茨の城 3
切れ目の都合で、前話がすごく短くなっちゃったので、今日は2話投稿です
これの1つ前から読んで頂けると助かります
「駄目です、全然燃えません……」
こちら再び、庵の中である。
アニスは窓の向こうに向かって伸ばしていた長杖――もはや短杖の出力では埒が明かないと、儀式以外ではほとんど使う事もない長杖を持ってきたのである――を下ろし、がっくりと膝を突いた。
隣にふわりと浮かんだマーロウも、己の左右に包丁と手斧を浮かべた物騒な姿で、低く唸った。
「刃物も駄目、火も駄目か。ううむ、さすがは森の精霊の力を借りているだけある。これはついに手詰まりかもしれんな」
「劫火の魔法陣なんて描いたの、習ったとき以来ですよ……」
流石に疲れた、とアニスはぼやいてソファに腰を下ろした。大魔法を何度も撃った疲労のせいか、それともこの茨の魔力のせいか。少し身体を休めようとすると、どうにも眠くなっていけない。
(だめだ、座ると寝る……)
アニスは、油断をするとすぐうとうとと閉じようとする目を必死にこじ開けると立ち上がり、身体を動かして声を上げ、眠気を吹き飛ばそうと試みた。
「師匠ー、どうですかー」
「駄目だね」
その間に、マーロウは己のストックしていた魔法陣や新しく描いたものを軒並み打ち込んだようだが、どれも今ひとつ、成果が出ない。
庵の中の三人を傷つける意図はないのか、触れようとすればするりと避けていく茨の蔓は、ふたりの攻撃をすべて跳ね返してしまうのである。
「こりゃあもう、打つ手無しだね。流石のアタシも、森の精霊の力とは戦ったことがないよ。あれはアタシら魔女にとっては崇めるもんであって、倒すもんじゃないからねえ」
「ですよね……」
「ミシェールがもう少し大きければ、茨に言うことを聞かせられたかもしれないが、流石にまだ、茨に負けちまうだろう。……まあ、この手の呪いは、眠っている間は年も取らなければ腹も減らないもんだよ。最悪、眠って解決するほかないね。……なんだかアタシも、眠くなってきたような気がするよ」
「そんなあ……」
師匠の無慈悲な宣言に、アニスはがっくりと膝を突いた。そうするとまた眠気がやって来て、アニスはなんとか起きていようと、思わず唇を噛む。
ガリ、とあまり優しくない音がして、口の端に鉄の匂いがしたが、それでも眠気が去ったのは、ほんの一瞬だった。
(ああ、このまま眠ってしまうんだろうか。百年も眠ったら、起きたときにはもう、知っている人は誰もいないんだろうな……)
襲い来る眠気に抗いながら、アニスは考える。
(アイヴィも、エリも、ロージー達も……、ディル隊長も、ヴィートも、ヤナさんも、セルフィーユ様も、ヒースさんも……セージも。目覚めたらみーんな、いないんだ)
走馬灯、とでもいうのだろうか。アニスの脳裏に次々と、王都で親しく暮らした友人達やこの地で再会した馴染みの人々、知り合ったばかりの魔術師達など、これまでの人生で出会った人々の顔が浮かぶ。
最後に浮かび、そして消えないのはもちろん、どうやら勘違いのせいで関係をこじらせた恋人の姿である。
(あーあ。こんな最後に浮かぶなんて。なにが『吹っ切ったのに』よ。ぜーんぜん、吹っ切れてないじゃないの。……こんな風に終わるんなら、意地を張るんじゃなかった。ばかだなあ、わたし)
こんな辺境の地まで追いかけてきてくれて嬉しかったはずなのに、拗ねていじけて頑なになって、それを認めようとしなかった。
無表情なのだなんだというのだ、五年もの間、気にしなかったくせに、人に向けられると悔しいだなんて。そんなの。
(そんなの、恋に決まってるじゃん……)
ばかだなあ。再び呟いたアニスの目が、どんどんとろんと緩んでくる。
(……ああ、ねむい)
眠りに落ちる寸前の、恐ろしいような心地よいような、あの微睡み。それがゆっくりと優しく、アニスを包んでゆく。
(寝たら駄目なのに……)
「あにしゅ……」
その時、うとうとと眠りに落ちかけているアニスの耳元に、名を呼ぶ声が聞こえて、アニスはわずかに覚醒した。
眠気に必死に抗いながら声のした方をみれば、そこにはボロボロと涙をこぼす小さな幼女が、クマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて立っているではないか。
「ど、したの」
「あにしゅ、ごめなしゃい……」
わっと泣き出す幼女をそっと抱き寄せて、その背をぽんぽんと叩きながら、アニスは彼女の言葉に、静かに耳を傾ける。
「……あにしゅ、あのね、みしぇ、あのおねーしゃん、あにしゅをいじめる『てんせーあくやくれいじょー』だとおもったの」
「ああ……」
