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アニス、仕事をしてしまう 2

「いやでも、合わせて七十個は流石に厳しいわー」


 勇み足で庵に帰り、作りかけの新・ミシェールの小鳥を横に、前回の『導きの小鳥』のデザインを画帳に描き起こしたアニスは、机にバタンと倒れ伏した。


「早まったかなー……」


 何しろ前回のそれは、採算度外視。趣味の延長で作った『魔術増し増し』のそれである。


「いやでも、なんか面白そうな気配がしたんだもん」


 材料費や技術費を貰えば作れはするが、名産にする程広げるには、アニスと同レベルの装飾魔術師が複数人必要となるだろう。


「さて、諦めて考え直しましょう、アニス。煮詰まったときはまず前提条件を考え直すことだ、ってセー……いやいや、誰かさんが言ってたもんね」


 アニスはむくりと起き上がり、帳面の次のページをめくって、ペンを握った。


「……ええとまず、たくさんつくるなら、ある程度の簡素化は必須よね。図案も、素材も、行程も……ううん、裁断と縫製と綿詰めは魔女でなくても出来るな。刺繍部分も、魔力入りの糸と図案を用意できたら、お針子さんでイケるか」


 小鳥の形はそのままに、刺繍を簡素化し、代わりに糸に魔力を込める。これでもかと盛り込んだ機能は少し押さえて、簡易結界と迷子連絡機能だけに絞れば、必要な魔力も少なくて済むだろう。

 なに、迷子札は古式ゆかしく、紙などに書いて小鳥のお腹に入れられるようにしておけば良いのである。


「この術の発動に、この図案だけは外せない。そしたら、ここの図案はこうして……、こうすれば簡略化できるか。森への祈りと守護の願いは必須だから、楢の木のモチーフは残さないと、尻尾にすると形が複雑になって大変だから、羽部分の薔薇の蔓をやめて、楢の葉の形にすれば……」


 久しぶりの装飾魔女としての仕事に、アニスの頭は軽快に巡り始めた。彼女の指は次から次へ、画帳の上でペンを滑らせ、魔術を書き留め図案を描く。


(ああなんか、久しぶりに、仕事してるー! って感じがする……!)


 のんびり暮らしはどこへ行ったのか。

 そんな言葉が脳裏をちらりと掠めたが、久しぶりに感じる『やりがい』にアニスの心は興奮し、逸る魔力も止まらない。


「こっちのステッチより、チェーンステッチの方が面を埋めるのが早いかな。曲線を刺すのもやりやすいし、後で試してみるか……」

「小鳥の目の魔石は、屑魔石でも大丈夫なように、できるだけ低魔力で起動するように……」

「ああ、でも最後の目の縫い付けだけは、魔術師の手が必要だな。これだけは削れないや」

「……図案、これでイケるんじゃない? よし、次は試作! 布は本当は魔術布がいいけど、いったんコットンでいいかな」

「糸は……魔力で染めた方がいいか。染料はどこかな。赤はサフラワー、黄はゲレップ、茶はカワラマツバ……、赤紫に染まる良い染料があったはずだけど、なんだっけ。染織のサンプル帳がどこかにあったな」


 止まらないアニスは、いつの間にやらとっぷりと暗くなった部屋の中で、手元の灯りだけを頼りに作業を進めていることにすら気づいていなかった。

 それどころか、外からパンと肉を抱えて帰って来るなり部屋に籠もり、それきり出てこずに何やら魔術を繰り返している姉弟子に興味津々のミシェールが、時々こっそり覗くことにも、まるで気がつかないのである。ひとりで暮らしている時にもこうであったのであれば、それは過労にもなろうというものだ。

