そのころ、王都では
今回の最終話。
「お、セージじゃん。ひさしぶりー」
「ああ……」
冬の気配が色濃くなり、人々が身を竦めながら歩くようになってきた、北風の吹き寄せる王都にて。
その日、珍しく、研究局前のカフェ・ユグドラシル、またの名を研究局食堂で夕食を摂っていたセージ・ソレルは、外回りから戻ってきた同僚と遭遇した。
「また泊まり込んでるのか?」
「まあな」
「たまにはちゃんと帰れよー。でも、セージがちゃんと外で夕飯食ってるの珍しいな」
「そうか?」
「いつも配達してもらってるだろ? それに俺、この店には結構来るけど、まだお前とは二回くらいしか遭遇してない」
「確かに」
セージに声を掛けてきた研究局の職員は、ヒース・ホーソンという。気さくで少々口の軽い、魔術師らしからぬ陽気な男である。
適当に手ぐしでとかしてひとつに結んだ肩ほどまでの髪に、目の下に常に浮かんでいる隈、日に当たらないが故の白い肌に血管の浮いた骨張った手首、よれよれのローブに不機嫌な表情……といった不健康極まりない見た目のセージと比べ、ヒースはパリッとしたスーツに明るい金髪、ほどよい色の肌に美しい緑の瞳、そして何より明るい表情をしている。
ふたりが並ぶと陽と陰、太陽と月、光と影。そういった言葉がいくらでも並べられそうなほど、雰囲気に違いがあるのだが、しかし、一見相容れなさそうなこのふたりは、なかなか馬が合うらしい。
顔を合わせれば雑談をし、時に魔術についての議論を重ねて楽しむ程度には、付き合いがあるのだった。
しかし今日、ヒースが口にした言葉には、さすがのセージも呆然として、楽しむことなどできなかった。
「そういやさあ、お前、結婚するんだって?」
スプーンの上にあったはずのポトフの芋がスープに落ち、跳ねた汁がローブを汚す。うわ、と声を漏らしたヒースに、セージはさび付いた機械のような低く不機嫌な声色で、問い直した。
「……誰が、なんだって?」
「……お前が、近々、結婚するって噂が、流れてるんだが?」
「はあ……?」
自分の耳を疑って顔をしかめたセージはスプーンを置き、ヒースに正面から向き直る。
その剣幕にヒースはわずかに怯んだが、軽く咳払いをすると口を開いた。
「だから、セージ・ソレルが結婚するらしい、って噂が流れてるんだよ」
「どこで」
「局内とか……」
「どこからそんなデマが?」
「デマなのか?」
セージの言葉に、ヒースが首を傾げる。
一体どうしてそんな噂がと、セージは眉間の峡谷を一層深くした。
「デマだろう。何しろ私はまだ、彼女にプロポーズをしていない」
研究馬鹿で魔術馬鹿、他の事に余り気が回らないセージだが、彼には恋人と呼べる女性がいる。
彼と同じく魔術、特に魔法陣が大好きな魔女で、大変美しい魔法陣を描く、素晴らしい職人だ。
いつか婚姻するならば彼女と、と思ってはいるものの、少々厄介な実家の事情をまだ彼女に打ち明けられていない上に、今はまだ研究が楽しく、所帯を持つことまでは気が回っていないのだった。
「でもお前、この前縁談が来ていなかったか?」
「局長の姪御との間に出た話か?」
ヒースの言葉に、セージは首をひねる。
「あれは、相手の身分からして顔合わせこそ避けられなかったが、当日にきっちり断ったぞ。向こうも同窓の恋人がいたらしく、叔父と父が先走った結果だと謝られた」
「……そうなのか?」
「ああ。ウチの実家の事もあるからな、ああいう縁談が持ち込まれても、今後は話の時点で断ってもらうように局長にも話を通した」
セージのきっぱりした物言いに、ヒースはもの言いたげにもごもごと口を動かしてから、再び問うた。
「……じゃあ、デマなのか?」
「だからそうだと言っているだろう」
