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アニス、駆けずりまわる 4

(うーっ、緊張するなあ……。しかも周りの鳥が、うるさい!)


 至る所の屋根に鳥の留まる町の中、中央に小さな噴水の置かれた、中央広場にて。

 地面に膝を突き、小脇に砂箱(描かれたものが消えないよう、マーロウに固定の魔術を掛けて貰った)を抱えながら、ディルに集められた警備兵や自警団員に囲まれたアニスは、鳥の鳴き声に耳を塞ぎながら『ほどきの魔術』を編むことになった。


(あんまり、見られてない方がやりやすいんだけどなあ……仕方ないか。……集中、集中!)


 アニスは空を睨んでから、両の頬をパンと打つ。


(さ、やるよ、アニス!)


 そしてひとつ気合いをいれて息を吸うと、短杖を握り締めた腕をゆっくりと、宙に伸ばした。

 紙や布の上ではなく、宙に魔力で直接描く魔法陣は、高い集中力と繊細な魔力操作が求められるため、難易度が高い。

 その上、他人の編んだ魔術をくのは、良い『眼』と高い技量が必要となる、最高難易度の術である。術のほころびをみつけ、そこから構成をほどいていって、単純な魔力に戻すのだ。


(さて、どこから解こうか……)


 ごく細い糸で編まれたレースを元の糸に戻すような神経を使う魔術で、しかも今回は元の魔術が、一体どうして発動出来たのか分からない、らくがきのようなものである。

 何をすれば打ち消せるのか、アニスは慎重に魔術を検証し、ひとつひとつ、打ち消しの術を編んでいく。

 アニスの澄んだ青い瞳、その色に似た魔力がするりと糸のように伸びて、広場の空に緩やかに、大きなレース編みのような図案を浮かび上がらせていった。


「ほう、綺麗な魔術だな」

「アニスの魔術は綺麗だって、昔から一目置かれてたんですよ」


 ディルが小さくつぶやき、ヴィートが応える。

 彼らの会話を皮切りに、真剣な表情でゆっくりと魔術を編み上げていくアニスの姿を見つめる警備兵たちが、小声でつぶやき合う。


「あの通りの美人だし、魔術も綺麗だしってね、しかも魔女でしょう。町の子たちからは、良い意味でちょいと浮いてましてね。……で、年頃の男どもが牽制しあってるうちに、都会に出ちまって」

「よくある話だな……」

「突然帰ってきたもんだから、独り身組が浮き足立ってますよ」

「さもありなん」


 ディルとヴィートが苦笑しているうちに、アニスの魔術はどんどんと進む。

 そうしてしばらく経った後、彼女の手元が眩い青に光ると、空に描かれたレース編みがふわりと輝いた。彼女の指先から、ひときわ強い光がひとすじ、端から端へとレースを流れ、流星のように輝いて消える。

 そうして編み上がったのは、水底から天を見上げたような、美しい魔法陣だ。輝くレース編みから、青い光が白々と、清涼に降ってくるのである。

 その降る光の下に立つひとりの魔女に、誰もが口を噤んで静かに魅入られていた。


(……よし、ちゃんと魔力が通った)


 途中から、己の集中の世界に没入し、周囲の視線をものともしなくなったアニスは、端から端まで自分の魔力が流れることを確認すると立ち上がった。


(端の方まで、漏れもなさそう。理論上は、これでいけるはず……)


 一度額を拭ってしずかに振り返る。そしてぽつりと口を開いた。

「できました……」

「……お、おう」

「お、おつかれさまー」


 魔術を振るう魔女の姿に魅入られていた男たちは、その時ようやく時が動いていることに気がついたらしい。はっと目が醒めたような顔をして、立ち尽くす赤毛の魔女を見た。

 周囲からまじまじと見られていたことを思い出したアニスは居心地が悪そうな顔になったが、こほんと一度喉を鳴らして、己の成果物を振り返る。


「これはですね、あの鳥の魔術を打ち消す為の術を込めた、投網のようなものです。あの鳥にとって慕わしく感じるような要素を仕込んであるので、ここに向かって鳥を追い込んで頂ければ、鳥たちは勝手に近寄ってきて、網に触れると消えていく……はず」