 しかし幸いにして、今は同じ屋根の下に師と妹弟子がいる。部屋の扉はついにはゴンゴンと激しく叩かれ、アニスはようやく我に返った。


「あにしゅー?」

「……ああごめん、もうご飯かな?」


 半端に開いていた扉の隙間から中を覗き込んだミシェールが、部屋の惨状に文句を言う。


「おへや、くらーい! あと、ごはんー!」

「ごめんごめん、すぐに用意するから……」

「おししゃまが、すーぷちゅくった」

「お師匠様が?!」


 ミシェールの言葉に慌てて立ち上がり、アニスはカーテンの開け放たれたままの窓の向こうに見えた景色に、目を剥いた。


「うわ、もう月があんなとこに!?」

「もおー」


 満月に近い月が、煌々と天近くに登っている。時間的には夕ご飯どころか、ミシェールの眠る時間が近いくらいだろう。

 ミシェールに聞けばやはりそうで、ミシェールはマーロウに「寝る前の今日の最後の仕事」と言われてアニスを促しに来たらしい。



 「ひとりでねれる」というミシェールを寝室に送り届けたアニスが慌ててダイニングへと向かうと、そこではあきれ顔の師匠が揺り椅子に揺られながら、薬草茶を啜っていた。


「なんだい、随分ボロボロだねえ」

「……ごめんなさい、つい集中しちゃって」

「お前は子供の頃からそうだったねえ……」

「そうでしたっけ……」


 師匠にじっとりとした半眼で睨めつけられ、アニスは頬を掻く。マーロウは苦い顔で頷いて、「だからその歳で倒れたりするんだよ」とぼやく。


「集中すると周りも何も見えなくなって寝食を疎かにする。時々は食事当番さえ忘れて、泊まりに来ていた姉弟子たちに滾々と説教されただろうに」

「あははー、そんな事もありましたっけ。直りませんでしたねー」

「悪びれずに言うんじゃないよ」


 マーロウはぎろりとアニスを睨み、はあ、と大きく息を吐いた。


「精霊様も仰ってただろう。お前には長生きしてもらわんと困るよ」

「気をつけます……」


 高齢の師匠に言わせる言葉ではないなと、流石のアニスも反省し、殊勝に眉を垂れる。それからキッチンへと足を運び、大きな鍋にたっぷり煮込まれたスープに火を入れた。その脇でチーズを載せたパンを温め、暖炉に掛かっていた鉄瓶で香草茶を入れる。

 それをトレイに並べてダイニングに戻ると、マーロウはまだ、のんびりとカップを傾けていた。


(おかしい。師匠の方が、わたしの理想ののんびり暮らしをしている……)


 はたと我に返るものの、一度受けてしまった仕事は最後まで終わらせたいのが、アニスの気質である。ワーカホリックなる性質は、ちょっと失恋したくらいでは変わらないのだ。


(いつか、師匠みたいなのんびり暮らしを手に入れるぞ……)


 足の怪我はまだ残るものの、それを感じさせないほどにのんびりと過ごしている師匠を横目に、アニスはスープを啜り、パンを口に運んだ。


「あ、おいしい。師匠のスープ、久しぶり……」

「あたしゃあんまり料理は得意じゃないんだよ」

「知ってます」

「生意気な弟子だねえ」


 まあ確かに、あんたの方が料理は上手いよ、とマーロウは唇を尖らせる。

 生粋の魔女であるマーロウは、子供の頃から家の中に、母親の弟子がいる暮らしをしていたらしい。家事は大抵、弟子たちの仕事なものだから、マーロウは余り料理をせずに歳を重ねてきたのだという。

 それを示すかのように、彼女の得意料理はたったひとつ。それがこの、野菜とハーブがたっぷり入ったごった煮スープである。今日は具に腸詰めも入っていて、なかなか豪華だ。


(これこれ、この味……)


