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別れ


 結局、陣屋への襲撃により、道中不安ということで領内巡視は中止、南州都に戻ることとなった。維盛は臆病ととられると主張し中止に反対したが、最後には近臣たちに押し切られてしまった。弥三郎と由吾郎は帰路の暗殺を警戒したものの、何事もなく南州都の本城に到着したのだった。

 だが、維盛を待ち受けていたのは、驚くべき知らせであった。

 ある朝、城下の一角に人だかりができていた。城下の広場に高札が立てられたのだ。


「はて……?」


 弥三郎はぎゅう詰めの人だかりを掻き分け、高札を読み始めた。読み進めていくうちに愕然として、眩暈を覚えた。


『中央より借り入れた公金に使途不明なものあり。調査の結果、当主による横領間違いなし。極めて悪質な手口、許し難いものの、士分の人前(ひとまえ)を立て、切腹を申し渡す。南州は君津家より接収、直領とす。』


 弥三郎は、そこに書かれていたことを、とても信じることが出来なかった。

 弥三郎の顔からは生気が失われ、耳元で幾度も半鐘が鳴らされたような錯覚を覚えた。


(維盛様が、公金を横領する必要がどこにある。まだ十にも届かぬ幼君ぞ)


 何度も何度も高札を読み返し、弥三郎は一つの考えに思い至った。


(……、これか。巡視で城を離れ、暗殺で目を奪った隙に、好き勝手に書類を改ざんしたか。おのれ杉清、許すまじ)


 憤然と肩をいからせ、本城へと向かう。迸る殺意を抑えようともせず、目には殺気が漲っている。道行く人は皆、弥三郎に道を譲った。

 本城に着いた時刻を、弥三郎は覚えていない。高札を見てからずっと、弥三郎から時間の感覚は失われていた。

 ともかく、弥三郎は城の一角で、杉清と対峙した。


「杉清ォ」


「ふん、弥三郎か。丁度良い、こちらから呼ぼうとしたところだった。殿が

お待ちじゃ」


 ふてぶてしく笑みを浮かべながら、杉清は顎で道を示す。


「……」


「な、なんじゃ。殿が呼んでおるというに、行かんでいいのか、あ?」


 目の前の奸臣を切り捨てたい衝動をぎゅうと抑え込み、弥三郎は維盛の居室に入った。


「……、これ、弥三郎。なんという目をしておる。元気がないぞ」


 維盛の顔に影はなく、平静そのものに見える。しかし、弥三郎はそれが上辺だけのものだと知っていた。


「殿」


「うむ。よく来た。実は、そちに最後の頼みがあってな」


「最後とは……ッ」


 ずいと詰め寄る弥三郎を意に介さず、維盛最後の命は、するりと伝えられた。


「介錯を、頼む」


 今日何度目の衝撃だろうか。


「それがしの剣は、殿をお守りする為のもの。殿の首を落とす為のものではござらん」


 それだけ言うのに、かなりの時間がかかった。維盛は、じっと待っていた。


「これは、主命である」


 維盛の声は、静かで、透き通っていた。


「しかし、此度の一件、疑わしきことが多すぎまする。殿を謀らんとしているは明白、殿が御腹を召す謂われはございませぬ」


 主君翻意を促すべく、弥三郎は切々と不義を説く。しかし、弥三郎自身、維盛の諦念を感じ取っていた。維盛の為を思っての説得か、己の為の説得か、弥三郎自身もはや判然としなかった。

 元より、敵の影は巨大で、弥三郎に太刀打ちできるものではない。弥三郎にも維盛にも、今回の巡視を通じて、それは充分すぎるほどに身に染みている。

 それでも、弥三郎には諦めがつかなかった。こうして己の胸の内を明かせば、なにか逆転の秘策が湧いて出るのではないか。言葉が途切れては、その望みも途切れてしまうのではないか。

 太陽が雲に隠れ、また現れて、ついに弥三郎の弁舌は尽きた。


「主命である」


 維盛の答えは変わらない。ここに至って答えを翻すような維盛ではない。それは、弥三郎が一番よく分かっていた。そうであればこそ、士分を賜って以来変わらぬ忠節を誓ってきたのだ。


「無念に……、ございます」


 これ以上、言葉は出なかった。維盛は微笑し、落ち着いた口調で語りかける。言葉は次から次へと紡がれたが、まとまりがない。死ぬ前に思いのたけをすべて吐き出す心積もりであった。


