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配慮はしておりますが本文の表現で気分が悪くなったり、不快になられた場合は直ちに読むのをおやめ下さい。
―――ここは、とある取引の場
アンティーク調の扉が少し軋んだ音を立て開かれた。
少々薄暗いだが、清潔感はある。扉と同じようなそれとも合わせたのかアンティーク家具で飾られ、本棚には難しそうな書物ばかり並ぶ。
そして書斎にあるような木製の大きな作業机。そこに座っていた男が、立ち上がった。
綺麗にだが何処か無造作感にセットされた黒い髪にワイシャツにスーツ調のベスト、すらりとしたズボン。
扉の向こうの人物を見、眼鏡の奥からに光る緑がかった黒の瞳が、笑みの形に歪む。
「ようこそ。お待ちしていましたよ」
***
某高校の制服に身を包んだ女性は、そう男に迎えられたじろぐ。だが男に柔らかく座るよう勧められ、茫然とした面持ちで腰を下ろした。2人掛けソファは柔らかく、腰が沈んだ。
ふわりと香りが舞う。横からコーヒーが差し出されたようだ。
「先にお電話を頂いた方ですよね、御依頼とのことで……。お聞きします」
男はそう一言告げ、女の正面に座る。
「あの、私……」
不安げな目線が男に注がれる。
男は無言で、女に後の言葉を促した。女は唇を噛んだ。言い淀んだのではない。
嫌な出来事が川から増水するようにが溢れだしたからだ。
「私を……殺して」
ごんと鐘の音が響く。時計が規則正しく時間を告げたのだ。
「もう死にたいの!でも一人で死ぬ勇気なんて私にない、だからここまで来たのよ!!こんな人生、わたし、もう耐えられない……!」
「耐えられない……とはどのように」
「……見てください」
女はスカートを少し捲った。隠されていた右大腿をあらわになり、そこには包帯が幾重にも巻かれていた。そして、血が滲んでいた。
男が見たことを確認すると、またすぐに隠した。
「陸上部なんです、私。でも何が気にくわないのか、先輩に目をつけられて。入部してそんな日は立ってない頃から嫌がらせが始まりました」
「具体的にはどのような?」
「靴に砂が入れられていたり、鞄につけていたストラップがゴミ箱に捨てられていたり……最初はほんのいたずら程度だったんです」
「なるほど」
「いつまでたっても止まりませんでしたむしろどんどんひどくなって、階段の途中で背中を押されたり、下手をしたら怪我どころじゃ済まない。もう挨拶も交わしてくれなくなりました。トラックで転ぶだけでみんなが笑うんです。私には地べたがお似合いかのように。しまいには……こんな。この怪我ではもう走れないんです」
「その怪我はどのような経緯で?」
「道具を片づけている時に。同級生に声をかけられて、目を離した瞬間に誰か私が持っていた道具を押したのか思い切り器具の飛び出していた部分が刺さりました」
「周りの方に相談は?」
「しました!でも……誰も取り合ってくれないんです。あんな優しい部員たちがそんなわけはないだろうって」
女はぎゅうと自身の服を掴んだ。
「私はこんなに苦しいのに、誰も見てくれない助けてくれない!もうこんな苦しいをし続けるのは思いをするのは嫌!だったら死んだ方がましよ!!」
大声でそう感情を吐きだした。男は女言葉を淡々と聞いているだけだ。逆にそれが不安を掻き立てる。この人は、本当に私を助けてくれるのだろうか。
だが女にこの男以外頼るものはいない。学校関係者も友も肉親も自分を相手にしてくれなかった。自分の声を聞いてくれなかった。男までも自分に手を貸してくれないとなったら、自分は惨めに、のうのうと生きていくことしかできなくなる。それだけは絶対に嫌だった。女にはここにしか頼みの綱はなかった。
女は男にすがるような目で見つめる。
「ここは望めば!お金さえ払えば私を殺してくれるんでしょう!?」
女の言葉を受け。男は一口湯気の立つコーヒーを喉に通した。
白いカップがことんと置かれた。
その数秒でも、女にとってはとても長く感じた。
「少々語弊があるようですが、ここは人を殺す言わば殺し屋ではありません。ただ依頼人の要望に対し、それに関することに少々手伝いをするだけです」
