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エンゲブラ的短編集

赦されてしまった殺人の話。

作者: エンゲブラ

この作品の舞台は日本ではない。

おそらく、中南米あたりのどこかの国での話だろう。



それは些細な事故だった。

まったくもって故意ではない。

だが、どうやら私は、他人を殺してしまったようだ。

赦される話ではない。



寂れた公団住宅のベランダ。

いつものように洗濯物を取り込んでいると、やけに足元が汚れていることに気づき、掃除をすることにした。とりあえず、邪魔な鉢植えをベランダの手すりに置く。危ないのは分かっていた。だが、すぐに片付け終わるつもりだった。私は慎重で、器用な方であるとも自認していた。だから、本当にヘマをしでかすとは、思いもしなかった。


だが気付くと、隣の部屋の住人が飼っているらしき子猫が、手すりを伝って、こちらのベランダへ。危なっかしい足取りで思わず手を差し伸べた、その瞬間、無情にも鉢植えは落下した。


―― グシャッ


想定よりも鈍い音。嫌な予感しかしない。

恐る恐る、地上を見下ろすと、みるみると広がる赤黒い血の海。そして、それを取り囲む数名の男女の姿が……。


「うっ、うわああああああああーーーーっ!!!」


私は思わず悲鳴を上げ、腰を抜かした。


―― や、やってしまった!やばい!やばい!!これで私の人生は終わりだ!!なんでなんだよ!!


「にゃー?」


子猫が愛らしい声で、首を傾けながら、私を見つめていた。



「くっ、くそぉぉぉぉぉっ……!」


力の入らない足で、何度も転びながら、それでも全力で階段を駆け下りた。止まらない涙と鼻水に溺れ、嗚咽し続けながら。


私が住むのは、地上十階。

だが、備え付けのエレベーターは、とうの昔に故障し、止まったまま。立ち退きを迫られ、それでも行き場のない住人たちが、わずかに残るだけのボロボロの建物だった。



「―― やってくれたねー、君!」


男5名に女2名が、血の海を囲みながら、私を見つめ、ひとりの男がそう言った。


「わ、わざとじゃないんです!こここ、これは本当に事故でして……」


私は、そのまま地面に突っ伏し、土下座した。


「いやぁ、良い仕事をしてくれたね!」


「すべてが完璧だ」


「さすがは<聖人>と呼ばれる男だけのことはある」


「…………へっ?(……これはいったい、どういうことだ?)」


嬉しそうに、私の頭の上から語りかけてくる彼らの言葉に、理解が及ばず、私は、さらに真っ白になった。



要約すると話はこうだ。――


鉢植えの直撃で死んだ男は、国家公安部の「私服刑事A」だという。Aは、潜入捜査から悪に染まり、マフィアとも懇意にしていた典型的な汚職刑事。最初にここにいた男女四名は「小さな犯罪」の発覚から、Aからずっと強請りを受け続けてきた、いわば「被害者」だという。日に日にAからの要求がエスカレートし、いよいよという段階にまできていた最中、天から鉢植えが降ってきて、Aが始末された。だから、私には大変感謝している。


―― という。


いやいやいや、ぜんぜん何も解決していない!

私が殺してしまった、この男が、よりによって公安の刑事だって!?


気が付けば、Aの死体を取り囲む数が、さらに増えていた(おそらくはこの公団に住む人々だろう)。だが、警察や救急の車両がやってくるような気配は、未だにない。


「ざまあみろ、この野郎!」

ツバを吐きかける男。


「天罰が下ったのよ、このまま地獄に落ちなさい!」

死体に蹴りを入れる老婆。


次々に、遺体に罵声を浴びせかけ、歓声を上げ、私に拍手を送りながら、散っていく人々。


自分がやらかしてしまった取り返しのつかない事故。それが想定外にも住人たちから賞賛されてしまい、私は呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。


