コザックの第二の人生・前編
コザックにとって人生で一番輝いていた時間は、イリーナと結婚していた時間だった事は、皮肉な事かもしれない。
自分が絶対に次期侯爵当主になると信じ、愛しの愛人を秘密の家に囲い、お飾りの妻とは邪魔にならない距離感で生活出来て、それでいて身分は『侯爵令息』のまま、周りは自分に頭を下げた。
男としての喜びを好きなだけ楽しめたのも良かった。
愛した女から望んだだけ“愛”を返される。好きなだけ欲を吐き出し、貯まりきる前に愛する女の中に吐き出せる。
…………幸せだった
だがそれも父の手の上での幸せだった。父から言われた事をそのまま侍従に伝え、侍従が揃えてくれたものを、さも自分がした事の様に受け取っていた。侍従が父を主とするなら、侍従が用意するもの全てが父が用意したものも同じ。
自分は巣の中で餌が来るのを口を開けて待っている雛鳥そのものだと、コザックは切り捨てられるまで気づきもしなかった。
ずっと雛鳥では居られないのに、侯爵当主となっても口を開けていれば餌が口に運ばれてくると思っていたコザックの浅はかさに餌を運ぶ者は居なくなった。
だがそんな雛鳥を両親は見捨てない。巣立ちを放棄したと見なされた雛鳥は巣から飛び立つ事を禁止された。
離婚から3年後、コザックは自分を平民へ落としてほしいと父に願い出た。
平民として……一人の男として、誰の手も借りずに生きてみたいと願い出た。
しかし父アイザックは優しく微笑みコザックを諭した。
「何を言っているんだ? お前にはもう侍従も誰もついて居ないんだぞ? そんなお前が一人になってどうやって生きていくんだ? 誰も頼んだってやってくれないんだぞ? お前自身はちゃんと周りを見ている気でいる様だが、本当にちゃんと見れているのか? その考えは大丈夫なのか? お前は一人では何も出来ないんだから父さんは心配なんだ…… なんでそんな事を言うんだ? また誰かに唆されたのか? かわいそうに。お前はここにいていいんだよ」
幼子に話しかける様に話す父に怒りが湧く事はない。
うるせぇ黙れバカにするな!と言い返せたらどれだけスッキリするだろう……
何もかもが自分の幻想だと突き付けられたあの日から、コザックは自分の考えすら信じる事が出来なくて父に何かを言われると何も反論出来なくなっていた。
──かわいそうに──
──お前だけではすぐに死んでしまうよ──
──安心しなさい。私たちはお前を見捨てない──
自分の人生は『当主となり子を持ち親となる』とずっと小さい頃からそれだけを絶対だと信じて生きてきたコザックにとって、自分が子を残せない体となった事も自尊心を崩壊させる程の衝撃だった。
しかもそれが父の指示で飲まされた薬によるもので、それはある意味、『自分の息子に薬を使う事すら厭わない』と言われている様なものだった。もし次に飲まされる薬が命に関わるものだったら……。そう思うとコザックは恐怖心を覚えた。
父は自分をいつでも殺せる。
その事がコザックから反抗心を奪う。
それに加えて父を始め周りから『コザックは一人では何も出来ないのだからなんでも周りに話してから行動するんだよ。一人で考えて行動しちゃいけないよ。どうせ失敗するんだから。分かるだろ? また失敗するのかい? 今度はどんな過ちを犯すんだい? 次は許されるかなぁ? 怒られたらどうなるか、身を以て知ってるだろう? コザックが行動するとコザック自身が傷付くんだからみんな心配なんだよ。分かるだろう? それくらいは、分かるよねぇ???』と、そんな風な言葉を色んな人から優しく諭す様に言われ続ければ、コザックの心は萎縮して混乱して、頭もまともに動かなくなった。
