襲撃
どこかで野犬たちが、星空の下で吠えている。
煌めく星々と輝く三日月が夜道を照らし、二人の男が向かい合っている。
「お主、だな」
昼間、維盛襲撃を画策した男が、弥三郎を待ち伏せていた。
待ち伏せられていた弥三郎は、昼間と同じ陣笠を被っている上、夜道故に表情は判然としない。月と星の光を瞳に受けて、両眼のみ僅かに輝いて見える。
「何用か」
「とぼけるかっ」
弥三郎を見上げ、襲撃者は睨む。
「昼間、拙者に剣気を浴びせたのは、お主であろう!」
男の手は腰の得物に添えられ、いつでも抜刀できる態勢を取っている。対して、弥三郎はだらりと両手を下げたまま、自然体である。
「昼間とは言うが、いつのことを言っておられるか。それがしの知る限り、貴殿と会った記憶はありませぬが……」
男の手が、わなわなと震える。
(お、おれは、貴様の主を襲おうとしたのだ。それを防がれた上に、『何もなかった』と言うつもりか……っ)
自尊心を激しく傷つけられたと感じた男は、抜刀し、構えた。
「何のおつもりか」
「抜けぃ」
切っ先を弥三郎に向け、すり足で近づいていく。
「あれは千載一遇の好機であった。それを、ああも見事に防がれては、我らが悲願は達せられないだろう」
「……。ならばなぜ、剣を向けられるか。諦められよ」
「諦めることなどできようかっ。悲願達成の最大の難問は、今目の前にある。お主を仕留めれば、第二第三の拙者が、必ずやお主の主を仕留めるだろう!」
「そういう理屈か。だが、あの場面で飛び出せなかった貴殿に、それがしを討つことができますかな」
弥三郎の言には棘がある。つい先刻のやり取りで、杉清の言うままに退室したが、弥三郎にも思うところはあったのだ。
「もはや問答無用っ」
弥三郎の胸中がどうであれ、何を言われようと男は飛び出す腹積もりであった。彼我の技量差はいかんともし難く、それを見せつけられたのは他ならぬ当人である。かくなる上は、兎にも角にも一太刀浴びせ、いくらかでも手負いにするという策である。
(機先を制されるくらいならば、機など捨ててやる!)
猛然と鬨の声を上げ、弥三郎の懐に飛び込んだ。
しかし、男の刃は届かない。
「ふッ」
「ぐぅ!」
半歩下がった弥三郎は、腰の大太刀を抜き放ち、峰打ちにて向かいくる刃を打ち落とすと、息つく間もなく空いた左腕の肘打ちを見舞う。
「だっ」
「じゃあっ」
物陰から、三人の影が弥三郎に迫る。襲撃者の共犯者たち、男が倒れたのを見ての加勢である。
三方からの縦一文字の剣戟を、弥三郎はするりと抜け出る。およそ体格からは想像もできない、俊敏さとしなやかさを兼ね備えた、山猫の如き動きだった。
「なにをぉ」
弥三郎がすり抜けた左右の二人は、追い打ちをかけようと身を翻して右足を踏み込む。
すると、彼らは踏み込んだ足で踏ん張れずに、崩れ落ちてしまった。
「ぎゃあぁっ」
彼らの右足の脛裏には、ぱっくりと切り傷が開いている。すれ違いざま、弥三郎の大太刀が斬りつけたのだ。腱を斬られ、立ち上がることが出来ない。
「うっうっう」
剣を構えたまま、残った一人は動くことが出来ないでいる。弥三郎は懐から懐紙を取り出し、刀の血を拭った。
「…………」
無言で納刀する。弥三郎の目が、じいと襲撃者たちを見据えている。もう、貴殿らの為に剣を抜くつもりはない、と弥三郎の目は語っていた。
「我らに情けをかけるか」
「……、否」
「ならば、殺せ」
