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魔女はのんびり暮らせない ~装飾魔女のアニス、 恋に見切りをつけて田舎に帰るのこと~  作者: 茉雪ゆえ
アニスとあいつ

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26/38

アニスとあいつ 1

『染まれよ染まれ……滑らかに……』


 ことこと。ぐつぐつ。


 散らかっていながらにして、奇妙に整頓されている庵の中で、ひとりの魔女が鍋を覗き込んでいる。

 ぐつぐつ。ことこと。

 魔女の手で 一抱えほどの鍋は、年季の入った赤銅で出来ている。鍋の下の炎は紫で、立ち上る湯気は不思議に青い。湯は褐色で、ごぽりごぽりと不穏な音を立てている。そして、あたりには発酵した草のような、なんとも言えない匂いが漂っていた。


『染まれよ染まれ……(まだら)なく……』


 そんな、何とも妖しげな鍋の中身をぐるりとかき回しては、魔女はなにやら小声でぶつぶつと、歌うような呪文を口にするのだ。すると彼女の握る柄に、ほわりと淡く光が宿る。それは解けるように小さな光の粒になると鍋の中に降り注ぎ、飴色の水面を、コケのような緑に変えた。


「……よし」


 ――紫の炎に照らされてなお燃えるように赤い髪を、高い位置でひとつに結い上げ、スミレ混じりの青い瞳を輝かせているこの魔女の名は、アニス。

 装飾魔女と呼ばれる職に就いている、働き盛りの魔女である。


「こんなところかなあ……」


 そう呟きながら、ゴボゴボと煮立つ苔色の水面からアニスがすくい上げたのは、一センチほどの幅のコットンのリボンだ。

 元は生成りだったそれは今、茶褐色に染まっている。それを「えいっ」と掛け声ひとつ、アニスは鍋の隣に置かれていた琺瑯のバケツにリボンを放り込んだ。バケツの中は透明な液体で満たされていたが、それに触れるとリボンはみるみるうちに、柔らかで優しい緑色へと色を変えてゆく。


「悪くないわね……」


 色の変わったリボンをバケツの中でグルグルとかき回しながら、アニスは天井を見上げ、ほう、とひとつ息を吐いた。


 ここは、『装飾魔女』のアニス――の師匠である大魔女・マーロウの庵、作業部屋のひとつである。魔法陣を描く部屋とは異なり、換気と色を見る為の窓や水場がある、柔らかな自然光が射す明るい部屋だ。

 アニスは今、例の『導きの小鳥』に使うためのリボンを、魔術で染めているところなのだった。

 彼女の職である『装飾魔女』とは、装飾魔術と呼ばれる術――魔術の込められた魔法陣をそれと分からぬよう装飾に紛れ込ませたり、装飾の形で表したりすること――を生業とする、古くからある魔女の一種だ。魔女とは言うが男性の『装飾魔術師』も少なからず存在し、名のある者は男女を問わず、デザイナーや職人として、歴史上に名を残している。


 古には、王家のお抱えとして、表には出せないような装飾を手がけた者もいたと伝わるが――それも今は昔。魔術を持たぬ人も魔術を使える魔道具などが一般化した現代においては、装飾魔術は服飾や装飾、工芸などの世界で活躍する、よく知られた魔術のひとつとなっている。

 しかし、よく知られていることと、取り組み易いことはイコールではない。魔法陣に対する深い知識と理解を持った上で、それを人に好まれる装飾の形に落とし込むセンスが必要とされるため、実はなり手の少ない、貴重な職人なのである。


「やっぱり、青一回に黄色二回ってとこかな。緑って何度染めても難しいわあ」


 しかもだ。図案だけを作る装飾魔女が多い中、彼女は素材の選定や染めから始め、刺繍や機織り、描画など、実際にその図案を形にするところまでやりたがる魔女だった。故にいつも忙しく、うっかり倒れたりなどもしたのだが――閑話休題。

 彼女は持ち前のワーカホリックを発揮して、この日も早朝から森で素材を採取し、こうしてコトコト、鍋でリボンを煮ていたのだった。

 朝食を作る最中にふと、『小鳥の飾りに使うリボンを、森の恵みで染めたら森の加護をより得られて良かろう』とひらめいてしまったものだから、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。

