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寝ぼけ眼          :約2000文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/03/13

 夜、とあるマンションの一室。男はふいに目を覚ました。

 首をカクンと下ろし、ぼんやりと正面を見つめながらゆっくりと瞬きをする。滲んだ視界の中で、チカチカと不規則な光が明滅している――テレビがついたままだ。どうやらソファに身を沈め、番組を眺めているうちにうたた寝してしまったらしい。

 まだ夢と現実の境目をふらついているのだろう。頭は鈍く重く、四肢に力が入らない。まるで水面に仰向けで浮かび、波に身を任せているかのようだ。思考も感覚も曖昧に滲む、このどっちつかずの状態が妙に心地いい。

 あくびの一つでもすれば頭はもう少し冴えるだろうが、それではもったいない。男はそう考え、ゆっくりと目を細め、重たいまぶたを半分だけ持ち上げたままテレビ画面を眺めることにした。


『いいですか、いきますよ? ワン、ツー……はい』


 どうやらマジシャンらしい。白いスーツに身を包んだ男が、スタジオで芸能タレントたちを相手に腕前を披露しているようだ。照明を受けたスーツの輪郭がぼやけて見える。

 落ち着いた声色で、今のとろんとした気分を壊さない。周囲のタレントたちの大げさなリアクションは少々耳障りではあったが、それでも眠気のほうが勝っていた。


 ――おっ。


 男は思わず口元を緩めた。

 そのマジシャンの顔が、自分とまったく同じだったのだ。むろん、錯覚だろう。寝ぼけていると、こういうこともあるものだ。


『ははは、簡単な催眠術でしたね。では次は、シンプルなマジックをお見せしましょう。このロープを私の手首にしっかり結んでください』


 マジシャンは両手首をぴったりと揃え、胸の前に差し出した。タレントの女が遠慮がちにロープを巻きつけていく。

 その様子を眺めながら、男はまた笑いそうになった。ふと視線を落とすと、自分の手首にも同じようにロープが巻きつけられていたのだ。

 どうやら今は、現実よりも夢の比重のほうが重いらしい。


『しっかりと結びましたね? はい、ありがとうございます。では――』


『ホンマですかー? ちゃんと見せてくださいよ』


 タレントの一人が眉間に皺を寄せ、ずいとマジシャンに近づいた。おそらくお笑い芸人だろう。チンピラじみた風体と荒っぽい声色に、男はわずかに眉をひそめた。だがまあ、そういう役回りなのだろうとすぐに納得した。

 マジシャンはにこやかに微笑み、『ええ、もちろんです。どうぞ、近くでご確認ください』と腕を差し出した。


『どーですかねえ。ほらほら、おらああっ!』


 男は一瞬、何が起きたのか理解が追いつかなかった。芸人が突然、マジシャンの腹を殴りつけ、続けざまに頭を思いきりひっぱたいたのだ。

 マジシャンは体を折り、困ったような笑みを浮かべている。痛みに耐えているのか、それとも演技なのか判然としない。

『おー、ホンマみたいですねえ。おらっ』


 芸人は笑いながら執拗に殴り続ける。拳が振り下ろされるたび、スタジオには笑い声が弾けた。

 男の胸の奥に、理由のわからない苛立ちがじわりと滲み出てきた。次いで、腹のあたりが鈍く痛んだ気がした。


『では、そろそろ外しますよお……三、二、一……はい!』


 次の瞬間、マジシャンはさっとロープを外し、両腕を大きく広げてみせた。

 スタジオがどっと沸いた。拍手や驚嘆の声が響き、マジシャンは腕を広げたまま笑顔で応える。

 男もまた、無意識のうちに同じように腕を広げていた。頬を緩め、満足げに微笑む。


『へえ、やるじゃないですかあ』


『どうも……まあ、包丁を使ったほうが楽でしたけどね』


 マジシャンは軽い調子でそう言い、どこからともなく包丁を取り出した。刃が照明を受けて、一瞬鋭く光った。

 スタジオが『おおっ』とどよめき、笑い声が重なった。芸人が笑いながら何かを言った。おそらくツッコミを入れたのだろう。

 マジシャンは穏やかに頷いた――その直後、芸人の腹へ包丁を突き立てた。


『おうっ、おうっ、おおうっ、あうっ、おうっ!』


 刺されるたび、芸人はオットセイじみた声を上げた。眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開き、エビのように尻が跳ねる。腹部から血が噴き出し、スタジオの床へ飛び散り、照明を受けて生々しくきらめいた。

 芸人が崩れ落ちた。マジシャンは馬乗りになり、なおも執拗に刺し続けた。血飛沫が白いスーツにかかり、花模様のように染み広がっていく。


『オウッ、オウウッ、オウッ、オウウ……』


 男もまた笑みを浮かべ、感触を確かめるように手をぐっと握りしめた。



 ◇ ◇ ◇



「あの」

「ん?」


「テレビ、消さなくていいんすかね」

「あ? いいんだよ。こっちの物音が紛れるだろ」


 部屋に押し入った二人組の強盗。一人が不安げに振り返り、廊下の奥を見つめた。リビングからテレビの音が漏れ聞こえてくる。

 もう一人はまったく意に介さず、引き出しを乱暴に引き抜き、中身を床にぶちまけていた。


「でも、もし起きたら……」

「完璧に気絶してっから大丈夫だろ。だいたい、お前縛ったんだろ?」


「まあ、そうっすけど……」

「あ? ロープ渡しただろ。縛ってねえのか?」


「いや、縛りましたけど、大丈夫かな……。初めてだし、一回様子見てこようかな……」

「いいから、さっさと金になりそうなもん探せよ。ずらかりたいんだろ」


「はい……おっ、これ、ロレックスじゃないっすか?」

「お、どれだ? 見せろ」


「はい……ん?」

「あ? 今度はなん、あっ……」


 一人が腕時計を差し出そうと振り向いた、その瞬間だった。

 部屋の入口に、ぼうっと立つ影。

 手首には解けたロープがだらりと絡まり、赤く擦れた痕が残っていた。手には包丁。男は虚ろな目をしたまま、二人に向かって駆け出し――

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