そして時々思い出したかの様に父はコザックに「最近娼館には行っているのか? お前はそういう事ばかり好きだからなぁ。病気には気を付けるんだぞ」と言ってコザックの古傷を抉る。コザックがもっと短絡的な人間であれば、何も考えずに逃げ出す事も出来ただろうが、地頭は悪く無いコザックはどうしても『逃げた後どう生きる? どうせ何も出来ずに死んでしまう。父の側で従っていれば、優しい父は殺さない。変な事をしなければ、殺されない……』と考えてしまい、動けなくなってしまうのだった……
そんなコザックが30歳となり、イリーナとの離婚からそろそろ10年にはなろうかという頃。
前侯爵当主となっていたアイザックに連れられて、コザックはある伯爵家の家へと来ていた。
「ようこそおいでくださいました!! お待ちしておりましたよ! 狭い邸ではありますが、どうぞどうぞ! ご自分の家だと思って滞在して下さいませ!!」
小柄で小太りな男がアイザックに向けてヘコヘコと頭を下げて愛想を振りまく。
ハンセル・バイド伯爵。
ナシュド侯爵家の親類に当たる彼には妻と5歳になる息子が居る。ここに来るまでの道中の馬車の中で父から聞いた情報の中に含まれていた。
『バイド伯爵は不正をしている』
そんな話を現ナシュド侯爵当主となったフィザックが掴んだ事により今回アイザックは動いていた。不正の証拠を集めるのは既にバイド伯爵家に入り込んでいるナシュド家の手の者が行うが、その間にバイド伯爵の目を他に逸して欲しいそうだ。
資金繰りに困ってフィザックの元にやって来ていたバイド伯爵に、前侯爵当主が『そちらで別荘を探したいんだが数日泊まらせてくれないか?』と話を振れば諸手を挙げて快諾したらしい。当主から退いたと言ってもアイザックもまだまだ現役で働いている。当主の金は無理だったが前当主が財布を持って現れたとバイド伯爵は思った事だろう。
金づるがやって来たと嬉しそうなハンセルの露骨な媚売りにアイザックは愛想の良い愛想笑いで返す。
「いや〜、済まないねぇ。
宿を探しても良かったんだが折角親類がいるのだからと寄せてもらったよ。数日厄介になるが、あまり気にしないでくれ。私も隠居したし連れてきた息子も家から離れている様なものだからねぇ」
アイザックが何気なく言った言葉がコザックに小さく突き刺さる。ナシュド侯爵家の人間ではあるが、昔の様に侯爵家の権力は今のコザックには使えない。家の仕事を手伝ってはいるが、使用人では無い。コザックは何とも中途半端な存在だった。
「そんなそんな! いや〜、本家のお二方に来て頂けるなんて、こんな片田舎の分家にとってはそれだけで名誉ですよ」
ハッハッハ、と笑いながらハンセルはアイザックを連れて邸の中へと入って行く。
応接室に通された二人はゆったりとソファに座りながら出されたお茶を飲んでいた。
そこへハンセルが妻と子供を連れてくる。
「アイザック様、コザック様。
ウチの妻と息子で御座います」
ハンセルに促されて妻と呼ばれた女性が目を伏せたままカーテシーをした。
「お目にかかれて光栄に御座います。ハンセル・バイドの妻、キャロルと申します。
こちらは息子のトイセルと申します」
母に背を押された小さな少年がアイザックとコザックの顔を怯えた顔でチラチラと見た後、たどたどしい動きで紳士の礼をした。
「しょ、紹介にあがりました、トイせルです……、みなさ、あっ! ……きょお、みな様におあいできて、きょおえつしごくにござぃます
おしこ、お越しいただき、ありがとぅございますっ、」
頭を下げたままそんな事を言う5歳児にアイザックは優しい眼差しを向けて
「私も会えて嬉しいよ」
と、返した。
コザックも二人に軽く頭を下げながら、違和感を感じていた。子を持っていないコザックにははっきりとは言えないが、5歳児とはこんなだっただろうか? と、そんな疑問が湧き上がる。
