エピソード3:急転直下の邂逅、予測不能の事態。③
「まーさーむーねー!! この……あんぽんたん!! どっ、どうしてそげな大事なことば黙っとったとね!! 本っっっ当に信じられん!!」
立ち上がり、右手で手近にあったコーヒーカップを振り上げた瞬間、中に入っていたコーヒーの雫が宙を舞い、机に茶色いシミをつくった。
刹那、統治がユカの右手を掴み、何とか思いとどまらせる。
「山本、落ち着いてくれ。本当に聞いていなかったのか?」
統治の制止にしぶしぶながらもカップを机上に戻したユカは、悔しそうな表情で拳を握りしめた。
「幽霊が嫌い? いくら名杙でも『遺痕』に立ち向かえるわけがなかろうが!! そげなこと聞いとったら、どんな手を使っても心愛ちゃんにやめるよう説得したよ!! 政宗……統治とあたしが納得するように説明せんね!!」
ユカと統治に睨まれ続けている政宗は、くたびれた苦笑いを浮かべた後……観念した様子で、一度、息を吐いた。
「……統治が行方不明になったって連絡した翌日、心愛ちゃん本人から、俺の携帯電話に連絡があった。何度か顔を合わせたことはあったけど、連絡先を交換してたわけじゃない。当主に聞いて、俺にコンタクトを取ってきたんだ」
政宗の言葉に、統治が目を丸くする。
「心愛が、自分から……?」
「その次の日、学校帰りの心愛ちゃんとここで話をした。彼女は統治が行方不明になったことに、自分なりの責任を感じていたんだ。自分が『縁故』の修行をしないことで、統治1人に負担をかけてしまっているんじゃないか、ってね。勿論否定したけど、どこまで通じたのか……多分、通じてないだろうな」
その時のことを思い出した政宗が喉の奥で笑う。
「心愛ちゃんも、自分はこのままじゃいけないってずっと感じていたらしい。今までは、『縁故』の修行をしたいって言っても、主に統治から反対されて上手くいかなかった、でも、今なら親も説得してみせるから、自分に修行をつけてくれって頼まれたんだ」
「政宗……あんた、女難の相でも出とるんじゃなかとね……」
ユカのジト目に政宗は「かもしれねぇな……」と苦笑いを浮かべて、統治を見据えた。
「その後に当然、当主とも話をした。当主としても、心愛ちゃんには自身の能力コントロールも兼ねて、俺や統治の元で修行をさせたいと考えていたそうだ。『仙台支局』に協力してくれたのも、その思惑があったかららしい。統治がいつ戻ってくるのか分からない状態で、本人が乗り気な今、心愛ちゃんを受け入れて欲しいと要請が……いや、半分は『東日本良縁協会』の幹部としての命令だったかな」
当時のことを思い出した政宗が、乾いた笑いを浮かべる。彼が置かれた立場を察した統治が、権力を思う存分使った自分の身内にため息を付いた。
「親父……心愛には相変わらず甘すぎる」
「ただ、あの災害から4年が経過して規制も解除されて、これから益々仕事が増える状況なのに統治がいない、俺自身も手一杯で受け切れないって断ったんだよ。そうしたら当主が鶴の一声、ケッカを呼べばいいんじゃないかと、さ」
ここで名前を呼ばれたユカは、自分を指さし、目を丸くして政宗を見つめた。
「名杙の当主が、あたしを……?」
「そうだ。当主もケッカのことは気にかけていらっしゃったし、俺よりも才能が有ることはご存知だからな。麻里子様に話を付けてくれたのも当主だ。麻里子様、相当渋っていたらしいけど」
「……なるほど。随分不機嫌な辞令だと思ったら、そういうことか」
麻里子様――『西日本良縁協会』幹部の一人で、今は『福岡支局』の支局長――が、憮然とした表情で辞令を突きつけた時のことを思い返し、ユカは1人で納得する。
ちなみにこの『麻里子様』は、政宗と統治を含めた3人を指導した教官でもある。身内の名杙家には意見できる統治が逆らえない、唯一の存在だ。
政宗はコーヒーを一口すすってから、話を続けた。
「俺はそこで、条件をいくつか提示したんだ。まず、心愛ちゃんが3ヶ月以内に『初級縁故』の試験に合格すること、やるからには名杙のお嬢様でも特別扱いをしないこと、あと……統治が無事に戻ってきたら、統治の意見を仰いで、今後の方針を決めること。この3点は、心愛ちゃんと当主の同意を得ている。だから、色々落ち着いたら、心愛ちゃんと統治で話をして、改めて今後のことを考えて欲しい」