ミシェールの告白に、アニスは眠気の中で小さく笑った。セルフィーユに会った自分が落ち込んでいたから、ミシェールがこんなことをしたのだと、気がついてしまったのだ。
「あとね、あとね、あのおにーしゃんも、あにしゅをつれてっちゃうっておもったの。……だから、おいだしたかったの」
「そっかあ……」
「……ごめなしゃい、あにしゅ。ごめなしゃい!」
わんわんとなくミシェールを抱き上げて、アニスはうとうとしながら、その背を撫でた。
マーロウとの二人暮らしは、きっとミシェールには寂しかったのだろう。そこにアニスがやって来て、やっと寂しくなくなったのに、彼女を都会へ連れ戻そうとする人たちがやって来たものだから、堪らなくなってしまったのだ。
「帰らないで、置いてかないで」そう言えなかった、ひっくしゃっくとしゃくり上げる小さな背中が、いじらしく、愛おしい。
「だいじょぶよ、ミシェール。あたしはまだ、ここにいるから……」
「あにしゅ……」
アニスは歌うように、そう呟いた。
その間にも、死にも似、緩やかな眠りが、空から静かに降ってくる。ミシェールも段々と眠くなってきたのか、アニスの腕の中でこっくり、こっくり。小さな舟をこぎ始めた。
こうなると、抗うことは難しい。
アニスは観念して、瞳を閉じた。
(さよなら、みんな。さよなら、セージ……)
目尻から一筋、冷たい涙がこぼれ落ちていく――
「……あにしゅ! あにしゅおきてっ!」
しかし次の瞬間、アニスは小さな手に頬をぺちぺちとはたかれて、辛うじて意識を取り戻した。
「な、なに……?」
「あにしゅ! ししょ! なんかくる!」
興奮に、完全に覚醒してしまったらしきミシェールが、アニスの膝から飛び降りて窓へと駆け寄った。窓の横でうとうとしていたマーロウの頬をぺちぺちと叩いたミシェールは、その勢いでベンチに飛び乗ると、窓の向こうを指さしてみせる。
「なんかくるっ!」
「……なんだあ? ありゃ。イノシシか?」
こちらもどうやら覚醒を果たしたらしきマーロウが、目を眇めて窓を見る。
「……ス!」
耳を澄ませば確かに、何者かが叫びながらこちらに駆け寄ってくるような、そんな声が確かに聞こえた。
「……ニスー!」
「あっ!」
ミシェールが飛び上がり、アニスの腕を引いた。
窓辺に並んだアニスは窓の外へと身を乗り出し、迫り来る何かに目を凝らす。
「あれは……」
「アニスー‼」
その瞬間、 窓の前を横切っていた大きな茨の蔓が、何かに勢いよく引き裂かれた。
「まぶしっ……」
「アニス⁉ 無事か‼」
急に開けた視界から、眩い陽光が降ってくる。思わず目を眇めたアニスの目の前に飛び込んで来たのは、茨の棘の中で、恋の自覚と永久の別れを覚悟したその相手――王子にも騎士にもほど遠い、三白眼の魔術馬鹿、セージ・ソレル、その人であった。
「セ、セージ……?」
「無事だな⁈ よかった……!」
彼は相変わらずの無表情だが、その息は激しく上がっていて、いかにも苦しげだ。
手には森歩きや薬草の採取に使うナイフが握られていて、それは茨の蔓から滲んだ汁らしきもので、べったりと汚れていた。
いや、汚れているのは手だけではない。ローブは所々引き裂かれ、白いシャツも汁まみれ、髪はぐしゃぐしゃ、顔や手足は小さな傷だらけ。
しかもその、ナイフを振るう腕は今にも力尽きそうに、ぶるぶると震えている。
くたびれ果てながら、それでもアニスを目指してやって来たと分かる姿に、アニスはぐっと息を詰まらせ――窓枠に足を掛けると、そのまま彼に向かって飛びついた。
「セージ! セージ‼」
「わっ、ばかもの、ナイフを持っている男に飛びつくやつがいるか!」
「もう二度と会えないかと思った!」
抱きついたその身から漂うのは、残念ながら草の汁の香り――切り裂かれた茨の蔓の汁の香りである。しかし、その抱きつき甲斐のない骨っぽい薄い身体も、サラサラとはとても言えない癖の強い髪も、どれもこれもが懐かしく、アニスは思わず涙をこぼした。
セージも流石に胸が詰まったらしく、ぽろりと手からナイフを落とすと、そのまま震える腕をアニスの背に回す。そしてきつく――これまでの二人の付き合いの中で最もきつく、その背を抱き寄せたのである。
「……会えて、よかった!」
「アニス……」
涙でぐしゃぐしゃのアニスの顔と、草の汁の匂いをさせる傷だらけのセージの顔はそっと近づき、それから静かに重なった。
その瞬間。
「わあ!」
ミシェールの歓声が、晴れた空に高らかに響く。
魔女の庵とその庭を埋め尽くしていた茨の蔓は、ほんの一瞬で、まるでガラスのようにパリンと砕けた。
そして。
息を吞んで見守る人々の目の前で、砕けた欠片はダイヤモンドダストのようにきらめいて、音もなく静かに、光の中に消えていったのだった。
次回、2話同時更新で完結です。




