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アニスと森のファンタジー 2

「んふふう」

「ほう、なかなか似合いじゃないか」


 冬晴れの空が、葉を落とした木々の合間から澄んだ青を見せている。足元には落ち葉と枯れた下草に紛れてどんぐりが転がり、木の根元には終わりかけのキノコが覗いていた。


「うふふう」


 ここは、大魔女・マーロウが庵を結ぶ町外れから始まり山裾へと続く、大きな湖を抱いた豊かな森だ。

 一行は少し手前の泉で水垢離――とは言っても幼児のミシェールがいるので、泉の水をたらいに汲んで魔術で温めたものを使い、禊いだ後は魔術で身体を乾かしているのだが――をした後、『楢の木(オーク)先生』を目指して歩いているところだった。


「おしめしゃまみたいでしょ」

「そうさな、アニスの魔法陣の刺繍は都会のお姫様のドレスを飾っているそうだからねえ」

「しゅごーい!」


 久しぶりの森の中をえっちらおっちら歩くアニスの前を、晴れ着を着てテディベア――セオドア二世を抱えたミシェールと、少し浮いている大魔女・マーロウが楽しげに言葉を交わしつつ、軽やかな足取りで進んでゆく。

 そんなふたりをなんとか追いつつ、アニスは空を見上げ、周りを見渡し、それから自分の内側――体内での魔力の循環を確認して息を吐いた。


(……森の中って、こんなに清浄だっけ)


 アニスは目をつぶり、周囲の気配に耳を澄ませた。

 魔女、特にアニスやマーロウのような古典的で伝統的な系譜の魔女たちにとって、己の身を育んだ地の力――アニスにとってはこの森――は、己の魔力の源とも言える神秘の力だ。理由は解明されていないものの、生まれた地が近ければ近いほど、魔女の魔力は澄み渡り術の精度が高まると、昔から言い伝えられているのである。


(王都で暮らしていて、別に息苦しいとも、魔術が使い辛いとも感じていなかったから、これは迷信みたいなものなんだと思っていたけど……)


 意識をすると確かに、森の中で息をひとつ吸うごとに身体の中がしゃっきりとして魔力が元気を取り戻すような、そういう気配がある。


(今のわたしの身体の中を巡る魔力を感じると、事実なんだって思い知らされるな……)


 きっと王都で暮らしているうちに、アニスの魔力は元気をなくしていたのだろう。それに気づいていなかったのだから、マーロウが『森で瞑想してこい』というのも仕方のないことかもしれない。


「あにしゅー?」


 先を行くミシェールが振り返ってアニスを呼ぶ。アニスが慌ててそちらを向くと、ふたりは随分と先に進んでいるようだった。どうやらふたりのいるあたりで森が途切れているようで、天からの明るく清い光が燦々と降り注いでいる。


「はやくう」

「しっかりしな」

「はいはい」


 背中の籠をよいしょと背負い直し(ミシェールの着替えや道中で見かけた染料になる植物、そしてお供えの品などが入っているのである)、アニスは足を動かす速度を上げる。

 程なくしてふたりに追いつけば、光が射し込む中に、それはあった。


(うわ……)


 それは、天をつんざくような、巨樹だった。

 無数の大枝が、空を掴もうと伸びている。

 葉の落ちた枝の広がりは、まるで天蓋のよう。

 根はどっしりと地に、深く根差し。

 幹は太く、何人で手をつなげば囲めるかものかも分からない。

 冬の空から落ちる、冷たく澄んだ光を浴びて、威風堂々、世界を支える柱のようにすっくと立っている。


(……この木ってこんなに存在感があったっけ?)


 アニスは口を閉ざし、目を見開いて木を見上げた。

 マーロウに引き取られた時や町を離れることを決めたときに、町の風習としてこの樹に挨拶に来た記憶はある。町の収穫祭や魔女の祭りなどでも、日頃の恵みを精霊に感謝するためのお供えを持って、ここまできたはずなのである。


(なのになんだか、別の木を見ているみたい……)


 立派な樹だったという記憶はあるが、これほど神々しい気配を放っていただろうか。


「アニス、早く来な」

「あにしゅー、はやくうー!」

「あ、ごめんごめん、今行きます」


 しびれを切らしたふたりが、再びアニスを呼ぶ。

 アニスは金縛りが解けたような心地で我に返り、慌てて足を踏み出した。


「さ、ここだよ。悪いけど早くしとくれ」

「はいはい。ここでいい?」

「ああ、この石の上に並べておくれ」


 アニスはマーロウの指示通り、籠の中から大判の布を取り出すと、巨樹の前に祠のように置かれていた大きな石の上に広げた。そして、その上にお供えの品を並べていく。

 湖で汲んだ水と日々の糧を並べるのが町の定番の供え物だが、魔女のそれは少し違う。

 魔女が魔力を込めた湖水と焼き菓子、そして魔法陣の刻まれた布か羊皮紙を捧げ、森が守護する民の参拝ではなく、森に仕える魔女が訪れたのだと巨樹に伝えるのである。


「この布、よく残っていましたね」

「あんたが王都に行った後も、毎年使っていたからね。あたしの魔法陣を布に写したのは、あたし自身のものを除きゃあ、いまんとこあんたのコレが一番上等だよ」

「……師匠が褒めるなんて、明日は雪か?」

「うるさい子だねえ」


 アニスがかつてマーロウの庵にいた頃に、マーロウの描いた陣を布に写したもの――それこそが下に敷かれた布の正体である。

 その上に並ぶのは、今朝マーロウが湖から汲んで魔力を込めた水を湛えた水差しと、水差しと揃いの模様の上に並べられれた、昨晩アニスが慌てて焼いたナッツ入りのクッキーだ。

