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①高嶺の花

全四話予定


 ヴィンセントは代々、騎士を務める家系の長男である。体格としては平均的だが、現役で街の治安維持の任務にあたる父、士官学校の教職に就いている叔父など、日々の鍛錬や助言に事欠かない理想的な環境にあった。


 弟妹が生まれる以前、母を好きなだけ独り占めできていた頃には街で、父をはじめとした制服とマントに身を包んだ騎士隊の人々とすれ違う。見上げるこちらに気さくに手を振り、頭を撫でてくれる彼らだが、たゆまぬ鍛錬と高貴な精神に裏打ちされた凛々しい立ち姿の、市井の暮らしを守る象徴でもある。

 将来は騎士として、父達のように日々の安寧を守る存在になろう、と将来の目標は早い段階で固まっていた。

 

 それからヴィンセントには弟妹がそれぞれ二人ずついるのもあったのか、不思議と子供には好かれる気質であった。父譲りの精悍な眼差しや、灰色の瞳は子供には冷たく映りそうなものだが、幼子の感性とは謎に満ちているものである。お菓子を持っているんじゃないかと、士官学校の同級生に笑われるのもしばしばであった。迷子に上着の裾を摘ままれて、騎士団の詰め所や言われるがまま送り届けた事も一度や二度ではない。


 ある時は豪勢な屋敷を訪れ、小さな令嬢を送り届けたお礼にと半ば無理やり美味しい焼き菓子を両手いっぱいに持たされた事もある。そして屋敷に戻って安堵した分の涙も混じった、精一杯のお礼の声を贈られた。家に帰って手土産を両親と子供五人で分ければ一晩も保たなかったけれど、善き行いは積むものである。ヴィンセントの目標への思いを、大いに高める経験だったのは言うまでもない。

 向けられる期待に満ちた眼差しは決して裏切ってはいけないものなのだと、ヴィンセントは深く心に刻み付けたのであった。






「ノエルレッドは、コスモスの一種ですよ。まるでお菓子のような甘い香りが人気の品種で。この国は暖かいから、まだ楽しめるようですね」


 ヴィンセントはタビサの説明に相槌を打ちつつ、改めて店先の花壇に目を向けてみた。自身にとって花は、たまたま目についた状態から名前と生態を把握した認識の変化を伴ってなお、縁遠い存在である。

 生家の母は家の軒先の花壇といくつかの鉢植えを、随分と大切にしていた。そのため自分と二人の弟には、なかなか近づく許可は下りなかった。葉先と土中に時折発生する、芋虫の駆除を手伝う程度である。

 眺めて楽しむのよ、との言いつけにより、将来の鍛錬に忙しいヴィンセントは踏み荒らさないように、繊細な観賞用の花々からは常に距離を取って生きて来た。


そんな縁遠い存在でも、コスモスと聞けばもっと明るく可愛らしい色を想像する。空き地や川原の一画に植えられているのも珍しくない。けれど目の前にある深紅の花は、目立つ色ではないが、不思議と品の良さを感じさせる佇まいである。秋の終わりの少し冷たい風を受けて、微かに揺れていた。


「……ヴィンセント殿、今日はわざわざお呼び立てして」

「いえ」


 ヴィンセントは短く返事をした。仕事ですので、とよく続く台詞はさりげなく飲み込んだ。本日は非番ではあった。しかし主人経由の厳命により、この席が設けられている。どのような返答が正解なのか定かではない。隣に並んでしばらく観賞した後、彼女が丁寧に言葉を重ねるのに、形式的な返答をした。



 タビサ嬢は元々は女官として王城に登用されたのが、諸事情により一時的な措置として近衛騎士団所属となったうちの一人である。彼女は王都の程近くに領地を所有している、小さいけれど古くからある名家の令嬢だと記憶していた。把握している年齢より、随分と落ち着いた印象の女性である。


