂樹さん、どうかしましたか? 本日は学校でのお仕事の曜日のはず、こちらへ伺うことは聞いていませんでしたが……」

 苦笑いの中には「困るんですけど」という苦情が滲み出ているが、桂樹はそんな政宗に鋭い目線を向け、ユカと共に椅子に座るよう促した。

 とりあえず言うことを聞いて、2人は横並びに座る。政宗の前に桂樹、ユカの前に華蓮が座ると……桂樹が淡々とした口調で、今回の訪問の理由を切り出した。

「まず、僕が片倉さんと顔見知りであることを、きちんと説明しておく必要があると判断しました。最近……どうも、怪しい動きを感じます。政宗君、心当たりはありませんか?」

「いいえ、特には」

 桂樹の質問に、政宗はするりと返答する。

 数秒、政宗の表情を確認した桂樹は……安堵の息をつくと、珍しく、口元にニヒルな笑みを浮かべた。

「そうですか……また、名倉のアイツがコソコソ嗅ぎまわっているのかと思いましたが、取り越し苦労だったようですね」

 刹那、政宗が桂樹を睨んだ。

「それよりも桂樹さん、俺は正直、貴方と片倉さんが知り合いだったことに驚いています。先日、ここで彼女の『縁』を見てもらった時、初対面のような態度でしたし、そういうお話でしたよね? つまり……俺を騙していたんですか?」

 語気を強めた政宗に、桂樹は表情を引き締めて慌てて頭を下げた。

「そんなつもりではありませんでしたが、結果的にそうなってしまい……申し訳ないと思っています。僕が片倉さんと知り合いなのは、彼女のお姉さんと僕が知り合いで、その繋がりからです。先の災害でお姉さんは亡くなってしまいましたが……あの場で知り合いだと話してしまうと、政宗君の仕事がやりにくくなるかと思いまして……」

「そうでしたか。ですが、それだけの話ならば、電話などで言っていただければ俺なりにフォローします。わざわざ彼女に付き添わなくてもいいのではないですか?」

 政宗の言葉に、桂樹はユカをチラリと見やり、自分が付き添った理由を告げる。

「片倉さんのことに対して、僕が出しゃばるつもりはなかったのですが……先日、彼女が山本さんと衝突して、山本さんに対して恐怖心を抱いてしまったらしくて……今日はどうしてもと頼まれました」

 刹那、政宗がユカをジト目で見下ろした。

「それは、まぁ……すいませんでしたー」

 棒読みで白々しく呟くユカにため息をつく政宗。

 要するに華蓮は、桂樹を連れてきたことで、『仙台支局』の2人――正しくは政宗――に、プレッシャーをかけようとしているらしい。

 先日は政宗がユカの暴走を止められずに自分は嫌な思いをした、今後そんなことがあったら……名杙に報告して対応するぞ、と。

 桂樹は、今の政宗が統治のこともあり、名杙の本家と積極的に関わらないことを知っている。だからこそ、自分が多少出しゃばっても問題ないと踏んだのだろう。事実、政宗がこの事実を名杙本家に告げたところで、「桂樹の個人的な知り合いなんて知らないし、第一、彼女を預かるって決めたのはお前だからそっちで何とかしてよ」と言われて終わってしまう。

 名杙は基本的に、外部の人間と積極的に関わろうとしないからだ。

 そう、今の華蓮は『仙台支局』預かりの立場だ。いくら桂樹という後ろ盾があるからといって、彼女のゴキゲンを伺いながら仕事を進めることは出来ないし、やりたくない。

 政宗は息を付き、桂樹を見据えてから、淡々と言葉を紡ぐ。

「俺もその場に居合わせましたが……あれは、互いに悪いところがあった結果だと思っています。なので、本人同士が折り合いをつけるべきであり、俺達部外者が出しゃばるようなことではないのでは?」

 政宗の反論に、桂樹は苦笑いを浮かべて言葉を取り繕った。

「政宗君、そう厳しいことを言わないであげて欲しい。片倉さんはまだ、僕達の組織を分かっていないんだ。彼女と同じように、途中から『縁』が見えるようになった政宗君ならば、彼女の戸惑いや苦悩が僕以上に分かるだろう?」

「ええ、仰るとおりです。だからこそ、本人が人一倍努力して、人一倍器を大きくして、ある程度のことを受け入れないと……俺達と同じ世界で生きていくのは難しいと考えています。確かに、今日が不安だった片倉さんの心情は察しますが……本人に電話で確認を取った時、来ると言った彼女には、彼女なりの覚悟があると思っていました」