 ――師匠と妹弟子の面倒を見つつのんびり暮らしをしよう、と目論んでいたはずなのに、ついこうして凝ってしまうのが、アニスという魔女なのである。


「できればもうちょっと鮮やかに染めたいけど、森の恵みで染めるにはこのあたりが限界かなあ。草も木の葉っぱも元々緑なのに、緑には染まらないって不思議よねえ……」


 琺瑯のバケツからリボンをすくい上げ、工房の灯りにかざしたアニスは、それを見上げてううんと唸る。


「媒染剤はやっぱりミョウバン石の色がいいな。でもミョウバンって魔力が乗りづらいんだよね……。やっぱり、二割だと魔力伝導率がいまひとつ。比率をもう少し変えようかな……。でも三割まで行くと色がくすむんだよなあ」


 ちなみに媒染とは、染め物に染料を定着させるために行う作業である。染める前や後に、素材を媒染剤と呼ばれる薬剤に漬けることで、色を落ちにくくしたり発色を変えたり、良くしたりすることができるのだ。

 そして魔術師は更に、染料だけではなく、この媒染にも魔術を使うことで、薬剤だけでは難しい発色を実現したり、魔術の素材としての効果を高めたりすることができる。

 凝り性のアニスは、好みの色と魔力伝導率(魔術の素材に求められる性能のひとつである)を求めて、朝からずっとリボンを煮ては干し、煮ては干ししているのだった。


「もう少し濃い色だともっといいんだけど。そうだ、素材を変えてみようかな。コットンのリボンは手軽だけど、羊の毛糸を使う方が色が濃く出るかも。染めてから編んで、組紐みたいにしたらリボンの代わりにできそうよね」


 しばらく後、バケツからリボンをすくい上げたアニスは、陶製のシンクに設置された流水の魔道具の中にさらしてその色を見ながら、ぶつぶつと独り言を呟いた。これは、調合中ののアニスの癖である。


「ああでも、小さい子だと『チクチクして嫌!』って言われるかな……」

 流水から引き上げたリボンを、室内に設置した洗濯ロープからぶら下げると、アニスは鍋の火を消し、

バケツと共にそれらを遠ざけると、くるりと横を向いて口を開いた。


「ミシェール、ちょっと来てー!」

「はぁーい!」


 よく通るアニスの声に応えたのは、まだまだ幼い子どもの甲高い声だ。工房と呼ぶべき作業部屋の続き部屋からひょっこりと覗いたのは、刈り取り間際の小麦のような黄金の巻き毛に、ふくふくしたまあるいほっぺに森の色の瞳をした三歳くらいの幼女――アニスの妹弟子のミシェールである。


『あぶないから、呼ぶまで入ったら駄目だよ』


 そう言われてしまい、隣の部屋で耳をそばだてながら待機していた彼女は、アニスの呼び声を聞くと、パッチワークでカラフルになったクマのぬいぐるみを抱え、勢い込んで駆け込んできた。


「なあに⁈」

「あのね、このリボンとこっちの毛糸、どっちのさわり心地が好き?」

「んんー……?」


 染める前の素材を丸め、ミシェールの小さな手にそっと渡す。ぬいぐるみを床に置き、ミシェールは真剣な顔をして手に乗った毛糸玉とリボンの塊をじっと見つめ、それからもにもにと手を動かしてさわり心地を確かめた。

 それからたっぷりと悩んで、ミシェールは重々しく頷くと、両方の手をアニスに向かって突き出した。


「みしぇは、どっちもしゅき」


 きっぱりである。

 宣言する表情も凜々しく、アニスは苦笑すると毛糸玉とリボンの塊を受け取った。


「いとは、ふあふあでしゅき。りぼんは、するするでしゅき。どっちもしゅき」

「……んじゃ、次は毛糸も染めてみるかー」


 幼子おさなごが嫌がらないのであれば、あとは色の出で決めよう。アニスはそう考えて、干しているリボンを見上げた。つられたようにミシェールも物干しロープを見上げ、目をきらきらと輝かせる。


「きれいなりぼん!」

「あら、そう?」

「やさちい、もりの、いろ!」


 なるほど、とアニスは頷く。

 ミシェールは森に住まう精霊の愛し子であるという。幼い子どもは鮮やかで濃い色が好き、というのはよく言われるが、彼女の場合は、森の色であればそれに限らないらしい。


「……ひょっとすると、この町で育つ子ども達も、森の色が好きだったりする? 首から提げるか手首からぶら下げるかで、毛糸とリボンを変えてみてもいいかもだし、リボンも残しておこうかな。……持ち手はこの方向性で行くとして、生地も一回織ってみた方がいいかしら」

