音楽で作りたかったもの
振り返ってみれば、ずいぶんと遠くまで来たものだなぁと思います。
大学を出た当時の私は、何を思ったのだろうか、ちゃんと就職もせず、右も左もわからぬ状況で、自分なりに音楽でどこまで行けるのか、追及してみたい欲望にかられるまま、音楽を追求してまいったわけなのですが(本当に当時の自分は何を思っていたのであろうか・・・)
当時見てたアニメ制作を舞台としたアニメの影響もあり、びくびくしながら、編曲をご依頼したのは、今となってはいい思い出です。
それでも、結果として、(私自身の能力はたいして成長しなかったかもしれませんが、)音楽を通じて様々な人とつながることができたこと、当初では考えもできないほどの高いクオリティの作品を作ることができたことを鑑みましても、
この道を選んだことは、ただありきたりの人生を選ぶことよりも、より良い道を選んだのではないかなぁと私自身は思っております。
音楽が売れる時代ではなくなってしまったので、経済面でとらえれば、まぁ完全に失敗だったわけですが、それでも音楽を通じて様々な人とかかわりあうことができたこの経験は生涯色あせることなく心の中で残り続ける宝物になるのだろうと思うのでございます。
作品のクオリティや売れることがなかったということに全くもって心残りはありません。
ですが、それでもひとつだけ心残りはあります。
それは、最終目標であった音楽ユニットを作ることができなかったということです。
視覚的情報を持たない不完全な文化形態を持つ音楽の中心にあるのは、結局のところアーティストなんだと(ファッションがそれ単体では完成しないのと同じで、音楽はステージに立つ人を輝かせるための手段であったこと)気づいたのは、20代の後半になってからですが、二十代最後の曲を投稿するまで、如何にメンバーと色褪せることのない仕組みを作るのかを考えておりました。
最後に投稿した音刃はもともと台湾の方々と共同で作り中文と日本語を織り交ぜた歌詞でMVを作ろうとしておりました(中文翻訳してくださった方、一緒ににMVを作ろうとお誘いした方々、目標を達成できずに申し訳ない・・・)が、結局のところタイムリミットまでコロナが収まることはなく、ボーカロイドでの完成となったのです。
イラストレーターさんと作る作品も私自身はとても好きで、今回の作品も胸の晴れるものとなったなということは間違いなく言えるのですが、それでも心のどこかにしこりとして残る部分があるのもまたやはり、事実ではありますので、最後にここに記して音楽活動を一区切りとさせていただこうかと思います。
もともと、台湾の方々と一緒に曲を作ろうとしたのは、それを足掛かりに台湾で人脈を広げていき、最終的に音楽ユニットのメンバーとなってくださる方を見つけるためでありました。
どのような音楽ユニットを作ろうとしていたかを以下に記しておこうと思います。
〇音楽ユニット名: 『式彩未定』
式は定まったという意味があり色彩とかけて、定まった色。未定と合わせて、定まった色は決まっていないという意味。未来にどのような色にも変わっていけるし、あるいはどのような色にも完全には染まらないという意味も併せてあります。
〇コンセプト
コンセプト①の場合:東京、台北の変わらぬ友好、その象徴となるような音楽ユニット
第二段階を最終目標とする場合のコンセプトとなります。
戦後様々な国、地域と軋轢を生んできた歴史を歩んできた中、友好的であった両地域の変わらぬ友好を象徴するような、そんなユニットを目指す形となります。
第三段階に移行することは視野に入れず、東京、台北の人々のみでユニットの完成とします。
コンセプト②の場合:台南、東京から始まり、最終的には北京、西安の人々とも手を取り合って いがみ合いを越えて四都市が一つになれる音楽ユニット。
第三段階を最終目標とする場合のコンセプトとなります。
台湾周辺が最近緊張を孕んでいるというのは周知の事実かと思いますが、この間には容易にふさぐことのできない大きな溝ができてしまいました。
政治面では解決するのが難しいこの人間の内面的な問題を、音楽の力で少しでも中和出来たらなぁと以前から思っておりました。
もし有事がおきそうになった場合も戦争になるのを踏みとどまるそのきっかけになるような、
あるいは、どのような未来を迎えようともお互いがお互いを尊重できるような・・・
そんなきっかけを音楽を通じて作れるようなユニットを作りたいなと思っておりました。
