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アニスが帰郷を決めた、その顛末 1

たまには勢いだけで書いてみようかと、筆を執りました。

しばしよろしくお願いいたします。

「そういやさあ、セージ・ソレル結婚するらしいじゃん?」

「——え、まじ?」


 ぽろり、フォークに刺さっていた芋が落ちる。


「……えっ。相手、あんたじゃないんだ?」


 まさか、半年ぶりとはいえ自分の恋人——のはずの男の名前を、こんな形で耳にするとは。

 アニスは呆然として、同じように芋を落とした友人の顔を見返した。



 ——その日の朝から、物語は始まる。


「どうもー、運送ギルドでーす。集荷に来やしたー」

「はあーい。……うわ、良いお天気ですね」


 生気溢れる青年の声に魔術錠を開け、アニスは久しぶりの外気と朝の陽光の眩しさに眼を細めた。引きこもっているうちにいつの間にやら季節は進み、爽やかな秋が訪れていたらしい。


「お天道(てんとう)さまのご機嫌が良くて、ありがたいこって」

「そうよねえ。久しぶりに外に出たもんだから、びっくりしちゃったわ」


 澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、アニスはよろよろとした足取りで、玄関脇の小部屋から積まれた箱を引きずり出した。


「よおっこいしょぉお!!」

「……ま、魔女殿、大丈夫ですか?」


 玄関先に積み直した油紙に包まれた箱を、二の腕の筋肉も眩しい集荷員に受け渡したアニスは、集荷員のぎょっと見開かれた目に首を傾げた。


「ん? なんか変です?」

「いえ……、大丈夫ならいいンすけど……」

「そう? えーと、宛先はメゾン・ペルルです。よろしくお願いします!」

「……了解しやしたー」


 お代と領収書をやりとりし、アニスは笑顔で集荷員を送り出す。

 なんだか気遣わしげな顔をした集荷員が扉の向こうに消えた瞬間、アニスは両手の拳を天に向かって雄々しく突き上げ、腹の底から声を出した。


「よっっっっしゃああああ!! おォーわったあああー……ァ!!」


 断末魔の如く響いた言葉の終わりに、ぱたりと腕が落ちる。アニスは深く吸った息を大きく吐き出すと、全身の力を抜いてぐったりと床に横になった。


 ——さて。

 たった今、雄叫びを上げて力尽きた彼女——アニスは、魔女だ。

 その専門は『装飾魔術』という、ちょっと変わった魔術である。

 装飾魔術は、魔法陣を使う魔術の一種だ。魔法陣を美しい花々や伝統模様を駆使して描くことで、装飾性と魔術的機能を同時に持たせるという、なかなか高度な魔術なのだが——詳しく説明すると書物が一冊でも足りないので、ここでは割愛しよう。

 ともかくも、そうした『装飾的魔法陣』を描いたり、刺したり、織ったり、彫ったりするのが、アニスの仕事である。六つで魔女の修行を始め、十六で王都に出て来て十年。順風満帆とはいかないものの、そこそこにお得意様もついてそれなりにやっていけるようになった。

 とはいえ。


「仕事があるのはありがたいけどー、量が、厳しかった、わァ……」


 そう。今、アニスが拳を突き上げたのは、他でもない。今年の春に請け負った大量の仕事が、たった今無事に納品にこぎ着けたからなのである。


「守護の花模様のリボンがドレス三着分と、コサージュの花冠が三つ、防魔模様のストールとスカーフ、タペストリーのための下絵……、うん。思い出すのやめよ」


 ここ半年ほど全力を注いでいた数多の仕事が脳裏を過り、アニスはぶんぶんと首を振って、それらを思考から追い出した。

 終わった仕事のことを考えるのは、しばらく遠慮しようと心に誓う。今はひたすら、疲れ果てた心に優しくするべきだ。


「うん……、頑張った。頑張ったぞ、わたし。……今回の仕事の代金が入ったら、ひと月くらい休んでも罰は当たらないよね?」


 代金のことを考えてにんまりと口の端をもたげたアニスは床をごろりと転がって、次の瞬間頬を引きつらせた。


「……うっわ」


 玄関に置かれているのは、最近使っていなかった姿見だ。そこに映し出されていたのは、心身共に草臥れ果て、ボロボロ女の姿だった。


「ひっど……」


 ボサボサのままとりあえずひっつめてある、パサついた赤毛。そして化粧っ気ゼロどころか、手入れの気配もゼロの顔。痩けた頬。手はなんだか骨張っていて、指もなかなか荒れている。


