アニス、故郷に帰る 2
ストーリーの切れ目の関係で、ちょっと短めです。
「ミシェール? どこー?」
(……この庭も、変わんないなあ)
ミシェールを探して庵の周りを歩きながら、アニスは庭の風景に目を細めた。
魔女の庭は、薬草や魔草に溢れている。中には毒草も混ざっているので注意が必要だが、秋の庭は色を変え、美しい黄金に染まっていた。
喉に良いジャムや飴が作れる柑橘の実に、毒があるが美しい赤い実、魔法陣を描くインクに使われる青や紫の実。霜が降りて枯れた葉もまた、魔法薬の材料になる。魔女の魔力を帯びた草木は色美しく豊かで、少し妖しい。
その合間で風に揺れるブランコは、アニスの前の姉弟子が幼い頃に、魔女にねだって作って貰ったものだという。その下に転がっているジョウロは、ミシェールが置いたものだろうか。
(……なんか、なんともいえない味のある庭だよね)
アニスは立ち止まり、辺りをぐるりと見渡した。
町外れにある魔女の庵の裏庭は、そのまま森に繋がっている。森の浅いところに庵がある、と言った方がいいかもしれない。
魔女らしい庭の植物たちは森の恩恵を受け、雑然としているが健やかだ。王都の整えられた庭や公園では見られない、自然の姿がそこにはある。
(……魔女の庭をイメージしたモチーフで、陣を組むのもいいかもしれないな。美しい秋の模様になりそう。ドレスの裾、壁紙、本の表紙にどうかしら。毒草は転じて薬になるし、柑橘はそのまま豊穣に繋げられる。青い実は知性を、蔓草は守護を、紫色の実は魔術を表して——)
自分の思考が仕事の方に流れ始めたことに気がついて、アニスは目を閉じた。
(待て待て。しばらく自分の仕事はしない、仕事はしない……!)
ぐりぐりとこめかみを揉んで、頭から仕事に関するイメージを追い出す。それから深く息を吸い、ミシェールを探して再び歩き始めた。
「……ああ、いたいた!」
そこから何歩も行かないうちに、アニスは庭の植え込みの影に座り込んでこちらをうかがっている、ミシェールの姿を見つけた。
「こんにちは。そっちに行ってもいい?」
いきなり距離を詰めず、まずそう声を掛けてみる。
ミシェールはびくりと身を震わせたが、幼い顔になにやら決意の表情を浮かべ、こくりと頷いた。
(ああ、この茂みだったのか……)
茂みの前にしゃがみ込み、アニスはそこが、幼い頃に自分も隠れたことのある植え込みだと気づく。マーロウに叱られて泣きべそをかき、ここにしばらく隠れていると、彼女の使い魔の黒猫・オニキスが捜しに来てくれたのだ。
みれば、しゃがみ込むミシェールの真横には、黒猫が香箱座りをして、ぴたりと寄り添っている。彼女(雌猫なのだ)は今も子守の仕事をまっとうしているらしい。
(ここ、なんだかすっぽり包まれる感じがして、気に入っていたんだよね。……ああ、でも、さすがにもう入れないか)
藪は一回り大きく育っていたけれど、大人の身体をねじ込むのは無理そうだ。
アニスはしゃがみ込むだけにとどめ、こちらをじっと見ているミシェールに視線を合わせて、にこりと微笑んだ。
「ええと、あなたは、ミシェール、っていうのよね?」
こくん、と言葉なくミシェールは頷く。そうよ、と言いたげにオニキスがなぁお、と鳴いた。
「魔女・マーロウの弟子になったのよね?」
そう問えばまた、こくんと頷く。彼女は自分の置かれた状況を、ちゃんと把握しているようだ。
「ミシェール、わたしもね、師匠の弟子なの。ミシェールにとっては『姉弟子』っていう立場になるわ」
「あねでし?」
(ううーん、声も妖精! かっわいい……!)