「投網……」


 この神々しいほどに美しい魔法陣が、言うに事欠いて『投網』とは。せめてレース編みと言ってくれ、と誰かがぽつりと呟くが、アニスは平然と頷く。


「ですが、投網が一番近いと思います。そうでなければ蜘蛛の巣でしょうか……」

「あー、この魔法陣は、移動させることは可能か?」


 アニスの説明に、気を取り直したディルが問う。


「移動は難しいです。必要な場所に、もう一度書くことになります。ただ、一度書いたので、次はもう少し簡略化できると思いますが」

「そうか、では他にも何ヶ所か、書いてもらった方が良いだろう。お願い出来るか」

「もちろんです」


 妹弟子のやらかしの始末は、姉弟子の任務である。大きく頷いたアニスに、ディルは他の町の地点を幾つか指示すると、男たちを振り返った。


「では、予定通り追い込みを始める!」

『応!』

(うわ、耳がビリビリする)


 ディルのかけ声に応じたのは、警備兵に自警団、そして体力に自信のある町の男女たちである。

 気炎を上げる彼らの勢いにアニスは吹き飛ばされそうになったが、勢いよく頭を下げた。


「お手数をお掛けしてすみません! どうぞ宜しくお願いします!」

「まかせとけ!」

「おちびちゃんには気にすんなって言っときな!」

「これで俺も、大魔女様のとこの伝説の仲間入りだ」


 口々に軽口を叩きながら、人々は町に散っていく。

 程なくして、街中が鳥の鳴き声でお祭り騒ぎのようになった。武器のみならず、箒や竿、スコップにピッチフォーク、果ては釣り竿といった種々様々の得物で追い立てられた魔法の鳥たちが、魔術の投網めがけて逃げてきたのだ。



「うおおおお」

「待てえええええ」

『ギエエエェエエエ!』

『グワァアアアアア!』

「逃げるなァ! 丸焼きにするぞ!!」

『ギャァァ ギャァア』


 追い立てられた彼らは、アニスの魔法陣を見ると、休憩所でも見つけたかのように寄ってくる。


『――グワッ!?』


 しかし、編み目にぶつかると、安息の地ではないと気づくらしい。編み目に吸い込まれた鳥たちは恨めしげな鳴き声を上げると、薄緑の光にほどけて消えていった。


「消えたぞ……」

「きれいだな……」


 魔法の鳥を追い込んできた自警団員たちが、消えていく鳥を呆然と見あげる。

 現れる鳥はどれも鮮やかな、誰もが見たこともないような異国のものなので、それが光って消えていく様は、まるでプリズムの輝きのようだ。


「よ、よかった、効果あった……!」


 しかし、大仕事の成果を確認していたアニスには、きらめきに感動する余裕はなかった。追い込まれてくる鳥が次々と消えて行くのを目にし、ようやく安堵して胸を撫で下ろす。そしてふらりとよろめいて、噴水の縁に座り込んだ。


「ふむ、さすがは大魔女殿の弟子、というところか」


 場に残り、人々に指示を出していたディルがそう褒める。アニスは力なく首を横に振った。


「いえ、師匠ならもっと鮮やかに展開したでしょう。なんだったら、魔法陣から蔓でも伸ばして鳥を吸引する術、なんかも付与できたかもしれません」

「魔女や魔術師というのは、完璧主義者ばかりなのか? 俺の従弟も君のようなタイプだったが――大きなことを成し遂げた直後ぐらいは、自分を誇って良いと思うぞ」


 ついつい自分の編んだ魔術の分析を始めてしまうアニスの肩をポンと叩き、ディルは朗らかにそう言った。アニスが「職業病ですね」と苦笑を浮かべると、「じゃあ仕方が無いな」と快活に笑う。