「それも、否。貴殿らには、殿の命を狙う不忠者どもを吐いてもらう。その為に生かす。泥を吐いた後も生きていられるよう、言葉は選ぶことだ」
納刀したというのに、弥三郎の目は殺気に満ちている。
「ひ……」
弥三郎の殺気を受けて、月も星も輝きを増したように襲撃者たちは感じた。
「も、もう遅い……」
傷口を抑えながら、倒れていた男の一人が口を開いた。
「我ら、貴様がすでに陣屋を離れたことを連絡済よ。は、は、ははは」
「……ッ」
神速の抜刀、斬撃四連。襲撃者たちの息の根を止めた弥三郎は、血の付いたままの大太刀を鞘に納め、陣屋へと引き返していった。
陣屋の庭先に闇が広がる。先ほどまで燃え盛っていたかがり火は、にわかに吹き荒れた突風によって掻き消えてしまった。いくつもの明かりを同時に失った夜番の者たちは、暗闇に目が慣れず、しきりに声を上げて互いの位置を確認していた。
「明かり、明かりはどこだ」
「それよりも殿だ、維盛様はご無事か」
「ええい、火じゃ、火はどこだ」
右往左往とする夜番の中を、一つの影が通り過ぎて行ったが、そのことに気が付く者は誰もいなかった。
影は地を這う蛇の如き動きで外廊下に達し、床下を滑るように音もなく進んでいく。目指すは、陣屋の中央、維盛が眠る寝所である。
夜分、床下を進む影は、弥三郎の留守を伝えられた襲撃者たちの仲間、忍の者だった。背中に剣を背負い、口元は布に覆われている。
「…………」
寝所の床下に達した忍は、じいと聞き耳を立て、確かに維盛の存在を感知すると、背中の剣を抜き、頭上の板を押し上げた。
すると床の間の板が動き、人ひとり通れるだけの穴が出来た。忍はするりと穴を通り寝所に侵入し、一段高い御簾の向こうの維盛に近づいていく。
「…………」
寝所の明かりは、御簾の向こうの燭台一つである。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が、御簾に維盛の影を映し出していた。
「……ッ」
剣が煌めき、御簾がばさりと落ちる。そのまま御簾の中に押し入ると、維盛に刃を突き立てるべく剣を振り上げた。
「何奴っ」
維盛は布団から離れ、剣を握っている。
「…………」
「出会えっ、出会え!」
「無駄だ。夜番の者どもは明かりが消えて狼狽えておる。貴様の声は届かんよ」
「くっ」
「逃がさん。お命頂戴する」
出口を塞ぐように忍が立ち、維盛は無暗と脱出できない。意を決した維盛は、剣を抜き放った。
維盛の構えは幼い割に型が出来ており、その後の成長次第では良き使い手となることが見て取れるが、今この段階において、大人を相手に出来るものではない。
「……ッ」
忍の初撃を何とか側転してかいくぐったが、より隅の方へ追い詰められてしまい、脱出は絶望的である。
一方の庭先、ようやく幾人かが提灯に火をつけ、かがり火を焚き直すと、夜番の者たちにも落ち着きが出始めた。
「よし、異常はないか」
「殿はご無事か」
「誰かが寝所に向かったと聞いているぞ」
「よし、ならば引き続き警戒するぞ」
「応っ」
夜番の者たちが元の配置に戻ろうかという頃合いに、土塀を飛び越して庭先に降り立つ者がいた。
「何奴っ」
夜番の者たちは一斉に槍を向ける。降り立ったのは、弥三郎であった。
「弥三郎ではないか、どうしたのだ」
弥三郎は返事をせず、維盛の寝所に目を向ける。弥三郎の目は、障子の奥のただならぬ雰囲気を感じ取った。
「殿はいずこか」
弥三郎の纏う殺気に、夜番の者たちはたじろいだ。
「寝所にいるかと……。すでに誰かが向かっているようだ」