初めて聞いたミシェールの声は、見た目を裏切らない可愛らしい高音だった。その少し舌足らずなあどけない声に、アニスは内心でもだえる。
(これは、このぐらい人見知りでいいのかもしれないわ……)
この見た目、そしてこの声。
これでは人買いばかりでなく、碌でもない趣味の人間や、見目の良い子どもを欲しがる貴族などにいつ攫われてもおかしくない。人見知りなぐらいで丁度良いのだろう。もしかすると、そうしたろくでなし対策として、親が言い聞かせてきた結果の人見知りなのかもしれない。
思わず考え込んだアニスに、ミシェールがこてんと首を傾げる。
その仕草の愛らしさに再びアニスは身悶えたが、不思議そうに目を瞬かれ、我に返るとコホンと咳払いをした。
「ええと、姉弟子っていうのは、師匠の弟子の中で、ミシェールより先に弟子になった女の人のことよ。ミシェールにとっては姉さんみたいなものね」
「……あにすも、まじょ?」
「そう。師匠と同じ、魔法陣が好きな魔女だよ。ミシェールはなにが好き?」
「もりがしゅき」
間髪入れずに返されて、アニスはぱちくりと瞬いた。
「森?」
「あい」
「……ミシェールはもしかすると精霊魔術とかに適性があるのかもねえ」
魔女には、己の好きなものに関する魔術が得意になる傾向がある。
森や渓谷など、自然に親しむ魔女は、精霊や妖精と親和性が高く、彼らの力を借りて魔術を使うような術に適性を見せることが多いのだ。
(師匠は精霊魔術は教えられるのかな……)
同じ師に学んだ魔女でも、適性が違うというのはよくあることだ。
マーロウは魔法陣以外の魔法薬や呪文学などにもそれなりに詳しいため、姉弟子たちはマーロウの下で自分の得意を伸ばして独立している人が多いが、一般的には何年か(最初の三年から五年であることが多い)地元の魔女の下で学んだあと、適性にあった魔女のところに修行に出たりするものである。
実際、姉弟子たちの中にも、途中で他の魔女のところに移った魔女や、他からマーロウのところに移ってきた魔女もいたらしい。
「みしぇも、まじょに、なれる?」
ふむ、と考え込んだアニスを、ミシェールが見上げる。オニキスがなぁおとまた鳴いて、ミシェールの膝に頭をすり寄せた。
「なりたい?」
「なりたい」
思ったよりも意志が強い。
きっぱり言い切る姿に、アニスの表情も綻ぶ。
「いいね。魔女になるのに一番大事なのは、自分は魔女だって思う気持ちだって、師匠は言っていたよ」
そして、アニスはミシェールに手を差し伸べた。
「わたしはね、王都から師匠の手伝いにきたんだ。しばらく一緒に暮らすから、仲良くしてくれる?」
ミシェールはこくんと無言で頷き、差し出されたアニスの手に小さな手を乗せた。
「ありがとう。それじゃ、お近づきの印に、ミシェールにわたしの魔術を見せてあげよう。さあ、おうちに戻るよ!」
「あい!」
「いいお返事!」
魔術への好奇心が強いのだろう。ミシェールから上がった今までで一番の『良いお返事』にアニスが笑うと、ミシェールは少しばかり不服そうに頬を膨らませたが、藪から這い出てきた。そして、早く行こうと言わんばかり、庵に向かってアニスの手を必死に引っ張り始める。
アニスはそれにまた笑うと、てちてちと歩く(本人的には走っているつもりだろう)ミシェールをよっこらしょと抱き上げた。その温かさとふくふくとした柔らかさが、少しばかり人恋しい身に染みる。
「きゃあ!」
「……よーし、それじゃあ急ぐよ!」
きゃらきゃらと笑ってしがみつくミシェールを抱え直して、アニスはなぜだか滲んできた目尻の水分を誤魔化すように、勢いよく走り出した。