「まあ、心配はするな。この男が死んだことで警察から詰められることはまずないから。何せ、こいつは今この国にいるはずのない、いわば<透明人間>だからな。いるはずのない人間の死体を使って、君を追い込むことは警察にも出来ないことだからな」


「……どういう意味ですか?」


「こういった潜入捜査なんかをする連中は、すべてがフェイクなのさ。この男の本当の戸籍の名前の存在は、いま海外で働いていて、身代わりも立てているから、たとえこいつが死んでも、身元不詳の遺体としてしか、警察も処理できないって話だ」


「な、ならば、なぜ、貴方たち自身の手で、この男を殺さなかったのですか?」


「そ、そりゃぁ、まぁ……警察よりも、こいつの背後にいるマフィア一味の報復が怖くてな……」


「ひっ!」


全身が硬直した。

よりによって、マフィアからの報復とか、警察に捕まるよりもひどいじゃないか!


「そこはまあ、<聖人>の息子で、自身も聖人と呼ばれている君の徳を見込んでだな……」


「何なんですか、その<聖人>って?さっき、他の方も口にしていた言葉ですが」


「君は知らないかもしれないが、君の父上はマフィアも認める、誰に対しても分け隔てのない<聖人>だったのさ。今、マフィアになっている連中にすら、君の父上には感謝している人間が多い。そして、君も若くして亡くなられた父上そっくりに、脛に傷のある者しか住まないこの公団で、誰にでも分け隔てなく接し、無私の手助けをしてくれる聖人として、噂になっていたのさ」


「……へ?」


父のことは、ほとんど記憶にない。

ただ、彼の葬儀には、町中の人々が集まったのかというくらい、弔問客が訪れたのは、幼心にも覚えていた。その後、私たち家族は引っ越し、この町を出た。そして三年前、私だけがこの町に舞い戻り、最も安かったこの公団住宅に移り住んだのであった。


「ほとんどが不法占拠の住人たちの中で、君だけが家賃を払い続け、廊下の掃除や他人のゴミ出しまで手伝っているというじゃないか。そんな人間、君以外に、この町のどこにいるってんだ?」


自分にとっては当たり前の行動が褒められ、少し照れ臭かったが、問題は何も解決していなかった。


「だ、だからといってマフィアが、私を見逃してくれるとでも?」


「そこはまあ、あれがちゃんと事故であったということを証明するために、カメラも回しているから……」


「カ、カメラ?」


「君の部屋のベランダは、隣の部屋の住人がベランダに仕掛けた防犯名目のカメラに、いっしょに映り込んでいる。あれが事故だという証明は、そのカメラがしてくれるという塩梅さ。だからまあ、マフィアもさすがに見逃してくれるだろう。なにせ君は我々と違い、清廉潔白な男なのだから」


男の言葉に唖然とした。

カメラが仕込まれていた? 

あの子猫は、もしかして、隣の住人からの「罠」だったのか?


どこから、どこまでが共犯なんだ?

もしかして、この公団に住む人間の大半だとでもいうのか?


「悪いが、子猫の登場も偶然ではない。君が掃除をする際に、邪魔なものをすぐに手すり等のへりに置く癖は、廊下の掃除などでも確認済みだ。君の部屋のベランダを汚したのも俺たちの仲間だ。君がベランダに出る時間も、必ずすぐに掃除するであろうことも俺たちは知っていた」


―― 何から何まで、仕組まれていたのか? だとしても


「だとしても、鉢植えが都合よく、彼の頭に直撃する確率って、いったいどのくらいだと言うのだ?そんなものを当てにして、こんな意味の分からない計画をこの私に仕掛けたとでもいうのか?」


「……ああ、その通りだ。絶対に<偶然>でなければならないからな。君を巻き込む限りは、君の安全も考慮して……」


(……安全を考慮して?)