「先代以来の主だった者は、皆中央への仕官が決まっておった。……、ここも、中央の直領となる。私が当主になった為に、遅れておったがの。全てはその為の謀よ。のう、覚えておるか、私とお前が初めて会った日のことを……。城下を離れた私が曲者に襲われた時、お主が助けてくれた。いや、お主だけが助けてくれた。お主がおらねば、とうに死んでおった。感謝している。……、今思えば、先代の死も暗殺であったか。先代が死に、私が死ねばお家断絶、ただちに直領となったのに、事を成すまで半年もかかってしまったということか。ありがとう……。お主は私が自ら取り立てた唯一の家臣。初めてのことだ。それが嬉しい。……、お主を取り立てて以来だ、このように長く言葉を交わすのも。お主の剣の腕ならば、もっと大きなお役に立てたやも知れぬが……、私の身を守るために近臣たちに疎まれてしまった。……、済まなかった。だからこそ、お主に介錯してほしいのだ。私を斬って禊とし、多くの者の助けとなってくれ。頼む」


「……、ははぁ!」


 平伏して、主の最後の命を受けた。とめどなく、涙が溢れた。

 数日後、維盛の切腹が執り行われた。幼き故に周囲に翻弄された聡明な当主は、英邁な才知を発揮することなく、その生涯を終えた。介錯は弥三郎。『南州一の武芸者』に恥じぬ見事な業前は苦痛なく主君を冥土へと送り届け、維盛の首は眠るように安らかな顔であったという。

 維盛の死後、家中の者の多くはそのまま直領の役人となった。だが、近臣の一人杉清は何かに怯えるように城下から姿を消し、行方はようとして知れなかった。




 維盛の切腹から五十日が過ぎ、梅の木にちらほらと花がつき始めた頃、由吾郎の役宅に弥三郎がやってきた。

 座敷に通された弥三郎に遅れて、練り切りと煎茶を載せた盆を持って、由吾郎が入ってくる。


「おう、弥三郎。最近はすっかりと暖かくなって、春も近いな」


「うむ」


「……、どうしたんだ?」


 ただならぬ弥三郎の様子に気づいた由吾郎は、盆を脇に置いて、弥三郎と相対する。


「これを、君にと思ってな」


 弥三郎は一振りの太刀を差し出し、畳の上に置いた。太刀に金銀の飾りはなく、拵えは質素なものだったが、大きく重く、ずしりとした存在感がある。弥三郎愛用の大太刀『岡本大慈』であった。

 突然の申し出に、由吾郎は目を丸くした。


「こりゃ、『岡本大慈』じゃないか。こんなでかいの、俺じゃあ使えないよ。君が差してこそ映えるってもんだ」


「俺には不要だ。君にこそ持っていてほしい。まぁ、おれだと思ってその辺に置いといてくれ。君なら粗末にすまい」


「出て行く、のか?」


「まぁ、ね」


 庭先でひばりが鳴いている。

 弥三郎が何を成そうとしているのか、由吾郎には見当がついていたが、強いて止めようとは考えなかった。むしろ、四十九日までよく持ったと思っていた。


「これは、ありがたく受け取っておくよ。だが、いずれは君に返す。そういう心積もりで受け取る。君も、またこの太刀を見ることがあったら、ちゃんと受け取れよ」


「ああ、そうだな」


「約束だぞ」


「分かったよ」


「いいな」


「念押しも過ぎると、笑われるぞ」


『岡本大慈』を受け取った由吾郎は、玄関先まで見送りをして、去っていく弥三郎をずっと見つめていた。弥三郎は、振り返らなかった。

 数日後、南州の外れ、国境の村に、一人の老人がいた。杉清である。南州都にいた頃とは比べ物にならないほど小さな家屋に、息を潜めるように住んでいた。


「何故じゃ。中央から褒賞を貰える上に、悠々自適の楽隠居。ただ奴らを見逃すだけでこれらが手に入ったというのに、何故わしは今こんなところで震えておるのじゃ」


 杉清の傍らには、大量の小判がぎっしりと詰まったつづらが置かれている。家来も家族も捨て、唯一南州都より持ち出してきたのが、このつづらであった。

 維盛の切腹以来、杉清は弥三郎の影に怯えていた。どこかで弥三郎にすれ違いやしないかと、気が気ではなかった。切腹が布告された日の弥三郎の目を、杉清は忘れられない。


(このままでは、わしはあやつに殺される……!)


