②騎士の花形
護衛対象である第二王女殿下が近衛騎士を怖がって近寄らせて下さらないという困った事態が起きていた頃、あちこちの部署が集まって対策会議が開かれた。その中で、護衛は近づけるぎりぎりに配置し、まだ幼い王女殿下には女性騎士を特別に登用する案が浮上した。制服を着せれば見栄えはするだろう、騎士令嬢だなんだと持て囃す意見が複数上がったが、ヴィンセントは反対した。
「形式上とは言え、訓練を受けさせていない者を危険に晒すのは納得がいきません。我々が王女殿下に近づく方法を模索する方が筋では」
「ははあ、ならば誇り高きヴィンセント殿は女官の恰好をして見せるとでも?」
「命令とあれば、致し方ないでしょう」
幼い王族の相手をしているという理由で出席させられたヴィンセントの意見に、話し合いの場は何とも言えない鼻白んだ空気に包まれる。たかが子守りの分際で、といういつもの非難は黙殺した。
しかし結局、上からの一声で女性騎士の一時的な設置が決まってしまった。主に女官の中から、適性を考慮して数人を選出するらしい。
不本意な結果に、ヴィンセントが仕事とは理不尽を耐える事である、と修練場で槍を振り回して気を静めていると、主人である第三王子殿下がやって来た。
「貴殿には女性騎士達の技術指導を一任する。職務上必要と思われる項目を挙げて、本日中に提出するように」
「私が指導するのですか?」
「この件は僕が父から一任されている。付随して発生する業務はその都度、適当と思われる者に割り振るから」
この場で挙げてくれても構わないよ、と主人は付け足した。まだ子供と言って差し支えない年齢だが、ヴィンセントにくっついていない時は兄君や国王陛下の執務室に入り浸っている影響なのか、たまに年齢にそぐわない話し方をするようになった。
ヴィンセントはとりあえず要人警護任務の配置説明から始め、有事の避難方法、後は父や叔父が妹達に身に着けさせた護身術を挙げた。そもそも身体の動かし方からか、とあれこれ考えつつ意見をまとめると、主人は概ね採用してくれた。それからね、と主人は側仕えに耳打ちをした。
「騎士ヴィンセントには存在しない概念だけど、世間一般には下心という概念があるんだよ。美しく咲き誇る花々を前にすると、一輪ならいいだろうと勝手に持って帰ったり、自分の花よりきれいなのに腹を立てて、踏みにじったりする人もいるのさ。とにかくよろしくね、誇り高き騎士ヴィンセント」
主人は笑いつつ、概念などと小難しい単語を持ち出す。花を見つけても家に帰って槍の鍛錬を始めるだけだから信用できるよね、と褒めているのか貶しているのか判断に困る評価をヴィンセントは受け取った。
さて、一週間もすれば候補者の女性達が出揃った。騎士団関係者や本人の希望、周囲の推薦、一応五人全員乗馬ができるらしいという説明である。しかし当たり前だが、やや不安そうな表情で訓練の初日に集合したのは、本来は女官として登用された可憐な女性達だった。ヴィンセントは平静を装いつつ、内心では本当に大丈夫なのかと頭を抱えなければならなかった。
顔合わせを済ませてとりあえず、と修練場に赴くと、いつもより人の気配が多い。不審に思いながら扉を開けると、好奇と冷やかしに満ちたいくつもの目に歓迎された。誰かがわざとらしく吹き鳴らした口笛が女性騎士達に届く前に、迷わずそのまま閉じた。
「あの、何かあったんですか?」
「……空気が悪いので、予定を変更して本日は座学にします。どこかの執務室が空いているでしょう」
選出された女性騎士達は不思議そうにしつつも、踵を返した指導担当に従う。とりあえずその日は心得を説きつつ今後の方針を示し、意見や質問を募って凌いでおいた。あくまで形式なので実際に戦闘に加わる事はないけれど、最低限の訓練は必要である旨を説明した。
それが終われば、ヴィンセントは神聖な修練場と職責を軽んじた者への対応に追われる事となった。
「……いやですから単なる視察としてあの場に居合わせたまでです! 貴殿から非難される謂れはない!」
「視察を行う場合、質問状を含めた書類一式の提出と、先んじて主人である第三王子殿下に話を通すので慣例でしょう。ご存じないはずがない。どちらも来ていないが、それについては」
「……それは、あくまで自主的な」
「いつもは近づきもしない修練場へ事前通告無しでお越し頂いても、勝手もわからず期待外れだったでしょうに。いくらでもお相手いたしますので遠慮なく」
「いや、あの、……ほんの軽い気持ちで」
ヴィンセントは第三王子殿下の紋章付きの召喚状をしたためてもらい、数人を修練場に連行した。練習用の槍を持たせた上で相手をしながら女性騎士達の職責を軽んじた行為に苦言を呈し、二度とこの場に浮ついた空気を持ち込まないと固く誓わせた。
一方で女性騎士達の方は打診され仕方なくと言わんばかりに困ったように顔を見合わせていた者もいたけれど、訓練を重ねれば徐々に緊張も解れたらしい。初めはぎこちなかったが熱意はあった。ヴィンセントが身体の動かし方から始めて簡単な護身術、細剣や槍の扱いを教えて、なんとか女性騎士の体裁を整えるに至ったのであった。