 ほくほくに煮込まれた野菜を噛みしめて、アニスは頬を緩める。この素朴なスープの再現を求めて、王都でも何度か自作したが、同じ味にはならなかった。

 やはりコレは、この場所で食べるからこそ、この味に感じるものなのだろう。


「王都なんかにゃ、美食がしこたまあるだろうに」

「この師匠の味で育ちましたからね。わたしにとってはコレこそがお袋の味、ってやつなんです」

「おやおや、不味いもんばっかり食わせたせいで、舌が馬鹿になっちまったかねえ」

「ああ、チーズを載せたパンを少し残したスープに浸して食べるという背徳の美食!」

「やっぱりお前、舌が馬鹿になったんじゃないか?」


 そんな軽口を交わしながらの食事は、ごく普通の夕飯を楽しい晩餐に変えてくれる。


「ごちそうさまでした。……ところで師匠、折り入ってご相談があるのですが」


 食事を終えたアニスは、居住まいを正して師匠に向き直った。


「どうしたね、改まって」

「それが……」


 アニスは昼間、警備兵隊長に伝えられた要望を、マーロウに語って聞かせた。


「隊長ってことは、ディル坊やかい? それはまた、大きく出たもんだねえ。あの子はこの町が好きだからねえ。町を盛り上げたい気持ちが強いんだろうが」


 マーロウは目を丸くしてから、苦笑をうかべた。


「そういえばわたしが子供の頃にも、祭りを盛り上げるぞ、ってよく出て来てらっしゃいましたっけ」


 思い返せば遠い少女時代、大樹祭りを盛り上げようとする青年団の中にひとり、貴族の青年が混じっていたのを見たことがある気がする、とアニスはぼんやり思い出す。

 今ほど野性味のある姿ではなく、もう少し線が細かったような気もするが、顔立ちには面影があったかもしれない。


「子供の頃は身体が弱かったからねえ、湖の畔の領主家の別荘で療養していたんだよ、あの坊やは」

「そんな過去があったとは全く感じさせない、ムキムキな強面でしたけど?」

「大人になると良くなる子供の病気、ってのは幾つかあるんだよ。子供の頃の反動で動き回って、身体を動かす仕事に就いたりするやつも少なくないのさ」


 それにしても、あの熊のような男が、病弱な子供だったとは。アニスはしみじみ、人の成長の不思議を思い、それからひとつ咳払いして話を戻した。


「……話が逸れたけど。ええと、つまり、できるだけ分業するのが良いだろうって考えたんですよ」


 魔女がひとりで作るには、七十個は多い。それを特産品にするのなら、今後、永遠にそればかり作ることになるだろう。

 専門の職人であればそれで良いかもしれないが、アニスは装飾魔女である。『導きの小鳥』だけではなく、他の仕事だってある……はずなのだ。


「図案と最後の魔石の縫い付けは、魔力を適切に流せる人――魔女か魔術師ががやる必要があるけど、刺繍とか裁断とか綿つめとか縫製とかなら、魔力の無い人でも出来るはずだと思って。魔術糸の染めだって、業者に発注出来るし」


 アニスはひとつひとつ、自分以外の人が手がけても問題のない行程を指折り数える。


「実際に王都では、わたしの図案を元にドレスの刺繍をしたりとか、壁紙を描いたりとかって、他の職人さんがやることもあったんです。つまり、分業できるってことのはず!」

「そうさね。魔道具工房なんかでは、分業してるんじゃないかね。箱の外側の装飾なんざ、魔術師が作る必要は全くないからね」


 アニスの言葉に頷いて、マーロウは茶を啜る。


「まあ、全行程を魔女やら魔術師やらがやるよりは、魔術の威力が落ちるだろうが」

「それはもう、仕方ないかなと……。魔女じゃない人が持つことを想定するなら、多少威力が落ちた方が安全でもあると思うし」


 すべてをひとりの魔女が作れば、それは魔女の作品となる。魔女の思うとおりに魔力が通い、思い通りに術が放たれるだろう。

 しかし、それでは職人の作る逸品と変わらない。アニス以外の人も作る事ができるようにならなくは、特産品など夢のまた夢だ。


「というわけで。師匠にお伺いしたいのは、その伝手です。この街で、縫製と刺繍の出来る女将さんとか、ご存じないですか!」


 アニスの問いに、マーロウはあっさり頷いた。


「ああ、そんなら隣のヤナさんに話してごらんよ。あの人はこの辺の奥さん方のまとめ役みたいなことをしているし、手芸なんかも得意だ。おしゃべり好きだし、きっと、喜んで話を聞いてくれるさ」



 ――アニスとマーロウが、ダイニングでそんな話をしていた、丁度その頃。

 ひとりでねれる! と宣言したはずのミシェールは、セオドア二世を抱えてこっそりと、アニスの仕事部屋に侵入していた。


(あにしゅがくるまえは、ひとりでねてたのに……)


 ここしばらく、寝る前に本を読んで貰ったりしていたせいか、ひとりのベッドは思っていたより寂しくて、眠れなくなってしまったのだ。

 そしてミシェールは毛布の中で、眠る前に見たアニスの部屋の、無数の魔法陣を思い出したのである。


(あのまほうじん……、ことりしゃんだった、きがしゅる……。あれってもしかして、みしぇのあたらしいことりしゃんかな!?)


