クラシカルジャーニー
「楽しい紙芝居の始まり始まり~」
「昔々あるところにおじいさんとおばあさんと巨大怪獣がいました」
「おじいさんは山へ竹取りに、おばあさんは川へ洗濯に、巨大怪獣は街を破壊しに行きました」
「街は燃やされ、家は壊され、人々はたくさん死にました」
「これに将軍様は怒ります。ものすごく怒ります」
「将軍様は巨大怪獣をやっつけるため日本中から勇者300人を集めます」
「勇者300人対巨大怪獣の戦いが始まります。ガキーン! ギャオー!」
「次々と倒れていく勇者達。しかし最後の1人になっても諦めません」
「俺がこの国の人々を守るんだ!」
「ついに勇者の刀が巨大怪獣を切り刻みました。ギャース!」
「人々に平和が戻りました。勇者は巨大怪獣を倒した褒美を将軍様に貰い、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
紙芝居師の男が語り終えると、拍手が巻き起こるどころか、しーんと辺りは静まり返った。やがて観客の子供達は口々に非難の言葉を男に浴びせた。
「話がメチャクチャ」
「いきなり勇者300人って何? 唐突過ぎ」
「こんなのでお金取れると思ってるなら大間抜け」
座り込んで紙芝居を見ていた子供達は立ち上がって、一目散にその場から去っていく。紙芝居師の男だけがぽつりと一人残される。
ここは公園のど真ん中。子供達はもう他の遊具に夢中で男には見向きもしない。その光景を眺めながら、男は呟いた。
「傑作はえてして人に理解されにくいものなのだなぁ。ただそれだけのことだ」
この程度ではへこたれない。そんな精神の持ち主だからこそ今時紙芝居師なんてやっているのだ、この男は。
自前の無精髭を撫でた後、男は紙芝居を地面に置いていたショルダーバッグに慣れた手つきでしまう。それから大荷物を背負い、その場を後にした。
いざ次の公園へ。また子供達に紙芝居を見せるために。日が暮れるまで公園を渡り歩く、そこに目標はなく、ただ紙芝居を見せるという意志以外ない。そんな当てのない旅を男は続けていた。
空が赤く染まり始めた。この公園を最後にと決めて男は力を込めて紙芝居を披露するが、やはり子供達のウケは悪かった。子供達が散り散りになっていく中、しかし今回ばかりはずっとその場に残っている観客がいた。
その観客が周りの子供達と比べ一回りも二回りも大きな少女だったものだから、男は怪訝な目で見た。
「なんだ、冷やかしか? だったら間に合ってるぞ」
「おじさんの紙芝居、面白いね」
大きな白いリボンでポニーテールにしている美少女はただ純粋に褒めた。
「おじさんじゃない、お兄さんだ! だがありがとう、初めて面白いと言ってくれて」
訂正しつつ、無精髭の青年は嬉しい気持ちを抑えられなくなる。青年はニコニコしながら掌を少女の前に突き出す。
「何?」
少女は意味がわからなくて問いただす。青年は言う。
「投げ銭だよ投げ銭! 面白かったらお金を置いてねと紙芝居の枠にも書いてあるだろう」
「あー私お金ないんだ。ここに来るまでの電車賃と弁当代で全部使い切っちゃって……」
「なんだ文無しかよ。なら帰った帰った」
途端に青年の笑顔は崩れ、しっしっと手で少女を払いのける。青年は紙芝居をショルダーバッグにしまって背負い、歩きだす。そのすぐ後をピタっと少女はついていく。青年がショルダーバッグを降ろして公園のベンチに座ると、少女も隣に座った。
「あのなぁ、熱心な追っかけファンということはわかったが、良い子は家に帰る時間だぞ」
辺りは薄暗くなっている。青年は少女を追い払おうとした。しかし少女は動かない。