沸騰した怒りがクールダウンしてきたユカは、考えこむ統治から疲れた表情の政宗に視線を移して、まとめる一言。
「要するに……権力に弱い雇われ支局長の悲哀が招いた悲劇、ってことでよか?」
「身も蓋もない言い方をしないでくれよ……否定しねぇけど……」
ユカにジト目を向けた後、政宗は改めて統治に向き直り、軽く、頭を下げた。
「お前がいなかったとはいえ、勝手に話を進めたことは申し訳ないとおもっている。統治が心愛ちゃんのことを大切に思っていることは、俺でも多少理解しているつもりだ。ただ……一度、頭ごなしに否定せず、彼女の話を聞いてあげて欲しい。その上でお前が無理だと判断した場合は、俺もその判断に従うよ」
「……頭を上げてくれ、佐藤。むしろ、自分の不手際だけならず、身内のワガママさえ止められなかった俺のほうが謝罪すべきだ」
統治もまた、政宗へ頭を下げてから……ユカを見て、気がついた。
ユカが目を思いっきり見開き、驚きを隠せない様子で統治を凝視していることに。
「山本……?」
「と、統治が頭を下げとる!? 名杙の『因縁』が切れると、人間性も変わるとやかね……!」
ワナワナと震えながら両手で口元を抑えるユカに、統治は呆れた表情を向ける。
「その失礼極まりない発言の理由を聞かせてくれ。山本は俺をどういう目で見ていたんだ?」
「え? 聞きたいと? 多分傷つくけん、やめたほうがよかよ」
「……分かった。身から出た錆だと思って忘れる」
ユカへの追求を統治が諦めた次の瞬間、インターホンの音が響く。
政宗が立ち上がり、扉横の電話機で相手を確認してから、ロックを解除し、扉を開いた。
「お疲れ様です、失礼します」
低い声と共に室内へ入ってきたのは、ユカの知らない、黒いスーツに身を包んだ男性。身長は180センチに届こうかという長身で、長い前髪で目元がよく見えないが、20代後半から30代前半に見える。背筋がピンと伸びた姿勢の良さと、隙のない立ち振舞いから、前はよく見えているんだろうな、と、ユカは何となく考えて観察していた。
統治が立ち上がって深く頭を下げる。ユカも反射的に立ち上がって軽く会釈した。
政宗に促されて統治の隣に腰を下ろした彼は、まだ立っていた統治とユカに座るよう促してから……一度、息をつく。
政宗は飲み物を用意するため、一度、部屋の奥へ引っ込んでいった。
「とりあえず無事で良かったよ、統治君。しかし……災難だったね」
「申し訳ありません、桂樹さん。ご迷惑をおかけしてます」
統治が萎縮して再び頭を下げる。その様子が、ユカには夢のようで……ポカンと口を半開きにして、事の成り行きを見守ることしか出来なかった。
彼――桂樹は統治の肩に手を添えて、力強く激励する。
「名杙の『因縁』は消えることがないだろうから、これから取り戻す方法を考えよう。とりあえず今は、無事だったことが嬉しいよ」
「はい……」
ここでようやく、統治がホッとした表情で笑顔を浮かべた。その様子が、ユカには悪い夢のようで……奥から桂樹のコーヒーを持ってきた政宗の服をグイグイと引っ張り、目を見開いて訴えた。
「ちょっ……ちょっと政宗! 統治がおかしか!! あんなに素直な統治なんて絶対におかしかよ!!」
「落ち着けよケッカ。というかお前、桂樹さんに挨拶と自己紹介くらいしろよ。ケッカも今は『仙台支局』のメンバーなんだからな」
服を引っ張るユカの手を振り払った政宗は、桂樹の前にコーヒーを置き、彼の正面に腰を下ろした。
自然と、桂樹の視線もユカに注がれる。
「一応あたしも、昨日来たばっかりなんやけど……」
ここでグチグチ言っても始まらない。ユカは思考を切り替えて、桂樹を真っ直ぐに見据えてから、改めて頭を下げた。
「ご挨拶が遅くなってしまい、大変失礼いたしました。先日より『仙台支局』にヘルプで入ってます、『西日本良縁協会』所属、『特級縁故』の山本結果です。失礼だと承知しておりますが、諸事情により脱帽できないので、ご理解いただければ幸いです」
