アニスとあいつ 2
あの日。
アニスが思わず、ぽろりと一粒涙をこぼしたその瞬間。向かい合っていた青年――アニスの元恋人である青年、セージは愕然としてぽかんと口を開け、「そんな馬鹿な」と一言呟いた。
アニスは思わずムッとして、こぼれる涙も構わずに「なによ、わたしが馬鹿だって言いたいわけ?」と眉間に皺を寄せたが、何やら相当な衝撃を受けたようなセージは口を開いたまま硬直し、ぴくりとも動かなくなってしまったのである。
「ちょっと、セージ? おーい?」
アニスは正直途方に暮れて、目の前で手をひらひらさせたり頭をぺしぺし叩いたりしてみたのだが、彼は故障した魔道具のように、うんともすんとも言わなくなってしまった。
その日は結局、彼付きの執事と女中だと名乗った男女がマーロウとアニスに頭を下げ、セージをえっちらおっちら回収していったのだが――日が昇ると彼は再び大魔女の庭に現れた。そして、アニスに面会を断られた結果が、これだ。
「アニス! 頼む! もう一度! もう一度弁解をさせてくれ‼」
窓の向こうから響く声に、アニスは両手の指を耳に突っ込んだ。呆れ顔のミシェールと黒猫オニキスから目を逸らし、その視線を泳がせる。
「あにしゅ……」
「にゃ……」
「まったく……」
かわいらしい声と鳴き声に混じって、矍鑠としたしゃがれ声がひとつ。次の瞬間、ぽかり、とアニスの後頭部で音がする。
「あ痛ァ⁉」
「現実逃避しとる場合か」
慌てて後頭部を押さえて振り返ったアニスの目に映ったのは、ふよりと浮かびながら、釜をかき混ぜる棒を肩に担いだ大魔女マーロウの姿だった。
「……頭が悪くなったらどうしてくれるんです」
「多少悪くなったところでそう変わらんわい」
「ひどっ」
涙目の弟子の訴えを無視し、マーロウはやれやれと深い息を吐いた。
「そんな事より馬鹿弟子よ。あれは流石に近所迷惑だ。ヤナさんが何度か覗きに来ちまったよ。いい加減、腹割って話しな。それに、そうして逃避のためにやった仕事ってのは、だいたい碌でもない結果に終わるもんだよ。詰め込みすぎて倒れたりね」
「うっ……」
師匠の言葉に、アニスは呻く。
「ソレル家のも!」
マーロウは、アニスが目を背けていた窓の外にひょいと身を乗り出し、庭先で訴えの声を上げているセージに向かって大きな声を出した。
「こんなど田舎でギャアギャア騒がれちゃあ困りますよ! 明日には町中の噂になって、あたしらが暮らし づらくなっちまう」
「……面目ない」
マーロウの声を聞き取ったセージが、窓の向こうで無表情のまま項垂れる。それに肩を竦めて、マーロウは気まずい顔をしている弟子を振り返った。
「あたしはね、前に言ったようにあんたの味方だよ。だがね、あれを見るに、どうにも会話が足りなすぎるんじゃないか。もう一度応接間を貸してやるから、切るにしろ保留にするにしろ、はっきりしてきな。万一揉めたら、ソレル家のを追っ払って、立ち入り禁止の魔法陣を描いてやるよ」
マーロウはそう言って、アニスの背を押し、工房から押し出した。言葉と仕草に背を押され、アニスはしおしおと項垂れながら、「はい……」とか細く返事をするしかなかったのである。
*
「……二度目だが、ほんとうに素晴らしい庵だ」
さて、再びの応接間である。
失礼する、と改めて応接間に足を運んだセージは思わずといった体で前回同様、庵の壁面や天井、梁などに視線を投げかけては感嘆の息を吐いた。
「昨日から気になっていたのだが、あちらの魔法陣は換気の為のものか? いや、換気の他に通風や除湿、加湿などの魔術が複雑に描き込まれているか。さすがは大魔女殿の庵だ。これほど複雑な物は、王室の宝物保管庫くらいでしか見たことがない……」
「確かに、王都ではいろんな魔法陣を見たけど、こんなに快適な魔術の魔法陣は結局、ここでしか見たことがないわねえ」