コンセプトを二つ用意したのは、結局のところ、東京と台北のみで構成する方が台湾に住む人々にとって喜ばしいことなのか、それとも中国との関係改善を視野に入れた方が台湾の方々にとって有益となるのかは、私には判断がつかなかったためです。
一つだけ言えることがあるとすれば、台湾有事だけは起こしてはならないということだと思います。
戦争を回避するきっかけになる音楽ユニットになればと思い、構想を練りました。
〇最終的に目指す構成メンバー
コンセプト①の場合
台北:ボーカル、ギター、ドラム
東京:ボーカル、ギター、ベース
コンセプト②の場合
台南:ボーカル、ギター、ドラム
北京:ボーカル、ギター、キーボード(西安も入る場合は、北京→ボーカル、ギター 西安→ボーカル、キーボード)
東京:ボーカル、ギター、ベース
〇音楽ユニットの特徴
・平常時
この音楽ユニットは常に全体で集まっているという訳ではなく、通常時はそれぞれの都市を中心に分裂して活動することとなります。
東京であれば、ボーカル、ギター、ベース。それ以外はサポートで補う形となります。
楽曲は、各都市のメンバーが全員集まった時を基準としますので、ツインボーカルで歌う楽曲を基準とします。
つまり、平常時ではツインボーカルの曲に対して、ボーカルは一人しかいないという状況になります。
ここがポイントで、空いたボーカルの部分は、常に”別のボーカルとのコラボ”で楽曲が完成するという訳です。
知名度がない初期段階では、これを活用します。
知名度の高いアーティストをゲストとして呼び、二人目のボーカルとしてステージとしてあがっていただく。これをすることで、知名度の高いアーティストが持っているファンにこちらのことを認知していただくことができます。
逆に、こちらの知名度が上がった後は、売り出したいアーティストを二人目のボーカルとしてタッグを組むことで、実戦経験を積ませてあげることや、新人アーティストが駆け出していくその手助けをしたり、
また、よい曲を持っているけれど、客を集められなくなったアーティストとコラボを組むことで、再度アーティストを輝かせる手段としても活用していきます。
・全体集合時
年に一、二回各都市のメンバーが集まってステージに立つ状況も作ります。
コンセプト②の場合、ボーカル四人、ギター三人と溢れてしまいますので、代わり替わりでステージに立っていただく形となります。
全体集合時は、歌詞は英語版となります。
・構成メンバーに関して
構成メンバーは、ボーカルは女性、楽器パートは男性の構成で活動する形となります。
紅一点にすることでメインのボーカルパートを際立たせるためです。
また、近年のアイドルと同じく、メンバーは交代制を採用します。
ボーカルは、三年間活動した後毎年審査。審査を通過しなければ、新しいボーカルとチェンジです(ボーカルはある程度英語ができることが必須条件となります)。
楽器パートは、四年ごとに確定で交代、二人いるので、一人八年間活動していただく形となります。
二人で活動する都市の場合は、ボーカル三年~、楽器パート八年です。
・この音楽ユニットの特徴
式彩未定の名前の通り、ステージステージで違う色どりを作れるようなアーティストになるようになっております。
また、メンバーの変更時にユニットの状況が不安定になる場合でも、ほかの都市で上手くいっている場合は、その部分から収益を補える。つまり、限定的な向かい風であれば跳ね返せるようなユニットとしての強さも持っております。
逆に、政治的に対立している都市同士のユニットでもありますので、一瞬で縮小、あるいは瓦解してしまう可能性もはらんでおります。各都市の人々がつながることができれば、これ以上ない強固な音楽ユニットとなりますし、そうでなければすぐに瓦解する音楽ユニットでもあるのです。
〇もともと考えていた音楽の見通しに関して
第一段階
まずは、東京でメンバーを集め、活動の基盤を支えてくれる音楽事務所に所属します(所属事務所が見つからなかった場合はそこで終了)。
前に記しました、他のボーカルとのコラボ、路上ライブ等々を屈指していき、知名度を上げていきます(知名度が上がらなかった場合はそこで終了)。
第二段階へと移行するために、台北でもアーティストとコラボしていき、徐々に台北へと活動領域を広げていきます。
第二段階
第二段階では、東京と同じく、台北で新たにメンバー(ボーカル、ギター、ドラム)を作っていきます。
ステージで使う言語はその都市にて使っている言語となります。