トイセルは父に似て少し肉付きの良い丸っとした子供だった。線の細い母親の横にいると一見甘やかされたおぼっちゃまの様に見える。だがその顔に自信は無い。コザックは自分の子供の頃を思い返して、自分の友人たちの事も考えて、やはりトイセルに感じる違和感を強くするだけだった。
トイセルは伯爵家嫡男だ。嫡男と言えば次期当主だ。コザックの知る嫡男たちは、長男というだけで自信を持っていた気がする。コザックが侯爵家だったから特別だったとは思えない。男爵家の子供でももっと自信があるんじゃないかと思ってしまった。
「ハッハッハ、いやはやお恥ずかしい! まだまだ教育が行き届きませんで!」
ぐしゃり、とハンセルが軽く息子の頭を撫でたつもりなのだろうが、突然父親に頭を掴まれ回されたトイセルはグラリと体を揺らして痛そうに顔を歪めた。アイザックの方ばかりを見ているハンセルにはそれが見えていない。グッと声を堪えるトイセルを見てコザックは驚いた。
そんな二人のやりとりを気にしていないかの様にアイザックは愛想良くハンセルに答える。
「いやいや、良く出来た息子さんだ。
さぁ子供がここにいてもつまらないだろう。下がらせて上げなさい」
「そうですな。ではキャロル、息子を連れてこちらに。
……少し場を開けますが良いですかな?」
「構わんよ」
ハンセルが妻と息子を連れて外へ出て行くのを目で追っていたコザックの肩を突然アイザックが掴んだ。
「なんだお前、トイレに行きたいのか!」
「は?」
突然の事にコザックは間抜けな顔でアイザックを見返した。そんなコザックに気にせずアイザックは謎の笑顔を浮かべながらコザックを見る。
「まぁ仕方がない、長旅だったからなぁ。今の内に行って来い」
「え? いや、私は、」
「誰か。こいつにトイレまでの行き方を教えてやってくれるか?」
アイザックの言葉に壁際に待機していたメイドの一人が前に出る。
「分かりました。こちらに」
「いや、子供ではないんだ。一人で行けるよなぁ、コザック」
「と、当然です!?」
何がなんだか分からないままに、30歳にまでなってトイレに一人で行くだけの事を心配された事が恥ずかしくて勢いのままに答えてしまった。別にトイレになど行きたいとは思わないが仕方なくコザックは応接室を出てトイレまでの廊下を歩く。
そんなコザックの耳にハンセルの声が聞こえた。
「……な役目すら果たせんのか!」
「申し訳ありません……」
怒りを含むハンセルの声に謝罪しているのはキャロルの声か……
「恥をかかせるな! トイセル! 分かっているのか! 馬鹿みたいな喋り方をしおって! お前は何の為にここに居ると思っている! 勉強しろ! 優秀になれ! 美味いものを目一杯食わせてやっている恩をちゃんと返せ! アイザック様に孫の様に可愛がって貰うのが今回のお前の使命だと言っただろうが! キャロル! お前の責任だ! 分かってるんだろうな! 妻にしてやり、子を持たせてやった俺への恩を忘れるな!」
「申し訳御座いません、旦那様」
「申し訳御座いません、お父様」
聞こえてきた会話にコザックは息苦しさを感じて急いでトイレへと駆け込んだ。もしかしたらもっとちゃんと聞くべきだったかもしれないが、それをコザックの心が耐えられそうになかった。
父が今の会話を聞かせる為に自分をトイレに行かせたのだと直ぐに理解したが、あれだけの会話なのにコザックの記憶の嫌な部分をかき回して聞いて居られなかったのだ。
ハンセルは妻と息子を愛してはいない?
トイセルの自信の無さの原因はそれか?
父や息子が太っているのに母親がやけに細いと思ったが、まさか食事に差があるのか?