「これは集荷のおにーさんも引くわけだあ」


 集荷員の表情の理由に思い至り、アニスはため息を吐いて立ち上がった。

 そして己の頭を鏡面に近づけ、渋いものを食べたような顔になる。

 それはもう、見れば見るほど酷いのだ。

 水分不足でがさついた肌は血の気が引いて青ざめているし、目の下にはくっきりと青黒いクマが浮かんでいる。眼の周りは細いシワが浮いて落ち込んで見えているし、唇もカサカサでひび割れつつあった。

 そのくせ、今は仕事が終わった解放感でハイになっていて、眼はぎらぎらと輝いているのだ。


「うーん、亡霊……?」


 正直、自分で見ても怖い。

 夜道でこんな魔女に出会ったら、昔ながらの『悪い魔女』かと悲鳴をあげるだろう。

 アニスは鏡面に手をつき、がくりと項垂れた。


「二十六には見えない……」


 仕事に邁進する余り、何もかもをサボったことが見事にその身に現れている。三十六でもさばを読んでいると言われそうな疲れ果てた姿に、アニスは床に突っ伏した。

 これはまずい。今すぐにでも、肌や髪の手入れを始めたい。

 ……とはいえ。


「まず、寝るところからか……」


 鏡を睨んでいうるちに意識が霞んできて、頭ががくんと揺れ動く。

 アニスはなんとか起き上がると、ふらつく足をあちらこちらにぶつけながら寝室へと滑り込み、寝台に倒れ込んだ。



「……今何時だ?」


 次にアニスが意識を取り戻したのは、昼を大きくまわり、夕方が近づきつつある時間帯だった。

 むくりと起き上がり、ぎしぎしと軋む身体を伸ばしながら寝室の小さな鏡を覗き込んだアニスは、むっと眉間にシワを寄せる。

 目の下に黒々と鎮座していたクマはわずかに薄くなってはいるが、それだけだったのだ。


「さすがにちょっと寝ただけじゃ、回復しないかぁ。それにしても、まさか当日中に起きるとは……。わたしってばお腹が空きすぎてる?」


 最早空腹なのか胃もたれなのか分からないが、胃が空なことは確かだ。


「まあ、頭は結構スッキリしたし、起きるか……」


 のそのそと寝台を降りたアニスはひとまず湯を浴びると、久しぶりに蓋を開けた化粧水とオイル、そしてクリームを肌にすり込み、香油つけた髪を丁寧に梳った。


「……はー。人間に戻った気がする」


 改めて鏡を覗けば、草臥れた気配は抜けないものの、少しは若さが戻ってきているようだ。身体も調子が出て来たのか、胃袋がぐう、と鳴った。


「何かまともなものを食べたい……。でも作るのもめんどくさい。……そうだ、外に食べに行こう」


 アニスはふとそう思い立ち、半年程前に買ったまま袖を通していなかった、壁に掛けられたワンピース——春めいた色柄だが、生地の厚さは今の季節にぴったりである——に目をやった。

 翡翠のような淡いグリーンと白、そしてスミレ色の三色でチェック模様が織られた生地で、白地の部分には小さな花が織り込まれている。そのなかなかに凝った生地の美しさに目を奪われて、ちょっぴり奮発して手に入れたのだ。

 手に取ればその軽やかさに心が浮き立って、アニスは鼻歌を歌いながらワンピースに着替えた。グリーンの靴と同色のベルト、そして同じ色に染めた飾り襟を合わせ、鏡を覗き込む。


「お、悪くないんじゃない? これで行こう!」


 買ったときよりもあちこちが若干緩いようだが気にしないことにして、鏡の前でくるりと回る。それから豊かな赤毛を簡単に編み上げて軽く化粧をすると、アニスはスキップでもしそうな勢いで家を出た。


「うーん、最高のお天気!」


 傾きつつある優しい日の射す爽やかな秋の空、涼やかな風が運ぶ少し乾いた草木の香り。心地よい気候に誘われてか、街をゆく人々の表情も明るいように思える。空気を胸いっぱいに吸い込めば、身体まで軽くなるような心地がした。

 こんなに余裕のある気持ちで季節の空気に触れるのは、一体いつ振りだろう。


(しかも、仕事も終わっている……! 最高……!)


