エピソード6:『親痕(しんこん)』さんいらっしゃい!①
週明け月曜日、仙台はどんよりした曇り空で始まった。
そんな、だるい気分を増長するような16時前、相変わらず午前中はデスクワークに追われたユカの元に、仏頂面の心愛がやってくる。
土曜日に政宗が連絡を取った際、心愛が望むならば一度修行を打ち切っても良いと提案したのだが、本人は断固拒否。だったら月曜日に出てこいやぁ!! と、いうことになり、そして……。
「お、いらっしゃい。先日はお疲れ様」
「……どうも」
ブスッとした表情で応接用のソファに腰を下ろす心愛に、ユカは手元のクリアファイルから資料を一枚取り出し、心愛に手渡して彼女の正面に座った。
現在、部屋には2人だけ。政宗は外回り中で、統治は在宅仕事。華蓮は明日来るように連絡済みである。
制服のポケットから飴玉を取り出しつつ資料に目を通した心愛が、顔をしかめてポツリと呟いた。
「『親痕』との交流会……?」
大文字で強調されたタイトルに心愛が眉をひそめる。ユカは持ってきたミネラルウォーターのボトルを開けながら、ウンウンと頷いた。
「そ。そういえば紹介しとらんかったよね、この仙台支局の『親痕』。あ、『親痕』って分かる?」
「分かるわよ! 消されない代わりに心愛達の手足となって働く『痕』のことでしょ!?」
「若干語弊があるような気もするけど……まぁよか。ここの『親痕』と、とりあえず面通ししておこうと思う。心愛ちゃんがこの土地で『縁故』として活動するなら、絶対助けになる存在やけんね」
先日、ユカは分町ママと心愛を会わせていなかったことを思い出し、分町ママにお願いしておいたのだ。
心愛と会って、直接話をしてあげて欲しい――と。
分町ママ的には、心愛なんて生まれた頃から知っているのだが……いかんせん心愛側が『痕』を強烈に怖がっているので、ちゃんと話をしたことはない、とのこと。
しかし、この場にいるのはユカだけである。心愛は内心の動揺を悟られないように頑張って胸を張り、「フン!」と鼻息を荒くした。
「分かったから、早く連れて来なさいよ」
「あ、もう後ろにおるよ」
「ひふふぁぁっ!?」
刹那、心愛が自分の背後を振り返って変な声を上げた。いつの間にか心愛の目線の高さまで降りてきていた分町ママは、ジョッキを片手に「はーい」と陽気なご挨拶。
「こんにちは、心愛ちゃん。私が仙台支局の『親痕』よ。分町ママって呼んでねー」
「はっ……ひっ……ぶっ……!」
分町ママを目を合わせたまま固まっている心愛は、喉の奥から引きつった声を漏らしている。
目の前でヒラヒラと手を降ってみても、まばたきすらしない心愛に……分町ママがため息ひとつ。
「あらら、驚かせちゃったかしら……ケッカちゃん、やっぱり普通に登場したほうが良かったんじゃないの?」
アラアラと溜息をつく分町ママに、ユカは水を飲みながら投げやりに返答した。
「よかですよかです。どうせ、どんな登場の仕方をしても驚くっちゃけん」
「乱暴ねぇ……もしもし心愛ちゃん、心愛ちゃーん?」
「ふにゃっ!!」
耳元で名前を呼ばれた心愛がいきなり立ち上がった次の瞬間、ユカの座っている椅子の後ろに回りこんだかと思えばしゃがみ込み……体操座りでガタガタと体を震わせる。
「なっ……なななぅっ……やっ……!」
肩越しに後ろを向いたユカが、呆れた表情で、膝を抱える心愛を見下ろした。
「さっきまでの虚勢はどげんしたとやか……とりあえず落ち着かんね、心愛ちゃん。大丈夫やけんが」
「わっ……わわっ……はふっ……!」
丸めた背中をプルプル震わせる心愛に、ユカは首を振って分町ママを見やる。
「……ダメだこりゃ。分町ママゴメン、5分くらい消えてもらってよかやか?」
「ハイハイ、頃合いを見て出てくるわね」
失笑した分町ママが、天井裏に消えていった。
10分後。
何とか落ち着いた心愛を自分の隣に座らせたユカは、天井裏から戻ってきた分町ママを自分の正面に座らせ、心愛と直接目が合わないようにした。
「心愛ちゃん、改めて言っとくけど……分町ママはここの、っていうか名杙の『親痕』やけんが、心愛ちゃんを攻撃したりせんよ。もしも、万が一の事態になったら、あたしが何とかするけん」
「うぅ……」
ユカの言葉にチラリと顔を上げた心愛だが、笑顔の分町ママから露骨に視線をそらした。
チラリと彼女の膝に目をやると、小刻みに震えている。逃げたくても今は逃げられないだろうと考えたユカは、このまま、話を進めることにした。
