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あいつがやってきた 1

「……やらかしたー!」


 伝説の一夜が明けた翌朝。

 幸か不幸か、酒では記憶が飛ばないアニスは、昨晩の己の姿を思い出し、寝台の上で頭を抱えた。

 無事に事件が解決したまでは、いいのだ。

 だが、その後の慰労会で、何やら浮かれてバンバン魔術を使い、下手くそな歌を歌ってテンポのずれたステップを踏み、ワインもグビグビ飲んだような……。

 その上、千鳥足で危ないからと、何人かに庵まで送って貰ったような。


(のんびり暮らしがどうとかじゃない、その浮かれっぷりは大人としてどうなのよ……。弟子姉妹揃って町の人に迷惑掛けるとか穴があったら入りたい、そうだ毛布に潜ろう……)


 穴の代わりに今一度、キルトをかけた毛布に潜ろうとしたアニスは、途中で思い直してベッドサイドの水差しへと手を伸ばす。


(水は飲んでおかないと……)


 幸いにして、二日酔いにこそなってはいないが、胃はどうやら元気がないし、触れた頬も浮腫んでいるようだ。頬に当てた掌をぐっと押し、アニスは大きく息を吐いた。


(こんな日は、水とリンゴだけ食べて、もう一眠りしたいとこ……。ああ、ヤナさんとこに行かないといけないんだった)


 そう、のんびり暮らしを目論んでいたはずのアニスには、いつの間にやら仕事がある。話を進めるのは後日とするにしても、連絡だけはせねばならない。


「ん?」


 項垂れつつ、寝台から降りようとルームシューズにつま先を押し込んだアニスは、扉の陰からこちらを覗いている金色のふわふわ巻き毛に気がついて、目を瞬いた。


「……おはよ、あにしゅ」


 覗き込んでいたのはもちろんのこと、アニスの妹弟子であるちびっ子魔女見習い、ミシェールである。


「おはよ、ミシェール」

「……ぐあい、わるい?」


 寝台に座ったままのアニスの傍までとことこやってきて、心配そうに覗き込んでくるミシェールに、アニスは苦笑を浮かべて肩を竦めた。


「どっちかっていうと、自己嫌悪ってやつね……」

「じこけんお……?」

「あー、わたしってば一体何してんの! このお馬鹿! って思って落ち込むことかしらね……」


 アニスの説明に、ミシェールはハッと目を見開くと、塩を掛けられた青菜のようにしおしおと、背を丸くした。


「じこけんお……」

「どしたの、ミシェール?」

「みしぇも、じこけんお……」


 どんよりと、悲哀の陰を背負うミシェールに、アニスは首を傾げる。ミシェールは口を尖らせてむにむにとしばらく言葉を口の中で転がしていたが、アニスの視線に促され、口を開いた。


「……きのう、ごめなしゃい」


 首が絞まるくらいぎゅうぎゅうにセオドア二世を抱きしめて、ミシェールはうつむきぽつりと言った。

 ああ、とアニスが膝を打つ。昨日の魔法陣のやらかし(﹅﹅﹅﹅)のことを言っているのだと気がついたのだ。


「師匠にこってり、叱られたんでしょう?」

「ん……」


 とはいえ、師匠の言いつけを忘れて魔術をやらかすことは、見習い魔術師ならば誰でも通る初歩の道だ。ミシェールの場合はうっかり大事おおごとになってしまったが、そこから学び、繰り返さなければよいのである。

 しおしおと萎れて落ち込む幼子の頭を撫でてから、アニスはその頭頂をぽん、とごく軽く叩いた。


「もうしない?」

「しない。もじ、がんばって、おぼえる」

「立派な魔女を目指すなら、これからがんばろうね」

「……あい!」


 潤んだ瞳で、しかしキリリとした表情で両手をあげたミシェールのふわふわな頭を、アニスは全力で撫でたのだった。



「……というわけで、ヤナさんと聖乙女の孤児院の子供たちの協力を得られることになりまして」

「そうか、それはありがたい!」


 少し遅い朝食(とはいえリンゴとお茶だけであるが)を摂ったアニスは、ヤナ夫人の家に寄ったあと、そのまま警備兵の詰め所へと足を運んでいた。

 ヤナ夫人は流石の手腕で、今日の朝一番で孤児院へと足を運び、孤児院の管理人や子供たちのまとめ役と話を付けてきたというのである。

 そのスピード感に危機感すら覚え、アニスは仕事が勝手に走り出す前にと、ディルの元へ報告にきたのだった。


「孤児院でというのは、さすがヤナ夫人だな」

「さしゅがー」


 向かい合って話し込む大人たちの横で、椅子に座った小さな足がぷらぷらと揺れている。


「金額も、あれで大丈夫そうということなので、後日契約書をお持ちしますね。受注の順番がありますので、まず自警団からの注文から対応いたしますが、その前に試作品が出来るので、出来たらお持ちします」

