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帰還

 夕立はあっという間に上がり、雨雲は何処かへ去り、夜空には星の海が広がっている。雲一つない夜空は、連日の雨が塵も埃も洗い流したかの如く澄み切っており、大小の星々が輝きを競っている。


「ああ、星が綺麗だ」


 煌々と輝く星々を眺めながら、弥三郎は全身にむず痒さを感じていた。


「おれは、まだ、死んじゃあ、いないんだがな」


 納刀した後そのまま倒れ、身動き一つとれない弥三郎に、蛆蝿の類が群がっている。払いのけようにも手足が鉛のように重く、まるで動かせない。死力を尽くした戦いの末、弥三郎の体力は限界を超えていた。

 軍鶏変化を討ち果たしたことで、緊張の糸が切れたのだ。

 幸いにして、鉈による斬撃を食らうことなく切り抜けた弥三郎に重大な外傷はないが、無数の擦り傷・切り傷があった。それらを目がけて蛆蝿が殺到し、生きながらにしてたかられているのだ。

 別の言い方をすれば、生きている弥三郎に群がる程に、増殖した蛆蝿に対して腐肉の数が足りなくなっているということでもある。


「今日は、このまま寝るしかないか……」


 蛆蝿にたかられたまま、弥三郎は眠った。傷口を蠢く蛆虫も、その周りを飛ぶ蝿の群れも、今の弥三郎の眠りを妨げるものではない。

 翌日、朝から気温が上がり、弥三郎は寝苦しさに目を覚ました。目が覚めると、何やら辺りが騒がしい。


「なんだ、あ?」


 目を擦って周囲を見ると、役人らしき集団が村中を検分している。見渡す限りで二十人あまり。実際にはもっと多くいるだろう。昨日まで村の外まで漂っていた死臭は、だいぶ薄まったようで、役人たちは腐臭に顔をしかめることなく、てきぱきと作業を続けている。


「あっ、生きているぞ!」


 弥三郎に気が付いた役人の一人が騒ぎ立て、近くにいた役人たちが弥三郎の前に集まってきた。


「おい、君ぃ。これは一体どういうことかね!」


 人の輪の中から一人、役人たちのまとめ役と思われる男が居丈高に尋ねてきた。


(おいおい)


 負傷し、疲労著しい弥三郎は口を開くのも億劫である。


「早く答えんかぁ」


「説明してもいいですが、その前に何か食べ物頂けませんかね。昨日の昼から何も食べていないのです」


「むむむ。飯は、ない。そんなもの持ってきておらんし、村の食べ物は何もない」


「ああそうですか。じゃあ起きていても疲れるので、寝ますね」


「貴様!」


「怪我人への思いやりってのも、あるでしょう。ないんですか?」


 日頃の弥三郎に比して、投げやりな応対だった。実際に腹は減っているし、体中があちこち痛むしで、起きているのも辛い。


「わ、わかった。待て。寝てもよい。飯も用意しよう。だが寝る前に教えて欲しい。あの黒々とした巨大な鳥はなんだ!」


 慌てたまとめ役が最大限の譲歩をする。まとめ役の疑問は、ここに来た役人たち全ての疑問でもあった。


「化け物ですよ。見りゃ分かるでしょう。こまごまとした特徴は元気になったら教えます。ではおやすみなさい」


 極度の緊張から解かれた弥三郎はなにもかも面倒な心地になっており、質問に対して碌に答えぬまま再び深く眠りこんだ。


「おい、起きろ、おい、おいっ」


 役人たちの声は、弥三郎には届かなかった。




 次に目を覚ました時、弥三郎は家屋の居間に敷かれた布団の上にいた。どうやら、寝ていた間に運び込まれたらしい。枕元には、しかめっ面のまとめ役が座っていた。


「……、どこでしょう、ここは」


「うむ、起きたか」


「見ての通り」


「その言い草はやめい。で、ここだが、村人の家屋で一番流血の少ないところを使わせてもらっておる。無事な米をかき集めて粥を作っておる故、出来上がるまでしばし待て」


「ではまた寝ますね」


「寝るな!……、いや、寝るのは待ってもらいたい」


「待て待てばかりで話が進みませんな」


 弥三郎をぶん殴っても、恐らくまとめ役を非難する者はいなかっただろうが、初対面で死にかけの男に横柄に接したという負い目もあり、まとめ役は自制した。

 そうこうするうちに、粥が運ばれてきた。一口ずつすすり、飲み込むごとに、五臓六腑に染みわたる心地がする。染みすぎて、痛めた内臓から悲鳴が聞こえる。それでも、粥が無くなる頃には弥三郎に余裕が出てきた。