「――では、回復したら、他の地点にも魔術を頼む。その間、俺も鳥たちを追ってこよう。ヴィート、お前も来い!」

「はいッ!」

「宜しくお願いします! ご武運を!」


 ディルとヴィートが大通りを駆けていくその背を見送ったアニスはしばらくその場で休んだ後、次の魔法陣を描く地点へと移動するのだった。



「お……、終わった……!!」


 最後の一羽が魔法陣に吸い込まれたのを見届け、アニスはぺしゃりと地に伏せた。

 くったりと冷たい石畳に横たわったアニスの視界に、黒々と伸びる建物の陰が映る。その建物を照らすのは、沈みつつある冬の夕日だ。町は黄金に輝いて、冬の夜を迎えようとしていた。


「ま、まにあったー……」


 展開していた魔法陣への魔力の供給を絶ち、それが消えていくのを見守りながら、アニスは深く息を吐いて地面に頬ずりする。


「あー、つかれた……」


 人々が眠りにつく夜までになんとか、騒音の元をおさめたい。その願いは叶ったが、今にも魔力が付きそうである。どうにもこうにも草臥れ果てた。

 最終的に描いた魔法陣は全部で三つ。アニスはそれを、この時間まで維持し続けたのである。


「のんびり暮らし、とは……?」


 アニスがこの地で実現しようと思い描いていたのは、早くに起きてゆっくりと食事を取り、健康的な活動をして早くに眠るという、『丁寧な暮らし』だ。

 これほどの疲労困憊になる予定は、まったくもってなかったのだが。


「ままならない……」

「おお、魔女殿。随分お疲れのようだな」

「隊長さん」


 がっくりと肩を落として転がっていたアニスは、声を掛けられてがばりと起き上がった。身体に付いた砂を払いながら、改めて頭を下げる。


「本日はご協力、本当にありがとうございました。皆様へのお礼につきましては、後日、師からお話させて頂ければと……!」

「そうさな。それは大魔女殿に直接聞こうか」


 立ち上がるアニスに手を貸しながら、ディルが苦笑する。すると彼の後ろからヴィートがふらりと現れて、その手に持っていた陶製のジョッキを、ひょい、とアニスに差し出した。


「じゃ、アニスもこのジョッキ持って」

「えっ?」


 思わず受け取ったアニスは、いつの間にやら自分が、ジョッキや皿を片手に抱えた人々に囲まれていた事に気がついた。

 ヴィートはそのままディルにもジョッキを押しつけると、噴水脇に置かれていた樽の上にひょいと飛び乗り、ジョッキを掲げて音頭を取り始めた。


「みなさーん! ジョッキを持ちましたかー!?」

『おーう!』

「酒と飯はそこの食堂のやつでーす! そして今日は、隊長のおごりでーす!」

「おい待て」

「じゃ、みなさんおつかれさま! カンパーイ!!」

「くそっ、ひとり一杯までにしろよ!!」

『カンパーイ!!』


 ジョッキをぶつける音が響き、一口目を皆が勢いよく流し込むと、場がドッと盛り上がった。何が何やらと目を白黒させるアニスの前で、流れるように始まったのは、どうやら本日の慰労会らしい。

 篝火が焚かれ、誰かが歌を歌い出し、どこからか、お腹の空く良い香りまで漂い始めている。


「お疲れ魔女さまー」

「ささ、魔女さんエールをどうぞー」

「ワインの方がいいかしらー?」


 まだジョッキを持っているというのに、どこかからワインが注がれたグラスが差し出され、アニスは思わず噴き出した。ひどく陽気な気分になって、ジョッキを持ったまま、グラスを傾ける。


(おいっしい! 久しぶりにお酒飲んだ……!)