「きじ?」

「ああ、布のことよ」


 首を傾げたミシェールに、アニスは答える。ミシェールは目を丸くして、ぴょんと飛び上がった。


「あにしゅ、ぬの、つくれる⁈」

「もちろん! 機織りはわたしの特技なんだから」

「おおー……」


 そう言って、アニスはにっこり微笑むと、ローブの前を開いた。ローブの下に着込んでいるのは、前と後ろを大きく覆おう、丈夫な生地のエプロンだ。よく見れば、エプロンに使う生地には到底あり得ないような、精緻で美しい模様が織り込まれている。


「このエプロンの生地も、昔わたしがまだここで修行をしていた頃に織ったものなのよ。この時はどれだけ魔術を織り込めるかに凝っていたの」

「まほうじん、いっぱい?」

「そう、例えばこれはね……」


 模様に見せかけて、幾つかには魔法陣的要素があるのだとアニスが説明を始めたところに、「にゃっ」と小さな鳴き声が響いた。

 アニスとミシェールが振り返れば、庵の主・大魔女マーロウの使い魔、黒猫のオニキスが、丸められた書簡を咥えてアニスをうにゃうにゃ呼んでいるではないか。


「あらオニキス、今日は伝書猫なの?」

「にゃっ」


 咥えたままでは鳴きづらいのだろう。

 オニキスは短く鳴くと、オニキスと目を合わせようとしゃがみ込んだミシェールの前で、口からぽとりと書簡を落とした。


「何々? 師匠宛の魔法陣発注の依頼と……、うわっ、『導きの小鳥』の個別オーダーの相談⁉」


 丸められた書簡の中に含まれていたのは、マーロウのメモ書きと、自警団に紹介されたという前振りの、町の小間物屋からの相談所だった。

 まだ自警団からの依頼も途中だというのに、どうやら町中で評判を聞きつけたらしい。店を通して一般家庭からの依頼にも応えて貰えないか、という旨の文章が、高い熱量で綴られている。


「うううん、孤児院と主婦会の皆さんに、冬の内職としてお願い出来れば、いけるか……?」

「あにしゅ、おいそがし……」


 床に置いていたクマを抱え直し、毛繕いを始めたオニキスの隣に座り込んで、ミシェールは思わずと言ったように呟く。


「そうね。でも、充実してるわ。それに、王都に比べればだいぶのんびりしてるのよ」

「おうと……おしょろしいところ……」


 未だ治る兆しの見えないワーカホリックの鱗片を覗かせながら明るく笑うアニスに、ミシェールは身を震わせた。

 そして、相談書を覗き込んであれやこれやと考え始めたアニスを見つめ、ふう、と子どもらしからぬ息を吐く。

 ちらりとオニキスを見下ろせば、彼女も呆れたように目を眇めて、ミシェールの姉弟子を見上げていた。

 おそらく、やれやれ、と言いたいのである。

 ミシェールもこくりと頷いて、考え込むアニスのローブの裾をちょいちょいと引っ張った。


「……ねえねえあにしゅ」

「なあに?」


 はたと我に返って見下ろしてくるアニスに、ミシェールは一度、窓の方を向いてからこう口にした。


「あのおにーしゃん、ほっといていーの……?」

「うっ」


 アニスは顔をしかめ、敢えて思考から追い出していた窓の外の存在に意識を向けた。


「……ス!」


 風の奏でる木々のざわめきと野鳥の鳴き声、それらに、なにやら大魔女の庵に似つかわしくない、男声が混じっているではないか。


「……アニス!」


 そう。

 明るい外光を取り込んでくれる工房の窓の向こうでは先ほどからずっと、ひとりのひょろりとした青年が、冷たい晩秋の風に吹かれながらこう叫んでいたのである。


「アニス! 弁解を! 弁解をさせてくれないか‼」


連載再開しました。年内完結予定です! よろしくおねがいいたします。


……なお、現実の染め物とはだいぶ手順が違うと思いますが、ファンタジー魔女のお仕事ですので、そんな世界があっても良かろう、ということで、よろしくおねがいします。

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待ってました╰(*´︶`*)╯♡
待ってました! 年末まで大いに楽しませていただきます!
続きを待っていました♪
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