何度も言わせるな、と言い切ったセージに、ヒースが顔をしかめる。
「でもその噂、局内だけじゃなくて、魔術師協会でも流れてるみたいなんだが……」
「……魔術師は暇人ばかりなのか?」
「セージ、去年ちょっと有名になったからなあ。名前が独り歩きしてるんじゃないかな」
「まったく、碌でもない……。皆、魔術に対して不真面目が過ぎるんじゃないか」
顔をしかめ、セージはため息を吐いた。
とはいえ彼も、人というものが物見高く、噂話を好む生き物だと知っている。同僚や、少し名の知れた人物のそうした噂話は、格好の酒の肴なのだろう。
「……デマならまあ、いいんだけどさ。セージ、確か恋人いるじゃん。噂って伝播するのが早いから、彼女さんの耳まで届いてるんじゃね? 大丈夫か?」
「彼女も今、忙しいはずだ。そんな暇はないだろう」
「これだからワーカホリックカップルは……」
ヒースはやれやれと肩を竦め、半眼になってセージを睨んだ。
「でも万が一のことはあるだろ。彼女さん、フリーランスなら協会には出入りしてるだろうし、人からそんな噂を聞いたらいやなもんだろ。ちゃんと先に否定しておけよ」
「……それはそうだな」
もしも、己の恋人が結婚するらしい等という噂を人から聞いたなら、嫌な気持ちになるだろうことは想像に難くない。基本的に淡泊なセージであってもショックを受けて、相手は一体誰なんだと、問い詰めに行ってしまうかもしれない。
「縁談で思い出したが……、顔合わせの時に姪御殿の着ていたドレスの装飾が、彼女が手がけたものだったんだ」
縁談相手の顔――ではなく、身につけていたドレスのことを思い出し、セージの顔がとろりと蕩ける。
「いつもながら、華やかで伸びやかで、実に美しい陣だった。信じられるか? ただの美しい模様と見せかけて、複数の守護の魔術が仕込まれていたんだ。あのドレスを着ているときならば、令嬢は何があってもその身を守られるだろうな。あれほどの実用性と装飾性を両立できて、更に遊び心まで感じさせる装飾魔法陣を描けるのは、王都広しと言えども彼女ぐらいだろう。彼女はおそらく、魔法陣の神に愛されているんだろうよ。その上、あれほど優しく温かい魔力を持っているなど……神は彼女にいくつのギフトを与えれば気が済むのだろうか」
うっとりと、恋人の事を思い浮かべるセージの表情から、場に相応しくない程の色気が滴り落ちる。
元々の顔が整っているせいか、草臥れてよれよれの姿が、妙に色っぽく見えていけない。
「お前その、本人のいないところでうっとり惚気るのやめろよな……」
ヒースは目を眇め、セージを睨む。
先ほどまでの突き放すような口調は何だったのか。
恋人の事を語る時、この男は非常に饒舌となる。
「何故だ」
「……勘違いされるからだよ!」
「勘違い……?」
しかし哀しいかな。
この男のこの色気は恋人の目の前では発動せず、彼女の事を他者に惚気る時ばかり発動するのである。
セージの惚気を聞いたが故に、セージとの間にあらぬ噂を立てられたことのあるヒースは、げんなり肩を落とし、「無意識、こわい」と項垂れたのだった。
*
「……そういえば、全く連絡していなかったな」
カフェでの夕食を終えたセージは、冷たい風が吹き抜ける晴れ渡った星空を見上げ、小さく呟いた。口元から、白い息が天に昇って、星空に融けていく。
研究に夢中になると寝食を忘れ、ついでに人との交流も忘れてしまうのが、セージの悪い癖だ。
彼の恋人である女性――アニスも同じような癖を持っているため、互いに忙しくなると全く連絡を取らなくなってしまうことも珍しくはない。
珍しくはないが……半年以上というのはさすがに初めてで、セージは急に、恋人の声が恋しくなった。
「……レターボックスだけでも覗いてくるか」