 緊張は限界に達し、杉清は城下から逃げ出した。なるべく遠くへ、なるべく貧しいところへ、弥三郎の思いもよらぬところへ――。

 今住んでいる村まで逃げた時、杉清は胸をなで下ろした。今まで生き延びているということが、逃走の成功を裏付けているようで、元気が出てきたのだ。

 だが、やがてふとした時に、杉清は物陰に弥三郎の気配を感じるようになった。恐る恐る確かめてみると、そこに弥三郎はいない。


「そうだ、ここまで弥三郎が来るわけがない」


 胸をなで下ろして落ち着いてみると、また、気配を感じる。あるいは、ひょっとして、弥三郎ならば居場所を知るぐらい訳ないのではないか。


「まさか、まさか、まさか」


 そんなはずはない。

 誰かの口から洩れるのを恐れ、知人はおろか家族にさえ居場所は知らせていない。小判の山から足がつくのを恐れ、散財の類は一切していない。


(だがしかし、弥三郎ならば、弥三郎ならば。どんな小さな手がかりからでも、たどり着いて見せるのではないだろうか。よくよく調べれば、わしの足取りを追うことなど、簡単ではないだろうか)


 杉清の恐怖は肥大し、精神は衰弱していった。

 目の前の弥三郎から逃げたことで、杉清の胸中には幻影の弥三郎が現れたのだ。日に日に幻影は大きくなり、もはや杉清にはどうすることも出来ない。

 お家を裏切る重大事。それも、先代以来仕えた家を陥れることに、罪の意識がなかったといえば嘘になる。しかし、杉清はそういったあれこれを全て覚悟して事を成したつもりであった。幼君の亡霊なにするものぞ、と維盛のことは気に留めていなかった。

 それが、いざ現れたのは弥三郎である。


「あやつが現れ、全てが狂った。あやつのせいで先代と時をおかずに葬るはずの維盛様が、半年も生きながらえることとなった。あやつ一人で百人力、くそう、何が『南州一の武芸者』じゃ、どこの馬の骨とも分からんくせに、くそう、くそう」


 荒れる心は酒杯に伸びる。連日連夜、浴びるように酒を呑んでいた。酩酊の間は、弥三郎の幻影を見ずに済んでいた。


「もし……」


 障子の向こうから声がする。どこの誰とも分からない。障子の影は逆光を受け、大層大きい。


「誰じゃ、ああ?」


 酒に焼けた声でやけっぱちに怒鳴ると、障子の向こうから返事が聞こえた。


「この声、聞き覚えがないか」


 障子が開け放たれた。そこに立っていたのは、弥三郎であった。


「ぎゃあっ」


 手が震え、酒杯を取り落した。恐怖におののき、視線も定かではない。弥三郎の影は長く伸びており、杉清まで届いている。


「我が主、いや、貴様にとっても主であったはず。主君殺し、到底許すまいぞ」


「ひ、ひぃ」


 杉清の腰は抜けて、手足はばたついている。畳の上にいながらにして、大海に溺れているが如き有様だった。


「お、お主が、お主が悪いのじゃっ。お主さえいなけば、何もかもうまくいったのに、こんな窮屈な思いをせずに済んだのに、全部お前のせいだ、くそうくそうくそう!」


「言いたいことは、それだけか……ッ」


 弥三郎の手が柄にかかる。刃は抜き放たれ、陽の光を反射してぎらりと光った。


「ひ、ひぎ、ぎいいいい」


 びくりと体を震わせた杉清は、胸を押さえてもがき苦しみだした。何度か寝返ると、ぱたりと動きを止めた。


「むっ」


 弥三郎が杉清を抱きかかえると、すでに心の臓は止まっている。酒に溺れて弱った体に恐怖が重なった末の、心臓麻痺であった。


「斬る前に、死んでんじゃないよ」


 弥三郎は、杉清を横たえると、その場を後にした。怨敵に勝手に死なれて、胸中には虚しさだけが残った。


「殿……。胸に、穴が空いたようです。これから先、どうしたものか」


 空を見上げ、亡き主君に思いをはせる。

 主君と交わした最後の会話は、まるで昨日のことのように思い起こされる。ついで、忍の襲撃から維盛を救ったこと。


「あの時は、翌日以降の巡視を心待ちにされていた。なんという村だったか……、そう、維盛様と同じ、是守村だ。思えば、あれが、維盛様が年相応の顔を見せた、唯一のことではなかったか……」


 主君が心待ちにしながらも、ついに果たせなかった。ならば、そこに行くのもよいかもしれない。

 弥三郎は、是守村へと歩き出した。


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