「家に帰りたくない! 私家出中だから」
「今時家出かよ」
今時紙芝居師なんてやってる青年に言われたくないと少女はむくれっ面になる。
「だってお父さんが私のピーにお父さんのピーをガーするのが嫌なんだもん! 家にはいたくない!」
思ってたよりも酷い性的虐待を父親から受けていると知って、青年は少女に同情した。
「なら俺と一緒に行くか?」
「いいの?」
「旅は道連れ世は情けって言うしな。その代わり文句は言うなよ」
「やったーありがとう紙芝居のお兄さん」
少女は喜んで青年に抱き着く。青年は照れて少女の体を引き剥がした。
「お前、名前は?」
「有間美樹。歳は16歳」
「俺は松原大河だ。よろしくな」
「よろしくねお兄さん」
「よしお前のことはお前と呼ぶ」
本名を知りながら、お互いに名前で呼び合わない意地の張り合いをする二人。美樹は大河に質問する。
「お兄さん歳はいくつ?」
「別に何歳でもいいだろう。男はちょっとミステリアスなくらいでちょうどいいんだよ」
「じゃあ出身地は?」
「これもヒミツ」
「ケチ!」
美樹は口を尖らせながらも、次の質問を考える。
「お兄さんはなんで紙芝居を始めたの?」
「昭和の生き方に憧れてんだよ」
これには答える大河。
「今はもうないけれどかつて確かにあった漢の生き様……俺もやってみたいなって思ったんだよ」
「へー」
自分から聞いておいて興味なさげに流す美樹。しかし気にする大河でもない。
「さて飯にするか」
大河はショルダーバッグを開いて中を漁る。美樹は期待を込めたまなざしを向ける。
「晩ご飯? 何?」
「そりゃ勿論……パンの耳だ!」
大河がショルダーバッグから取り出したのは、紛れもなくパンの耳が詰まった袋だった。想像よりもはるかに貧相な食事に美樹は絶句した。
「いつもなら一人で食べるところだが今日からお前にも分けてやる。食え」
「うん……」
大河は袋を開けてパンの耳を食べ始める。美樹も倣ってパンの耳をつまんだ。食事はあっという間に終わり、袋は空になった。
「なくなっちゃったね、パンの耳……」
「二人で食べると減りも早いからな」
こんなものでは食べ足りないがなくなったものはどうしようもなかった。そうこうしているうちに日が暮れ、公園は真っ暗になった。
「暗くなったね……これからどうするの?」
「寝る。夜はすることがないからな」
「まだ早いよ!」
「寝るんだよ! お前は公園のベンチを使え。俺は仕方ない、大地に寝ることにするよ」
そう言うと大河はベンチを空けて、土の上に寝転がった。美樹もベンチに横になる。それからしばらく沈黙が訪れた。
しかしたまりかねて美樹が口を開いた。
「ねぇお兄さん、まだ起きてる?」
「どうした? 早く寝ろよ」
「星が綺麗だね」
「ああ、そうだな」
「ベンチ、体が痛いよ」
「我慢しろ」
「ねぇお兄さん、お兄さんは自分の決めたことに後悔してる?」
「後悔なんてないさ……前進あるのみだ」
そこで会話は途切れる。再び沈黙。美樹は当てもなく家を飛び出してきたけどこのまま大河と行動を共にしてよいものか考えていた。一方大河はどう考えても負担な美樹の存在をまぁどうにかなるだろうと考えないふりをしていた。
不意に大河が立ち上がり、その場を離れようとした。美樹は呼び止める。
「ちょっとお兄さん、どこ行くの?」
「トイレ」
「じゃあ私も行こうかな」
二人してトイレに行き、そして戻ってきて寝た。
やがて朝日が昇った。大河がゆっくりと立ち上がると目を覚ましていた美樹が声を掛けた。
「おはようお兄さん。体バキバキ~」
「うむおはよう」
大河は起きるなりラジオ体操を開始した。