「だろうな。この芸術的な陣は、そこらの魔術師には描けないだろう。マーロウ殿は魔法陣に特化した大魔女だと聞いていたが、これほどとはなあ……」
「王都にはそりゃもうたくさんの魔法陣職人がいたけどさ、師匠より腕のいい魔法陣職人はわたしも、あいにくと知らないのよね。ほら、天井の中央に小さい魔法陣があるでしょ。あれが室内の風を淀ませないようになっていてさ、それが窓の近くの魔法陣と連動して……」
「なるほど、では扉の近くにあるあの魔法陣は……」
これぞ、魔術馬鹿がふたりである。
このふたりにとって、よい魔法陣を目にするとそちらに意識が逸れて、本題から逸脱してゆく、というのは残念ながら常のことだった。
「ごほん」
本題を忘れたかのように、うっかり魔法陣のはなしが盛り上がっていくふたりに、隣の部屋からあからさまな咳払いが聞こえた。ふたりははっと息を吞むと口を閉ざし、気まずげに目を逸らす。
「あー、……その、まず、改めて伝えさせてくれ」
しばらく落ちた沈黙の末、口を開いたのはセージだった。彼はそう言葉を口にすると、年季の入ったキルトの椅子カバーの上には不釣り合いなほどしゃんと姿勢を正して、アニスに向き直る。
「私に来ていた縁談というものは、確かにあった。それは事実だ。上司の顔を立てるため、顔合わせを断ることはできなかった。だが、顔合わせの後、すぐに断っている。アニスが見たと言う女との逢瀬は、この顔合わせの時だろう。相手は局長の親族で、顔合わせも局内の応接室で行われたんだ」
「……それは、まあ、信じてもいいわ」
アニスは顔をしかめ、頷いた。
一晩寝て、アニスだって少し冷静にはなったのだ。そんなところで嘘を吐いても仕方がないし、そもそもセージがそんな嘘を吐くタイプの男ではないことは、アニスが一番よく知っている。
「でもね、そこじゃないのよ」
しかし、アニスにとって問題なのは、縁談を断ったかどうかではないのだ。
セージの実家についてはアニスは知らないが、おそらくは身分の高い家だろうと、出会った頃から分かっていた。なにしろ、セージの身なりはヨレヨレだが、身につけているものの生地や縫製は安物にはあり得ない上質なものだったし、会話の中には時折、アニスには想像も付かない上流階級のエピソードが混じっていたからだ。
そんな身分の高い家の人間には、婚姻の自由が少ないということくらいは、流石のアニスも知っている。
だから、結婚をするならこの男とだろうが、あちらの事情で別れる事になるかもしれないと、そういう覚悟自体は、つねにじんわりと持っていた。
「……言ったでしょ。わたしがあんたと別れた方がいいな、って思ったのは、その時のあんたの顔が、わたしといるときよりよっぽど幸せそうだったからだ、って」
事情があって別れるのであれば、それは仕方ないと思える。けれどあの日、思わずカッとなったのは、それ以外――事情ではなく、感情由来で別れることになるかもしれないと思ったからだ。
アニスはあの日を思い出す。
それは今までに一度も見たことのない、蕩けるような、本当に幸せそうな笑みだった。思い出せば未だに、胸の奥がわずかに軋む。
あれは、とてもではないが作り物の笑顔には見えなかった。それ故にアニスは衝撃を受け、血の気が昇りすぎた余りに倒れたのだ。
「……わたしも、全然連絡しなかったのは悪かったけどさ、あんな幸せそうな顔見せられちゃったら」
五年も付き合ったのに、自分といても、あんな顔には一度もさせられなかった。それなら、別れるしかないと思うじゃないのよ。
アニスはぽつり、そう続ける。
なにしろ、セージはずっと、アニスの前――だけに留まらず、だいたいいつも仏頂面で無表情で三白眼で、魔術の話をするときだけ頬を上気させ目を輝かせる、そういう表情の男だったのだ。
(あの顔を向ける相手に対して、何も思っていないなんてこと、あり得る?)