女性騎士に抱えられて、件の王女殿下がやって来た。ヴィンセントを認めると、目に見えてすくみ上った。本日の担当であるらしい騎士タビサの胸に顔を埋めている。
「……僭越ながら、やはり怖がっていますよ。可哀そうに、王女殿下はそっとしておいて差しあげるのが一番なのでは?」
「いや、この距離まで近づけたのは貴殿が初めてだ、ヴィンセント。いいか、僕がいいと言うまで身動き一つしないように」
「御意」
近衛騎士を怖がるのであれば、打ち倒すのは容易いと認識させれば少しは改善するのではないかという主人の発案により、この場が設けられた。妹を助力するように父君からの重大な指令を受け取って、第三王子殿下は必要以上に張り切っている。年齢相応の楽し気な表情を引っ込めて、真面目な顔つきで妹君を諭そうと試みた。
関連業務は各員に割り振ると言ったのに、何故かまたヴィンセントである。指示通り目を閉じ、腕を後ろで組んで直立不動の態勢を維持する。そのまま、少し離れた場所から聞こえる声に耳を傾けた。
「……兄さま、こわいよう」
「大丈夫だ、僕が魔法をかけて、あいつは動けなくしてやったから」
やんちゃな主人は、可愛い妹の前では格好つけたいお年頃らしい。まだまだ時間がかかりそうだったので右目だけ、薄く開けて様子をうかがった。
本日はよく晴れた秋の日である。少し離れた場所では、近づけないため手持無沙汰の他の護衛騎士達がテーブルを運び、女官達がお茶の準備をしている。後で国王夫妻や、他の兄君達も顔を出す予定になっていた。
木々の梢はほのかに赤や黄色を帯び始め、それは青い空とよく調和した、暖かな昼下がりであった。
一通りの訓練と研修を経て、正式に護衛騎士として配置された騎士タビサとも目があって、同僚としてこっそりと軽い会釈を交わす。その後、今こそ勇気を出して戦うんだ、と妹君を説得している主人にヴィンセントは助言を試みた。
「僭越ながら、剣より槍の方が、相手との間合いを図る上で有用かと存じます」
「ありがとうヴィンセント! もう少しそのままで!」
身の軽い主人はそばの木立の奥へ走って行き、自分の身の丈と同じくらいの木の枝を引っ張って来た。小刀で枝を落とし、即席の槍を作ってみせる。こうだよ、と以前に指南を仰せつかったヴィンセントが教えた持ち方を妹君に指導している。
王女殿下は兄君から受け取った木の槍を手に、しかし手元とヴィンセントを交互に見てはまごついた。すると、傍らで見守っていた騎士タビサが、身を屈めながら優しく話しかけた。髪を結んでいたリボン付の簡素な髪飾りを解き、木の枝に丁寧に結び付けて、彼女に何事か耳打ちしている。抱きしめて背中を撫でてやり、頃合いを見計らってそっと送り出した。
兄の声援と心優しい側近の励ましを受け、王女殿下は戦う勇気を手に入れた様子だ。意を決し突撃してヴィンセントの背後に回り込み、膝裏のあたりにぽすっと打ち込んできた。いつも主人の遊びに付き合う時の、断末魔のうめき声でもあげるかと悩みつつ、余計な恐怖を植え付けかねないので控える事にした。
「えい、覚悟! えい!」
「……」
「いいぞ、よくやった! お前は英雄だ」
王女殿下はヴィンセントの片目と視線が合うと、小さな悲鳴と共に枝を宙に放り出して、あっという間に撤退した。笑いを堪えるべく生真面目な顔つきで様子を窺っていた、兄君の腕の中に飛び込んでいる。
ヴィンセントはそれを尻目に、木の槍の端が地面に当たって遠くに転がりそうになるのを辛うじて捕まえた。どうやら女性騎士達で揃えたらしい、せっかくのリボンが汚れずに済んだので、そのまま騎士タビサに目線で合図を送り、槍ごと差し出した。
「……お気遣いありがたく。主人からいただいた、大切なものなので」
騎士タビサはほどけていた髪を手ですくい、簡単に整えてからリボンを器用に結び直し始めた。女性の身支度に近いような仕草をじろじろ見るのは失礼な気がしたので、ヴィンセントは目を逸らしつつ、しゅるしゅると布の擦れる音を気にしないように努めた。
出番はこれっきりだろうと高を括ったがその後も幾度となく、ヴィンセントはたびたび練習台として駆り出された。枝の槍は段々と短くなり、そのうち小石に変わって、最終的には指先で膝裏を狙うまでに至った。
それが良かったのか一過性のものだったのか、とにかく第二王女殿下は無事に近衛騎士への苦手意識を概ね克服した。主人が辛抱強く聞き出した証言によると、夜中にたまたま目が覚めた時、暗い廊下で押し黙った上に厳めしい顔つきで持ち場を守る近衛兵が幽霊みたいで怖かった、というような事情であったらしい。
経緯を把握した国王陛下自ら近衛兵や不寝番の必要性を説き、この話は一件落着とされた。
王女殿下の恐怖の克服を見守った栄誉ある木の枝は最終的に、ヴィンセントへと記念に下賜された。主人の悪ふざけにより、大げさにも簡単な授与式まで、王宮の庭の一画で計画される始末である。
そんな事ばかりしているので、様々な職種の者が専属として配置されているにも拘わらず、ヴィンセントだけが子守り騎士と揶揄されるのであった。