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ゆらめく陰謀

次の日の朝。凪翔さんが目を覚まし、部屋の空気が静かに揺れた。戸口の前に、クシナダさんが立っていた。一晩中ほとんど眠らなかったのだろう。顔色が悪い。

そして、目を覚ました凪翔さんの姿を確認した瞬間、彼女の肩が大きく震えた。

「……クシナダ。」

凪翔さんがかすれた声で名前を呼ぶと、彼女は歩み寄り、凪の枕元でそっと膝をついた。その動きのひとつひとつが、決意というより覚悟じみていて、見ていて胸が痛くなる。

弱々しい微笑を浮かべ、凪翔さんは

「だいぶ良くなりました。」と短く言う。

けれどクシナダさんは、その微笑みを見ても表情を緩めなかった。むしろ、胸の奥に押し込んでいた何かが堰を切ったように、深く頭を下げた。

「……ごめんなさい、凪翔さん………」

その声は震えていて、けれどはっきりしていた。

「私を助けようとして……あなたは大蛇と戦うことになった。あれほど危険だってわかっていたのに、私……あなたに全部背負わせた…………」

ぎゅっと握りしめられた手が、震えている。その指先に力が入るのが見えるたび、彼女の後悔が刺すように伝わってきた。

「もし……もしあなたが死んでいたら……私は……っ!」

言葉が続かなくなり、クシナダさんは唇を噛んだ。凪翔さんが戦う理由となったのは彼女を護るためであり、その代償として彼は片腕を失った。

それでも、凪翔さんはゆっくりと重い身体を痛みに耐えながら動かし、クシナダさんの手にそっと触れる。

「……謝らないでください。僕が勝手にやっただけですから。」

クシナダさんが顔を上げる。その瞳は涙で滲んでいて、凪翔さんをまっすぐに見つめていた。

「でも……あなたは、私なんかのために……!」

「“なんか”じゃないですよ。」 

凪翔さんの声は弱かったが、その言葉だけは強かった。そして、痛みに顔を歪めつつも、はっきりと笑った。

「僕は、あなたを助けたかったから戦った。それだけです。あなたのせいじゃない。

……僕の、意地みたいなものです。」

クシナダさんの瞳が揺れ、唇が震えた。

「……でも……怖かった……あなたが傷だらけで倒れて……私……」

「心配させてしまったのは……申し訳なかったですね。」

凪翔さんが苦笑しながら言うと、クシナダさんは俯きながらも、かすかに息を吸い込んだ。その肩が震えている。

「……もう……こんな思い、させないで……」

その言葉は、祈りのようだった。凪翔さんは小さく、しかし確かに頷いた。

「善処します。」

その一言で、クシナダさんは初めて、ほんのわずかに表情を緩めた。胸の奥で固く締めつけていたものがほどけたのが、部屋の空気でわかるほど静かだ。

二人の空気を壊さないよう、僕はゆっくりと席を立ち、その場を去るのだった。


「凪翔、起きたみたいですね。」

襖を開けて隣の部屋に入ると、いつもと同じ一本の髪の毛ぴょんと立てた陽凪さんが座っている。

「話しに行かなくていいんですか?」

向かいに座りながら言うと、彼女も苦笑を浮かべる。

「何というか………入りにくい雰囲気なので。」

襖の向こうからは、隠すこともなく泣き声をあげるクシナダさんの声が聞こえてくる。

「正直言って、あの子たちはどちらも、自分の立場に囚われすぎてしまっていたんだと思います。

ですが……それを言えなかった私も立場に囚われているのかもしれませんね。」

苦笑して、彼女は視線を落とす。

何を言えばいいのかもわからず、僕は道場に行くために部屋を後にした。





──空気が凍っている。

石造の祠の中、薄闇に沈む封印の間は、静寂というより息をすることすら許されない空気で満ちていた。中央に浮かぶ巨大な鏡。その表面は黒い水のように揺れ、時折月光じみた光が脈動している。


その前に黒の装束を着てひざまずく影がひとつ。

「………ご報告に上がりました。」

鏡の奥で、光がひとつ瞬いた。それは人影のようであり、輪郭を持たない闇のようでもあった。

『……聞こう。』

声ではない。脳髄に直接響く、冷たく静謐な“意思”。

ひざまずく影もまた、冷え切った声で続ける。

「……八岐大蛇、再び顕現いたしました。しかし……大蛇は討たれました。凪翔━━陽光の巫女の弟が力を振り絞り……討伐を果たしました。」

鏡の奥の影が、わずかに揺らめいた。感情の波、と呼ぶにはあまりにも冷たすぎる反応。

『……そうか』ただ、淡々と記録するかのような声が解ける。

「さらに……“あれ“もまた、陽光の巫女と交戦し、敗北しました。」

『もう、時間もない。

最後の時期はお前に託そう。決して見誤るな。』

その言葉は、氷の刃のように鋭く、それでいて絶望的に優しい。

鏡に、亀裂が入る。

まるで“月”が満ち欠けする瞬間のように、淡い光が脈動した。

『ついに、この力が目覚める…………

世界が闇に飲まれ、隠離世の終わりが訪れる。』

圧力に押され、祠にヒビが入り、ところどころ石が転がり落ちる。

「それでは、失礼致します。」

ゆっくりと立ち上がった影に、鏡の中から声が響く。

『新たな世界のため、力を尽くせ。


━━━━━━━花祈翁よ。』


鏡の表面が大きく波打ち、月光のような光が噴き上がる。


その光が消え、封印の間に再び重い静寂が落ちた。

「……世界が……揺らぐ…………」

祠から出て空を見上げる老体の目には、昼にも関わらず強く光る月が映る。

そして、黒き影は風に巻かれるようにしてその場から消えていった。

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