「おう、よろしく頼む」

「おねがいちまつ!」


 元気な合いの手に苦笑してから、アニスはこほんと咳払いをして、三度頭を下げた。


「あと、昨日は諸々、ご迷惑をお掛けしまして……」

「いやいや、魔法陣は助かったし、夜送ってったのはヴィートと嫁さんだ。礼はそっちに言ってくれ」

「いえ、それもですが、事件そのものの最終的な顛末もまとめてくださったそうで……」

「あいあと、ごじゃいました」


 自分も謝りたいと、晴れ着に着替えてアニスに付いてきたミシェールが、ぺこりとディルに頭を下げる。

 三歳児(実際には六歳児なのだが)の舌足らずなお詫びの言葉に、ディルはからりと笑ってミシェールの頭をわしわしと撫でた。


「うわ」

「ああ、それが俺たちの仕事だから、気にしないでくれ。上げる先は実家だし、たまにはああいう仕事もしないと、やり方を忘れちまうからな」

「あいあと、ごじゃいました」


 もう一度、ぐしゃぐしゃになった頭を下げたミシェールの背をぽんと押してやった後、ディルは彼女の装いに目を留めて笑う。


「そういや、そのちびちゃんの晴れ着の刺繍は、魔女殿の仕事か? ずいぶんかわいいな」

「むふー! みて! あにしゅのまほーじん!」


 人見知りはどこへ行ったのか。

 装飾魔術のリボンの刺繍の愛らしさを褒められたミシェールはご機嫌な顔になり、くるくると子犬のように回ってみせた。


「ええ、わたしの仕事です。元の晴れ着はこの子のお母さんが縫い上げたものですが、このリボンは以前の仕事で使わずに残ったものをちょいちょいっとしています」


 まわるミシェールに微笑んで、アニスはちょっぴり胸を張る。ほう、とディルは目を見開いた。


「魔法陣には見えんのに、魔力はちゃんと感じる。不思議なもんだなあ」

「それが『装飾魔女』の仕事ですので」


 アニスがそう頷けば、ディルは首を傾げる。


「装飾魔女、っつうのは、普通の魔法陣を描く魔女とは違うのか?」

「基本的には魔法陣屋の魔女なんですが、ちょっと特殊な仕事ではあります。簡単に言うと、魔法陣に見えないように魔法陣を装飾として描く仕事ですね」

「ははあ……」


 アニスの説明に、ディルは一層首を傾ける。


「攻撃的な魔術は構成を崩すと発動しづらいので難しいんですが、身を守る魔術とかだと、元の魔法陣の代わりに唐草模様で表現できたりとか、代替できることがあるんですね。例えばこのミシェールのリボンの中の黄色い花、これは実は棘のある花で、侵入を拒むようなニュアンスを込めることが出来るんです」

「俺には難しい魔術だってことは良く分かった」

(……まあ、普通の人はあんまり興味ないわよね)


 あっさりさじを投げたディルに、アニスは苦笑する。ちらりと脳裏を過ったのは、初対面にしてこの話に食いついてきた、変わり者の魔術師(元恋人)の姿だ。

 初めて王都の図書館で遭遇したその日に、勝手に人の帳面を覗き込み、守護の陣をアレンジした唐草模様を見て大盛り上がりしていたあの男はやはり、いくら魔術師とはいえ相当な変わり者だったのだろう。


(なんか段々、落ち着いて思い返せるようになってきたわね……。この一週間が色々と濃厚すぎたから、薄まってきたのかもしれないけど)


 ふと思い出しても、胸が軋まなく鳴ってきた。

 王都を飛び出してそろそろ二週間が経つ。あの日の衝撃も、徐々に薄れて来つつあるのだろう。


「魔法陣だって気づかれづらいという利点があるので、守護陣とかにはすごくいいんですよ。隊長さんもご家族とかに送るときはぜひご用命ください。では、現時点での最終確認ですが――」