 中身はこの地域における赤のテーブルワインで、値段のわりに味が良いと評判の、何杯でも飲めるような軽い口当たりのものだ。王都に出る前、成人したばかりの頃に何度か飲んだ、思い出深い味でもある。


(こういうノリ、ちょっと久しぶりだな)


 小さなミシェールと怪我人のマーロウがいるから、と言う理由もあるのだが、思えば王都を出てから、お酒を口にしていなかった。


(……なんだか楽しくなってきたぞ)


 久しぶりの酒と、冬の寒さを吹き飛ばす陽気な雰囲気に、アニスは段々と高揚する自分を自覚する。そのままぐびりと杯を傾け、ぺろりと口の端を舐めた。


(のんびり暮らしにはほど遠いけど……、たまにはこんな夜もいいわね!)

「お、魔女さん、うまそーに飲みますねえ」

「美味しいですもん。王都から帰ってきて始めて、ここのワインが美味しかったんだって気づきましたわ」

「出戻りすか? なんで帰ってきたのか聞いても?」

「それは内緒でー」

「よおー! 飲んでるかアニスー!」

「ヴィートは辛み酒だから、魔女さん逃げろー」

「うるせー! なあなあ、魔法陣めっちゃ綺麗だった! なんか一発芸とかないか⁈」

「んふー、あるある」


 隣りに座った知らない男の話を躱したところでヴィートに促され、アニスは酒の勢いに任せてふらりと噴水の縁に立ち上がる。


(なにしよかな……そうだ!)

「みなさん! 今日はありがとうございました! お礼にもなりませんが、今から、魔女の一発芸を披露しまーす!」


 やんや、と参加者たちの喝采が弾けた。

 久しぶりに、それも疲労した身体で飲んだのがいけなかったのだろう。どうやらうっかり、ずいぶんと酔っ払っている。

 アニスは、酔っ払いらしい勢いで、短杖を片手に振り上げた。そして、周囲が「なんだなんだ」と注目する中、舞うように振り下ろす。


 ふらふら、ふらり。

 ひらひら、ひらり。


「そーれ!」


 そして、アニスの気の抜けた掛け声に合わせ、立て続けに三つ、鳥の姿をした光が空に舞い上がった。

 くちばしの大きな南国の鳥に、見慣れている森のフクロウ、そして最後にみんなで追い込んだ、巨大な飾り羽を背負った孔雀。

 酔っ払いが描いたそれは、ちょっぴり歪んでいるものの、なかなか見事な『光の絵』だ。これは、魔術師が余興などでよく行う『幻想絵』という魔術である。

 光の鳥は舞い上がり、幾度か羽ばたくような仕草をすると、人々の頭上をくるりと飛翔する。そして静かに夜の闇へ消えていった。


「……すげー!」

「きれーい!」

「一発じゃねえな!」

「三発芸だな!」

「わははは」


 どっと場が沸き、皆が快哉を叫んだ。人々は手を打ち鳴らし、ジョッキをぶつけて立ち上がる。


「すげー! なあもっと、なんか飛ばしてくれ!」

「魔女さん、あの鳥飛ばして! 今日見たんだよ、ものすごく尻尾が長いニワトリ!」

「俺はあれが見たい、なんかちっこくて白くて丸くてやたら可愛いやつ! 北の大地にいるらしい」

「いやそこは俺たちの愛する湖の主、白鳥だろう!」

「そーれ!」


 調子に乗ったアニスはそれから更にポンポンと、光の鳥を打ち上げる。

 そしてアニスは、舞い踊る光の鳥に興奮し一層盛り上がった面々と酒を飲み交わし語り合い、歌って踊って散々笑い、遅くまで盛り上がったのだった。



 ――こうしてその日、湖水の町にまた()()()、魔女にまつわる伝説が生まれたのである。

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今にも魔力が付きそうである。 →今にも魔力が尽きそうである。 ヴィートは辛み酒だから、 →ヴィートは絡み酒だから、
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