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湯冷め

湯から上がると、白く曇った湯気の中に、ほのかな木の香りが漂っていた。壁際に並ぶ桶の上から、ぽたり、と湯が落ちる音が静かに響く。足元の板張りはまだ温かく、湯の余韻を吸い込んでいるようだった。

脱衣所に戻ると、柔らかい布地の浴衣が用意されており、袖を通すと少し冷えた空気が肌を撫で、火照った身体に心地よい。鏡越しに見える自分の頬は、わずかに赤く、湯の気がまだ残っている。



「どうでしたか?」脱衣所から出ると、長めの木造りの椅子の上に腰を掛けながら、陽凪さんが瓶を傾けて言った。中身は白濁した液体━━━神牛乳と呼ばれる飲み物らしい。

見た目は変わらないが、やはり神と名がついているからか、普通の牛乳と比べてもなんとなく美味しそうだ。彼女はそれを一息に飲み干すと、息を吐いた。「……ぷはぁ。いつ飲んでも美味しいですね。」

そう言いつつ、手にしていたもう一本の瓶を僕に手渡してくれる。

「身体の内側まで温かくなりますよ。」

言われるままに瓶を受け取って一口。ほんのり甘く、まるで湯気の香りをそのまま味にしたようだった。

冷たいはずなのに、本当に身体が温かくなっていく。喉を通った瞬間、湯の熱とは違う温もりが胸の奥へと静かに広がっていく。そんな感覚だ。

「わかっていただけたみたいで何よりです。」と陽凪さんが満足そうに頷いた。


「そういえば、髪をほどいている陽凪さんって初めて見ました。」

縁側で隣に座って月を眺めている彼女を見て、今更ながら僕は言う。

「そもそも、私と一緒にお風呂に入る人なんていませんからね。

もちろん、私が頼んでも入ってくれないと言う意味ではなくですよ?」

ここが1番大切なところ、と言うように彼女は指を立てる。

「でも、お風呂入ってすぐなのにこれは戻らないんですね。」

今も今とてぴょんと立っているアホ毛をつついてみる。

「やめてください!やってることがセルフィスさんとロックと同じですよ!」

頬を膨らませてつつきを回避する陽凪さんを見て、僕は笑う。

「まぁ、ロックも僕もセルフィスさんと過ごしてきたわけですから似るのは当然ですね。」

攻防を繰り広げながら答える。

「………こう言っては失礼かもしれませんが、それにしてはしっかり者に育ってませんか。」

わお、ホントに結構失礼なこと言い始めた。セルフィスさんが聞いたら拗ねそう。

と思いつつも、事実であるため僕は言葉を返す。

「セルフィスさん以外にも、もう1人一緒に過ごしていたルーベルナさんっていう神様がいたんです。

………隠離世に来る直前に、死んでしまったんですけどね。」

それを聞いて、陽凪さんは俯く。

「すみません………こんなことを聞いてしまって。」

悲しそうな目をした彼女に、僕は慌てて大丈夫と言って慰める。

「あ、そうだ!なんで陽凪さんはお姉さんらしさがないお姉さんになったんですか?」

「なっ……みんなのお姉さんだって言ってるじゃないですか!」

気まずくなるのを避けたのか、いつもの調子を取り戻した陽凪さんに反論される。

「そんなに信用できないならわからせてあげます!」

……え?

僕の肩を持ち、強引にその場に僕を倒す。

しかし、頭が硬い木の床にぶつかることはなく、代わりに訪れた感触は柔らかいものだった。

「えっと………どうしたん……です……か………」

目を開くと、月の光を受け優しく微笑む陽凪さんの姿が映る。

「ふふっ。メルぺディアくんもまだまだお子ちゃまですね。

膝枕をして心地良さそうにするのは子供あるあるですよ。」

そんなことのために無理やり僕を倒したんかい。

そう思いながら、僕は起き上がる。

「あら、もういいんですか?」

「はい。これ以上子供扱いは嫌なので。」

そうは言ったものの、実際は少し違う。

なんというか、サレナに申し訳ないような気がしてきたからだ。

そして、僕たちは再び横並びに座る。

…………いやいやいや!ちょ待てよ!

身体が冷えてきて冷静になったせいか、今までの行動が頭おかしいことに気づく。

普通にお風呂入ったけどこれ問題じゃないか!?

声にならない叫びをあげ頭を抱えていると、誘導した本人はまったりした声で言葉を漏らす。

「こうしてると、あの頃を思い出しますね。」

その瞳からは、今は無き何かが滲んでいる。

それは、前に神社に行ったときと同じような瞳だ。

「昔も、よく2人で来てたんですか?」

僕の問いに、陽凪さんは静かに頷く。「ええ。幼い頃。毎日のようにここに通い詰めていました。」

言葉が途切れる。夜の風がそっと肌を撫で、湯上がりの熱を少しずつ奪っていく。それでも、心の奥には確かに残る温もり━━━━━湯でも、牛乳でもなく、今こうして隣に人がいるという温かさだった。

そして彼女は立ち上がり、肩を軽く叩いて言う。「冷える前に帰りましょう。明日はまた早いんですから。」「はい。」と答えながら、もう一度だけ夜空を見上げた。

湯気のように淡く、しかし確かに残る光が、まだ覚めきらない夢のように月の下で揺れていた。



「そんなことが………」

彼が歩んできた人生の話を聞き、私は言葉を失っていた。

初めて会った日の夜、励まそうと思って話をしたこともあったが、メルペディアくんの性格が少し違えば今の関係は無かったかもしれない。

それを思い出し、馬鹿な自分にため息をつく。

「でも、そんなに心配することはないわ。

きっとあの子も、ルーベルナが何を望んでいたのかわかっているはずだから。」

確信しているように、目の前に座る神様………セルフィスさんは言った。

「というか、銭湯の管理って誰がやってるの?メルぺディアが気にしてたんだけど。」

「え?あぁ、確かにお話してませんでした。

あそこは神様がよく利用する場所でして。

純粋な心を持った者でないと入れないという制限があります。

今日は貸切にしてもらいましたけどね。」

「か、貸切とかできるんだ………」

「もちろんです。隠離世を治める巫女ですから。」

「それ、職権濫用って言うんじゃない?」

冷静なツッコミを受けながら、私は苦笑する。

でも、それならここに彼らを招いたのは正解かもしれない。

隠離世は、心を休めるためにはこれ以上ないほど良い地なのだから。

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