テンプレートにしている自己紹介を終えると、桂樹もユカに頭を下げる。
「初めまして、名杙桂樹と申します。所属は『東日本良縁協会』、階級は同じ『特級縁故』です。本日は当主の名代で参りました。統治君とは親戚同士、幼い頃から兄弟のように親しいお付き合いをさせてもらっています。山本さんは以前、統治君と共に修練に励んでいらっしゃったとか……」
「はい。統治と政宗とは、10年来の付き合い……同期です」
刹那、桂樹が眉をひそめる。そして、ユカを凝視した。
「10年来……ですか。女性に聞くのは失礼だと承知しておりますが、年齢はおいくつですか?」
てっきり当主からユカの事情を聞いていると思っていた彼女は、面倒だなという感情を表に出さないよう注意しながら、財布を取り出し、身分証を引っ張り出す。
それを名刺代わりに机上へ出してから、淡々とした丁寧口調で話を進めた。
「今年で19歳です。どうやら、あたしの事情はご存知でいらっしゃらないようですので……必要であればお話致しますが、長くなりますし、本日の事件とは一切関係がありませんので、また日を改めて、ということでもよろしいでしょうか?」
「分かりました。差し出がましいことを聞いてしまい、申し訳ない」
桂樹の反応に身分証を引っ込めたユカは、ここで、自分を驚きの眼差しで凝視している統治に気付く。
「……統治、何か言いたいいことがありそうやね」
「い、いや……山本が落ち着いて喋っているな、と……」
素直な驚きを伝える統治に、ユカはコーヒーをすすってから、彼をビシッと指さして言葉を返す。
「あたしだってやれば出来ると!! あんたの変わり様に比べたらカワイイもんたい!!」
「外見はその状態でも、内面は大人になったんだな、山本……」
「保護者みたいな目で見るなっ! あーもう話が進まん……桂樹さん、率直にお伺いしますが、名杙家では統治の『因縁』が切れたことに、誰も気が付かなかったんですか?」
ユカの問いかけに、桂樹は力なく頷く。
「お恥ずかしい話ですが……統治君から切れた『因縁』は、今も誰かが巧妙に利用しているようです。我々は誰一人、気づけないままでした」
「そうですか……名杙に喧嘩を売る相手に心当たりは?」
「我々も恨みを買いやすい商売ではありますから、今、いくつか心当たりを調べ始めている最中です。ただ、ここまで手際の良い相手は、今までに遭遇したことがありません」
ここで、桂樹の言葉を聞いていた政宗が、片手を上げて彼に問いかける。
「桂樹さん、統治の処遇はどうなりそうですか?」
その質問に、統治がビクリと肩を震わせたのが分かった。彼にしてみれば、最も気になるけれども聞くのが怖い質問だったに違いない。それを察知した政宗の優しさと、回答を聞かざるをえない状況を作り出した厳しさに感謝しながら、統治も体をずらして桂樹を見つめる。
桂樹は一度、重いため息をついてから……「まだ、決まったわけではありませんが」と、前置きして。
「統治君は名杙の『縁故』として、次期当主の筆頭候補として、これまでに十分な働きをしてくれました。ただ……名杙家の長い歴史の中でも、我々の誇りでもある名杙家の『因縁』を切られてしまうというのは、前代未聞です。特に、当主の座を諦めていない親族が、厳しい処遇を嘆願するのではないかと思われます」
「厳しい、とは?」
政宗の質問に桂樹が口ごもっていると、統治が淡々とした口調でその答えを呟く。
「名杙家との『絶縁』、だろうな」
「……だよな。やっぱ、そうなるよな……」
予想していた答えに間違いがなかったことを喜べず、政宗は椅子に深く座りなおし、一度、天井を仰いだ。
名杙家の1人である桂樹が登場しますが、彼は政宗と統治を何となく監視する……もとい、フォローする立場として、これまでにも何度か相談に乗ったりしてきました。当主の長男として物心がついた頃から期待をかけられている統治に、色々とアドバイスをしてくれた、寡黙で頼れる存在です。
ちなみに桂樹は現当主の弟の息子なので、名杙家の次期当主筆頭候補は統治となっています。