あんな顔をさせてくれる相手だ。本当は相手の方に強い好意を抱いているのに、アニスに義理立てをしているのではないか。他に好きな人がいるのに関係を続けるのは、どちらにとっても心に毒が溜まるような事ではないのか。いずれ崩壊するならば、早いほうがいいのではないか――。
そんな事を考えてしまったのである。
「アニス……」
頑ななアニスに、セージは再び固まりかけたが、流石に同じ事を繰り返しはしなかった。
彼は一度口を引き結ぶと再び背筋を伸ばし、それから一度咳払いをすると、難解な論文の内容でも口にするかのように、なにやら重々しく口を開いた。
「あー、そのだな。まず、我々ソレル家の男はだな、好意を持っている、親しい人間の前になればなるほど、顔面が動かないという特性がある……」
「はあ?」
いきなり何の話だと、アニスは顔をしかめた。
セージは一度口を止め、乾いた唇を軽く舐める。それから愛想の悪い視線を床に落として、言い訳するようにぼそぼそと言葉を紡いだ。
「ふたりいる兄も父も、複数いる叔父たちも、祖父も祖父の弟たちも皆同じ性質の持ち主で……、家族の前や、……特に、恋人や妻の前で、彫像のように表情が固まるんだ」
「何それ。血が繋がっているから顔が似ているってことじゃなくて? 十人くらいいて、全員って……、そんな事ってある? 双子だって、性格が違えば表情も違うものなのに?」
セージの言葉を怪しんで、アニスは目を眇めた。
アニスには、残念ながら家族はいないが、田舎の町は大家族の家も少なくない。アニスの知る大家族の面々も、確かに顔は似ているが、それだけいればひとりくらいは、他の家族とまったくタイプの違う人間がいるものだ。
しかも、『親しい人の前でだけ顔が固まる』というのは、いかにも怪しいではないか。人見知りで逆の人はいそうだが、一般的には親しい人の前で程、気を抜いた顔をするものなのではないのか。
「そういえば、警備兵隊長さんが親戚って言ってなかった? あの人のそんな話は聞いたことないけど」
「ディルはソレルの直系ではないからな。傍系には、この特性は受け継がれないんだ。それに、もしもディルが直系だったとて、アニスとそれなり以上に親しくなっていなければその不具合は発動しないはずだ」
「まあ、今のところご近所さんの域は出てないのは確かだけど。……そんなことある?」
「疑う気持ちは分かるが、本当なんだ。少なくとももう二百年は脈々と、その血が受け継がれている……」
眇めた目をいっそう細め、アニスはじっとりセージを睨む。セージは肩を落とし、地面を見つめたままぼやくように言った。
「……まあ、実際そうだったとして? それで?」
「それで……、あの日は、その、あの娘と、アニスの話をしていたんだ」
「……はあ?」
今度は何を言い出すのかと、アニスはこれ以上細められない程に目を細め、首を傾げた。その声色の不穏さに、セージは焦った息を吐くと大慌ての様相で口を開いた。
「彼女は局長の姪なんだが、そこそこの力を持つ魔女だ。魔術大学で魔法陣を専攻しているらしい。そこでアニスの魔法陣を知る機会があったらしく、その美しさに目を奪われたと言っていてな。あの日もアニスの手がけた装飾魔術の施された服を着ていた。アニスが得意な、襟とスカートの裾に花綱模様に見せかけて刺繍などで守護の魔術を仕込んであるあれだな。多分、メゾン・ペルルの仕事として受けたと言っていたものだと思うんだが。相変わらず見事な腕前で、彩りも形も美しく、全く魔法陣には見えないのに魔術としてのほころびが一切ない素晴らしい作だった! 姪御もずいぶんと気に入っていると言っていて、話が弾みに弾んでしまってな……」
途中で魔法陣の話になって、言葉が止まらなくなったセージに掌を向けて遮ると、アニスは呆れを隠さず言った。
「いやいや、断る前提の場だからって、お見合いの場で恋人の話で盛り上がるヤツがいる……?」
「……ここにいたんだよ」
自分でも、『ナシ』だと感じはするのだろう。がっくりと肩を落とすセージに、アニスはため息を吐く。
「で? 話が弾んで楽しくなって、あんな顔をしていたんだ、っていうのが結論なわけ?」
「そうだ……。自分がその時どんな顔をしていたのか、私には分からないが、君に疑われるような顔をしていたのだとしたら、その会話のせいだとしか思えない……」
力なくそう呟くセージに、アニスは口を噤んだ。
セージの話をまとめると、彼の一族の人間は親しい人の前でほど顔が固まるが、しかし、初対面の人間の前ではあんな笑顔になることができる、ということなのだろうか。
(そんなことある?)