「その大太刀は、由吾郎の者だろう」


「返してもらいました。そういう約束でしたので。これが由吾郎の物とよく御存じですね」


「あやつはよく話しておったからな、自慢の太刀だったそうだ」


「ならば太刀に似合うように剣の稽古もしておくように伝えてください」


「お主は性格が悪いのう、弥三郎」


「おっと、御存じでしたかな」


「これほどの大太刀を扱えるものなど、そうはおらんし、『南州一の武芸者』の話なら、由吾郎からよう聞いたわ。法螺話が上手いなと思っておった」


 じくじくと、腹が痛む。二杯目の粥が運ばれてきたが、口はつけなかった。


「それで、お上にはどうお伝えするおつもりでしょうか。化け鳥に村を消され、代官は返り討ち、そう言上することになりますが」


「うむ。念のため聞いておくが、あの化け鳥が元凶なのだな?」


「そうですよ」


「どういう化け鳥なんだ。検死の者が、『腕が生えていたようだ』と言っていたが」


「生えていますよ。それで鉈を握ったり、ぶん殴ってきたり、脇差を粉砕したりするんです。それがしなど半町ぐらい殴り飛ばされましたね。あと、切り刻めばいいですが、刺し傷切り傷の類は再生して元通りですな。変な鳴き声でまともに立てなくなります」


「むむむ」


(昨日、平太から話を聞いた時には、きっと自分もこんな顔をしていただろうな)


 昨日のことが、随分と遠くのことのように感じられた。


「それにしても、悲惨な現場というのに、あまり悲鳴が聞こえませんな」


「お主が寝ている間に散々やった。もう一種の麻痺状態みたいなものじゃ」


「ああそうですか。それで、自分で言っていておいてなんですが、本当にこれをそのまま?」


「……、それは、こちらで考える」


「じゃあもういいですね」


 弥三郎は布団から出て、ふらつきながら身支度を始めた。


「うむ。駕籠を呼ぶ故、しばし待て」


「嫌ですよ。駕籠は揺れるし、揺れたら腹に響きます。このまま歩いて帰りますよ。では」


 ふらりふらりとした足取りながら、弥三郎はするすると流れるように歩いて行った。まとめ役は近くで帳面になにやら書きつけている役人を呼び止めて、


「おい、あの男はさっきまで死にそうな様子だったな」


 と尋ね、聞かれた役人も、


「はい。しばらくは動けないだろう、と検死の者も言っていました」


 と答えた。


「このまま歩いて帰るそうだ」


「はい、えぇ?」


 役人は、吃驚して帳面を落としてしまった。


「由吾郎の言っていたことも、法螺ではないらしい」


「はぁ、結局あの人はどなただったのですか」


「あれが噂の弥三郎だ」


「……、はぁ、もう少し士らしい人かと思っていましたが、結構違うものですねぇ」


「噂など、当てにならんということだ」


「そうですね、なんだかふらふらしていますし。って、あれ、あの人泥だらけの着物のままですよ。着替えとかしなくていいんですか?」


「あっ、……、気が付かなかった。まぁ、いいかな。もう会うこともないだろう」




 弥三郎が小楠村にたどり着いたのは、夕刻間際のことだった。ゆっくりとした歩みで、途中に何度も休息をとったので、かなり時間がかかったのだ。


「何じゃ、泥だらけではないか!」


 小楠神社まで戻った弥三郎は、玄関先で出迎えた道治に指摘されて初めて、着物がすっかり汚れていることに気が付いた。


「そうだよな。あんだけやったら、そうなるよなぁ」


「お役人がいたんじゃろ。何も言われなかったのかのう」


「もう驚きの連続で、そういうの全然気にしてませんでしたな。それよりも宮司、今更言っても仕方ありませんが、もう少しお役人様方を引き留められませなんだか。下手したらあの人たち全員返り討ちですよ」