彼女の仕事の忙しさには波がある。繁忙期を超えていれば、何か連絡が来ているかもしれない。
セージは研究局へと踏み出しかけた踵を返し、研究局の寮の方へと足を向けた。
*
「な……?!」
研究局の寮にて。
家庭の事情で広い部屋を与えられているセージは、レターボックスを覗いて顔をほころばせたが、その手紙を開くなり硬直した。
レターボックスの一番上にあったのは、声を聞きたい愛しい人からの手紙だったのだが、その中身は彼を絶望に突き落としてなお余りある、衝撃的な内容だったのだ。
「若様……?」
「若様はやめろ……」
広い寮の部屋、彼付きの執事が、恐る恐るセージの顔を覗き込み、びくりと震える。
「……拝見しても?」
セージの手からひらりと落ちた便箋を拾い上げ、主の許可を得た執事はそれを覗き込む。そして、額に手を当て天井を仰いだ。
「ですから、たまにはお帰り下さいと、申し上げておりましたのに……!」
「……説教は後で聞く! すぐ荷造りを! そして朝一番の北都行きの汽車の乗車券を取れ!! 私は今から休暇を申請してくるッ!」
彼女自身の手による美しい装飾が施された便箋に綴られていたのは、別れの言葉と転居の挨拶、そして彼の婚姻を言祝ぐメッセージだったのだ。
例の噂はとっくに彼女の元に届いていて、そしてしっかりと彼女を誤解させていたのである。
「これは……、手遅れなのでは……」
「やめろ縁起でもない! 誤解なんだぞ!!」
執事の横から覗き込んだ彼付きの女中が、顔をしかめてそう呟く。セージは彼女を睨み付け、「ともかく休みを取ってくる!」と帰ってきたばかりの夜道に飛び出していった。
残された執事と女中は顔を見合わせて、仕方なしに息を吐く。
「誤解、解けますかねえ……」
「……とりあえず荷造りしておきましょう。私と貴女の分もですよ」
「はあーい」
*
「っくしゅん!」
「あにす、おかぜ?」
「鼻の奥がむずっとしただけよ……っくしゅん!」
王都よりより寒い、魔女の庵にて。暖かいキルトにくるまりながら、魔法文字の絵本を読み聞かせていたアニスは、繰り返すくしゃみに鼻を啜った。
「うわしゃされてる?」
「うーん、自警団の人たちかしらね……。小鳥はまだ時間が掛かりますよーって、次に詰め所の前を通ったら、言って来ようかな」
注文書を受け取ってから、警邏をしている彼らとすれ違う度に、「あれ、どうですか?」「あれ、待ち遠しいです!」等と言われるのである。どうやら彼らの子どもたちや奥方が、小鳥を楽しみにしているらしい。
しかし、受け取りに順序を付ければ角が立ちそうなので、ある程度数を揃えてから渡して欲しいと言われており、それにはまだ時間がかかりそうだった。
「みしゃもいく」
「じゃあ、明後日にパンを受け取る時に一緒に行こうか。……でも空気も冷えてきたね。今日はもう寝ましょうか」
「はあーい」
灯りを消し、ふたりでひとつの寝台に潜り込む。
子どもの高い体温と、信頼できる大人が隣にいる安心感に、ふたりの心音はすぐに柔らかくなって、静かな寝息が部屋を満たした。
*
翌々日。
アニスとセージは自警団の詰め所にて、ばったり遭遇することになるのだが……。今はまだ、誰も知らないお話である。
今回のお話はここまで。
ありがとうございました!
いったん完結となります。
絶対続くじゃんばかー! と思われるでしょうごめんなさい……。
続きはこの人が出てくるターンになるのですが、次の文フリ東京に出られたら……、同人誌にも連載にもしますので、のんびりお待ち下さい。
なお、再開の際はこのお話を連載中に戻しての再開になると思います。
それでは皆様、本年もありがとうございました!
良いお年を!
※文フリ東京40に出たので連載再開しました!(2025/5/10)




