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アニスはのんびり暮らせない 1

「白いー、帽子のー、あなーたー」


 大魔女・マーロウの庵にて。

 ちょっとばかり調子の外れた、けれど澄んだ明るい声の歌声が紡ぐのは、今年の春に王都で流行った芝居の流行歌だ。


「青ーいーひとーみでー、わたーしをみつーめたー」


 裏庭を望む部屋の窓辺の椅子で歌を口ずさみながら、アニスは針を持つ手を器用にすいすいと動かしていた。


 今朝で、アニスが王都を出て一週間が経った。

 その間、彼女はしばらく「のんびりと暮らす」ため、あちらこちらに連絡をして、長く休むための整えていた。その最後の手配が昨日終わり、今日からは正真正銘の、「悠々自適なのんびり暮らし」である。

 とはいえ、王都の集合住宅はちょうど数ヶ月分の家賃の先払いをしたところだったし、やったことと言えば、得意先や友人たちにしばらくこちらにいる旨の手紙を出したくらいだ。そして一応、元恋人の男にも、けじめとしての別れの言葉と、前途を祝する言葉の両方をしたためた手紙を送っている。


 とはいえ、セージに手紙を出すかどうかは、半日ほど迷った。

 自然消滅したと思っていた相手から別れの手紙が届いたら、相手はどう思うだろう。ああそうか、と思うのだろうか。何を今更、と思うのだろうか。それとも何とも思わないだろうか。そして、もしも別れを承諾する内容の返信が届いたなら、自分の心はどうなるだろう。そんな事を考えて、出すのを躊躇ってしまったのだ。

 結局最後はええいままよと手紙を配達人に託したのだが、すっきりしたような、取り返しの付かないことをしてしまったような、何とも腹の底の落ち着かない複雑な気持ちになって、それは今なお続いている。

 それに、あの日あの瞬間は、この野郎ひっぱたいてやる! と血の気が昇ったが、この数日の冷却期間を経て改めて考えてみると、半年何の連絡もしなかった自分もかなり不義理だったなと思い始めていた。

 友人であれば、半年に一度くらいの付き合いでも構わないかもしれないが、別れたくない恋人だと思っているのならば、もう少しこちらからマメに連絡をすればよかったのだ。

 あんな顔を見たことがない、と思ったことだってそうだ。それを引きだそうと相手に働きかけたことが、果たして自分にはあっただろうか。付き合いが長くなるにつれ、相手への対応がどこかおざなりになってはいなかったか。

 ……つまるところ、この失恋には自業自得な面も多々あるのではないか、と思えてきたのだ。


 そう思うのに未練がましく思い返してしまうのは、ここが静かで穏やかで、考え事を邪魔される要素が少ない土地だからだろうか。


(……まあ、一応、四、五年は付き合ったんだもん。結婚するならあいつになるのかな、って思ってもいたし。良い思いでもまあ、あるし)


 魔術馬鹿で付き合いの悪い、身なりも適当な男だったが、魔術について語る時に少年のように夢中になる姿を好ましく思っていたし、魔術の解釈や魔法陣について語り合うのはとても楽しかったのだ。

 たまにはデートでも、といって王都の植物園へ向かい、温室の魔術機構に目を留めて語り合ってしまい、結局閉園までほとんど植物を見なかった話などは、その後もしばらく、ふたりの間で笑い話になった。

 ならば今度こそと美術館に向かえば、運が良いのか悪いのか、古代文明の魔術紋様展が開催されていて、ふたりとも夢中になって展示室ではぐれ、そのまま閉館時間を迎えてしまったりした。

 そんな、他の人が聞けば呆れてしまうような、けれどふたりの間では笑い話になるような思い出が、振り返ればそれなりに見つかる。

 手紙を書いている間にそんなことばかり思い出してしまって、ここ数日は目元が涙でかぶれ気味だ。


(……ええい、未練がましい! もう手紙だって出したんだから、今更思い出に縋って何になる! こんなときは……そう、魔法陣よ!)


