幕間・みしぇはげきどした
ちょっと短めです。
――ミシェールはげきどした。
かならずあの『あくやくれいじょー』をなんとかしないとだめだ、ってけついした。
でもミシェールはまだこどもである。
それも、とってもちいさなこどもである。
でも、『てんぷれ』にかんしては、だれよりもびんかんだった。
*
「だからね、てでぃ。みしぇはもりにいきましゅ!」
と言うわけで。
アニスの元にセルフィーユが突撃してきたのを見たミシェールは、あんな洗練された、ちょっと吊り目の美人は、まちがいない、アニスに対する悪役令嬢だ、と確信して部屋を出た。
なんでも、ミシェールの持つもうひとりの記憶によれば、『あくやくれいじょー』なるものは、主人公と敵対する存在で、だいたいちょっと吊り目がちの美人で賢く都会的な人物であり、主人公と恋人を取り合ったり、学力を競い合ったり、激しいバトルを繰り広げたり……する存在であるらしい。
物語の展開によっては、主人公を倒してしまったり、主人公より主人公していたり、主人公より愛されたりしてしまうらしいのである。
「これは、ぜったい、まちがいない……!」
アニスと睨み合う(ようにミシェールの角度からは見えていた)セルフィーユを見たミシェールは、その血統書付きの猫のような美しさと堂々とした振る舞いを見て、そう思い込んだ。
「あーんなつよそなびじん、ぜーったい、あくじゃくれいじょーだ……! しかも、『おし』とかいってたっ、てんせーあくやくれいじょーだ……!」
ミシェールの記憶によれば、てんせーあくやくれいじょーなるものは、あくやくれいじょーよりさらにとんでもない存在であるらしい。
なんでもこちらの場合は、『物語の先を知っている』場合が多く、己の破滅を回避するために先手を打って主人公を陥れ、世界を自分のものにしてしまうらしい、のである。
「てんせーあくやくれいじょー、だめぜったい……」
ふたりが話し合う応接間をこっそりと抜け出したミシェールは、玄関で拾ったアニスのストールを身体にぐるぐると巻き付けると、緑色の目をビカビカと光らせる相棒のぬいぐるみ、セオドア二世(通称テディ)を抱きかかえ、庵の裏の森へと足を踏み入れた。
もちろん、ひとりで森へ向かうことは、アニスにもマーロウにも、きつーく禁止されていることではあった。しかし、もうひとりの記憶がさきほどからずーっと叫んでいる『てんせーあくやくれいじょうだめぜったい!』という言葉に突き動かされ、「みしぇがなんとかしなくっちゃ!」と思ったのである。
思い立ったら即実行。
ミシェールは賢い子どもだが、それでもやっぱり知能は六歳、身体に引きずられがちな感情の方は、三歳くらいなのである。
だいすきなあにしゅをいじめるやつはぜったいにゆるせないのだ。
*
『ひとりできたのかい、愛し子よ』
「あいっ!」
ミシェールがひとりで森に乗り込んで来たのに気がついた森の精霊が、人間臭く苦笑しながら、ミシェールの前に降り立った。
森は既に半分冬だ。こんな幼い子どもがひとりで奥まで来ようものなら、帰れなくなって悲しいことになるのは目に見えている。
精霊は愛し子を守るべく、森の浅い場所に舞い降りると、なにやら気炎を上げているミシェールの前にしゃがみ込んだ。
「みしぇがねっ、あにしゅを、たすけるのっ」
ミシェールは腕の中のテディを高く掲げながら、力強く頷いて、美貌の精霊に宣言した。
「あのね! おーとからあくやくれいじょーがやってきたのっ! しかもっ、てんせーあくやくれーじょーなのっ! あにしゅをいじめに、やってきたに、ちがいないのよっ!」
『あくやくれいじょー、とはなんだい?』