 ミシェールが物欲しげにクッキーに手を伸ばしたが、「精霊様用だよ」とマーロウに言われ、ぐっと唇を噛んでいる。


「お参りが終わったら、クッキーは食べてもいいからね。今は我慢おし」

「あい……」


 三歳ほどの見目の幼女が、これほどがっかりとした顔を出来るものなのか。アニスはくすりとしつつ、「家にも残りのクッキーがあるからね」とミシェールの頭を撫でた。


「さ、お前たち、私の横に並びな」


 並べたお供えものを確認したマーロウに呼ばれ、アニスはミシェールと手をつないで、師の隣りに並び立つ。師はふたりを一瞥すると頷いて一歩前に踏み出し、両の腕をそっと天に掲げると、巨樹に向かって頭を垂れた。


『森の主たる巨樹の精霊に、森の使徒たる魔女の一族がすえ、マーロウがご挨拶を申し上げる』


 途端、マーロウの痩身から、銀色の光がまるで舞い散る雪のように迸った。それはまるで降り注ぐ流星群、立つ彼女の髪や頬を輝かせ、老いて窶れたはずの姿を刹那、年若い娘に遡ったかのように見せる。


(すっごい魔力……! 綺麗だけど、圧倒される)

「あにしゅ、りぼん、ひかってる!」

「えっ」


 見れば、マーロウの強い魔力に当てられて、ミシェールの晴れ着に縫い付けた飾りの守護の魔術が発動している。陣が攻撃と錯覚する程の強い魔力が、この場を飛び交っているということだ。


(強い魔力って、小さい子にはあんまり良くないんだった!)


 アニスは慌ててセオドア二世ごとミシェールを抱え上げ、無事にミシェールの身を守っている己の魔術にほっとする。

 それから、眩しさに目を細め、師をじっと見た。

 大魔女と呼ばれる師・マーロウは、今時珍しくなってしまった生粋の魔女(﹅﹅﹅﹅﹅)だ。

 アニスや姉弟子たちとは違い、魔女から生まれて魔女になった、生まれついての魔女なのである。生まれた時から森と繋がっている彼女たちは、後天的な魔女であるアニスたちより遥かに魔力が多くて強いのだ。

 目を細め、魔力の圧に耐えるアニスと、目と口をこれ以上ないほどにぽかんと開いて師を見つめるミシェールの前で、マーロウは静かに言葉を紡ぐ。


『我弟子(ていし)、森の子供ミシェールを御身がお救い下さったことに、心よりの感謝を。我ら、弱き人の子らに御身がる数多の恩寵に、森の魔女マーロウは変わらぬ崇敬をお誓いし申し上げる』


 宣誓の言葉が終わり、マーロウは一層に深く頭を垂れると、静かに両の手を下ろした。それに合わせて舞い散る銀の魔力も徐々に薄れ、光の粒は十を数えぬ内に地にしみこんで、静かに消える。

 アニスは思わず止めていた息を深く吸い、脱力しながら吐き出した。


「はあ……。相変わらず、流石の魔力ですね師匠」

「あたしは乳飲み子の時から魔女だからねえ」


 ふん、と鼻を鳴らし、マーロウは肩を竦める。


「あんたも後からの魔女にしては魔力は多い方だよ」

「そうらしいですね。王都に出るまで知りませんでしたよ」

「言ったらお前、調子に乗るだろう?」


 はっはと笑われ、アニスは頬を膨らませた。

 田舎の町では、比較対象は師匠か姉弟子たちしかいない。少女の頃のアニスは、遙か高みにいる師匠や、優れた魔女たる姉弟子たちと己を比べ、時折落ち込んだり奮起したりしていた。しかし、王都という大都会に出てみると、自分の魔力量や精度は中の上より上、と言って差し支えないものだったのだ。

 それを知ったとき、どれほど驚いたか。


「せめて、旅立つ前には知りたかったですけどねえ。行きの汽車の中で、どんだけ心細かったと――」

「あーーーーーっ!」


 突然響いたミシェールの悲鳴が、若かりし日の恨み辛みを師匠に投げつけようとしたアニスの言葉をかき消した。


「ミシェール!?」

「どうした!?」


 咄嗟に短杖(タクト)を取り出して、臨戦態勢を取るマーロウに、アニスの腕の中のミシェールはセオドア二世を振り回しながら、再びの大音声で悲痛な声を上げる。


「みしぇのくっきー!! たべられてるー!!」

「はい⁈」


 ふたりが慌ててお供え物を載せた布を振り返ると、そこには薄緑色(﹅﹅﹅)の長い髪をした類い希なる美青年がひとり、広げられた布の上にピクニックでもするかのように優雅に腰を下ろして、アニスのクッキーを摘まんでいる姿があった。

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