「隊長ー、すんません、ちょっと良いですかー?」


 アニスが改めて、ヤナがまとめた資料に目を落としたところで、戸のない応接室の壁がゴンゴンと叩かれた。そのまま無遠慮に入ってきたのは、詰め所の前で警備に立っていたらしい、ヴィートである。


「なんだ、来客中だぞ」

「すんません、その、人捜しをしてるっつう男が来てるんですが、なんか貴族っぽくてですね……」


 眉間にシワを刻んだディルに、ヴィートがガリリと後頭部を掻く。


「……人捜しだあ?」

「ああ、この町の出身だという女性を探している」


 聞き返したディルの後ろから、少し高めのテノールが聞こえてきた。田舎の町には珍しい都会的かつ貴族的な発音の、青年の声である。


(あ?)


 しかし、その声を耳にしたアニスは、氷のように固まった。余りにも、聞き覚えのある声だったのだ。


(そんなまさか)


 アニスはいやいやと首を振った。

 こんなところで聞くはずのない声である。

 何しろここは、王都から汽車と馬車を乗り継いで一日半の片田舎だ。王都育ちらしい貴族の男がふらりと現れるような場所ではない……はずなのだ。


(……やだやだ、他人の空耳に決まってるじゃないの。そうでなければ幻聴よ、馬鹿ねえアニス、未練がましいったらないわ!)


 しかし。


「セージじゃねえか!」


 言い聞かせるアニスの向かいからディルが立ち上がり、扉の入り口付近にいるらしき青年に向かって、大股で歩み寄っていく。

 耳に届いた名を疑い、アニスは油の切れた機械のように、ぎしぎしと首を動かし、入り口の方を向いた。幸いにして、声の主は入り口の向こう側にいるようで、その姿は見えない。おそらくこちらの姿も、見えてはいないだろう。


「久しぶりだな! いやでもお前、どうしたんだ? こんなとこに来るなんて、珍しいじゃねえか」

「ディルか! 久しいな!」


 貴族家同士の繋がりでもあるのだろうか、どうやら男たちは旧知の仲であるらしい。応接室の入り口で軽く肩をたたき合い、気さくに言葉を交わしている。


(……そ、そんなこと、ある⁈)


 何故か背中に冷たい汗が噴き出し、アニスはおろおろと視線をさまよわせた。不思議そうに首を傾げたミシェールが、足をぷらぷらさせたままアニスを見上げるが、答える心の余裕がない。


「そうかこの町には君がいたか。いやなに実は人を探してここまできたのだが」


 貴族の男は、ディルとなかなか親しいらしい。声の主がアニスの知る男であるとするならば、彼には珍しいほど饒舌に、ディルに向かって口を開いた。


「君は顔が広いから知っているだろうか。探しているのは燃える紅玉のような豊かな緋色の髪に青玉色の瞳をした色の白い美女なのだが、いや、美しい女人であることは確かなのだが何より美しいのは彼女の振るう魔法陣を基本とした数多の魔術でな……」

「――ん?」


 ディルがふと、首を傾げた。

 そのままひょい、とこちらを振り返ってくる。

 アニスはぎくりと身を強ばらせ、貴族の男は応接室を覗き込んで、これまたぴしりと凍り付く。

 ふたりの間を冷たい風が一陣、通り過ぎた。


 肩ほどまでの長さの癖の強い黒髪に、神経質そうに見える灰色の瞳。意志の強そうな眉と細い顎、目の下には黒い隈。ひょろりと伸びた手足と、それを包む上等のスーツ、そして特徴的な魔術師のローブ。

 どこからどう見てもインドア派の頭脳労働職にしか見えない、余りにも見慣れた、その姿。


「は? アニ……」

「――人違いです」


 男がぽつりとアニスの名を呼びかけたその刹那、アニスの口は条件反射のようにそう言葉を零していた。

 ミシェールを抱えて立ち上がったアニスを、青年は口をぽかんと開けて見つめていたが、次の瞬間「いやいやいや!」と叫んで飛び上がる。


「アニス!? いやアニスだろう!?」

「人違いですぅうううう!!」

「えっ魔女殿速ッ」


 ディルがらしからぬ甲高い声を上げるのを後ろに、アニスはミシェールを抱えたまま、彼女の持てる全速力で詰め所の外に飛び出した。


「なぁんでここに、あいつがいるわけええええ⁈」


 アニスの間の抜けた悲鳴が、夕暮れ前の町に響き渡り、道行く人がぎょっと振り返る。しかし、声の主が例の魔女殿だと気がつくと、皆微笑んで日常に戻っていった。

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