 待ち合わせた相手が身に着けている襟巻や絹の手袋は、落ち着きを感じさせる一そろいでまとめられている。本来の仕事や階級に相応しい出で立ちだが、ヴィンセントにとってはあまり馴染みがない。記憶にあるのは、彼女は女性騎士の制服に身を包み、リボンや簡単な髪留めで緩くまとめていた姿がほとんどだった。

 近衛騎士団の一員として第三王子殿下の護衛兼剣術等指南役を仰せつかっているヴィンセントとは、仕事上はある程度の付き合いがあった。けれど、職務以外で私的な話をした記憶はない。すれ違ったとして、会釈や目礼がせいぜいである。


 一騎士に過ぎないヴィンセントにとってはまさに、彼女は高嶺の花と称するのが相応しい。崖の上のある花は空に向かってその美しさを誇示し、下にいる者は手に入らない事を含めて羨ましがる、そういう構図である。


 女性を美しい花々になぞらえる言い回しは古くからあるけれど、ヴィンセントはその手の教養には馴染みが薄い。そもそも花言葉や生態や逸話まで考慮する必要がある、という奥の深い分野なのだ。草花に関しては知識の浅い身では、余計な一言は避けるべきだろう。

 たった今知ったばかりの美しい花を引き合いに出して、目の前の相手になぞらえたお世辞などという気障な真似はやめておく事にした。

 

 とにかくこの場はあくまで仕事の延長、とヴィンセントは結論を出した。主人に付き従い、身の安全を保障する。それが騎士の称号を持つ者として求められている事なのだ、と。

 


 本日ご予約のみ、という看板が下げられているのを、ドアベルを鳴らしながら建物の中に立ち入った。明るい窓際に、向かい合わせで腰かける。何気なく目線が合い、向こうが先に口を開いた。

 

「先ほど、待ち合わせにいらした時と、建物の中に足を踏み入れた時。騎士殿は、いつどのような場所にいようとも、あるべき振る舞いが身についているのですね」

「ああ、まあ……」


 貴殿に教わった通りです、と相手が笑みを浮かべるのに、ヴィンセントは返答に困った。要するに職業病である。ヴィンセントは騎士団の花形である近衛であり、主家の安全を第一として求められていた。

 足を踏み入れた直後の出入り口の確認、不自然に死角になっている場所がないかどうか、半ば無意識に視線を走らせたのに気が付いたらしい。別段この状況で賞賛されるような内容でもなかったので、お品書きを注視しているふりをしながら曖昧な返事に留めた。


 間もなく運ばれてきたのは、ヴィンセントのレモンの香りを効かせたチーズケーキ、彼女の甘さを控えた分を上部にある白いクリームで補って食べる類のチョコレートケーキである。飲み物はコーヒーのカップだけのこちらとは違い、タビサが注文した香草茶の方は、カップのほかにガラス製のポットや砂時計、それから給仕の丁寧な説明が加えられた。


「勤めが無事に済んだとは言え、心労は相当なものだったでしょう。こちらも至らぬ点が多く、今後に生かせるといいのですが」

「……いえ、貴殿にご指導いただけてこちらも光栄でした」


 簡単な食前の祈りの後、彼女は一緒に運ばれてきた香草茶の香りを楽しむように、懐かしむように静かに目を閉じた。







騎士(サー・)ヴィンセント!」

 

 数日前、修練場にいたヴィンセントを、主人が尋ねて来た。王城に隣接した施設での訓練が一段落した頃合いである。まだ子供とは言え王族の姿を認め、多くの者が手を止め目配せをし合い、きびきびとした動作で跪いた。小さな殿下は鷹揚にそれを制して、ヴィンセントを連れ出した。


 精が出るな、と歩きながら、まだ小さな主人は両親や兄姉を真似た、いかにも支配階級らしい余裕たっぷりの話し方で以て口を開く。そもそも、ヴィンセント程度の家柄では騎士として採用された直後は辺境の拠点を回って訓練に励むのが慣例であった。ところが何故か気に入った、と学校卒業直後のヴィンセントを側仕えとして異例の抜擢をしたのが、この第三王子殿下である。その割にはこちらのお願いはあまり聞き入れて下さらない、困った主人でもあった。


