傘張りの弥三郎と傘売りの権兵衛
「弥三郎どんは働き者ですな」
傘売りの権兵衛は、弥三郎に当月分の代金を支払うと、煙管で一息ついた。
肩幅広く背丈のある弥三郎に比べ、権兵衛は中肉中背で、二人が向かい合うと弥三郎が背を丸くして丁度良い目線だった。
弥三郎と歳の近い権兵衛は、毎月弥三郎の作った傘を受け取りに、南州都から是守村までやってくる。そもそも、職を失った弥三郎に傘張りの内職を斡旋したのは、権兵衛であった。
「弥三郎どんの傘は、出来がよいので、雨が降る前に売れてしまうのさ。どうかい、ちいと本腰を入れてこの商いをやってみては」
「はぁ、おれは士分だからね、傘張りの斡旋はありがたいが、これで食べていくのはね」
「いやいや、骨から作れるのは、誰にでも出来ることじゃないよ」
手先が器用で飲み込みの早い弥三郎は、単に骨組みに油紙を貼るだけでなく、木を削って組み合わせ、骨組みから傘を作っていた。刃物の扱いは、慣れたものである。
権兵衛は、弥三郎の傘に惚れ込んでおり、是守村に来るたびに、この商売に弥三郎を誘っていた。
「弥三郎どん。あっしだって、誰彼かまわず声をかけてるわけじゃないよ。接いだとは思えないこの柄の出来は、弥三郎どんしか作れないもんさ」
「権兵衛さんの気持ちは、ありがたく受け取るよ。でも、おれは士分だ」
「頑固なもんだね。まぁ、その頑固さが、かっちりとした傘の出来になるんだろうね」
権兵衛は、度々この話題を出すが、強いて言うことはない。
というのも、権兵衛も元は士分であったが、三年ほど前に士分を売って、それを元手にこの商売を始めたという経緯があるからだ。
権兵衛には、士分にこだわる弥三郎の気持ちが、わからないでもなかった。弥三郎に傘張りの内職を斡旋したのも、当座のしのぎになればという権兵衛の思いやりである。
また、弥三郎も、士分を捨てて人に頭を下げる権兵衛を、感心しこそすれ、馬鹿にすることはない。自分にとって士分は捨てきれぬ執着があるとはいえ、他人にそれを押し付ける気は毛頭なかった。権兵衛は、弥三郎が心を許す、友人にも近い存在だった。傘張りと傘売りの間を越えて、『弥三郎どん、権兵衛どん』と言い合う仲である。
「ふぁぁああああ」
だからだろうか、弥三郎は傘を納めた気の緩みもあって、大口をあけて欠伸をしてしまった。
「おや、弥三郎どんが欠伸とは、珍しいね」
「いや、これは失敬。ここのところ、あまりよく眠れんもので」
「ははぁ、寝不足かい。何か夢見の悪いことでもあったので?」
「ぬっ」
権兵衛に、他意はない。ただの当て推量である。しかし、寝不足の原因をずばり当てられた弥三郎は、びくりと全身を震わせた。
「う、うむ」
「ほ、左様で。それはまた、難儀なことだ」
「いや、それがまた、真に迫った夢でね。しかも、このところ毎夜同じような夢を見てしまい、ははは、夢を怖がるなぞ、士分にあるまじき臆病と思われても致し方のないこと」
頭を掻き、弥三郎はため息をついた。
「ははは、夢を怖がって眠れないというのでは、『南州一の武芸者』の名が泣くってもんさ」
「うむ、全く……。情けない限り」
弥三郎は、がくりとうなだれてしまった。
(うむむ、弥三郎どんも、たいぶ参ってるな)
弥三郎の勇敢さは、権兵衛も十分に知っている。仕えた主は違うが、士分であった頃の権兵衛にも、弥三郎の武名は届いていた。なればこそ、権兵衛はいち早く弥三郎の失職を聞きつけて、傘張りの斡旋を通じて友誼を結ぶことができた。
「弥三郎どんを悩ませる夢というのは、一体どんなものなので?」