「うむむむ。南州が直領になってからの、お役人たちの楽観主義はひどい有様なのじゃ。わしと平太がどれだけ言っても聞かん」


「そんなものですか」


「そんなものじゃ。……、それにしても、お主、少し変わったのう」


「そうですか?疲れているだけですよ」


 玄関先で立ち話をしていると、奥の間から神主がやってきた。


「弥三郎様。此度は本当にありがとうございました。湯の支度が出来ております。取り急ぎ泥を落としてはいかがでしょう。傷の消毒にもなります」


「おおそれは、ありがたく使わせて頂きます」


 弥三郎は湯屋の方へと歩いていった。


「宮司様」


「む」


「まずは労うものではありませんか」


 神主の口調は厳しい。


「うむむ。そういうのはずっと松寿丸がやっていたから、そのう……」


「今いるのは松寿丸様ではなく宮司様でしょうに」


「うむむむむ」


 しばらく後、泥と垢を落とし、浴衣に着替えた弥三郎が戻ってきた。


「神主殿、よきお湯でありました」


「それはようございました。見れば相当のご無理をされたご様子。しばらくは当社にて静養なされるがよいでしょう」


「そうじゃな、お主のおかげじゃものな。わしが先に帰って知らせる故、お主はゆっくり体を休めるがよい」


「ありがとうございます。感謝の念が絶えません。ですが、着物を洗わせて頂き、乾き次第帰ろうかと思います」


「それは……、お急ぎですな」


「はぁ、待たせている者がおりまして」


「ははは、想い人ですか」


 神主から笑みがこぼれる。


「いや、そういう者ではないのですが」


「そうじゃ、こやつと同い年ぐらいの男じゃぞ」


「えっ」


 神主の顔から血の気が引いた。


「いえ、そういう者ではありませんから!」


「いえいえ、これは失礼を」


「いえいえいえ!」


 焦る弥三郎は強く否定するも、神主の顔は強張ったままである。弥三郎は道治の顔を睨み付ける。鋭く睨み付けられてようやく失言を悟った道治は、目を泳がせた。


「で、ではわしは帰るとするかの」


「……!」


 兎にも角にも、弥三郎は小楠神社にて一泊することとなった。また、弥三郎に睨まれた道治も、ついでに泊まることとなった。神主との間に流れた気まずい空気が消えたのは、翌朝になってからであった。