「朝から元気だね……こっちはお腹が空いてそれどころじゃないのに。ご飯は?」
「ない。これから調達する」
「パンの耳を?」
「無論だ」
大河はラジオ体操を終えると、ショルダーバッグを背負って公園を後にした。美樹もその後をついていく。
パン屋を探して二時間ほど歩き、ようやく一軒見つけることができた。
「お前と一緒に行くとめんどそうだ。よし、俺がパンの耳をもらってくるからお前はそこで見てろ」
美樹を待機させ、大河はいそいそとパン屋の前へ行く。そしてよく通る声で言った。
「パンの耳ください!」
「今時珍しい客もいたもんだねぇ」
パン屋の女主人は大河を怪訝な目で見たが、最終的にはパンの耳を詰めた袋を渡した。
「はいパンの耳。で、何に使うの?」
「俺が食べます!」
言い切って満足した大河は店を出て美樹のところへ戻ってきた。得意げにパンの耳の入った袋を見せる。
「どうだ、もらってきたぞパンの耳」
「えーこれだけ~これなら私が行ってきた方がサービスしてもらえたんじゃないの~」
美樹は自分と大河の容姿を比べて不平を言う。
「じゃあ次のパン屋で試してみるんだな。まだ昼まで時間がある。次行くぞ次!」
「えーちょっと休憩しようよ。足疲れた~」
「時間が惜しい!」
「時間があるのかないのかどっちなのよ~」
美樹は不満だったが大河が歩きだしたので渋々後をついていく。そうして二人はまた二時間ほどパン屋を探し回ったが、中々見つからなかった。
「こんな砂漠で水を探すようなことをいつもしてるわけ……」
ヘロヘロになりながら美樹が口にする。そうだと大河が即答すると呆れ果てるのであった。
「もう動けない……」
「おい見ろ、パン屋あったぞパン屋」
「本当? やったー」
美樹は生き返ったかのような気分になる。
「じゃあ私がパンの耳をもらってくるからお兄さんはそこで待っててね」
大河を待機させ、美樹はいそいそとパン屋の前へ行く。そして元気良い声で言った。
「パンの耳ください!」
「お嬢ちゃん、パンの耳でいいのかい・」
「うん」
パン屋の男主人は美樹を不思議そうに見ていたが、最終的にはパンの耳を詰めた袋を渡した。
「はいパンの耳。で、何に使うんだい?」
「私が食べます!」
言い切って満足した美樹は店を出て大河のところへ戻ってきた。得意げにパンの耳の入った袋を見せる。
「どう、もらってきたよパンの耳」
「なんだ、俺のと大差ないじゃないか。サービスしてくれるとは何だったんだ?」
大河はショルダーバッグから自分がもらってきたパンの耳の袋を取り出し見比べた。
「ざ、在庫がこれだけだっただけだし!」
美樹は顔真っ赤にして反論する。
「どこのパン屋も同じようなものだ。気にするな」
さっきは煽っておいて今度は宥めてみせる大河。
「それより次公園を見つけたら一休みして昼食にするぞ」
「やったーご飯だーパンの耳だけど」
大河は美樹の疲れ具合からここらが潮時と判断した。二人は腰を下ろせる場所を探し、ほどなくして見つかった。
「はー生き返る~」
今まで飲まず食わずだった反動で、公園の水飲み場でたらふく水を飲む美樹。そんなに水を飲むとトイレが近くなるぞと大河は注意する。
「全くデリカシーがないなぁお兄さんは」
「そんなものは俺の目指す昭和の漢にはないからな」
大河のマイペースさにはいい加減呆れ疲れた美樹だった。
二人は公園のベンチに座ってパンの耳を分け合って食べた。
「お腹空いた!」
「食べたばっかりだろう」
「パンの耳じゃ腹の足しになんないよ~」
「ハングリー精神が傑作を育てるんだよ」
「お兄さんはそれでいいかもしれないけどさ……で、これから何するの?」
「このまま子供が集まってくるのを待つ」