 思わず溢れる鼻歌も、明るい曲調の流行歌だ。


(せっかくだから、サラ通り沿いのお店に行っちゃおうかな)


 アニスは気の向くまま乗合馬車に乗り、一年中賑やかな商業地区へと足を向けた。

 観光客や貴族御用達の利用する目抜き通り沿いの飲食店はどこもお高いが、一本逸れた通り——サラ通りには街の人々が日々通う、お手頃で美味しい店が軒を連ねているのだ。


(……お店のディスプレイが、すっかり秋だなあ)


 サラ通りへと続く道の途中、服飾の店が連なる通りでアニスはふと足を止めた。

 ガラスの向こうに飾られているのは、ワインのようなこっくりした赤い靴や、深い茶色や濃い緑のワンピース。紅葉する木々や秋の恵みを描いたストールやスカーフだ。アニスには決して手の出せない、ご令嬢の着るようなドレスをまとったトルソーも、美しい秋の色に彩られている。


(このワンピースを買ったときは、どこも春のディスプレイだったのになあ。あ、あのドレスの裾の装飾すごく素敵。紅葉の木々だ! 紅茶色の生地に赤い葉っぱの装飾が可愛い)


 ウィンドウに映る自分の春めいた衣装に苦笑しながら、アニスはウィンドウに一歩近寄った。西日に照らされるガラスの向こう、明るい水色すいしょくの紅茶の色をした滑らかな光沢のドレスの表面に、秋になると赤く染まる楓の木の葉が、躍るように軽やかに刺繍されている。


(わたしが秋のワンピースを作るなら、どんな陣を仕込むのがいいかな。ドレスだから、仕込む魔術は守護とか魅力とか、酔い防止とか癒しとかが基本よね。裾とか襟とか袖口に刺繍してもいいし、陣を込めたリボンで飾ってもいいかも。秋を象徴する図案はたくさんあるけど……)


 アニスの脳裏を、種々様々の紋様や図案が躍りながら駆け抜けて行く。

 秋に目一杯咲き誇る色とりどりのマムの図案をリース状に並べて、縁をつなぐ願いを描いて。そこに春より少し小さい、けれど色濃く艶やかに咲き誇る秋バラの蔓を絡めて、守護の魔術を込める。所々に赤い木の実と紅葉の葉を描き混んで、赤い実には繁栄の祈りを——


(でもでも、やっぱり好きなのは葡萄かなあ。意味も良いし、色も美しい。蔓は陣を描くのにも向いているし、葉も描き方によっては風や炎を表すこともできる。紫幻石の顔料で描くと、目くらましの術なんかも仕込めるし……、ってだめだめ、職業病が過ぎるぞ)


 アニスは勢いよく首を左右に振り、けれど再び、ショウウィンドウの中をじっと見つめた。


 ――美しいものを図案に落とし込み、魔術と親和させて力を持つ陣にする。

 そして、魔法陣には見えないけれど力を持つ、美しい陣を描く。

 それこそが、アニスの仕事だ。

 六つの歳から二十年。紆余曲折あれどその世界にどっぷり浸かってきた彼女は、美しい紋様や図案を見かけてしまえばどうしたって、それに意識を奪われずにはいられないのだ。


(いやいや。しばらくは仕事のことは考えないって決めたんだから!)


 再び魅入られていた自分にはっと我に返ったアニスは、両頬をパチンと叩いて無理矢理にウィンドウから目をそらした。空を見上げて、他のことを考えようと努める。


(そうだ、食べたいもののことを思い浮かべよう。……秋と言えばキノコ。栗。柘榴ざくろにマルメロ、リンゴに葡萄。美味しいマスにジビエ、美味しいタマネギに新しいワイン! ああ、今度はよだれが……)


 口の中にじわりと沸いた唾液を飲み込んで、アニスはほう、と息を吐いた。


(そうだ、躍る一角獣ユニコーン亭の季節のメニューにそろそろ山鳥とキノコのクリーム煮がお目見えしているかも! ……こんなに天気も気分もいい日なんだから、誰かを誘えないかなあ)


 家を出たときは西日だった空は徐々に朱に変わり、菫色になろうとし始めている。しかし、街の賑わいはこれからと言わんばかり、サラ通りに近づくにつれて飲食店が増え、店は外にランプを吊るし、香ばしい匂いを漂わせて、道行く人々を誘っていた。