 桂樹が足を組み替えて、値踏みするように政宗を見やる。

 政宗は桂樹ではなく華蓮を見つめ、言葉を続けた。

「だから今日は、俺も同席して先日のフォローをするから、と、話をしていたはずだけど……一応の責任者である俺を通さず、黙って桂樹さんを連れてきての無言の圧力、というのは、俺としても今後の対応に困ってしまうかな、片倉さん」

 華蓮は膝の上で両手を握りしめ、「ごめんなさい……」と、か細い声で呟く。

 そんな彼女に政宗は笑顔を向けると、顔を上げるように促した。

 恐る恐る顔を上げた華蓮を、政宗は普段通りの優しい顔で見つめ、選ぶように言葉を続ける。

「片倉さん、君の気持ちは俺なりに理解しているつもりだよ。ケッカの行動を制御出来ず、先の災害で家族を失った片倉さんを心の準備なくあの場所に連れて行ったのは、完全に俺の落ち度だ。辛い記憶をこじ開けてしまって、申し訳ないと思ってる」

「……」

「ただし、君が俺達と共に行動することを選んだのは、辛い過去を受け入れて前に進むためだと思っているんだ。世の中には、ケッカみたいな考え方の人間もいる。それをすぐに受け入れろとはいえないけれど、割り切る練習をしてほしい」

 優しく諭すような、でも、地味に厳しい言葉に、華蓮は口を尖らせて呟いた。

「……出来るでしょうか……自信、ありません……」

「やるかやらないか、それを決めるのは君だ。ただ、片倉さんが決めたことで、俺達に出来ることがあれば……俺も、ケッカも、全力でサポートするよ。『仙台支局』は手厚いサポートが売りだからね」

「なんそれ、初めて聞いたっちゃけど……」

 ユカのジト目を営業スマイルで受け流した政宗は立ち上がり、桂樹を見下ろした。

「さて……ちょっとばかし俺達は奥で話しませんか? いくつか報告したいこともありますし、インスタントコーヒーくらい出しますよ、桂樹さん」

 促されて立ち上がった桂樹が、肩越しに華蓮を見下ろす。

 彼女が一度、小さく頷いたことを確認してから……桂樹は政宗と一緒に、衝立の向こうへ消えた。


 ユカは正面の華蓮を気にしつつ……背後から聞こえる2人の会話にも、耳を澄ませていた。

 華蓮も口を開かない。

 政宗は努めて明るく、営業時のよく通る声の出し方で、話を切り出した。

「今日は本当に驚きましたよー……俺、やっぱり信用されてないんだなーって、へこみますって」

「それは申し訳ない。統治君は元気にしているかい?」

「はい、体調面は問題ありません。今は在宅での調整を指示しています。ただ……肝心の『因縁』については、正直、何も分かっていないのが現状です」

「そうか……こちらも調べてはいるのだが、役に立てず、重ねて申し訳ない」

「いいえ、桂樹さんだけでも協力していただけるのは助かります。ただし、今日みたいなことは勘弁してくださいね。彼女に関しては……どうやって諦めてもらうか、それを考えるだけで骨が折れるんですから」


 刹那、桂樹が息をのんだのが分かった。


「諦めて、もらう……?」

「当然です。名杙家は殊更、外部からの入会を嫌いますよね。俺もケッカも、統治や麻里子様の執り成しがなかったらどうなっていたか……だから、片倉さんもいずれはこの道を諦めてもらって、『痕』が見える『縁』を『切る』ように決断させてほしいんですよね?」

「……政宗君、誰が君にそんなことを言ったんだい?」

「誰って、当然、そちらのご当主様ですが……桂樹さん、ご存知でしたよね?」


 刹那、革靴の足音が近づいてきた。隠し切れない憤慨を必死で制御しつつ、狼狽えている華蓮と平静なユカを交互に見やり、無言で一度、頭を下げてから……部屋を後にする。

 後ろからついてきた政宗が、マグカップを2つ手に持ったまま、実に意地悪な表情で、彼の背中を見送った。

「折角コーヒーを準備したのに……あ、片倉さん、飲む?」

「え? えぇっと……」

「大丈夫、誰も口をつけていないよ。ミルクや砂糖が必要なら奥にあるから……持ってこようか?」

 踵を返そうとした政宗を、華蓮は慌てて引き止めた。

「い、いえ、結構です……それよりも、あの、佐藤さん、先ほどのお話は……」

「へ? あ、聞こえてた?」

 白々しい笑みを浮かべて、手持ちのコーヒーを1つ、ユカの前に差し出した政宗。それを受け取ったユカが、ジト目で彼を睨みつつ、話を合わせた。

「わざと聞かせたくせに……まぁ、名杙家の考えそうなことやね。あの家は内部の繋がりは強い分、相変わらず排他的やけんねぇ……」

 そう言ってコーヒーをすするユカに、華蓮は困惑した眼差しを向けて、尋ねる。

「そんな……私、ここにいられないんですか?」

 カップを机上に置いたユカは、ニヤリと口元に笑みを浮かべ、首を横に振った。

「ううん、そげなことなかよ。さっきの言葉、聞いとったやろ? あたし達は、片倉さんの決断を尊重して行動する。確かに今後、片倉さんにとって辛い行動をあたし達が要求することもあると思うけど、それを乗り越えるか、避けて違う道を選ぶかどうか……それは、片倉さんが決めることだ。だから、片倉さんが「もう嫌だ」って言わない限り、名杙家が何を言ってきてもあたし達はとことん付きまとうけんが、覚悟しとってね」