「それでもいいわよ!早くしてよ!私をこの地獄から解放して!!」
「……そうですか。わかりました」
男がポケットから何かを取り出し、机の上に置いた。
「何……これ?」
女が不審げに声をあげる。それもそのはずだ。男が取り出し机の上に現れたのは、プラスチックに入ったどこにでもありそうな錠剤2つ。しかし男はそれをまるで金の延べ棒のようなとても有益なものかのように、にこりと笑顔になった。
「最近開発された、とても画期的な薬なんですよ」
「画期的……?」
「はい。これを1粒飲むとたちまち眠くなります。ここまでは睡眠導入剤となんらかわりはありません。しかしですね、この薬は睡眠状態に入ると同時に徐々に身体機能を落としていくのです」
驚くように女は、男から薬へと視線を落とした。
さっきまでただのプラスチックに入った錠剤が、歪んで見える。
「一気に体の能力を無くしていくのではなく。それこそ眠って逝くように身体機能を凍らせます」
男はとんと軽く、指で机を叩いた。
「今までにない。安楽死の薬なんです」
女は特に表情は変わらず。ただ薬を凝視する。
「自ら息を止めるのが怖いのでしょう?あなたがすることはこれを飲みただ眠るだけ、それだけならば簡単でしょう。そうすればあとのことは勝手にこの薬が働いてくれます」
男が饒舌に話せば話すほど。
女の目は空虚でからっぽになっていき。表情がするりと抜け落ちていく。
「まずは神経を遮断。筋肉へ送る指令も封じていきます。これで指一つ動かせません。もちろん消化器系機能も停止させていきます」
ちかりと電球が影を差した。
「心臓も徐々に動きを鈍らせ、呼吸もゆるく次第に深くなります。血流も滞り、それにより酸素供給も止まり細胞が死滅を始めます」
女の身体が強張っているように見える。だが錠剤から目を離すことはない。
「細胞の塊である脳も例外ではありません。脳も機能を失い総ての中枢は崩壊する、あなたの身体を支えるものは消え失せる」
男は再びとんと机を叩く。それに合わせたように女の体が震えた。
「この薬はあなたに差し上げましょう。お代は結構です。ただ……」
また、明かりが点滅する。
「これを使うか、否か。いつ使うか、どう使うか。それはあなたが決めることです」
女はようやく顔をあげた。
その顔は同一人物とは思えず、もう何日寝ていないかのようにやつれていた。
***
女は疲れ切った顔で、部屋を出ていった。次第におぼつかない足取りは届かなくなった。
見送った男は相も変わらずの様子。飲まれることなく熱の飛んだコーヒーの片づけをはじめる。銀のシンクに白の陶器、そして黒い液体が流れた。
小さく軋んで再び扉が開かれた。だが入ってくる人物は先ほどの女性ではない。
扉の隙間からはひょこんと茶髪の頭の少年が顔を覗かせた。服装は男と違いカジュアルで、赤のパーカーにジーンズという出で立ちである。
きょろきょろと中を見渡していたが男の姿を捕えると視線はそちらの方向に定まった。
「よっ!黒鴎。今日は時間通りに出勤したぜ」
「……枢木君。時間どおりに来たのは良いですが、入る時はノックをして下さいと何度言えば分かるんですか」
「つい忘れるんだよ」
「お客様……依頼人がいたらどうするんですか」
「……次から気をつける」
せっかく早く来たのに……。
少々ふてくされながら枢木と呼ばれた少年はいぶかしげに男……黒鴎のいる方向へと歩いてくる。難しい顔をしているのは黒鴎がやたら笑顔だからだ。
「んだよ」
「いや。前回も同じことを言っていたものですから」
「悪かったな!どうせ進歩してねぇよ!!それより黒鴎さっき階段とこで……ん?」
枢木の視線はふいに黒鴎の胸ポケットに吸い込まれる。そこには先ほど女に渡したものと同じ錠剤。
そして枢木の言葉を耳に通しながら、黒鴎は袖をまくった。時計の日焼け跡が顔を出す。
「これ俺がこないだ買ってきた睡眠薬じゃんか。いつもバックの中に入れてんのに、なんで胸ポッケに?」
蛇口から水が流れ落ち、真黒い液体は排水溝へと押し出された。
「違いますよ。実はこれ、最近開発された安楽死の薬なんです」
「さらっと嘘並べるんじゃねぇよ。思いっきり錠剤の押しだす銀紙部分に『ネレ―ル』って書いてあるだろ」