「それでは、お気をつけて」


「神主殿、この度はありがとうございました。折を見て、また御挨拶に伺います」


「それはそれは、楽しみにしております」


 一昨日通った道を、南州大社へ向けて戻っていく。遠くの空に、大きな入道雲が浮いていた。

 道のりの中ほどまで来たあたりで、


「そうじゃ、弥三郎殿や」


「なんでしょう」


「聞こうと思っていたんじゃが、軍鶏変化はどういう奴だったんじゃ」


 田んぼの上を飛ぶ雀を見ながら、道治は尋ねた。




 油蝉が桜の木に取りつき、やかましく鳴いている。


「おうい、弥三郎殿」


「……」


 道治の問いに、弥三郎は答えない。


「うむむ、聞こえておらんのか」


「聞こえておりますよ」


「では何故答えん」


「……」


 瞑目思案の弥三郎。そのまま一町ばかり歩くと、ようやく弥三郎の口が開いた。


「軍鶏変化がどんな奴か」


「そうじゃ」


「じつは、まだよく分かりません」


「分からんじゃと?」


「はい。軍鶏変化がなぜああいうことをしたのか、皆目……」


「あやつと半日ぐらい一緒にいたんじゃから、何か分かるじゃろ。あれか、暴れ者か」


「いえ、暴れることが目的ではなかったように思えます。一匹でいる時は、唸っているだけで動こうとはしませんでした」


「では、有場村で何かするつもりだったのかのう?」


「殺すばかりで何かを作っていたようには見えませんでしたな」


「何がしたかったんじゃ」


「分からんと言っているでしょう」


 あまりにしつこいので、つい言葉が荒くなる。道治は弥三郎の言を意に介さず、


「分からんでは、分からんではないか。分かれい」


 などと、意味の分からないことを言う。


「はぁ」


 弥三郎は頓珍漢な道治に毒気を抜かれて、気の入っていない返事をした。


「あっ、お主、わしを馬鹿にしたな」


「いえ、そうとは」


「あっ、面倒だなぁ、とか思っとるな」


(うわぁ、面倒だなぁ……)


 これが無ければ……、という弥三郎の心境を知ってか知らずか、道治は気を取り直して話し出す。


「まぁよい。あのな、『変化の者』は孤独なのじゃ。今まで多くの『変化の者』が現れたと記録にあるが、そやつらが何を考えていたのかまでは記録に残っとらん。記録に残した者たちが、『変化の者』たちのことが分からんかったから、記録に残しようがないのじゃ」


「……」


「当たり前の話じゃな、お主の夢にしても、ただ食いたいだけじゃろう?それで食ったら化け物になるなぞ、わしならやっとれんわ。他の者がお主の食いたいものを食ってもええのに、何故お主が食ってはいかんのか。もしお主が秣を食って牛変化になっていたら、誰もが『牛変化は何を考えているんだろう』と思うじゃろうのう」


「すると、軍鶏変化以外の者がやっていて、軍鶏変化がしてはいけないことをしたから、奴は変化した、と」


「さぁてのう。あくまでこれはお主の変化を当てはめたに過ぎん。軍鶏変化には軍鶏変化の事情がある。『変化の者』とはそういうものじゃ。だからこそ、お主は考えねばならん、分からねばならん。同じ境遇にありながら別の結末に辿りついた者として、な」


(宮司殿は普段抜けているが、時折真を衝く、気がする。ううむ、やはり腐っても宮司ということか……)


 はっと気が付くこともあるが、頼りなさと失言を差し引くと、弥三郎の中の道治は最後まで良き宮司ということにはならなかったようである。


「なーんか無礼なこと考えとりゃせんか」


「いやいや、まさか」


 田んぼの水面から、青蛙が顔を出す。

 弥三郎は考える。あるいは、と。

 あるいは、軍鶏変化は己の悩み苦しみを誰も伝えられなかったのではないかと。

 己自身を思い返すに、弥三郎には友がいた。馬鹿らしい夢を聞いて笑いもせずに親身になって共に悩んでくれた友が。安易に結果に妥協せず、真に問題を解決しようとしてくれた友の存在なくして、今の自分はありえない。いずれは誘惑に負けて秣を食い、牛変化になっていただろう。

 いや、すでにおれは牛変化であるかもしれない。『変化の者』かそうでないかなど、それぐらいでいいのではないか。そう思えるのも、友あってこそか。

 だが、軍鶏変化は違うやもしれぬ。

 軍鶏変化には、そういった友や家族が、いなかったのではないか。一人悩み、誰にも明かせずに変化したのではないか。弥三郎と軍鶏変化の明暗を分けたのは、そこにあったかもしれない。


(とはいえ、村人が全ていなくなっては、確かめようがないが……)


 確かめようがないからこそ、これからも問い続けていかねばなるまい。軍鶏変化の心情を、永遠に分かり得ぬ心の内を。


「ほれ、見えてきたぞ。二の宮じゃ」


 道治が指差す先には、友と共に籤を引いた南州大社二の宮が見える。やがて、弥三郎と道治を待つ二人の姿が見えてきた。

 松寿丸と、権兵衛だ。


「おーいっ!」


 帰ってくる二人に気が付いた松寿丸と権兵衛は、手を振って迎えている。


「ただいま、権兵衛どん!」


「おかえり、弥三郎どん!」


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