王都からの訪問者 3
「……はあ」
「あの」
「しゅてき……」
「あのう」
「その、あの、その……、お召しのストールを、ちょっとだけ、拝見させて頂いても……?」
「はあ、構いませんが……」
アニスが首に巻いたストールを外して差し出せば、彼女は震える指先でそれを受け取ると、広げて眺め、ひっくり返して眺め、畳んで眺め……とまるでコンクールの審査員かのように、徹底して検分を始めた。
(い、一体、なんだっていうの……?)
――アニスは三度、マーロウの庵の応接間に据わっていた。向かいに腰を下ろしているのは、黄金の髪をなびかせた淡い青の瞳の美しい娘、セルフィーユ・コールラビである。
アニスを尋ねてきた彼女は、魔法陣を学ぶ学生だというが、今彼女が眺めているストールは魔法陣というほどのものではない。アニスがまだ少女の時代に作成した、洗練とは程遠い作品である。
ちょっとした保温の魔術が掛かっている以外は何の変哲もないしろもので、むしろ何度も洗濯を繰り返し、ほつれを幾度も修繕した、他よりもおんぼろな一枚なのだ。間違ってもあんなにうっとりした顔で眺めるような品ではない。
(それに、わたしの記憶が確かなら、この子、セージの縁談相手だったあの子だよね……? 馬車から降りてきたときにバッチリ顔をみたもの、間違いないと思うんだけど……)
最初は、彼女が誰なのか、全く分からなかった。
しかし、自分がアニスだと名乗って応接間に招き入れ、彼女が座ったのを見たところで、不意にそう思い出したのだ。
あの時は、顔合わせのような場に相応しい、もっと華やかな装いだったが、間違いない。彼女はあの日、セージの微笑みを受け止めていた、あの令嬢に間違いなかった。
(ううーん、正直、セージには勿体ないくらいの、華やかな美人だわ……)
何しろセージの見た目はお世辞にも、美青年とは言い難い。適当に流されたくせ毛に三白眼、青白い肌に意志の強そうな眉、癇の強そうな顔立ちと、悪役めいた要素が揃っている。
しかし彼女は十人が見れば、八人は美人だと言うだろう。ふっくらした頬にぷっくりとした唇、長い睫毛にツンとした鼻、どこを取っても愛らしい要素しかないそれらが、上品さをまとって顔の中の丁度いいところに納まっているのだ。
(でも、人の好みなんてそれぞれだもんねえ……)
うっとりと、古びたストールを眺めているセルフィーユなる娘を見ながら、アニスは浅く息を吐く。
(ひょっとして、この子はセージを連れ戻しに来たのかしら。……その可能性はあるわよね。セージが断ったからって、相手が気に入っていたら勝手に話が転がることだってあるだろうし……)
彼女の家の方がセージの家より家格が上であれば、セージが断ったとしても意味がないかもしれない。もしも互いに断ったとしても、家が許さないことだってあるだろう。
彼女は、この関係に終止符を打つべく使わされた、天よりの使者なのかもしれない。
もしもそうなら、早く審判を下して貰ったほうがいい。アニスは意を決し、居住まいを正すとセルフィーユに向き直った。
「あの」
「はっ」
アニスが声を掛けたその途端。セルフィーユは雷にでも打たれたかのように震えて、ソファの上で小さくぴょこんと飛び上がった。それから自分を見つめるアニスの目に気づき、慌てた仕草でストールを返してくる。
「た、大変失礼いたしました。良いものを見せて頂きました……」
「これは子どもの頃に仕立てたものでして……。もうどれほど汚してもよいものとして、日用しております。拙いものでお目汚し失礼いたしました」
「いえいえいえ、とんでもございません!」
受け取ったアニスがストールを羽織り直すと、セルフィーユは顔を真っ赤にして、首を勢いよく左右に振った。
「本当に、とんでもないことです! シードさんの装飾魔女としての歩みの初期のものを見られることがあろうとは、思っておりませんでしたので……!」
キラキラ輝く瞳はまさに、魔法陣を見るミシェールのよう。その勢いに、アニスは思わず一歩後ずさる。
「愛らしい野の花を組み合わせた花輪を模していながら、冬に温かい保温の効果が遺憾なく発揮されていて、実用的なのにこんなに可愛くて……! ご存じですか? わたくし、魔法陣を研究しているのですが、装飾魔術で仕込まれる魔法陣って、普通の魔法陣に比べると、術の威力が格段に落ちるものなんです。色や形を優先する余りに、出力が五割減なんてものも、全く珍しくないんですよ。歴史的なドレスや食器、装飾品に施された、当時の名工と呼ばれる職人の作品でも、七割位というものが多いんです。……それなのにこの! シードさんの装飾魔術ときたら! 十割とまでは行かなくとも、八割、九割の出力を維持するなんて、天才の所業です! それになによりこの色合わせ! 貴女が神か!」
「ど、どうも……」
(……この子、セージとすごく気が合いそう)
怒濤のように畳みかけられた言葉に圧倒されながら、アニスは思わずそう考えた。
この語り口、彼にそっくりではないか。
(これは、セージが気に入られた説、濃厚かも……)
もしも彼女とセージがふたりで魔法陣を囲んだら、きっととんでもない勢いで会話が繰り広げられるに違いなかった。もしもその場にアニスがいても、口を挟める隙などなさそうである。
(ひょっとして顔合わせの場で、このテンションで魔法陣の会話をして、意気投合したのでは……?)