「まぁよか、そのまま逃げ出すに聞いてね。今日は分町ママに、『痕』がどんなことを考えているのか話してもらおうと思っとる。あくまでも分町ママ個人の見解にはなるけど、何も知らずに『縁』を切るよりも楽になると思うよ」
「楽に……なる? 訳わかんない、何言ってんのよ……」
ユカの言葉の真意が分からず、心愛は吐き捨てるように毒づいた。
その言葉をあえてスルーして、ユカは分町ママに視線を移す。
相変わらず中身の入ったビールジョッキを持ったままの分町ママは、俯いたままの心愛に優しい視線を向けて、こんな話を始めた。
「心愛ちゃんは、過去に、私と同族の『痕』から襲われたことがキッカケで、『痕』が怖くなったのよね。心愛ちゃんは名杙の人間なんだから、名前を名乗っただけで優位に立てるっていうのに……やっぱり、また、襲われるのが怖いのかしら?」
分町ママの言葉に、心愛は無言で首を小さく縦に振った。
名杙家に属する人間は、与えられた名前そのものに力を持っている。自分の本名が知られると致命傷になる他の人間とは違い、自分の名前を相手に伝えることで、相手に『杭』を打ち込んだようになり、抵抗できなくする。これにより、一方的に『縁』を切ることが出来るのだ。心愛が一人称に名前を使っていることも、これに起因している。
ちなみに、名杙家と対する西の名雲家は、自分が持っている『縁』をぼかし、相手から見えなくすることが出来る……らしい。ユカも実際に見たことはないので、噂話程度だが。
心愛が話を聞いていることを確認した分町ママは、ジョッキの中身を半分飲んでから、話を続けた。
「正直、心愛ちゃんが遭遇した『痕』は、相当たちが悪い特殊な例だと思うの。少なくとも私は、自分が生き返りたいなんて思っていないし……本気で生き返りたいって思ってる『痕』には滅多に会わなくなっちゃったわね」
「え……?」
刹那、心愛が顔を上げ、初めて分町ママを真っ直ぐ見つめた。
「どうして、って思うでしょ? 確かに、先の災害とか不慮の事故とかで、いきなり死んでしまった『痕』は、それはもう荒れるのよ。世の中に対する恨み事ばっかり口に出して、何かを恨んで、生き返ることを望んでいる……でも、それは最初だけ。悪意のある『痕』は『縁故』に目をつけられて、バサバサ処理されていくから、残るのは……余った時間を楽しんでいる『痕』ね」
「はっ!? あ、余った時間を……楽しむ?」
ここで心愛は初めて分町ママと視線を合わせていることに気付き、すぐに我に返って下を向いてしまう。
しかし、心愛のそんな変化が嬉しかった分町ママとユカは、口の端に笑みを浮かべて視線を交錯させる。
心愛の膝は、まだ小刻みに震えているけれど……でも、彼女は必死にユカや分町ママに食らいついてくれている。その気持ちに応えるには、このまま話を最後まで続けるしかないのだ。
「私達『痕』は、味覚や触覚、嗅覚はないんだけど……視覚と聴覚は個人差こそあれど、ある程度残ってるのよ。そして、移動手段はお金もかからない、一切疲れない浮遊だから、全国どこでも世界中だって旅行し放題。私も生きてる時は仕事ばっかりで自分の時間なんて取れなかったんだけど、『痕』になってから、47都道府県を制覇したわ。仙台周辺の『痕』と一緒に旅行サークルを作って、月に一度、遠出するのが楽しみなの。季節や年代ごとに景色も変わるし、楽しいわよー♪」
「え、えぇー……何それ……」
予想外の展開に、心愛は顔を上げて……息をついた。
その表情は、恐怖よりも呆れ混じり。どこか人を小馬鹿にしたような……ユカがよく見ている心愛に戻っている。
そして、膝の震えはなくなっていた。
分町ママはジョッキの中身を飲み干して、足を組み替え、話を続ける。
「とまぁ、そんな感じで……『良縁協会』は、『遺痕』にならない可能性が高いと判断した、自分で楽しんでいる『痕』は、比較的見逃してくれる傾向にあるのよ。どうせ、永遠にはいられない。そのうち消えちゃうから後回しってことね。だから、ケッカちゃんや心愛ちゃんがよく対処するのは恨み事の多い『遺痕』だから、凶悪といえば確かに凶悪なんだけど……最初から自分たちに悪意があるって分かれば警戒できるし、容赦することもないから、お仕事しやすくなるんじゃないのかしら?」
「……」
心愛は無言で何かを考えた後、隣に座るユカを見つめ、こんなことを尋ねる。