「待つだけ?」
「英気を養う! あと日向ばっこする」
「しばらくゆっくりするってことだね」
二人はしばし休んで旅の疲れを癒した。美樹はいつの間にかベンチに座ったまま眠りこけていた。
「おい起きろ。紙芝居の時間だ」
大河が美樹を起こすと、公園には学校が終わってやってきた子供達であふれかえっていた。
大河はベンチを立って公園の中央付近に移動するとショルダーバッグからハーモニカを取り出し、吹き始めた。それが見事な音色で、子供達の注意を引く。
ハーモニカの音につられて、だんだん大河の周りに子供達が集まってきた。見事な集客術だと美樹は感心する。
十分子供達を引き寄せたところで大河はハーモニカを吹くのをやめ、紙芝居を手に取った。
「楽しい紙芝居の始まり始まり~」
しかしまた散々な結果に終わった。子供達は蜘蛛の子散らすように去っていく。
「おかしいよ……お兄さんの紙芝居、面白いのに」
「ゴッホも生前はほとんど評価されなかった。そういうことだ」
美樹は納得がいかなかったが、大河はあまり気にしていなかった。
「次行くぞ次」
大河は紙芝居をショルダーバッグにしまうと背負い、足早く次の公園を探しに向かった。美樹も遅れないようについていく。
その途中職務質問をしている警官を見かけると、大河は美樹に隠れるよう言って身を潜めた。
「サツだ。逃げろ!」
「なんで?」
「お前家出してるなら捜索届とか出されてるはずだろ? 俺と一緒にいるところを警察に見られると誘拐犯ってことで俺が捕まる! お前は当然家に帰される」
「それはマズイね……全力で逃げないと」
二人は警官に見つからないようにその場から離れた。
その後も公園を三つ四つ回ったが、紙芝居の評判は芳しくなかった。当然投げ銭などあるはずもない。
「紙芝居って稼げないんだね……」
「今はな」
その内稼げるようになるとも到底思えない美樹だった。今日も暮れゆく夕日を眺めながらパンの耳を齧る。そして夜が訪れ、二人はまた野宿した。
そんな旅が三日続いた。今日も朝の過酷なパン屋探しを終え、二人は公園で一息ついていた。
「お風呂入りたい~」
「我慢しろ。せめて顔洗ってこい。タオル貸してやるから」
大河はショルダーバッグからタオルを取り出し、美樹に手渡す。
「なんでも入ってるねそのバッグ。じゃあ地図とかも入ってたりしない?」
「俺は地図を持たない主義なんだ」
「えー……今どの辺なんだろう」
「さぁな」
その時雨が降ってきた。
「うわっ降ってきちゃった。どうしよう」
「大丈夫だ。傘ならある」
大河はショルダーバッグから折り畳み傘を取り出し、差した。美樹を傘に入れて濡れないようにピタっとくっつく。
「こうしちゃいられん、雨を凌げて寝れる場所を探すぞ」
具体的には屋根のある公園を探し回る。しかしそんな都合の良い場所がそうそう見つかるはずもなく、いつの間にか辺りは薄暗くなっていて、二人ともヘトヘトだった。
「もう歩けないよ……」
「見ろ公園だ。ここに賭けよう」
大河は美樹を連れて公園に入る。辺りをキョロキョロと見回せば、ちょうど屋根のあるスペースを見つけた。
「屋根があったぞ! ここで寝泊まりしよう」
「やった、やっと休める……」
二人は屋根の下に駆け込み、地面に座り込んだ。そしていつものようにパンの耳を分け合って食べた後寝た。いつものベンチと違ってコンクリートの地面でも美樹は文句を言わなかった。
翌朝も雨は降り続いていた。
「雨、止まないね……」
憂鬱な気分で美樹は雨模様を眺める。
「そんな時は創作だ!」