それならば、あの笑顔もあり得そうだ。そして、意気投合した結果、心が傾いたのだとしても、それはしょうがないことのように思われた。何しろアニス自身の彼との馴れ初めが、そうだったのだから。
「……あの、コールラビ様は、どのようなご用件でいらっしゃったのでしょうか?」
アニスはひとつ咳払いして、改めて問い掛けた。
「あいにくと、魔法陣の大家である師は現在身体を壊しておりまして、魔法陣の仕事を受けることは叶わないのです。魔法陣を学んでおられるということですが、師には幼い弟子もおりまして、新しい弟子を取ることはおそらくしないと思うのですが……」
「あ、はい。わたくしはですね、大魔女様にご用があるのではなくてですね」
アニスの言葉を否定して、セルフィーユはにっこり、花咲くような笑顔を浮かべた。
「『推し』を王都に連れ戻しに参りましたの!」
「おし……?」
「はい! 『推し』というのはですね――」
聞き慣れない言葉だが、セージのことを指すのだろうか。首を傾げるアニスにセルフィーユが言葉を説明しようとしたその時、バン! ととんでもない大きな音がして、魔女の庵の扉が開かれた。
「失礼する‼」
扉が吹き飛んだかと思う轟音に、アニスが思わず立ち上がり、セルフィーユも椅子の上で跳ね上がったが、次の瞬間飛び込んで来たものに、アニスは目を白黒させてひっくり返った。
「せ、セージ⁉」
「アニス‼ 大丈夫か!」
ひっくり返ったアニスに駆け寄ったセージはその身をきつく抱き寄せると、目を丸くして座り込んでいるセルフィーユを、あの三白眼できつく睨み付ける。
「え、大丈夫、って……何が?」
「本当か? 余計なことは言われていないか?」
「余計なこと? いや、お話はまだ途中だけど……」
まだ、何も言われていない。
アニスはそう答えて首を振った。
このまま話を続けていれば、「彼と別れて下さい!」という話になったかもしれないが、今のところまだ、話はそこまで行っていない。
「そうか……」
アニスの言葉に、セージはほっと息を吐いた。
その表情は、お面のような無表情に戻っているが、その内面が深く安堵していることは、なんとなく伝わってくる。
「間に合ったか……」
「やあよかった。申し訳ない、お邪魔いたしますよ」
息を吐くセージの向こうから、なにやら物語の王子様的な見目の男が、ひょいと首を出した。
男のやけに美々しい容貌にアニスはぎょっとして目を丸くしたが、彼は「失礼、俺はこれの同僚です、ホーソーンと言います」とにっこり人好きのする笑みを浮かべて、優雅にお辞儀をした。
「あ、もしかして、セージの呼び出した……」
「ええ、どうやらそのようで。手紙は入れ違いになっていて、昨日受け取ったんですが、ちょうどこちらに向かっているところだったんですよ」
ホーソーンと名乗った男は愛想のいい笑みを浮かべたまま、「ちょっと失礼」とセルフィーユの方に向かった。
なんだか良く分からないが、昨日の今日で王都からこの町にはたどり着けないので、偶然にも例の同僚はこちらに向かっていたようだ。ひょっとすると彼こそが、セージを回収する係だったのかもしれない。彼はどうやら、ついでにセルフィーユも回収していくつもりらしく、
「お転婆もほどほどにしてくださいよ……!」
「だって、今わたくしは推しと同じ空気を吸っているのと思ったら……! もう、我慢なんてできなかったのよ!」
「叔父上に言いつけますよ」
「それはやめて」
などといった会話が聞こえてくる。
(先延ばしにしているだけかもしれないけど、ちゃんと場を整えてから話し合わせて欲しいから、助かったわ……)
ほっとして、アニスも胸を撫で下ろした。
あちらは美しいスリーピースで、こちらは木炭の煤まみれというのも格好が付かないし、当事者が三人そろったならば、まとめて話し合えば一度で済む。
(どうせとどめを刺されるなら、一息にやって欲しいしね……)
アニスは小さく苦笑して、セルフィーユとヒースを警戒するセージの腕から抜け出すと、ぐっと背伸びをして息を吐いた。
「賑やかねえ」
「あの二人は親族らしく、幼い頃から面識があるようだ。それにあれは局で一番愛想と顔のいい男だ。誰もがあれとは楽しげに会話をしていく。……惚れたか? さっき一瞬、息を詰めていただろう」
なにやら眉間に鋭い皺を寄せ、そんな事をぼやくセージに、アニスはくつりと喉を鳴らす。
「挨拶だの、お遣いだので局に来る女はだいたい、あれに見惚れるんだ。書類と重ねて恋文を手渡されたなんて話もしょっちゅう聞く」
「まあ、彫刻みたいな綺麗な顔だとは思ったわねえ。でもねセージ、みんながみんな、顔が綺麗な男に一撃でコロリと行くわけじゃないのよ」
「……そうか」
「そうよ」
無表情の中に複雑そうな空気を漂わせたセージに、アニスはくつくつ、重ねて笑う。
「さて、それじゃお客人たちには一度帰って貰おうかしら。明日以降また、ちゃんと場を設けるから」
「……そうしてくれ」
「じゃ、今日のところはさようなら。――ミシェールおいでー、皆さんをお見送りするよー」
アニスは立ち上がって、隣の部屋で図鑑を眺めているはずのミシェールに声を掛け――彼女がいない事に気がついて、あれ、と声を上げた。
「……ミシェール?」
その名を呼んだその瞬間。
「あくやくれーじょー、たいさーんっ‼」
ずるずるずるずる。
まるで大蛇が這うような音が、庭から響いた。
「えっ?」
何事かと窓の外を見たアニスが、見えたものに息を吞んだその瞬間。
開かれていた玄関から、大蛇の如き巨大な植物の蔓が乗り込んで来た。それらは一瞬で庵の中を埋め尽くすと、客人達をぽいと外に放り出したのである。