漠然とそんな事を考えて、不意にハンセルの最後の言葉が頭に過ぎった。
『妻にしてやり、子を持たせてやった俺への恩を忘れるな!』
自分は一度もそんな事を考えた事は無いのに、何故かコザックの頭にはイリーナの顔が浮かんでいた。
自分は違う。イリーナに手を出す気なんかさらさらなかった。俺にはリルナだけだった。
そう思っても頭の中からイリーナは消えてくれはしなかった。
同じじゃない。
なのに、何故か昔の自分が思い起こされる。
それと同時に──最低野郎──そう思った………
その後、トイレから遅く戻ったコザックは長旅を理由に早目に客室へと入らせてもらい、食事も取らずに布団へと入った。
何故だかとても疲れていた……
◇ ◇ ◇
次の日の朝食はバイド伯爵家族とアイザックとコザック、皆で食卓を囲んだ。
「今日は……モグッ、忙しいですぞ!ンぐっ、バイド伯爵領は、小さい領ではありますが、モグッ、……見る所がたくさんあります、からなぁ! ングングッ、パァ〜。紹介したい所が、モグッ、……たくさんありますよ!ハハハ!モグッ」
食器の当たる音もしない貴族の食事の席でバイド伯爵の喋り声だけが響く。その声を聞きながら無言で頷き返すアイザックの姿を見てもハンセルは喋り続ける。食べ物を口に入れて直ぐに飲み込める技を披露しているかの様に、ある意味器用に食事をするハンセルにコザックは何とか貴族の笑みを崩さずにいた。
向かい側の席に座るキャロルとトイセルに、不自然にならない様に視線を向ける。キャロルは食事を減らされているのではないかと思ったが、見える限りでは取り立てて少ない様には見えなかった。逆にトイセルは5歳児にしては多目の朝食をせっせと食べている。一生懸命……時々嘔吐きながらも食事を口に運ぶ姿は異常に思えた。だがそれを誰も気にしない。時折母親のキャロルが心配げな視線を投げるもののトイセルを止める事はなかった。
父親のハンセルはそもそもが大食漢なのか、喋りながら食べている筈なのに誰よりも早く皿を空にしては添え物のパンをジャムまみれにして食べていた。
「トイセル、今日のジャムはまた一段と甘いぞ。たくさん食べなさい」
ニコニコしながらそんな事を言うハンセルにトイセルは口に入れた物を何とか飲み込んでから「はい。お父様」と答えてパンとジャムを自分の皿へと支給係に取ってもらっていた。
吐いてしまうんじゃないか? と心配になるコザックの目には平然としているバイド伯爵家の両親と使用人たちの顔が見える。
何故だが異常な空間に自分が居る様な気がしてコザックは気分が悪くなった。
実際にコザックの顔は青くなっていたのだろう。アイザックとコザックを連れて領内を周ろうとしていたハンセルもコザックの顔を見て「今日は邸でゆっくりしたい」という申し出をあっさりと受け入れた。
元々前侯爵当主であるアイザックだけが居ればいいと思っていたのだろうハンセルは、ニコニコしながらアイザックを連れて外出して行った。
アイザックはコザックに一言だけ「トイセルを見てあげなさい」と言って、こちらは愛想笑いのニコニコ顔で外出して行った。
キャロルやトイセルと一緒に玄関先で親を見送ったコザックは息子を連れて下がろうとするキャロルに声をかけた。
「お二人は今から何を?」
「……トイセルの勉強です」
「では奥様のご予定は?」
「…………お恥ずかしながら我が家には住み込みの家庭教師を雇う余裕が御座いませんので、息子の勉強はわたくしが見ております」
「あぁ……そうなのですね」
予想外の返事をされてコザックは返事に困った。
資金繰りに困って不正を働いていると聞いていたが実際に目にしたバイド伯爵も家も料理も裕福そうに見える物ばかりだった。ハンセルは息子に勉強を強要している様だったから、てっきり家庭教師には金をかけていると思ったが……
「では私が見て上げましょうか?」
「え?」
突然のコザックの申し出にキャロルは声を出して驚き、トイセルも目を見開いて驚いていた。
「これでも“勉強だけは出来る”と父にも褒められているのですよ。軽い家庭教師の真似事なら私にも出来るでしょう」
「そ、そんな……お手を煩わせる事など出来ませんわ……っ
それにコザック様の体調もすぐれませんし、トイセルも食事の後は……」
ハッと、言葉を止めて唇を手で隠したキャロルにコザックは目を細める。『食事の後は』の後の言葉は想像が付く。そんなのはトイセルを見れば一目瞭然だった。