大河は夜まで雨が降り続ける可能性を考えて、ここを動かず時間を潰す判断をする。ショルダーバッグから真っ白の紙とクレヨンを取り出して並べる。
「何々、紙芝居作るの?」
「あぁ。そろそろ新作をと思っていたところだがどうにもアイディア不足でな」
「はいはーい、じゃあ私がお話考える!」
「おお、そうしてくれると助かる」
美樹が着想を練り、大河がクレヨンを使って形にしていく。こうして二人は一日かけて新作紙芝居を作り上げた。
そのお披露目が次の日行われた。
「楽しい紙芝居の始まり始まり~」
「昔々あるところに可愛く可憐なお姫様とたおやかで美しいお姫様ととてつもない太っちょのお姫様がいました」
「ある時五人の貴公子がやってきてお姫様達を一目見て、恋に落ちました」
「二人は可愛く可憐なお姫様に、二人はたおやかで美しいお姫様に、一人はとてつもない太っちょのお姫様に求婚しました」
「一人のお姫様に求婚した二人の貴公子は争い合い、戦争になって二人とも死にました」
「とてつもない太っちょのお姫様に求婚した貴公子は無事結婚し、お姫様を自分の家へ連れて帰りました」
「しかしお姫様はとてつもない太っちょなので家に入りません」
「そこで貴公子は家をリフォームしました」
「貴公子ととてつもない太っちょのお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
大河が語り終えると、やはり拍手が巻き起こるどころか、しーんと辺りは静まり返った。やがて観客の子供達は口々に非難の言葉を浴びせた。
「つまらない」
「なんでデブが一番幸せになるわけ? 納得いかない」
「こんなのでお金取れると思ってるなら大間抜け」
座り込んで紙芝居を見ていた子供達は立ち上がって、一目散にその場から去っていく。大河と美樹だけがぽつりと残される。
「私の芸術センスを理解できないなんて……」
美樹はわなわなと震えている。
「傑作はえてして人に理解されにくいものなのだ。ただそれだけのことだ」
大河は慰めのつもりで言う。けれど美樹は肩を落とした。
「紙芝居をやるのって大変だね……」
「だがやりがいがある。次行くぞ次」
二人は次の公園への移動を開始した。しかしその後も何度か同じ紙芝居をやったが、良い評価はもらえなかった。美樹はすっかり落ちこむ。
「私才能ないのかな……」
「お前になかったら俺にもないぞ。あると信じろ」
「じゃあお兄さんはどうして紙芝居を始めたの?」
「前にも同じ質問しただろ」
「違う答えが返ってくるかと思って」
「そんなの、紙芝居が好きだからに決まっているだろ」
大河はやや照れくさそうに言った。それから土の上に寝転ぶ。辺りはもう暗い。
「また明日がある。俺は寝る。おやすみ」
「おやすみお兄さん」
美樹はまだ公園のベンチに横にならず、星を眺めた。
翌朝、パン屋探しの途中で、美樹は道端の捨てられた猫の前で立ち止まった。
「お兄さん見て、可愛い~拾ってくださいだって。私この猫飼いたい!」
「猫がパンの耳を食べるのか? 無理言うな」
大河はあしらって先へ進む。
「わかってますよーだ。ごめんね猫ちゃん」
美樹は捨て猫の前から離れて大河の後を追う。
「でもお兄さんは私を拾ってくれたよね」
「お前が俺の傍を離れなかっただけだ」
「これでも感謝してるんだよ」
美樹は大河の腕を手に取り組む。
「本当に俺で良かったのか。金持ちのおじさんとかでなく」
当てのない旅の破綻というそう遠くない未来を見据えて、大河は言った。
「なんかそういうのやだ。お兄さんみたいな人じゃないとついていかないよ……」
美樹は大河に寄り掛かる。