権兵衛は、煙管を仕舞って夢の中身を尋ねた。
(……、包み隠さず話してみるのが、いいかもしれんな)
自分ひとりでくよくよ悩む、というのは、どうにも弥三郎の性に合わない。人に尋ねる、書物に照らす、そういったことに抵抗のない性根だった。
武名の割に腰が低い、ともいえた。
「実は……」
連夜の夢を、弥三郎はすっかり打ち明けた。
「ううむ……」
弥三郎の夢を聞いて、権兵衛は唸った。
(こりゃあ、ちょちょいと励ますのはかえってまずいのかも……)
権兵衛は内心、少々大げさに慰めれば、弥三郎の心の重荷もなくなるだろう、と軽く考えていた。しかし、中身を聞くにつれて、これは気安く慰められるものではない、と思い始めた。
それほど、夢の中身は真に迫ったものであった。
「はぁ……」
弥三郎の口から、ため息が漏れた。弥三郎にしても、誰かに話せば気が楽になるだろうと考えていたが、全てを打ち明けたにもかかわらず、気持ちが上向かなかった。
「……」
「……」
しばし、沈黙が場を包んだ。
問題の解決には、しかるべき手順を整えた、人智を超えた力が必要であった。
「いずれにしても、夢見が悪いというのは、いかんね。どうかな?南州大社の籤でも引いて、夢見を占ってみようか。あそこは評判がいい」
是守村から南州都に向かう途中に、南州大社という神社がある。籤引きで夢見占いをしよう、と権兵衛は提案した。
「ふむ、籤引きか……。それもいいね」
行こう、と言われて、断る理由はなかった。
「よし、決まりだ。行こう、行こう」
権兵衛の帰り道でもあり、二人は連れ立って南州大社へ行くことにした。
是守村を出て二刻ばかり、弥三郎と権兵衛は南州大社の二の宮に到着した。
大社の名を冠するだけのことはあり、南州大社は門前町に一の宮、町の外れに二の宮、大宮山の麓に三の宮を構え、御神体を祀る奥の宮は大宮山の中ほどにあるという、まさに神社の中に町があるといってもよい規模を誇っていた。
「いつ見ても、大きなものだね」
「うん、全く」
二人は二の宮の鳥居が見える茶屋で、一服することにした。
「女将、水茶と饅頭を頼む」
「……はいっ」
何しろ、弥三郎の作ったひと月分の傘を伴ってのことである。茶屋の前にできた傘の山は、周りの目を引いていた。傘の山には女将も一瞬目を奪われた。
「権兵衛どん、やはりおれだけで来た方がよかったのでは」
「なんの、乗りかかった船です」
水出しの茶を飲みながら、饅頭を食べていると、傘の山を目に留めた人々のために、人の流れが悪くなってきた。
「うむ。これはいけない。権兵衛どん、早いところ荷車をどけよう」
「よし」
茶で饅頭を流し込むと、座っていた長椅子に代金を置いて、二人は席を立った。
「おうおう、迷惑なことじゃねぇか」
二人を荷車の主と認めた男が、大声で怒鳴りつけてきた。
「あぁ、すみませんね。すぐに動かしますので」
ぺこりと頭を下げて、権兵衛が荷馬の手綱を引く。
「おう、すまんで済むかっ。迷惑だって言っているだろうが」
男は無精ひげを生やしており、いささか頬を紅潮させていた。手元には、酒が入っていると思われる瓢箪がある。
そして、腰には大小を差しており、士分であることは明らかであった。
「権兵衛どん、こりゃあ碌な奴じゃない。早いとこ退散しよう」
弥三郎は権兵衛に耳打ちした。それもまた、男の気に障ることであったらしい。
「おう!貴様ぁ、無礼者めぃ」
男は弥三郎に向かって挑発する。しかし、安い挑発に乗る弥三郎ではない。二人は荷車を動かす用意を整えた。