アニスは内心で再びつぶやき、顔をしかめた。
何かの事情があってアニスを手放したくないと考えたセージが、作り話をしていると言われている方が、内容としてはしっくりくる。
アニスは小さく息を吐いた。
(なんていうか、話の内容が信じがたいのよね……。それに、もう心の中で一回、区切りを付けちゃったからなあ……)
王都を離れて、二週間以上の時が流れている。アニスの中では既に、ひとつ区切りが付いているのだ。
それを急に、君の勘違いだ、そもそも前提から間違っているのだ、とひっくり返されても、そう簡単には飲み込めない。
それに、たとえそれが真実だとしても、一度は相手を疑ってしまったことには変わりない。たとえわずかな一滴でも、シミは残ってしまう。心はまっさらには戻らないのだ。
「……ねえ、やっぱりさ、一旦わたしたち、距離を置いた方が良いんじゃないかな」
しばらくの間、ふたりは揃って黙り込み、その末にアニスはそう言った。
「一方的だったのは悪かったと思うけど、今のわたしはあんたを信じ切れてないし、それに、もうしばらくはここで暮らしたいの」
庵をぐるりと見渡して、アニスはそう続ける。
「わたしたちの関係を続けるにしろ止めるにしろ、ちょっと冷却期間が必要なんじゃないかと思う。わたしたちこの半年、お互いをないがしろにしすぎたと思うし、考え直すにはいいきっかけだとも言えると思うんだ。……セージだってさ、疑われながら付き合うなんて嫌でしょ?」
「疑われていたとしても別れたくない」
しかし、アニスの提案は即座に却下された。
アニスが目を丸くすると、セージはその灰色の目を険しくさせて、癖の強い黒髪の頭を横に振る。
「ただ距離を置くだけなら今までだって、互いの仕事が忙しい時はそうだっただろう?」
「だからそれが、『お互いをないがしろにしすぎ』って言ってんの。この半年のわたしたち、付き合ってる意味があったと思う?」
「………………それは」
ぐう、とセージが喉を詰まらせ、天井を仰いだ。
彼にもまた、自分が恋人をないがしろにしすぎた自覚はあるのである。
親の敵のような目で、しばし天井を睨み固まる事数分。思考の整理が済んだのか、セージは大きな息を吐き出すと、据わった目でアニスを見つめた。
「な、なに?」
「……アニスは要するに、私の言うことの真偽を怪しんでいるんだろう? それが真実だと確認できれば、考え直してくれるか?」
「それは……、まあ」
答えつつ、一体どうやって、とアニスは首を傾げる。それを見たセージは立ち上がり、懐から手帖とペンを取り出した。
閉じた状態で男性の掌ほどの大きさを持つ、艶やかな革の手帖だ。四隅は金の金具で支えられていて、革の中央には金の箔でなにやら仰々しい魔法陣が描かれている。
ペンは、星空を閉じ込めたような濃紺に銀砂の散る美しい軸に、これまた見事な金のペン先を持つ、万年筆型のもので、そのペン先には小さく、銀色の魔力が輝いていた。
「……ちょっと、何する気?」
この美しい手帖とペンは、セージの魔術発動媒体のひとつだ。彼がこれを取り出すときは、魔法陣を伴う魔術を使うときである。
不穏の気配にアニスが顔をしかめると、セージは銀に光るペン先をページの上で滑らせながら、重々しく頷いた。
「古来、百回聞くより一度見よ、と言う。……ここに家の人間を呼ぶ!」
「は⁉」
手帖から、ぴょこんと銀色の小鳥が飛び出した。