 思わず鼻をひくつかせたアニスの胃袋が、再び高らかに鳴り響く。これから訪れるだろう至福の時を思い浮かべて、昂ぶっているのだ。ああ、こんなに幸せな時間が他にあるだろうか。どうせなら、仲の良い人とこの空気を分かち合いたい。

 しかし。


(……うーん。エリは新婚だし、ロージーは赤ちゃんが生まれたばっかり。ヴィラのとこは小さい子が三人いるし、プラムのとこも二人いる。アンジェは家がちょっと遠いし、アイヴィはこの時間はまだ仕事か。……みんな、急に誘うのは難しいよねえ)


 アニスの脳裏に浮かんだ王都住まいの友人たちは、急に呼び出すには不都合のありそうな面々ばかりだった。数年前であったなら、急な予定でも構ってくれそうではあったのだが——

 アニスは細く息を吐く。

 友人達の多くは、アニスとそう歳の変わらない女性だ。王都では適齢期、などと言われたりするお年頃なのである。

 彼女たちの多くはここ近年、パートナーと新しい人生を歩み始めていて、思い立って急に食事に出掛けたり、突発的に遊びに出たりするようなことは、あまりしなくなっていた。

 とはいえ、家庭を持った友人達が家族を優先するのは自然なことだ。幼い子どもがいれば、急に出掛けることが難しいのは当然のことだろう。


(……ううむ。置いて行かれている感があるような)


 仕事に夢中の人生を悔いたことは今のところないけれど、人生の新たなステージを始めた友人達の姿がちょっぴり眩しく思えないこともない。


(全力で仕事をしてきたけど、わたしはこれでいいのかしらん。この半年は、だいぶ無理もしたしなあ)


 今の仕事は、楽しい。

 だが、この半年ばかりはちょっと無茶だったかもな、と感じているのも事実だ。

 仕事があるのはありがたい。でも、この仕事を受けなかったら次の仕事がないのでは、と思ってしまうと断れない。それで、自分のキャパシティをちょっと超えそうな量な仕事を受けてしまった。お陰でこの半年は、朝から晩まで作業を続け、朝日に驚いて寝台に向かう日々だったのだ。

 身体は疲れているはずなのに、心が逸っているものだから昼前には起き出してしまって寝不足になる。机や織機に向かっていることが多いから、肩は硬くなるし腰も軋む。目はいつもしょぼしょぼして、充血気味だ。人に会うのは週に一度の買い出しと、材料を届けてくれる配達員、たまの打ち合わせくらいなもので、基本的には一日中、誰とも会話をしない。


(……そういえば、セージには半年連絡してないな)


 そんな暮らしをしていれば、恋愛ごとが疎かになるのは当然である。

 アニスはずいぶん連絡を怠っていた恋人の名を思い出し、頭を掻いた。とはいえ相手も似たもの同士、仕事に夢中なタイプの男であるので、彼もまたアニスのことなどすっかり忘れているかもしれない。


(呼び出しは……無理か。仕事中、いや、下手したら職場に泊まり込んでいるかも)


 アニスの恋人、セージは魔術師である。王立の研究局に務め、昼夜を問わずに魔術や魔道具の開発に勤しんでいる、根っからの『魔術馬鹿』だ。

 王立図書館の閲覧室で伝統的な紋様の図案集を見ながら、装飾魔法陣の案を描き起こしていたアニスの帳面に目を留めた通りすがりのセージが、『それは守護の陣か?』と思わず話しかけてきたというのがふたりの出会いなので、筋金入りである。

 彼女以上に寝不足でいることの多い男の眠そうな灰色の目を思い出し、アニスは誰かを呼び出すことを諦めた。躍る一角獣亭は人気店だ。この周辺で仕事をしていて常連客になっているアイヴィが、仕事帰りに食事をしにやってくるかもしれない。


(せっかくだから、会えたらいいな)


 ランプの灯りが眩しく感じられるようになってきた街を歩き、躍る一角獣亭に足を運んだアニスは、目論見通りに仕事帰りの友人達に遭遇することに成功したのである。


 ——しかし。

ところで、2024/12/1の文学フリマ東京39に出る事になりまして、このお話をまとめたものを出すことにしました。詳しい話は活動報告をどうぞ。

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