ハンセルはコザックの顔色の悪さには気付いたが、自分の息子の顔色の悪さには気付かなかった様だ……。
トイセルは、本当ならお腹を手で押さえたいだろうに、両手を両脇に下ろして、その両の手をグッと握っている。口をしっかりと閉じているのはそうしないといけない状態であるかの様にも見える。早く横になりたいだろうと察したコザックは了承も得ずにトイセルを横抱きに抱きかかえた。
「っ!?」
「なっ?! 何をなさいます?!」
「部屋が良いですか? それとも談話室のソファに?」
答えず自分の質問を投げかけたコザックにキャロルは一瞬、ほんの一瞬睨む様な目をした後、コザックに従う様にスッと頭を下げた。
「……トイセルの部屋に……お願いします……」
そう言って先に歩き出したキャロルの後をコザックは付いていく。自分を驚いて見上げてくるトイセルにコザックはどんな表情を見せればいいのか分からず、何とか作った笑顔で微笑んで見せた。
自室のベッドで、上半身が少し高くなる様にして寝かされたトイセルはお腹の負担にならない様にか、目を閉じ、ゆっくりとした呼吸を繰り返していた。
「食事の量は伯爵が?」
コザックの不躾な質問にキャロルが一瞬息を呑む。
「……はい。そうです……」
彼女には、『答えない』という選択肢はないのだろうとコザックは思った。
今のキャロルを見ていると何故か隠れ家に入って一年ほど経った頃のリルナを思い出した……
当時は気付かなかったが、あの時のリルナはコザックからの話をただ聞き、質問されれば答えていた。あの姿は……全てを諦めた者の姿だったんだと……今なら分かる……
そんなリルナを彷彿とさせるキャロルの表情がコザックは気になって仕方がない……彼女もまた……何かを諦めているのだ……
「……毎日こうなのですか?」
「……はい」
「トイセルが吐いた事は?」
「……あります」
「この事をバイド伯爵には?」
「……吐いても食べ続ければその内もっとたくさん食べられる様になると言われました」
「……トイセルの体は大丈夫なのですか?」
「………………ません」
「え?」
「…………お医者様には診てもらっておりません……。旦那様は“食べ過ぎで吐いて医者を呼ぶ馬鹿がいるか”とおっしゃいましたので……」
「……そう……ですか……」
質問すれば何でも答えてくれそうな彼女に質問していたら、返事に困る言葉が返ってきてコザックは言葉に詰まった。
「……何故……バイド伯爵はトイセルにたくさん食べさせるんだ……」
それは質問ではなくつい漏れてしまったコザックの呟きだった。
愛しているならその行動も分かる。自分の子供にお腹いっぱいに食べさせたいと思うのは子がいないコザックにも自然な事だと思える。だがハンセルは昨日の話を聞く限り息子を大切にしている様には思えない。それにトイセル自身が食事を楽しんでいる様には思えなかった。なら何故……?
「……見栄の為です」
コザックの疑問にキャロルが答えた。
「裕福な子供は太っているのです。平民の子の様に痩せていては見栄えがしません。それに父親に似ていればそれだけ、親子関係が円満に見えるのです。
……トイセルは元々食が細い子でした。劣ったわたくしに似てしまった所為で旦那様にはご苦労をかけてしまっております……
旦那様に似た子に産んであげられていれば、トイセルはこんな苦労をしなくても良かったのです……
母がわたくしなばっかりに……必要の無い苦労をさせてしまっていて……わたくしは申し訳なく思います……」
ジッと自分の手元だけ見てそう言ったキャロルを、コザックは唖然として見つめるしか出来なかった。
彼女の言った言葉の意味が、すぐには理解出来なかったからだ。
「そ」
「う……っ……」
「トイセル、もう起きて大丈夫なのですか?」
コザックが何か言葉をかけねばと思ったと同時にトイセルがベッドから上半身を起こした事で、キャロルはトイセルの側へ駆け寄った。
その後、トイセルの前でキャロルの言葉の真意を聞く訳にもいかずにコザックは胸に蟠る気持ちを笑顔の裏に隠してトイセルに勉強を教えた。
ずっと暗い顔をしていると思っていたキャロルが、トイセルがずっと理解しなかった問題をコザックが分かりやすく説明した事に、初めて柔らかく笑ったのだった。
◇ ◇ ◇
夕飯を終えてコザックが自分に用意された客室でゆっくりとしていた時、不意に扉がノックされた。
出ると扉の前に笑顔のハンセルが立っていた。
「コザック様、宜しければ1杯お付き合い願いませんかな?