「嘘じゃありませんよ。確かにこれは薬局で売っている睡眠導入剤ですが、あることをすると安楽死用の毒薬に変わるんです」
「は?どうやって」
枢木の瞳から発せられる感情が呆れから疑惑に切り替わる。
くたびれたスポンジに洗剤を絡まり、軽く動かすと泡が湧きでた。
「確かにこのまま渡すだけでは何の意味もありません。そこで一つ手間を加えます。手間とはこの薬を飲むと苦しまずに死ぬことができるとそう暗示をかける、それだけです。すると本当にそうなるんです」
「……いや、さすがに思い込みで人間死ねないんじゃないか?」
「それが出来るんですよ。人間の脳というのは複雑ゆえに単純なことに弱い。思いこんでしまえば面白いほど何でも出来てしまうんです、これが。本当に人間というのは興味深い」
泡は汚れ全てをまきこみ、シンクの中を真白に塗りつぶした。
右手を口元にあててしばらく黒鴎の講義を咀嚼していた枢木だったが、ふと思いついた疑問を投げかけた。
「でもそれって結局は暗示かけた奴だけ有効ってことだろ」
「もちろん。もし他人に使ったとしても、その方にとっては普通の睡眠障害の改善薬。少々深めの眠りに入るだけで何の害もありません」
「やっぱそういうもんなんだ。………って違う!!黒鴎質問答えてないじゃんか!だから何でポッケに使いもしない睡眠薬入れてんだよ」
枢木の質問にそう言えば答えていなかった。黒鴎は他人事ながらそう思っていた。
普段ならそんな小さいこと気にもかけないのに。何かを察知しているのか、それともただ気になるだけなのか。
「実際にこれを飲み物の中に混入させて飲ませると効果が出るのか試そうとしていたんですよ」
「物騒な実験すんなよ」
「ただ枢木君が遅かったので……せっかく作った睡眠導入剤入りのコーヒーは冷めてしまいまして。今処分したところです」
「しかも実験台俺!?」
ぎゃあと目を剥く枢木。
黒鴎はそんな枢木はとりあえず放置して、水を流し泡まみれになったシンクをきれいにし始める。
「そういえば枢木君私に何か聞きたいことがあったんじゃないですか?」
「へ?……あ、思い出した。さっき来る時に階段で女子高生とすれ違ったけど、あれ依頼人?」
「ええそうですよ。何かありましたか?」
「いや。むしろ俺の方が聞きたいんだけど、また黒鴎変なこと言ったろ?女子高生この世の終わりみたいなすごい暗い顔してたぜ」
「そうなんですか」
「黒鴎は敬語使う割に言葉に棘あるし。手厳しいんだよ。気をつけないと客来なくなるって」
「手厳しい?私は普通ですよ。礼儀の知らない者にはそれ相応の対応になるだけです」
シンクの中はもう泡は何処にもなく。濡れて綺麗になったカップとソーサーだけ。黒鴎はまだ水分の吸っていない布巾を手に取った。
「挨拶をしない。名乗ろうともしない。人に頼みごとをするというのにそれ相応の言葉も頭を下げることも知らない。そんな思いあがりにどうして優しく出来るのでしょう」
綺麗に水滴の拭かれたカップに笑顔の黒鴎の顔が映り込んだ。
「黒鴎……」
「はい」
「怖ぇよ。本当に客寄り付かなくなるぞ」
「ですから。いつもこんな接客するわけじゃありません。まぁ、たまにはもいいでしょう」
「へいへい、良くないですけどね……。そういや来る時に仕事一個拾ってきた、駄菓子屋のおばーちゃんから」
「何の仕事です?」
「迷い犬探し。散歩中に逃げちゃったんだと」
「おや、それは骨が折れそうですね」
この店の名は
「bird servant」
鳥の召使い
ご要望とあらば、何でも引き受けます。
それが、どんな依頼でも。
ただし鳥はとても気まぐれです。くれぐれも取り扱いにはご注意を。
「さあ、あなたのご依頼はなんですか?」
はじめましての方ははじめまして。久しぶりの方はこんにちは。
旭日千冬です。普段は二次創作を中心に活動しています。
今作品は「ちょっと法にふれそうな何でも屋」がテーマです。
扱うものがちょっと不安定で慎重になったりしますが。正直書いてる自分が十分鬱れそうです。
もちろん物騒な依頼もありますが、ほのぼのとしたものも取り扱う(予定)です。
黒鴎さんと枢木君を旭日ともども宜しくお願いします。
感想は下さるともれなく旭日が喜びます。