「じゃあ、この間の『痕』はどういうこと? あのお母さんは心愛達に悪意なんてなかったし、むしろ、自分の家族を見守るいいお母さんだったじゃない。心愛には……あれが『遺痕』だとは思えなかった」
「あー……」
心愛の言葉で、ユカは彼女が土曜日の1件目のことを指していることに思い当たり、よっこらしょと立ち上がって衝立の向こうに消えた。
数十秒後、A4サイズのファイルを持ってきたユカは、付箋がついているページを見るように心愛へ告げてから、腰を下ろす。
それは、『縁』を切る『痕』の身辺を調査した『生前調書』と呼ばれる報告書だった。『縁』を切るには原則としてそれに足る理由が必要になるので、あらかじめ『痕』の行動範囲や生前の人間関係を調べて、支局長がゴーサインを出す必要がある。
無言で資料に目を通す心愛に、ユカがファイルと一緒に持ってきたミネラルウォーターの蓋をあけ、中身を一口すすった。
「あの家族のお父さん、再婚が決まっとるんよ。子どもも新しいお母さんに懐いとって、その子の誕生日に新しいお母さんがあの家に引っ越してくることになっとった。今までは外で会っとったけんが、あの場所にとどまっとった『痕』が新しいお母さんの存在を認識することはなかったけど、日曜日に新しい家族を見てしまったら、彼女の恨みが増幅して、厄介な『遺痕』になってしまう可能性が高い。元々あの場所に留まっていること事態、あまり良い傾向じゃなかったけんね。だから、土曜日中に『縁』を『切る』ことにした……というわけ」
資料に軽く目を通した心愛はファイルを閉じて、机の上に置いた。
「……これ、いちいち調べてるの?」
心愛の質問に、ユカは首を縦に動かす。
「調べとるよ。そういう書類は『生前調書』って呼んどるけど、あたし達は、普通の人では干渉できない領域に平気で踏み込むことが出来る。世界の循環を守るため、なんて大義名分を掲げていはいるけど……結局、その人が生きた中で作った『縁』を切って、その人の足跡を消してしまうんだから、こちらの勝手な感情で『切る』わけにはいかんのよ。それに、そうやって調べて理由をつけた方が、『縁故』も仕事しやすいけんね。調べるのはちょっと大変やろうけど……」
ユカが福岡にいた時は、『生前調書』専用の、『痕』の背景を調べることに特化した職員がいたのだが、この『仙台支局』はどうなっているのだろうか……まぁ、仁義という強力な助っ人がいるみたいなので、その辺りに頼んでやってもらっているんだろう、と、勝手に納得している。
ここで心愛が、椅子の脇に置いていた自分のカバンを膝に乗せた。中を何やらゴソゴソ探して……ゴトリ、と、重量感のあるものを机上に置く。
分町ママとユカの視線が注がれているそれは、約20センチのペーパーナイフ。LED灯の光を眩しく反射する銀色のそれは、半分がナイフ、半分が持ち手になっている。持ち手には蝶々、その先に朝顔の彫刻が施された、重厚な一品だ。
ユカが尋ねるより早く、心愛が決意とともに口を開く。
「次から……これ、使うから」
それは、次の『縁故』としての仕事の際には、このペーパーナイフを使って『痕』の『縁』を切るということだ。
「をを、触ってもよか?」
「いいわよ」
ユカは上品な銀色のそれを手に持ち、ぐるりと一周回して観察した。
そして、これは単なるペーパーナイフではなく、最小限の力で『縁』を切れるように、力の流れを最短にして増幅する細工が持ち手に施されていることに気付く。
そういえば、統治が『縁』を切るときに使っている道具もペーパーナイフだと言っていた。名杙家では代々、ペーパーナイフを使うのが主流なのだろうか……確かにこれならば、持っていても補導されることはないだろう。値打ちがあるものとして盗まれる可能性は低くないけれど。
観察を終えたユカは元の位置に戻してから、正直な疑問を心愛へぶつける。
「なるほど、うん、物としては羨ましいくらい一級品なんやけど……でも、刀の部分が短かよ? これだと『痕』にかなり接近せんと『縁』を切れんけど……大丈夫?」
刹那、心愛の両肩がビクリと反応した。
「だっ、大丈夫に決まってるでしょ!? 今までは様子をうかがってただけなの!! 大体、ケッカのお膳立てだって下手くそだから実力を出せなかっただけで……そう、心愛の本気はここからなんだから!! だから――」
「ヘイヘイ、期待しとるけんねー」
心愛の強がりを受け流したユカは、改めて彼女に問いかける。
「さて、と。心愛ちゃん、『痕』に対する恐怖心……少しは軽減された?」