アイザック様をお誘いしたのですが、今は良いと言われまして、コザック様なら喜んで付き合って下さると聞きましてな!」
「…………えぇ、では1杯だけ……」
コザックは仕方なくハンセルに付いて談話室へと向かった。
アイザックがハンセルに『コザックなら喜んで付き合う』と言ったのならコザックはハンセルに付き合うしかない。父は何を考えているんだとコザックはハンセルにバレないように溜め息を零した。
談話室の一人掛けのソファにハンセルが、その横の三人掛けのソファにコザックはハンセルに近い場所に腰掛けた。
ローテーブルに酒と酒のつまみが載った皿が用意されるとハンセルはメイドたちを下がらせた。その方が寛げるからとハンセルは言ったが、コザックには聞かれたくない話でもするのかと思えた。
ハンセルは場を作るかの様に他愛のない世間話をしながら酒を飲んでいく。コザックはゆっくり口を濡らす程度に酒を飲みながらハンセルに付き合った。ハンセルは一人で瓶を開けても気にせず次の瓶を開けて、最終的には自慢話となる話を一人で続けた。
「それにしても不運でしたなぁ」
さも自然な話の様にハンセルが言う。
「不運?」
グラスに口を付けながらコザックは聞き返した。
「聞いておりますよ。
突然の御病気の所為で子種が無くなり、その所為で次期当主の座を下ろされたとか。これを不運と言わずに何を不運と言うのですか」
「……あぁ……そうだな……」
そんな話になっていたな、とコザックは思った。
事実を全て世間に話す必要は無い。だからコザックが愛人を囲い、その罰で薬を飲まされた事は一部の者しか知らない話だった。
その所為か、『ナシュド家の長男夫婦は白い結婚だった』『長男は不能らしい』という噂がいつの間にか『長男が病気で子が儲けられぬ体になったので白い結婚となった』という話が世間では噂される様になった。ナシュド家としては悪いイメージではないのでこれを態々否定して聞こえが悪い事実を広める必要もないと、訂正せずに放置している。その話をハンセルはしているのだ。
この話題を出される事は別に珍しい事ではなく、コザックはそれを言われる事にもう慣れてしまっていた。不能だと馬鹿にされて怒ればさらに馬鹿にされ笑われる。こういう話は聞き流すに限るとコザックは経験から理解していた。
「……良ければ治療をお手伝いしましょうか?」
ニヤニヤとした顔で、小声で秘密の会話をするかの様にハンセルが言った言葉に、コザックは一瞬間抜けな顔になってしまった。
「え……?」
「知っていますよ。ナシュド家の方々はどうにもお堅い方々が多い様で……
男の部分を治すにはやはり『女』を用意しないといけませんよ。
コザック様は元の奥様しか知らないのでしょう? ……あぁ、奥様の“女の部分”をお知りにないかもしれないのでしたな。これは失礼。
いや、なら尚更、“女”を知ればコザック様の“男”の部分も目覚めるかもしれませんぞ」
ニヤニヤと訳知り顔で話すハンセルはとても醜かった。
ハンセルはコザックが愛人を囲っていた事を知らないのでそんな発言になるのだろう。
コザックは眉間にシワを寄せながら、何と返答しようかと悩んだ。
しかしハンセルはコザックの返事など気にしていないかの様に楽しそうに話し続ける。
「自慢ではないのですが……私には愛人が数名おりましてなぁ。いやはやこれがまた全員よりすぐりの美女たちで、本当に自慢なのですよ!
最近四人目を仕込み中でして、良ければその者を一番にコザック様にお楽しみ頂いても宜しいですぞ!」
ムフーッと、鼻の穴を膨らませて自慢するハンセルの、その言葉にコザックはやっと言葉が出た。
「仕込み中……ですか……?」
コザックから出た言葉が否定を含む言葉ではなかった事に気を良くしたハンセルが喜色満面で更に喋り出す。
「えぇ! えぇそうですよ! 美しい女を今従順な女に躾けている最中でしてな! いやぁ、娘たちは見目は美しいのですが、何せ元が平民! とても野生的でして! 養ってやり美味い飯と美しいドレスや宝石をやると言っても我が侭ばかり言うので最初は男の言う事を聞く様に躾をせねばならぬのですよ!