 子守り、などと揶揄されるヴィンセントの職務だが、最近ようやく護衛兼指南役、と呼んで差し支えない印象になってきた。

 


「タビサ嬢がようやく、お望みの報酬を明かしてくれたんだ」


 さようですか、とヴィンセントは外に連れ出されながら返答をした。日を追う事に進む季節の移り変わりに顔を顰め、小さな主人がちゃんと温かそうな恰好である事を確認してから、話の続きを待った。この国は暖かい気候に恵まれている土地だけれど、移り変わりの時期は、小さな子供が体調を崩しやすい事を知っている。


「貴殿が彼女をエスコートして、指定された場所へ行って欲しい。人払いはしておくから、これが最後だと思って。貴殿も色々と活躍してくれたから、好きなお菓子を三切れでも四切れでも」


 

 一年と半年ほど前、まだ幼い第二王女殿下が、何故か近衛騎士を妙に怖がって近くにいるだけで挙動不審になった時期があった。平時はともかく何かあった時に困る、と対策会議が開かれた結果、近衛騎士は近づけるぎりぎりの距離に配置する他、女性騎士を採用する前例のない案が採用されたのだ。

 タビサは元々女官として王城に出仕したのを、彼女の父君はかつて近衛騎士団に在籍していたので、他の者より適性ありという見込みで採用に至ったのだ。


 彼女を含めて総勢五名が、初の女性騎士として任務に就いた。彼女達の落ち着きと気品を兼ね備えた立ち振る舞いは、王城で働く多くの者の目を惹きつけた。

 ヴィンセントは何故かこの主人により、彼女達への指導監督役を命ぜられ、他の者には随分と羨ましがられたのを記憶している。しかし前例のない仕事、しかも本人達には一から教えなければならないとなれば、その労苦を少しは理解して欲しかった。


 結局は王女殿下の態度が緩解したので、彼女達はお役御免で元の女官に戻る事となった。王家は彼女達を労うべく、個人に特別な取り計らいを行う、というわけである。それに伴って生じる作業は、指導役ヴィンセントの最後の仕事でもあった。他の四人にはそれなりの品を調達して贈るように、既に手配を終えていた。


 主人が指定したのは何故か、街にあるそれなりの価格帯の洒落た店である。飲み物とお菓子を楽しむ席が設けられているという説明に、ヴィンセントは眉をひそめた。わざわざ願い出るような事だろうか、という疑問は主人に伝わったらしい。


「タビサ嬢は当初の予定通り、王城を辞するのだそうだ。貴殿とも顔を合わせる機会はなくなってしまうね。はなむけの言葉でも、考えておくといいかもしれない。真意が気になるのなら、貴殿が尋ねてみればいい。これは妹との取り決めだから、私の一存で変更ができない」


 王宮に、家柄の良い娘が行儀見習いとして出仕するのはよくある話だ。彼女は最初からその期間が決められていて、近く晴れて王城での勤めを辞する、というわけである。

 しかしお疲れさまでした、いえいえこちらこそ。ヴィンセントにそれ以上の台詞のやり取りは思い浮かばない。

 相手がタビサともなれば、エスコート役を募集すればいくらでも手が挙がるだろうに、とヴィンセントは不審に思う。

  

 こちらの胸の内を見透かしたように、小さな主人は言葉を付け足した。職務とは言え、ヴィンセントより余程華奢で年若い女性達が、責任を以て職を全うした。これは誠意を以て対応すべき事柄である、と極めて真面目な口調で続ける。そのあたりにはヴィンセント自身も異論はない。

  

「そもそも当事者である妹本人が先んじて彼女達へと打診を行い、希望を聞き入れた結果なのだ。礼を述べるのはこちらの方。貴殿には近衛の名に相応しい振る舞いを期待している」

「……御意」


 結局、ヴィンセントはいつも通り恭順の意を示した。腑に落ちないのは確かだけれど、そもそも何故自分が、とこの案件に関わって幾度となく頭を過った疑問である。主人の命令とあれば、大人しく従うほかなかった。

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