「ぐぅううううううううう」
挑発に乗らない弥三郎に歯ぎしりをしていると、男は弥三郎の腰にも大小が差してあることに気が付いた。
「おう!」
この頃になると、三人の周囲には人の輪ができつつあった。男は剣を構えると、周囲の人々にも聞かせるかのような一際大きい声で、弥三郎に呼びかける。
「貴様も士分であれば、抜けい、抜いて決着をつけようぞ!」
参道で仕合なぞ、言語道断である。
「ふぅ」
もはや致し方なしといったため息をつくと、弥三郎はすいすいと男の方へ近づいていく。
「な、なんじゃ、抜けというに!」
構えた剣を意に介さず近づいてくる弥三郎に、男は狼狽した。
「むん!」
弥三郎が間合いに入ってきたので、男は一息に剣を振り下ろしたが、弥三郎は一瞬にして男の視界から消えてしまった。
「ぐ、ぐえ」
弥三郎は男の右後方に回り込んでおり、両手を男の首に蛇のように絡み付かせ、ぎゅむと締め付けた。
裸締めは見事に決まり、男は静かになった。
「ご迷惑を、おかけした」
周囲の人々に一礼すると、参道脇の草っぱらに男を寝かせて、弥三郎は権兵衛の下に歩いていった。
「おぉおおおっ」
人の輪のどこからか、感嘆の声が上がると、声は連鎖してにわかに場が沸き立った。
「さぁ、行こう権兵衛どん」
弥三郎が権兵衛に声をかけようと近づくと、権兵衛は人の輪にいた誰かと話していた。
「えぇ、これが『弥三郎傘』ですか?」
「そうとも。実をいうとね、あの御仁が弥三郎さ。どうだい、話の種に一本……」
「うむ。是非頂こう!」
「へい、毎度!」
傘が一本売れると、弥三郎の腕前を見た人々が次々と荷車に殺到する。
「私にも一本おくれ」
「こちらには、二本頂けないか」
「ぼくも」
「あっしも」
傘の山はみるみる減っていき、あっという間に傘は完売となった。
「権兵衛どん。弥三郎傘とは……」
「あっ……」
弥三郎に声をかけられた権兵衛は、少し目を泳がせながら、事情を説明した。
「実は、弥三郎どんが傘を作っているというのは、南州都じゃあ結構有名な話でね。しかも単なる傘張りじゃなくて、骨組みから作っているじゃないか。名のある士分の傘ということで、弥三郎どんの傘は『弥三郎傘』ということでよく売れるんだ」
「むむむ」
『弥三郎傘』の売れ行きは、つい先ほど間近で見たばかりである。権兵衛の商才はなるほど見事というほかない。それに、弥三郎自身傘作りで少々割高な代金を貰っていた。
(あれは、傘の出来や権兵衛どんの思いやりと思っていたが、後ろめたさもあったのだな)
弥三郎の思うところは、自身の武名を商売に利用したところとは別にあった。
『弥三郎傘』は、弥三郎が士分を捨てては価値が落ちる。武名ある士分の弥三郎が傘を作るからこそ、出来上がった傘に箔が付くというもので、士分を捨てては一介の傘職人が作る少々出来の良い傘に過ぎなくなってしまう。権兵衛としては、弥三郎が士分のままで傘を作るほうが、都合がいいはずなのだ。
「すまんね、弥三郎どん……」
「いや、気にすることはないよ、権兵衛どん」
士分を捨てろという申し出は、権兵衛が弥三郎の武名よりも傘の出来を買っていること、単に己の商売のことだけではなく真に弥三郎のことを考えてのことであったことを知り、弥三郎は胸が熱くなった。
「それにしても……、白昼から酒を呑む者、傘張りで糊口をしのぐ者……。世の中はどうなってしまうのだろうね」
「考えたって詮無いことさ。……、さぁ、荷も軽くなったことだし、二の宮に向かおう」