「誰が行った」
「はっ」
「誰が行ったかを聞いている」
「……」
誰も答えられない。返事を待たずに弥三郎は寝所へと急いだ。
(殿……っ)
弥三郎が寝所に入るのと、忍が追い詰めた維盛に剣を振り上げるのとは、ほぼ同時であった。
「!?」
寝所に乗り込む弥三郎の姿を忍がちらりと目にした一瞬、猛然と突進する弥三郎は一気に間合いを詰め、抜き打ちで斬りつける。
刹那の見切りで斬撃をかわされたものの、忍と維盛の間に空間が出来た。即座に弥三郎は、滑り込むように割って入る。
「殿、ご無事で何よりにござる」
「弥三郎ッ」
横薙ぎに構える弥三郎は、眼光鋭く忍を見下ろしている。無論、威嚇に気圧されるようなことはないが、計略の成功は著しく遠のいてしまっていた。
「さて、これなるは殿のご友人でございますかな?」
「はっ?……いやいや、違う、賊じゃ」
冗談とも本気ともつかぬ弥三郎の言に維盛は呆気にとられた。それを聞いている忍も、隙を見せない弥三郎に対して機を掴めないでいる。
「はよう、打ち倒せ」
「承知」
横薙ぎの一閃が忍に迫る。
「ッ!」
身長差を活かし、忍は低く身をかがめ反撃を狙ったが、そこに弥三郎の蹴りが命中した。
「ぐぅ」
鼻っ柱をしたたかに蹴りつけられた忍の動きが止まる。がら空きの背中にすかさず弥三郎の突きが決まり、畳まで大太刀を刺し貫く。
「ふッ」
ぐいと捻ってから剣を抜くと、忍は大の字に倒れ伏した。ぴくりとも動かぬ忍の身体から、じわりと畳に血が広がっていく。
命の危機を脱し、維盛は弥三郎にかける言葉を懸命に探した。
「よく、やった。弥三郎」
「は……」
「お主が駆けつけねば、私は今こうして立っていることは出来なかっただろう」
「は……」
「あのな、明日の巡視で、これもり村というところを通るのじゃ」
「これもりむら、ですか」
「私と同じ名前じゃ。どんな村か、楽しみでな。」
「……」
「だが、こうなっては、行くこと叶わぬやもしれん。それが、残念だ」
寝所の外から、足音が近づいてくる。ひどく慌てた足取りで、なおかつ運足に軽さがなく、鈍足のようだった。
「維盛様、ご無事でしょうか!」
がらりと襖を開け、巡視奉行の由吾郎がやってきた。文官一筋のこの男の身体能力は、弥三郎と対にして、家中でよく話題となっている。
「うわぁっ」
斬られた御簾と血の海に、由吾郎は悲鳴を上げた。
「いやぁ、びっくりしたよ。なにしろ、血の海だもの」
「イの一番に駆けつけてきて、驚いてたじろぐなんて、駆けつけた意味がないかと思うのだが……」
「まぁまぁ、殿が無事だったのだから、いいじゃないか。それに、一番に駆けつけたのはおれじゃなくて君だろう、弥三郎」
翌朝、由吾郎と弥三郎は、霜柱を踏みしめながら陣屋の周囲を歩いていた。
並より背丈のある弥三郎と、並より背丈のない由吾郎が並ぶと、由吾郎は弥三郎の胸ぐらいまでしか届かない。自然と、由吾郎が弥三郎を見上げ、弥三郎が由吾郎を見下ろす形となっている。お互い、吐く息が白い。
「それにしても、杉清様はなんだい、殿の命をお助けした弥三郎に向かって、あの態度は」
「杉清殿にはそれなりのお考えがあるのだろう」
弥三郎の顔はさばさばとしたものである。
「でもねぇ、『此度の働き、まことにあっぱれ、されど殿の寝所を血で汚すとは士道不覚悟なり、よって警護役を外し陣屋見廻り役とする』たぁないだろう。弥三郎が来なかったらどうなっていたか、杉清様に分からないはずがない」