「さっきここにいた赤い帽子の男、アイツが言ったんだ。『あ~あ、天から鉢植えでも振ってきて、頭に命中し、死んでくれね~かな、Aのやつ』ってね。それにみんなが乗った、というわけさ。確率的には極めて低いが、もしそれが本当に成功すれば、それは<本物の天罰>で、神は俺たちを見捨てなかったということにもなるだろう、ってね。これは一種の賭けだったんだ。そして俺たちは勝った!」


私は、絶句した。

そんな馬鹿な計画が本当に成功したというのか? それも私自身の手によって??


「念のために、君がここを離れるための逃走資金も、みんなから集めている。出て行くなら早い方がいい。すぐに君の<事故>に対する弁明は、マフィアにもするつもりだが、しばらく身を隠した方が安全だろう」


そう言い、茶色い紙袋を私に手渡した男。

袋には、グシャグシャで単位もバラバラの紙幣が、数百枚ほど乱雑に詰め込まれており、底の方では、どうやら数枚のコインらしき音も聴こえた。


「……何をしている? 早く逃げなくてもいいのか? 何なら俺たちのことを殴ってくれてもいい。俺たちはそれだけのことを君にしたんだからな」


私はためらった。

怒りがないわけでもないが、私は生来、誰ひとりとして他人を殴ったことがなかった。それに仕組まれた事故とはいえ、実際に鉢植えを落とした私の罪が消えるわけではない。そんな行為は、無意味でしかなかった。


「逃げるんだったら、途中まで車も出すぞ?どうするんだ?」


「……私は、此処に残るよ」


「「「「「はっ?」」」」」


男といっしょに、この場に残っていた、のこりの三名も、いっしょに声を上げた。


「私が事故を起こしてしまったのは、紛れもない事実だ。たとえそれが『仕組まれたもの』であったとしても、ね。だから私は、このまま此処に残るよ。マフィアが私を始末しに来るのなら、それはそれで罪に対する当然の報いだ。本当に君たちの言うようにマフィアが私を見逃すのなら、それもまた<天の赦し>ともいえるのかもしれない……」


「いや、待ってくれ!さすがにこのまま、ここに残るのは不味いだろ!しばらくの間でも逃げてくれ!君の無実の罪は絶対に俺たちが晴らすから!後から帰ってきたってかまわないんだ!とにかく身を隠してもらわないと、俺たちの気分としても晴れないから!」


「ねぇ、お願い!途中までいっしょに私たちも送るから、お願い!」


皆が慌て、相談しだした。

だけど、私の決断は変わらなかった。



―― <事故>から、二か月後。ひとつのニュースが流れた。


地域のマフィア組織のメンバーたちが、「捜査中に非業の死を遂げた」潜入捜査官の調査の甲斐もあり、一網打尽に逮捕されたというニュースである。


あの日、気付くと、いつの間にか、Aの遺体はどこかに消えていた。夜には、大雨が降り、翌朝には、おびただしい血の海の跡も、きれいさっぱりと無くなっていた。


そして、彼らの言ったとおり、警察はまったく動かず、またマフィア側からの接触も、私にはなかった。


私は、いまもこうして、この公団に住んでいた。

消えない罪への罰を探しながら、時折、ベランダから事故のあった地上を見下ろし。


その度に、隣の住人や、階下に住む連中が、私の部屋の扉をノックし、「早まるな!」と外から叫ぶ。そして、子猫も少し大きくなり、今は私の足元で腹を見せながら、寝転がっていた。


挿絵(By みてみん)


かなりダイジェスト的に見える作品かもしれないが、筆者にしては頑張った方だ。二千文字前後を想定して書き始めたが、四千文字オーバーは、筆者の短編にしては最長だろう。

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― 新着の感想 ―
 主人公は幸か不幸か、善良であり過ぎたのですね。だからこそ、他の人間たちには彼が天使のように見えたのでしょうが。  こういうお話は、すっきりと無駄のない文体で、サクッとオチまで一気読みすることが出来る…
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