 ユカの傍らに立っている政宗も、「そういうこと」と笑顔で首を縦にふった。

 そして、華蓮を見つめる瞳を少し細めてから、こう、釘を刺す。

「でもね、片倉さん……君が桂樹さんと知り合いだったことは知らなかったんだ。知っていると思うけれど、桂樹さんは名杙の本家筋の人間だから、俺達よりも立場は上になると考えて欲しい。とはいえ、俺も一応、この『仙台支局』を任されているし、今は俺が片倉さんを預かっているから、俺をすっ飛ばして桂樹さんに相談される、っていうのは、地味に困るかな。その辺の大人の事情を理解してもらえると助かるよ」

「分かりました……スイマセン……」

「他に何か、俺達に知らせてないことはある?」

 政宗の問いかけに、首を横に振る華蓮。

 それを確認した政宗は、笑顔で天井を仰いだ。

「了解。とりあえず今日は、この『仙台支局』の『親痕』を紹介しておこうと思っていたんだ。スイマセン分町ママ、お待たせしました」

 刹那、天井裏からのっそりと下降してくる分町ママ。そのまま華蓮の隣に腰を下ろしたのだが……肝心の本人は、キョトンとした表情で、周囲をキョロキョロ見渡していた。

 苦笑いの政宗が、自分の目元を指さす。

「片倉さん、眼鏡眼鏡」

「あっ、そうでした……うわぁっ!?」

 慌てて眼鏡を外した華蓮は、自分の隣でビールジョッキを掲げている、ド派手な風貌の分町ママに驚き……珍しく低い声を出した。

「あら、そんなに驚かなくてもいいじゃない……」

 その反応に、分町ママはわざとらしく悲しい表情を作るが……ジョッキの中身を飲み干し、笑顔に切り替えた。

「初めまして、華蓮ちゃん。私がこの『仙台支局』の『親痕』にして、優しい優しいアドバイザーの分町ママよ。政宗君やケッカちゃんにいじめられたら、何でも相談してねー♪」

「はっ……はぁ……」

 笑顔の分町ママと微妙に距離を取りつつ、苦笑いで頷く華蓮。分町ママは華蓮を真正面からじぃっと見つめて……顔を近づけ、軽く、目を細めた。

「あら、アナタ……んん……?」

 そのまま首をひねる分町ママに、華蓮はオドオドするばかり。

 見かけた政宗が助け舟を出した。

「分町ママ、人聞きが悪いことを言わないでください。それに、そんなにジロジロ見ると、片倉さんもびっくりしますよ」

「あら、それは失礼。ゴメンね華蓮ちゃん、あまりにも綺麗なお肌だったから、羨ましくなっちゃって」

 笑顔で華蓮から距離をとった分町ママが、残っていたジョッキの中身を一気に飲み干す。

 華蓮は胸の前に手を当てて呼吸を整えながら……チラチラと分町ママを気にしつつ、でも、視線を合わせる勇気が持てないまま、ボソボソと言葉を絞り出した。

「は、初めまして……片倉華蓮、です……すいません、『親痕』って何ですか……?」

「あら、ケッカちゃんに政宗君、私のこともちゃんと説明しておいてほしいわねー」

 口を尖らせた分町ママに、政宗が苦笑いで謝罪しつつ、華蓮にその役割を説明する。

 真剣な眼差しで何度も頷く華蓮を横目に見ながら……ユカは、分町ママが時折、笑っていない目で華蓮を見ていることに気づいた。

 政宗と桂樹の立場は、桂樹の方が上になりますので、桂樹が『仙台支局』に対して指示を出した場合は、基本的に従わなければいけません。「名杙家」という大会社の本社にいる幹部社員が桂樹、その会社の支店の叩き上げ支店長が政宗、という感じですかね。

 政宗はずっと現場で育ち、これからも現場に出続けるので……何だろう、「踊る大捜査線」で仲の悪い織田裕二さんと柳葉敏郎さんみたいな……違うなぁ……とにかく、政宗は統治ほど、桂樹に心を開いていません。

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