それは恋とは明らかに違った。父親の愛に飢えているのかもしれないなと大河は思ったが口にはしなかった。自分が父親役をする気はないし、できることは傍にいてやることくらいだとも思っていた。
「俺は抱え込んだ荷物は絶対捨てない主義だ」
自分に言い聞かせるように大河は呟いた。その言葉は美樹を安心させた。
あくる日の晩、美樹は公園のベンチに横たわりながら、お腹空いたを連呼していた。
「お腹空いたお腹空いたお腹空いた」
「お前最近それしか言わないな」
「だってお腹が空いたんだもん……」
パンの耳生活には限界があった。二人は次第に痩せ細り、体力が落ちて以前のように歩き回れなくなり、パンの耳をもらうこともままならなくなった。そうすると余計痩せていくという悪循環であった。
「私達、このまま餓死するのかな……」
「いや、お前のような奴が道端で倒れているとまず救急車を呼ばれる。そして病院で点滴を受けている間に警察が来て家に連れ帰る」
「そんなの絶対やだ……」
そうなる前に……美樹は決意する。
「ねぇお兄さん、私海行きたい!」
「なんだ突然」
「とにかく海に行きたいの。海が駄目なら高いところか駅に」
美樹がたんに海で遊びたいなどという目的で言い出したことではないのは大河にもわかった。
「俺は地図は持たないが方角ならわかる。実はかなり南に来ている。海ならすぐそこだ」
「連れて行ってくれるの?」
「ああ」
大河は美樹の意図を察した上で海へ行く気になった。それから言った。
「だが先走るなよ。最後まで俺とお前は一蓮托生だ」
「お兄さん……」
美樹も自分の意図が見透かされたうえで言われていることに気付いて、目頭が熱くなった。
大河が土の上で寝息を立てると、美樹も眠った。旅の終わりは近い。
翌日、夜の誰もいない海辺に二人はやってきた。
「海だー!」
「暗くてよくわからん」
目を細める大河を尻目に美樹は砂浜を駆けてゆく。海水は闇色だが、月と星の光を反射して少し煌めいてもいた。
「きゃー水が冷たい」
美樹は波打ち際ではしゃぐ。遅れて大河がやってくる。
「おい、遊びに来たわけじゃないんだろ」
「うん」
美樹は沖合へと歩き始めた。海水が膝まで浸かったところで大河は呼び止める。
「おい先走るなと言ったろう。今ならまだ引き返せる。警察に駆け込め。家に帰れる。温かい飯が食える」
美樹の足がピタっと止まる。わずかな沈黙。そして――
「家に帰るくらいなら死んだ方がマシだよ」
大河の方に向き直って美樹は言った。
「死んだ方がマシ、か……」
大河は何やら考え込んだ後、話を切り出した。
「紙芝居師を始める前のことだ、勤めていた小さな会社が倒産して、負債の一部を俺に押し付けられて、家の物とか全部差し押さえられてさ、借金取りから追われてこのバッグと身一つで逃げ出してきたんだよ」
大河にも帰れる家はなかった。その上で美樹と同じことを言う。
「俺も死んだ方がマシなんだよ。心中なんて昭和どころか江戸時代の生き方、いや死に方だが、悪くない」
「お兄さん……」
大河は背負っていたショルダーバッグを砂浜に降ろした。
「これは置いていく。作品は世に残したいからな」
「じゃあ私も」
美樹は砂浜へと引き返し、髪留めに使っていた白いリボンを頭から外して、ショルダーバッグの隣に置いた。
「死んだお母さんからもらった大切なものだから」
ポニーテールからロングヘアーになった美樹が愛おしそうにリボンを見つめた。そして再び沖の方へ体を向けた。
大河と美樹は手を繋ぐ。それから二人一緒に海の中へ入っていく。
「楽しい紙芝居もこれでおしまい」
波が二人を攫う。先に沈みゆく美樹を見ながら、肩まで海水に浸かった大河は呟いた。
「さようなら、そしてさようなら」