 田舎でのんびり暮らしをするのではなかったのか。


 本末転倒ではあるが、残念ながらこれが装飾魔女のアニスである。

 そんなわけで彼女は己の気を紛らわせるべく、今朝から糸と針を持ち、手慰みの装飾魔術に精を出しているのだった。


「バラー色のーほほー、赤ーいーくちーびるー」


 歌いつつ、魔力を針に乗せて縫い進めるアニスの手元にあるのは、小鳥の形に切られた子どもの掌ほどの大きさの布だ。そこにはアニスが装飾魔法陣を小鳥の形にアレンジした、愛らしい刺繍が施されている。

 ひとつの布には、赤い小鳥が。もうひとつには、緑の小鳥が。翼の部分は美しい唐草模様で、尾羽は木の葉の模様だ。瞳には小さな魔石をビーズにしたものが刺されている。


「やさしーいーあなーたー」


 アニスは歌いながら、ふたつの小鳥を縫い合わせる。そしてその中に綿を詰め込むと蓋をして、綿入れ口をかがれば、その手の上に現れるのは、ふっくらとした小鳥の形のオーナーメントである。

 ぶら下げられるようにリボンの持ち手がついていて、お腹の側にはふさふさのタッセルが縫い止められている、なかなか素敵な逸品だ。


「あにすーう! まほうじん、みしぇてえー!」


 良い物ができたのでは、と自画自賛していたところで小さな子どもの高い声が響いて、アニスはその内容に思わず苦笑した。

 アニスが魔法陣を描く姿を見てから、魔法陣に夢中になっている小さな妹弟子ミシェールは、隙あらばアニスに魔法陣を描かせようとして、ここ数日つきまとっているのだ。

 余りにも「みせてみせて」と繰り返すものだから、ちょっぴり辟易してしまい、少しでも自分の時間を確保しようと、アニスはマーロウの許可を取って、ミシェールに『魔術文字』を教え始めた。

 先ほどまでは、蝋石と石版を膝に抱え、アニスが子どもの頃に使っていた魔術文字の教科書とにらめっこしていたはずなのだが、おそらく飽きてしまったのだろう。


(まあ、この子の突撃に、救われてるところもあるからなあ……)


 夜更けにアニスが思い出に沈んでいると、「ねむれないからまほうじんみちて」と寝台に潜り込んできたりするものだから、ずっと鬱々とし続けないで済んでいるのだ。

 昼間だって、三歳くらいの子どもを目で追いかけるのは想像以上に忙しく、悩んでいられる時間が少ないのだ。


「……はいはい、ちょっと待ってね」


 窓からひょこりと中を覗いてきたミシェールの舌っ足らずで愛らしい声に返事をし、アニスは最後の糸をパチンと切る。そうしてできあがったオーナーメントをミシェールの前でゆらゆら揺らし、アニスはにっこり微笑んだ。


「はい、完成!」

「わ……!」


 差し出されたそれに、ミシェールは目と口をまあるく開く。

 餌を待つヒヨコのようなその仕草に、アニスは小鳥のオーナーメントのくちばしでミシェールの頬をちょんと突いて、「こんにちはミシェール、ぼくはことりのピヨだよー、ミシェール、お口が開いてるよー」とおどけてみせた。


「かわい……!」


 頬に当てられた小鳥を受け取り、ミシェールはその愛らしさに頬を染める。


「ふっふー、でしょうー? でもそれだけじゃないのよ。この小鳥さんの模様はね、魔法陣の一種なの」

「まほうじん!」


 にこにこしながら小鳥のオーナーメントをもみもみしていたミシェールは、ぱっと瞳を輝かせて小鳥に見入った。アニスはミシェールの前に膝を突いてしゃがみ、ミシェールの手の中で早くも揉みくちゃにされていた小鳥の翼の刺繍を、指でなぞる。


「この羽のところはねえ、バラの蔓を魔法陣にしたものなの」

「ばらのつる?」


 こてん、と首を傾げるミシェールに、そうよ、とアニスは浅く頷く。


「森の中にある野バラの蔓を、触ってしまったことはある? あれ、とげとげしてとっても痛いでしょう」

「……うん」


 苦いものを間違って口にしたときのような、ひどい顔をするミシェールは、たぶん棘で痛い思いをしたことがあるのだろう。その表情に小さく噴き出して、アニスは言葉を続ける。


「バラのお花や実を摘むときには痛くて困るあのとげとげだけれど、あのとげとげがあるから、森の獣もバラを襲わないの。賢い小さな獣は、大きな獣から逃げるときあの茂みの中に隠れたりするのですって。だから、このくるくるの模様には、持ち主を守る意味があるの」

「ほわあ……」


 なんとも言えない声を出し、ミシェールが小鳥の翼に釘付けになる。その視線を指先で誘導し、アニスは次いで、小鳥の尾羽の部分を指し示した。


「それでね、この尻尾は、葉っぱの模様を魔法陣にしたものなんだけど、分かる?」

「わかる。このはっぱは、もりでみる」


 ミシェールが神妙な顔をして頷いた。

 魔女の庵の裏から広がる広大な森には、精霊が宿ると言われる楢の巨木オークがある。

 木こりや狩人、森番たちには『ぬし』と呼ばれていて、町で赤子が生まれると、三ヶ月目で加護を願って詣でるほどの、立派な木だ。


「ミシェールはいい目をしてるわねえ。この葉っぱは、ここの森の精霊様の樹の葉っぱ、って言い伝えられている葉っぱなんだよ。森に入る人を守ってください、何かあったらお助けください、っていうお願いの模様なんだ」


