2日目 手紙を書くご令嬢
目が覚めると、そこは豪奢なベッドだった。
「昨日まではクリスで、下町のアパートの簡素なベッドで寝てたのに……」
混乱しながら身を起こすと、ハラハラと金糸のような髪の毛が肩にかかる。顔を上げて、近くの鏡台の鏡を見る。下町には決してない磨き上げられた一枚の大きな鏡。そこに映るのは美しい少女だ。
美しいが、鏡のなかの自分の瞳に覇気がない。体もなんとなく気だるい。昨日までの、体の中から沸き上がる、子ども特有のエネルギーのようなものをまるで感じないのだ。
ゆっくりとベッドの端まで移動し、ふらつかないようベッドの枠にすがって体を支えながら床に足を下ろす。
頭の中には確かに昨日までクリスだった記憶があるが、今のこの気だるげな美少女の記憶もちゃんとある。名前はナターシャ。貴族の令嬢だ。
「手紙……。手紙を書かなきゃ」
口から無意識にこぼれ出る言葉に、返事をするようにうなずく。そう。手紙を書かなきゃ。クリスなんてどうでもいい。今は大切なことをしなければ。
私は大事なことをしているのだ。毎日、毎日、手紙を書いている。宛先は、この地区の区長。内容は、陳情書。
「何度も言っているのにまるで変わりはしない」
デスクから立ち上がり、窓際に行って外を見る。通りはごちゃごちゃして、ごみ箱をひっくり返したような景色だった。実際変なにおいもするので、窓は閉めたままにしておくようにときつくメイドに伝えてある。
『番犬にはタキシードを着せるように』『大通りには花を飾るように』。毎日このコーディアルの町をよくする案を書いてあげているというのに、愚鈍な大人たちはまったく動こうとしない。汚い町は変えなくてはならない。
手紙を書いていると、ドンドン、と戸を叩く音がする。ほんと、大人は私の邪魔ばかりをする。
「お嬢様。今日こそきちんとご飯をお召し上がりになってください!」
「食べているわよ」
「お嬢様、昨日お召し上がりになられたのはケーキです。お茶菓子です」
あれは美味しかったわ。
「また同じものをもってきて」
メイドに命じる。
何かまだ戸の外で声がしていたが、主の言葉にすぐ対応しない使用人の言葉なんて聞く必要はないわ。
今の私はきれいな服を着られて、庶民じゃ食べられない美味しいものを食べて。社会的に意義のあることも熱心にこなす。
「なんて素晴らしい日常かしら」
昨日のクリスだった一日はなんだったのかしら。ナターシャになれてよかった。明日が来るのが楽しみだわ。充実した日々に感謝しながら、手紙を何十通も書いて疲れた私は、ケーキを食べてベッドに横たわった。
そして翌朝。
また違う場所で目が覚めた。埃と鉄の匂いのするベッドだった。