 むくり、毛布の中から起き出して、ミシェールは己の見たものを思い出す。


(あにしゅのおててが、きらきらしてて……。おほししゃまのようせいしゃんみたいだった……)


 こっそりと覗いたアニスの部屋で、彼女は机に向かい、真剣なまなざしで魔法陣を見つめていた。

 一心不乱に取り組むアニスの横顔は、手元で輝く青い光が清かに照らされて、まるで星をまとったようだったのだ。


(やっぱりきっと、あにしゅはちーとなの……)


 その姿は、魔女――アニスに憧れるミシェールにとって、とても素敵に見えたのである。

 うっとり、両手をまん丸のほっぺに当てたミシェールは、ほう、と息を吐く。


(……でもなんか、ことりしゃんいがいにも、いーっぱいあった、きがする。そう、あにしゅのおへやにはいま、いっぱいの、まほーじん……)


 むず。

 むずむず。

 そわ。

 そわそわ。


 思い至ってしまうと、我慢するのは難しい。

 もうひとつの記憶があろうがなかろうが、ミシェールは正真正銘の六歳児(身体は三歳児)だ。

 知能は高いのだが、身体の年齢に釣られてしまうのか、他の六歳児よりもちょっぴり子供っぽいところもある、まごうことなきお子様なのである。

 ミシェールは耳を澄まし、姉弟子も師匠も未だダイニングにいる様子なのを確認すると、こっそりと寝台から這いだした。

 小さなルームシューズを履き、セオドア二世を抱えて毛布を背負えば、冬の廊下の対策としては完璧な装いである。


「じゅんび、よーち……」


 鼻息も荒く寝室を出たミシェールは、柱の陰に隠れて師匠と姉弟子の気配を伺うと、こそこそと姉弟子の部屋へ向かった。


「おおー……!」


 薄く開いていた扉からこっそり中に潜り込めば、そこに広がっていたのはミシェールの楽園、アニスの書き散らかした魔法陣の走り書きの山である。


「まほーじんだ!」


 瞳をキラキラと輝かせ、背伸びをしたミシェールは机の上を覗き込んだ。それから、共犯者たる腕に抱えたテディベア、セオドア二世を抱え上げ、そのふかふかのクマ耳に小さく囁く。


「……みて、てでぃ。しゅごい」


 そこにあったのは、アニスが書き記した、暫定完成版の『導きの小鳥』の図案だった。

 愛らしい小鳥の形の中に、森に感謝や守護を祈る楢の葉のモチーフと、蔓草模様で描かれた結界の魔術、そして、魔術装飾文字を更に書き崩した優美な字体による『迷子連絡機能』の魔術が記されている。

 小鳥としての愛らしさを損なわず、さりとて魔術を疎かにすることなく刻まれたその模様は、アニスの装飾魔女としての技術の粋が詰め込まれた、非常に高度な構成となっていた。


「かあい……」


 魔術文字を習い始めたばかりのミシェールには、描かれている魔法陣も、それを元にアレンジされた装飾魔法陣も、まだ読み解くことはできない。


「きれえ……」


 しかし、そこに描かれている、飾り文字とモチーフを組み合わせて作られた、鳥の形をした魔法陣らしい模様の美しさは、幼心に突き刺さった。


「ことりしゃん……」


 ミシェールの脳裏には、森で失ってしまったあの小鳥の姿がまざまざと思い浮かぶ。

 横に書かれているメモを読む限り、あれと全く同じものではないようだが、同じように美しく、そして愛らしい。


(これ、できたら、みしぇ、もらえるかなあ)


 この小鳥のオーナーメントも、完成したらきっと、とても可愛くて素敵なものになることだろう。

 できあがりを想像し、ミシェールは頬を染める。


(あにしゅ、しゅごいなあ)


 こんなに可愛くて素敵な魔術を作れる姉弟子への憧れを募らせて、ミシェールは両手を頬に当て、ほう、と息を吐いた(この仕草も実は、アニスの真似なのだ)。


「ね、てでぃ。みしぇ、じぇったい、あにしゅみたいな、まじょになる」


 装飾魔女を目指すなら、今は、まず文字と魔術文字を覚えて、それからひとつでも多くの魔法陣を見ることが大事だと、姉弟子は言っていた。

 その言葉を思い出し、ミシェールは鼻息も荒く卓上の小鳥の魔術を見つめる。


「……みててね、てでぃ!」



 ――ミシェールの言葉を聞いたセオドア二世が、頷くようにチカチカと、その目を淡い緑に光らせたことには、ミシェールもまだ、気づいていない。

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