一方、由吾郎は怒り心頭、鬱憤が収まらない。
「一体、杉清様は何を考えっているんだ」
「むぅ。それは、確かにそうだ」
「だろ?」
「だが、それを言うなら、もっと怪しいことがいくつもある」
「と、いうと?」
「かがり火が突風程度で消えるのかとか、殿の安否確認に行くと言った奴が誰なのかとか、寝所の外に控えていた者がいなかったのはどうしてかとか」
昨夜自らが襲われたことは、敢えて秘した。
「お、おい、それって……」
由吾郎は背中にひやりとしたものを感じた。弥三郎は、言外に内通者の存在を匂わせている。しかも、一人でない上に、殿に近しい者である可能性が高い。
「……」
「……」
二人には、最も怪しいと思える者が一人いた。『彼』は、何かと維盛と弥三郎を引き離そうとしている。弥三郎は肩をすくめた。
「考えても、詮無いことだがね。如何に怪しいとはいえ、碌な証拠もない。そもそも、あれみたいなのと違って杉清様は先代以来の忠臣。こんなことする理由がよく分からん」
「だ、だが、今こうしている間にも、殿の身に何か……ッ」
由吾郎は今にも駆け出さんばかりだった。
「まぁ待て」
「待てるか!」
「落ち着けよ」
衣服の端を引っ張り、弥三郎が止める。
「恐らく、だが、あからさまに怪しい状況では敵も動かないだろうな」
慎重に言葉を選びながら、弥三郎は自身の考えを口に出した。
「もし、敵が手段を選ばずに事を運ぶなら、とうに殿の命はないよ。毒を盛るなりなんなりすればいいのだからな。だが、敵はこれまで、外部と思わしき奴らを使っての襲撃を主としている。昨夜の警備が怪しいのは確かだが、どうとでも言い繕えるものだし、敵が敵だけに、もみ消すのも容易いだろうな。敵の襲撃が、殿をお助けできるかどうか際どいことにも、説明がつく」
「けどよう、外部の奴らが裏切って殿に密告したら、敵は一巻の終わりだぜ。だったら、自分たちだけで始末をつけた方が、確実なんじゃないか?」
「ふむ、そうだな……。もしかすると、主犯格は内部の者ではなく、外部の者の方かもしれん。手を出さずに、見逃したりもみ消したりするだけでよい、ということならば、敵もやりやすいだろう」
「じゃあ、おれたちはこれまで通り、ぎりぎりのところで殿をお守りするしかないってのか。しかも、君が中々殿の傍にいられないという、この状況で……」
「うむ」
「……、なんとかできないのか?」
二人の眉間に皺が寄る。家中の不穏を取り除くのに、彼らはあまりにも若すぎた。そして、同じことは主君にも言えるのだ。
「それにしてもね、おれは虚しいよ」
「虚しい?」
「うむ。維盛様の為に力を尽くす気持ちは変わらないが、家中にはそうと思っていない者たちがいる。ひょっとすると、明日には君を疑っているかもしれない」
「お、おれは違うぞ!」
取り乱す由吾郎を手で制し、弥三郎は続ける。
「冗談だよ。ただ、最近は金で士分を売る者が少なからずいるそうだ。それとこれとは関係ないだろうが、士分の何たるかをつい考えてしまうのだよ」
「むむむ」
弥三郎につられて、由吾郎も腕を組んで思案を始めてしまった。
「おいおい、君までそんなで、どうする」
「む、おれは、武功なしに出世してきた。君のように戦い慣れていないし、これからも武功とは縁がなさそうだ。そうなると、おれの士分に意味があるのかと思ってね」
「士分という生き方に、新しい何かを見出せねばならんのかもね」
木枯らしがびゅうと吹き、二人は寒さで身震いした。