基本方針は東京と同じで、知名度拡大を目指していきます。
二都市となりましたので、年に一、二回、メンバー全員で集まってステージに立つ場所も設けます。
コンセプト①の場合は、これで完成形となります。
コンセプト②の場合
第三段階に移るかどうかは、ファンの投票で決める形にしようと思っていました(この音楽ユニットが最終的に目指している目標を伝え、その上で北京や西安の方々をメンバーとして入れていいかどうか)。
賛成が半分を超え、なおかつ北京、西安で活動できる条件が整っていた場合、第三段階へと移行。
無理やり作るのではなく、台北にいる人々の気持ちを尊重するのが第一優先。過半数の投票が得られないのであれば、第二段階で完成とします。
第三段階
第三段階は、中国での文化活動に対する規制が緩くなっていることが条件となります。
コンセプト②の場合、台北ではなく、台南が活動拠点となります。
メンバー全員がそろう形となりましたら、年に一度全国ツアーを開催できたらと思っておりました。
もし仮に、音楽活動が規制され、北京、西安では活動ができないとなった場合は、第二段階へと戻る形になります。
第一段階でのメンバー:ボーカル(一人)、ギター(一人)、ベース
第二段階でのメンバー:ボーカル(二人)、ギター(二人)、ベース、ドラム
第三段階でのメンバー:ボーカル(三人)、ギター(三人)、ベース、ドラム、キーボード
西安も活動範囲として入れる場合:ボーカル(四人)、ギター(三人)、ベース、ドラム、キーボード
〇ユニット内の禁止事項(草案)
政治的な部分がどうしてもかかわってきますので、他者への批判的な言動を禁止。
政治的な発言を禁止(常に中立)。
三年間SNSの活動禁止(ブランドイメージを確立する目的と、炎上防止のため)(第一段階の初代は知名度アップが最優先ですので、SNSも許可)
三年間恋愛活動の禁止
ユニット内での恋愛活動禁止
以上が、私の考えていた音楽での最終目標の音楽ユニットの、その形となります。
記しながらみると、無謀な計画だなぁと改めて思いました。
恐らく、やろうとしても十中八九失敗すると思います。
ただ、台湾の方々とも実際つながることができたわけですし、確率はもしかすると・・・ゼロでもないのかもとも・・・思うのでございます。
もし仮に音楽の力が世界の軋轢を越えることができたのだとしたら、もし音楽の力が戦争を回避する手段となるのならば・・・それはとても素敵なことだなぁと数年前の私は思っていたわけなのでございます。
踏ん切りをつけるために記したのですが、なんだかなぁといった感じです。
ちなみに、半年ほど音楽を続けるか一区切りつけるか悩み続けたのですが、その上で一区切りつけようと思ったその理由は、
・仮に、音楽に身を捧げ、よいアーティストを作ることができたとしても、90年代、2000年代(現実と画面が映し出す映像の間に確かな境界が存在し、テレビに出るだけで、特別な存在になれた時代)のあの特別感は、メディアの多様化が進み、
様々なものが、ありふれた何かになってしまった現代において、もうどうしても作れないなと思ってしまったこと、
・単純に私自身が、ボーカロイドという存在がとても好きだったのだということ、
・私自身に人生全てを捨てて、音楽に自身のすべてを捧げるだけの勇気は、結局のところなかったこと、
この三点であります。
もしかすると、ここで博打に出て音楽にすべてを掲げたとして、成功する可能性もあるのかもしれません。
それでも、ここで一度、音楽は一区切りつけようと思います(完全にピリオドを打つという意味ではありません)。
本当にこれでよいのかなぁと思う自分がいることも紛れもない事実ではあります。
ただ、それでも、私自身にとって重要になるのは、音楽を一区切りするかどうかその決断ではなく、その決断をした結果、五年十年後にこの決断で正解だったなと思えるかどうかなのだと思います。
要するに、五年十年後にこの決断で正解だったと思えるだけの努力を未来の私がやっていけばいいだけの話で・・・。
音楽以外にもやりたいことはたくさんあります。もし、音楽をここで一区切りつけるのだとしても、
願わくば二十代の時にささげた作品への情熱を、音楽以外の場所でもささげてあげてほしいなと、未来の私に願うばかりなのでございます。
最後に、私の音楽に一緒に携わってくださった方々に最大限の感謝を込めまして、この文章の締めくくりとさせていただきます。
本当にありがとうございました。
藤蔵