ミシェールの言葉は、精霊に取っても聞き慣れないものだ。精霊は首を傾げてミシェールに問いかけた。
ミシェールはテディを掲げたまま、「あのねっ!」と高らかに声を上げる。
「あくやくれーじょーはっ! おはなしで、しゅじんこーの、てきになる、びじんのことなの!」
『ふうん』
「みしぇは、しんけんなのよ!」
くすくす笑う精霊に、ミシェールはきりっと目を吊り上げて仁王立ちになった。その愛らしさに精霊はいっそう笑みこぼれ、その膨らんだ丸い頬をつんとつつく。
『それで、愛し子は何をしたいのだい?』
「あくやくれいじょーを、だんじゃい、しゅる!」
『ダンジャイ……? 聞いた事のない言葉だね』
「みしぇの、もうひとりの、ことばなの!」
『愛し子は異界の記憶持ちだったね……』
ミシェールの要領を得ない言葉の由来を思い出し、精霊はひとり頷く。
「では、あくやくれいじょーとやらは、だんじゃい? するとして。君の願いはそれだけ?」
「……あとね。あのね……」
ミシェルは途端にもじもじとして、精霊の前でくねくねと身をよじった。それから精霊の耳元に近寄ると、小さな掌で耳に手をあて、こそりと呟いた。
「あのね、みしぇ、あにしゅに、おうとにかえんないでほちいの……」
こそこそと囁かれる言葉に、精霊は慈愛に満ちた笑みを浮かべて浅く頷く。
「あにしゅのまほー、いっぱいみたいし……」
それから、とミシェールはより一層声を潜めて、精霊に向かって訴える。
「……いっぱいだっこ、してほしいの」
ミシェールの両親達は、貧しさの中いつも忙しく、ミシェールを抱っこしてくれる時間はほとんどなかった。少し上の姉はおんぶをしてくれたけれど、逸れも温かな抱擁というよりは、あくまで子守、運ぶのに必要だからそうしていた、という感じである。
そして、師匠のマーロウは、矍鑠とはしているが、枯れ木のような老人でもある。ミシェールを抱っこして移動するには、その腕は細く、腰も頼りない。
ミシェールはアニスが来て初めて、毎日のように抱っこしてもらえる安心感と喜びを知ったのだ。
アニスもいつかは王都に帰ってしまうのかもしれないけれど、もう少しだけ、抱っこをして貰える日々を過ごしたい。
それはミシェールの密かな願いだった。
『……それは、ぜひここにいて貰わなくてはね』
ミシェールの願いを正確に受け取った精霊は、綺麗な笑みを浮かべてミシェールの頭を撫でた。ミシェールは胸を張って足を踏ん張り、むん! と気合いを入れて精霊を見上げる。
「だから、みしぇは、あくやくれいじょーと、もとかれを、おいだしたい、でしゅ!」
『……なるほどね。それなら、これをあげよう』
ミシェールの願いを聞き届けた精霊は、ふところからそっと、小さな粒を取り出した。
「なーに?」
ミシェールがぷくぷくした掌を差し出すと、精霊の指からころんと、茜色の実が転がった。
『これは森の茨の種だよ。これを庭に埋めるか投げつけるといい。森の力をたっぷり浴びているから、そのうち綺麗な花を咲かせるはずだ。それが愛し子の願いを叶えるだろう』
「きれい……!」
普通の茨の実ではない。
森の精霊が手を掛けた、特別な茨の実である。
それは森の中で見るものよりも二回りは大きく、そして宝石のように輝いていた。
「せいれいしゃん、ありあとー!」
『セオドア二世も、愛し子をよく助けるのだよ』
精霊の言葉に、クマのぬいぐるみはミシェールの隣にすっくと立つと、ぴっと片手をあげてみせた。
――ミシェールは、まだ知らない。
精霊たちは人とは異なる理の中で生きているということを。そして、彼らの『やり口』は、時になかなか過激で、人の常識の範疇など、軽く飛び越えていってしまう、ということを。