スズメくらいの大きさの、口に丸めた小さな手紙をくわえた小鳥は全部で十羽、やけに張り切った、キリリとした瞳をして胸を張り、セージの腕やら肩やらに舞い降りる。
隣の部屋から、「ことりしゃん!」と小さな歓声が聞こえたが、それはさておき。
「ちょーっと待ってよ!」
アニスは小鳥たちの数にぎょっと目を見開き、椅子からぴょんと飛び上がると、慌てて窓の前に立ち塞がった。
「いきなり伝書魔鳥、しかも十羽も使うって何事⁉ それに、あんたの家族ってことはお貴族様でしょ⁉ そんな人たちにぞろぞろ来られても、困るんですけど⁉」
「大魔女様の庵だと言えば皆、むしろ喜んで飛んでくるだろう! 泊める場所なら気にするな、ディルのところの城館でも借りればいい!」
「気にするわ! 第一、王都からここまでどんだけ掛かると思ってるのよ……。痴情のもつれに他人を巻き込んだら悪いでしょうが。しかもそれが別れ話で揉めている恋人の家族とか……、なにその拷問?」
「だが、信じて貰うには証人が必要だろう? それには同じ体質の家族を呼んでくるのが確実だ」
「だからって、こんな情けない事を理由にあんたの親族と顔合わせすることになったら、あんまり気まずいわよ……」
恋人の家族に会う、恋人を自分の家族に紹介する。それは普通であれば、恋人達の一大行事である。
それが、こんな痴話喧嘩の仲裁の為だというのは、流石に酷いし情けない。
「む……」
アニスの訴えに、それは確かに気まずい、とセージも流石に気がついたらしい。彼は手帖の上に再びペンを走らせると、さらりと魔法陣を書き換えた。
十羽の銀の小鳥はピヨピヨと鳴くと、手帖から浮き上がった輝く魔法陣に飛び込んで、最終的に鳩ほどの大きさの一羽の鳥になった。
咥えている手紙も一回り大きくなり、ついでに目つきも少々鋭くなっている。
(こいつも本当に綺麗な魔法陣を描くのよねぇ……。記述に無駄が全くなくてシンプルで、一見誰にでも真似できそうなのに、同じように描くのは本当に難しいのよね。しかも、一度発動させた魔法陣を書き直すのも巧すぎる。インクもまた、いい色だなあ……)
こんな時でもつい、職業病を発症するアニスである。しげしげと見つめれば、銀色の鳩はどこか誇らしげに鳩胸を反らし、「ポッポー」と高らかに鳴いた。
「って、今度は誰を呼び出すつもりなの?」
この鳩もまた伝書魔鳥――魔術で作り出した鳥による、一方通行の伝書鳩である。相手が移動していても届くが、短いテキストしか送れない――だ。
気づいたアニスが小さく叫び鳩に駆け寄るが、伸ばされた手をするりと避けて、銀色の鳩はばさりと飛び立ち、開け放たれたままになっていた扉から出ていってしまった。おっきなことりしゃん! とはしゃぐ声が、鳩を追っているのか徐々に遠ざかっていく。
「私の実家の事を知る同僚を、ひとり呼ぶ。それなら構わないだろう?」
「ええー……?」
飛び立ってしまった鳩を呆然と見送ったアニスに、セージは事もなげにそう言うと、手帖をぱたりと閉じ、ペンと共に懐にしまった。
「あいつには幾つか貸しもあるし、私がしばらくここにいると言えば、仕事が止まるのを恐れて、向こうから飛んでくるはずだ」
「それって脅迫じゃないのよ……」
「こういうときに貸しを返してもらわないとな」
(見ず知らずの同僚さん、痴話げんかに巻き込んで、ホントにすみません……)
胸を張ってやけに堂々と、情けない事を言うセージに、アニスはがっくりと肩を落とした。