 マーロウの魔法陣依頼にあった『赤子が森の加護を得られるように祈る』ものにも、アニスはこの楢の巨木に関するモチーフをふんだんに使った。今回は、その葉の形を鳥の尾に見立て、加護を願う魔法文字を組み込んで刺繍にしてみたのだ。

 実は、色や糸を染めた染料の素材、生地の種類や縫い針に込められた魔術、針子の持つ魔力なども複雑に影響し合うのだが、それを説明するのはミシェールがもう少し大きくなってからになるだろう。


「ふうん……」

「ミシェールは森によく行くみたいだから、何かあったら森の精霊様に助けて貰えるように、お守りね」

「ありあと」


 説明を聞いたからだろう、ミシェールは小鳥の刺繍を改めて、しげしげと眺めている。

 そんなミシェールの姿を眺めながら、アニスは自分の背中にそっと手を伸ばした。


「そうだミシェール、今日はね、わたしのお友だちをあなたに譲ろうと思うんだけど、大事にしてくれる?」

「おともだち……?」


 お友だちは譲ったりできるものではないのでは。

 そんな真理を言いたげなまなざしに、アニスは苦笑しつつ、己の背中側に隠してあった「お友だち」を持ち上げて、ミシェールの前に差し出した。

 無地や花柄、チェックなど、何色かの端切れを縫い合わせて作られた、ミシェールの三分の一ほどもある大きさのぬいぐるみである。それは、幼い内に親元を離れて魔女に弟子入りした歴代の姉弟子たちの心を慰めてきた、歴史ある逸品だった。


「わあ!」


 ミシェールは目を輝かせ、アニスからクマを受け取って、ぎゅっと抱きしめる。


「この子はわたしが子どもの頃のお友だちで、子グマのガオーっていうの」

「がおー……?」


 たいへん、微妙な名前だ。ミシェールもそう思ったのだろう、なんとも言えない顔をしている。アニスとて、子どもの頃の己のネーミングセンスは一体どうなっていたのだ、と頭を抱えたい。

 もっとも、今だってさほどネーミングセンスが良いとは言えないのだが。


「この子はね、わたしも姉弟子から譲ってもらったんだ。新しい妹弟子ができたら譲ってあげてね、と言われていたんだよ」

「おー……」


 ミシェールは小鳥のオーナーメント同様に、子グマのぬいぐるみをしげしげと眺めた。

 残念ながらこれはただのクマのぬいぐるみで、魔法陣が仕込まれたりはしていないのだが、どこかにあるのではないかと気になるのだろう。彼女は子グマを縦にしたり横にしたりひっくり返したり、あちらこちらを見分している。


「譲って貰う時に、お名前を新しくつけるのが習わしなんだけど、ミシェールはなんて名前にしたい?」

「……がおー?」

「……好きな名前を付けていいよ」


 忖度不要、と告げれば、ミシェールはしばらくウンウンと悩み、最後にぽん、と手を叩いた。


「……せおどあにせいにする!」

「せ……せおどあにせい?」


 なかなか子グマらしからぬ名前に、アニスがオウム返しに聞き返す。ミシェーは胸を張って鼻をふんと膨らませると、「せおどあにせい!」ともう一度繰り返した。


「ふだんは、てでぃってよぶ!」

「ああ……セオドア二世、通称テディってことね」

「うん」

「……でもなんで、セオドア二世?」

「くまといえば、せおどあだから」

「他にセオドアっていうクマがいるの?」

「うん」


 何故だか自信たっぷりにそう言うミシェールだが、アニスには『セオドア』なるクマの物語は覚えがない。しかし、重要なのは本人の意志だ。

 ガオー改めセオドア二世となった子グマと、それを抱えたミシェールに向き直り、アニスは重々しく頷いた。


「では、今日からガオーはセオドア二世になります。ミシェールのお友だちとして、仲良くしてね」

「うん!」

「小鳥さんは、リボンに紐を通して、ミシェールのお洋服にぶら下げておこうか。そうしたらなくさないでしょう?」

「うん!!」


 よい子のお返事をしたミシェールは、前掛けのリボンに小鳥のオーナーメントが結びつけられると、元気いっぱいに飛び出していった。

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