5.よし!準備完了!
──────半年後の冬(クレア四歳)
あれから───アナティアがおかしくなってから、王様の様子もおかしくなった。
まず、朝の挨拶を拒まれてしまった。つまり、私は行きたくても行けなくなってしまった、ってこと。それが何を意味するか、毎日顔を合わせることが確実ではなくなってしまったの。当たり前だった家族団らんの場が消えてしまって悲しい。
それからしばらくして、庭園へ一緒に散歩する回数が少なくなった。挨拶も散歩なし。つまり、顔を合わせる機会すら珍しくなっちゃったってことよ。
そして最近、表情と声が変わった。私に対して冷たくなった。
ずっと不安でたまらない。ララは大丈夫だと言ってくれているけれど、本当はララもマシーナみたいにアナティアからなにかされないか心配なの。
やっぱり王宮を出よう。
だって怖いもん。少しくらい宝石だってお金だってあるし、なんとかやっていける。大きくなったら働けばいい。
「何をしているのですか?」
荷造りをしているところ、ララに尋ねられた。振り返りもせずに、手を動かしながら端的に答えた。
「お洋服を詰めているの。」
服はいま着ているのを合わせて三着あれば十分かな。あまり多いと持ってくのが大変だもの。
ずらっと並ぶお気に入りの服から二着選ぶと、丁寧に箱へ詰める。でも、地味めの服の方がいいかも?
「姫様!?何のつもりですか?」
いきなり手を掴まれたかと思ったら大声で叫ばれた。
「だから!荷造りをしているの!今日中に王宮を出るんだから。」
痛い。腕を思いっきり掴まれて。……と思ったらふわっと緩まった。
「どういうことですか!?王宮を出るって……。」
そういえば言うの忘れてた……かも。しまった、と思いつつ、事情を伝える。
「王宮は危険だから、ここを出て町へ行くわ。」
ララの驚いた表情が誰からもわかるぐらいに広がっている。
詳しい説明を求められたから一から話すことにした。
「最近、王様とアナティアの様子が変でしょ?以前とは私に対する態度が違うの。
マシーナの件にはアナティアが関わっているみたいだし、私の近くにいると危険だわ。
だから王宮を出て、下町で暮らした方が安全よ。」
他の人はもちろん、今は学園にいるフロルお姉様と会えなくなるのも悲しいけど、そんな場合じゃない。命の危機を感じているぐらいだからね。命は大事だもん。
「……姫様。荷物は持てるのですか?家はどうするおつもりで?今は寒くて一日も持ちませんよ。
クレア様がいなくなったことで捜索され、逃亡生活になったら?
食事はどうするのですか?クレア様は働くことができませんよね。」
ううっ、確かに。反論できない事を言われてあたふたする。
「でも、だったらどうすればいいのよ!?王宮にいたら命が危険なほど危ない。下町は一日のも持たないほど暮らすのが大変。なら私に生きるなというの?もうわからないわ!」
それほどまでに私は追い詰められている。歳に見合わぬ言動とか。おかしいとか言われたっていい。
生きれるのならば生きたいけど、苦しみながら生き長らえるなら、幸せの中で死んだ方がいいかもとか思っちゃう。
いつもまわりから大人しいとか賢いとか言われて期待に応えてきた。でも、それさえも、もう……全てがどうでもよくなっちゃう。
「荷物は私が持てばいいです。家も私が手配すればいいだけの事。食事だって私が働けば食いつないでいけます。追われたってどこまでだって逃げ続ければいいです。」
ララ……。覚悟と勇気のいる予想外の行動に、私の視界がにじむ。
「だから、そんなこと言わないでください。四歳ですよ。しかも愛されて育った尊い王女様です。
今は知りませんが、王様と王妃様に囲まれて幸せそうに笑っているクレア様を、遠くから拝見させていただいておりました。だから、そんな事言わないでください……。
いいえ、私が言わせないような暮らしをさせてみせます。幸せにしてみせます。だから、だから……。」
生きて。続けられなかった言葉が自然と浮かんでくる。
どうだってよかった。なのに、必要としてくれて、幸せにしたいと言ってくれる人がいて。とっても嬉しい。
「ララ、一緒に行く?」
涙を流しながらかすれた声で問いかける。
「どこまでもついて行きます。」
その声からは強い意志が伝わってきて。嬉しいな。その一言だけで救われる。
「ありがとう。でも一つだけ約束をして。」
これ以上不幸なことを続かせないために、マシーナのようにならないために。
頷いたのを確認すると、涙を拭って口を開く。
「下町で暮らして、私が王宮に連れ戻されそうになったら、あなたは私を置いて逃げること。そして、下町で暮らし続けて。」
ララの顔が歪んだ。
「いま言ったではないですか。どこまでもついて行くと。それが私の使命です。」
落ち着いているけど悲しさを滲ませた声。でも、
「ならそこまで大切にする私の言うことを聞いて。もし聞かないというのなら、命令するわ。」
「……っ!」
王族の命令には背いてはいけない。絶対、例外は無い。
「わっ、わか……りまし、た……。」
途切れ途切れだけど了承してくれた。快諾ではないけれど。
「そう気落ちしないで。見つからなければいいだけよ。」
「……はいっ、クレア様!」
ララは涙をこらえながらにっこりして頷いた。