贄としての使命
「姉上、行ってまいります。」
「はい。行ってらっしゃい。メルぺディアくんも行きますか?」
「はい。行ってきます。」
ちなみに、どこへ何をしに行くのかも聞いていない。
何が待っているのかはわからないが、ここは知らないことばかりだ。
だとしたら行くしかあるまい!
と思ったのも束の間、
「姉上、あまりからかわないでください。」と凪翔さんに止められる。
行っちゃいかんところに行かせようとしてたんかこの姉さん。
「久しぶりですもんね。ゆっくりしてらっしゃい。」
そう言う陽凪さんと共に凪翔さんを送り出し、僕は凪翔さんがどこへ向かったのか聞くのだった。
たった1人、森の中を歩く青年━━━━━凪翔は、時折森の奥にある小さな茅葺きの家を訪れていた。深緑に包まれたその場所は、街から半刻ほど歩いた先にある。
陽光すら手を伸ばして探らねば届かないような“世界から隔てられたような静けさ”に満ちている。
扉を叩くと、いつものようにほんの少し間を置いてからある人物が優しく微笑んで迎えた。
17歳の白服の少女。
その外見は少し幼くも、凛としている。
彼女の微笑みは、どこか儚さを帯びていた。それでも凪翔に対しては、決して弱さを見せない。
森に差し込む木漏れ日の中で、凪翔はいつも思う。
否、思っていた。
この少女、クシナダはなぜこんなところに住んでいるのかということを。
クシナダの言い訳はいつも同じだった。
「私には、街の喧騒がどうにも落ち着かなくて………この家も両親と過ごした思い出の場所ですから。」
しかし凪翔は、納得できないまま、その言葉を受け取ってきた。彼女は人と話すのが苦手というわけではなく、むしろ誰よりも優しく、誰よりも気遣いのできる少女だ。
彼女はいつも凪翔にお茶を淹れながら、「あなたが来てくれると、森が少し明るく見えます。」と笑う。
森よりも明るい笑顔を見せた彼女に、凪翔もまた微笑みを返す。
そしてある日、神社の境内で陽凪が凪翔に静かに告げたことを思い出す。
「時々あなたが訪ねていく家の少女………
クシナダさんを、街に連れてきたほうがいいのではないですか?」
姉の言葉は柔らかいが、そこには確かな憂いがあった。
自分が思っていたことを姉から言い出してくれたことに喜び、凪翔は陽凪を連れてクシナダの家を訪ねた。
しかし、返ってきた言葉はいつもと同じ。
帰宅してから、陽凪はより一層クシナダが森にいることを案ずるようになった。
「でも、クシナダは森が好きだって━━━━」
陽凪は小さく首を振る。
「あの子の顔は、ただ森にいたい。家から離れたくないというだけではありませんでした。
きっと何か、もっと大きなものを背負っている。」
凪翔の胸に、今まで飲み込んできた違和感が再び浮かぶ。しかし、この世界を治める者と言えどわからないことばかりの世界では、陽凪も何かあるのはわかっても何があるのかわからない。
だからこそ、彼女はクシナダの住む地について調べ、凪翔はクシナダに異常がないかを見るためにこうして定期的に家を訪れているのだ。
「難しいお顔をされて、どうなさったんですか?」
お茶を机に出して、クシナダは凪翔の向かいに座る。
「どうしても、聞かなければいけないことがあります。」
ずっと優しく明るかった凪翔の真剣な顔を見て、彼女は息を呑む。
「なぜ、そこまでしてここを離れないのか……理由を教えてください。」
その言葉に、クシナダは苦笑を漏らす。
「陽凪さんに言われたのですか?だとしたら、答えは前にも━━━━━」
「違います。」
思わず立ち上がり、凪翔は否定する。
このまま堂々巡りのままではいけないとわかっているから。
だんだんと笑みが薄れていっているクシナダを放ってはおけないから。
そのためだけに、今まで積み重ね、築いてきた関係を壊してでも、踏み込まねばならなかった。
静寂が、一室しかない家の中を支配していく。
まっすぐに自分を見つめる凪翔を、クシナダは見ることができなかった。
━━━━言いたくない。言えない。
言ってしまったら、彼はきっと私を護ろうとしてしまう。
…………この家の扉を初めて叩いて凪翔さんが入ってきた日。
私は、彼を追い出した。
それなのに、少ししたらまた訪ねてきて、ここで1人は寂しくないかと言い出した。
「美味しいお茶を持ってきた。」
「姉が知り合いから盆栽をもらい過ぎてしまった。」
「町の子供たちと遊んでみたらどうか。」
「毎日訪ねてきてもいいだろうか。」
意味がわからないほどまっすぐに、そんなことを言い続けられた。
美味しいお茶を苦くして出してみたり、盆栽の木を折ってしまったと嘘をついてみたり、町に行くと約束した日に仮病で寝込んだふりをしてみたり。
そんなことを繰り返していたはずなのに、毎日訪ねてくると言われ、私はなぜか、“毎日来てほしい“と思ってしまった。
それなのに、自分の思いを伝えることはできなかった。
姉が色々と気にかけているという話をされた時、なぜ彼のお姉さんは私を気にかけるのだと思った。
これだけ酷いことをしてきて、それを聞いたはずなのに、なんでそんな相手を気にかけるのか。
正直言って、訳がわからなかった。
でも、その意味はお姉さん本人と会った時に初めてわかった。
「いつも弟に安らぎを与えてくれてありがとうございます。」
その人は、そう言った。
私がしてきた数多くの悪戯を、凪翔さんは疲れを晴らしてくれると話していたらしい。
今でこそお茶を飲みあって話をしていく友人のような関係になっているけど、心地良いと思えるこの関係ができたのは、凪翔さんが私を諦めないでいてくれたおかげだ。
そして、そんな凪翔さんに本当のことを言って欲しいと言われている。
だから、私はこの答えを返す。
「━━━━私は、この家が好きですから。」
手放したくないものを護るために、私はこの決断をする。
もしも、こんな苦しい運命を背負っていなければ、この居心地のいい世界で過ごせただろうか。
もしも、この身を水神に捧げなくて良いのなら、もっと長く生きられただろうか。
届くことのない願望が、胸の中を反響する。
そして今、乱暴に立ち上がった彼を見て、私は安堵する。
隠し事ばかりの私のことなんて、嫌ってもらいたい。
あなたを危険に晒させないためなら、私の苦しみなんて安いものだ。
そう思ったはずなのに、立ち上がった彼は扉の方には行かず、私の方に歩いてくる。
「なん………で………」
頬に、一筋の熱が流れる。
次の瞬間、私の身体は床に押し倒される。
後頭部がしっかりとした腕に守られていることを理解する間に、私はすぐそこにある凪翔さんの目に釘付けになる。
言葉を発そうにも、身体を動かそうにも、思考が回っていかない。
「君が僕に嫌って欲しいと思うなら、僕は君をもっと嫌えなくなる。
その身に背負った使命がなんであろうと、僕が君の未来を保証するから。
だから、話してほしい。
1人では無理でも、2人ならどうにかできるかもしれない。」
絶対に言ってはいけないと、言ったら後戻りできないとわかっているのに、私の口は勝手にその言葉をこぼす。
「私は━━━━━」
そう言いかけた瞬間、遠方で爆音が響く。
驚く間も無く、置かれていた刀を手にした凪翔さんが家を飛び出していく。
「ここで待ってて!」
「待って━━━━━!」
後を追おうとした私の体は、空から滝のように落ちる雨と風によって玄関から押し返された。