その質問に、心愛は机上を指でなぞりながら……ポツポツと言葉を吐き出した。
「……分かんない。心愛、自分が『痕』に襲われた時のことも、正直言ってあんまり覚えてないんだけど……みんながすっごく心配してくれて、どこに行くにも着いてきてくれて、『痕』は怖いから絶対に近づいちゃダメだって言われて……怖くなった。それに、心愛にしか見えてない、友達には見えていないんだって気づいたら……もっと、怖くなって……」
不意に、心愛の目線が机上のペーパーナイフに向けらてた。彼女はそれを手にとって両手に握りしめると、顔を上げて分町ママを真っ直ぐに見据える。
「分町ママ、心愛にも……出来るかな。兄様みたいに」
彼女の瞳を優しく受け止めた分町ママは、赤い液体が半分入ったワイングラスを持ち上げて、ウィンク。
「統治君を目指すなんて甘いわよ、心愛ちゃん。どうせなら彼を越えるくらいの『縁故』になっちゃって、政宗君からこの『仙台支局』を奪っちゃいなさい! 私も喜んで協力しちゃうわ♪」
彼女のこの言葉に、心愛はぎこちなく……でも、口元に不敵な笑みを浮かべて、首を一度、縦にふった。
「と、いうわけで次の計画を立てようと思うっちゃけど……心愛ちゃん、次はいつ来れそう?」
唐突に話を切り出したユカに、心愛は訝しげな顔で首を傾げた。
「次の計画って……何?」
「当然、『縁故』としての第一歩、改めて『遺痕』の『縁』を切ってもらうとよ! 分町ママと話すことが出来たし、カッコいい道具まで揃っとるっちゃけん、これはもう早々に次を計画したいっちゃけど……」
ユカは自分のスマートフォンを取り出し、スケジュール管理アプリを開く。
「んー、明日はあたしが片倉さんの研修が入っとるけど、それ以降は特にないかな。心愛ちゃんは?」
「へっ!? え、えぇっと……心愛、今週は……ちょっと……」
突然言葉を濁す心愛に、今後はユカと分町ママが揃って首を傾げた。
もしかして、今週は既に忙しく……これ以上の時間を作ることは難しいのだろうか。そして、それを主張することがワガママかもしれないと遠慮しているのだろうか?
困った顔で無言になる心愛に、ユカは苦笑いで言葉をかけた。
「心愛ちゃん、無理に予定をあけんでよかよ。4月の学生さんは忙しいけんね。じゃあ……来週以降ではどげんやか? ちなみにあたしはいつでも大丈夫」
ユカの言葉を受けた心愛が、分町ママを見上げる。彼女が頷いたことを確認した心愛は……唇を引き締め、一度呼吸を整えから、ユカを真っ直ぐに見据えた。
「じゃあ……月曜、来週の月曜日」
「オッケー。時間はとりあえず今日と同じでよかね。あと、今日のことで分町ママとは『関係縁』が繋がっとるはずやけんが、何かあったら相談せんね」
ユカの言葉を受けた心愛が、分町ママを見上げる。彼女が親指を立ててウィンクをしたことを確認した心愛は……どこかホッとしたような、でも、まだ不安が残る表情で、膝においた手を握りしめていた。
外回りから帰ってきた政宗は、心愛が分町ママと頑張って話をしている姿に、思わず目を細める。
「どうなるかと思ったが……何とかなりそうだな」
椅子に座って彼を見上げたユカは……すぐに目を伏せて、これ見よがしのため息を付いた。
「政宗……うん、頑張ってね」
「?」
顔に疑問符を浮かべる彼に、ユカはそれ以上何も言わず。
伏せた目でチラリと心愛を見やり……さて、明日の華蓮はどうしようかと、脳内で作戦を立てるのだった。
心愛ちゃん、分町ママと初めて邂逅するの巻。
心愛は基本的に精神がまだ子どもなので、反感はしますが最終的には言うことを聞く素直さを持っています。
そして、彼女が『痕』を怖がる理由は、自身の経験20%、周囲からの吹聴80%ですね。何だか覚えていないけど、周囲は過保護になり、『痕』は怖いもの、近づくなと何度も何度も言われ続けて……刷り込まれたわけです。
でもそこは、名杙の『因縁』を持つ跡取りですから、年を重ねるにつれて、自分もみんなのようになりたい、と、思うようになっていったのでした。
また、分町ママの日本一周ですが……割とガチで楽しんでいる反面、各地域で『遺痕』になりそうな『痕』を見つけた場合は『良縁協会』に連絡する、という、パトロールの一面もあります。どうやら全国の『親痕』が集まる会議もあるとかないとか……『良縁協会』に目をつけられない限り、『痕』は原則野放しです。いずれ『縁』が消失して消えてしまうと思われていますからね。