これがまた大変なのですが、従順に仕上がって着飾られた女たちを見た時は、努力が報われたと感動してしまいますよ!」
胸を張って自慢話をするハンセルのその『自慢話』の内容にコザックは言いようも無い気持ち悪さと腹の中が煮え立つ様な怒りを感じた。
コザックも愛人が居た。愛人を囲っていたのはハンセルと同じだった。
だが、コザックは愛人にするしかなかったリルナを愛していた。独りよがりの愛ではあったが、コザックが“一人の女性だけを愛していた”のは紛れもない事実だった。
だからコザックにはハンセルの発言を理解する事は出来なかった。したくもなかった。コザックにとって愛人とは『本当に愛している人』なのであって『無理矢理躾ける』相手ではない。コザックとしてはリルナに将来の為の勉強を頑張って貰っていたのであって、あれは決して躾などではなかった……
コザックは湧き上がるハンセルへの嫌悪感をどうにか腹の底に抑え込んで平然とした顔をして見せていた。
「……美しい平民の女性とどこで知り合えるのか知りたいものだな……」
どうにも犯罪の香りしかしないハンセルの言葉にコザックはさも興味があるかの様な視線を投げながら質問する。
それにハンセルは嬉しそうにニンマリと笑って酒を煽りながら饒舌に話してくれた。
「ここだけの話ですよ? コザック様だからこそお話しするのですよ?
美しい女は居るだけで人目を引きますから使いの者を平民街の飲み屋などに行かせれば情報などすぐに手に入りますよ。男は皆、美しい女を目に入れていたいですからなぁ!
そしてどこに居るか分かればササッと、ふふっ、これはまぁコザック様にはまだ早いですかな、ふふっ。連れ込んでしまえば後はこちらの自由ですよ♪
コザック様も気になる平民女が居れば私めにお知らせ下さい! すぐにご用意しますよ? 躾はご自分でされた方が楽しめますが……ふふっ、私めに任せて頂ければしっかり躾けさせて頂きますので♡」
「……………面白い話を聞かせて頂けて、今夜は最高の気分ですよ、バイド伯爵。
是非、前向きに検討させて頂きます…………」
「是非是非!! 美しい女が側に居ればコザック様のご病気もきっと回復されますよ! 女の肌に触れているだけでも癒やされますからな!!
いやはや、やはり! コザック様なら話が分かって頂けると思って居たのですよ! どうにもこの国は頭の堅い男が多くていけません。美しい女も金のある男に飼われる方が良い人生を歩めるというのに、そこを理解出来る者が少なくて嘆かわしいですよ。
コザック様が見染めれば、それだけ救われる美女が増えると言うもの!! いや〜! 未来は明るくなりそうですなぁ!!」
ハッハッハ!! と笑うハンセルにコザックは完全なる貴族の笑みで笑い返す。腹の中は煮えくり返っていたが、それをハンセルに悟られる様なへまを今のコザックがする事はなかった。
その後、コザックとアイザックは更に3日ほどバイド伯爵邸に滞在し、帰路に就いた。
その道中、コザックはハンセルから聞かされた話を怒りで震える手を抑えながらも全部アイザックに話して聞かせた。
『美しい平民女性を攫っている』
その事が何よりもコザックの怒りを買った事にハンセルが気付く事はない。
リルナを……、もう探す気はないし過去の事だと理解しているが、それでもコザックの中ではリルナが唯一の『愛した女』である事には変わりはなかった。家族の元に帰った彼女はきっと平民として暮らしているだろう。コザックの目を奪った女性だ。若い女性という年齢ではなくなっていてもその見た目が簡単に変わるとは思えない。もし……もし万が一リルナに魔の手が伸びる事があったら…………そう思うとコザックは怒りで暴れてしまいそうだった。
怒りを抑えながらも口早に話すコザックの話をアイザックは静かに聞いていた。
「……女性を囲っているのは分かっていたが、まさかそこまで卑劣な手を使っていたとはな……
とことん腐っていたと言う訳か……」
父の怒りを含んだ声に、コザックは少しだけ怒りを鎮めた……
その後の動きは早かった。
衛兵に、ナシュド侯爵家の騎士隊も動いてバイド伯爵は捕まった。
そしてバイド伯爵とその手下と共に、伯爵と手を組んでいた孤児院の院長も捕まった。
バイド伯爵が愛人の世話をさせる為に雇った使用人の口封じに子供を人質にして、その子供たちが囚われていたのが孤児院だったからだ。院長はそれをいい事に子供に手を出していた。
バイド伯爵の愛人や孤児院の子供たちは助け出されるとすぐに親元に帰り、その足で教会へ駆け込んだ。
【純粋純潔を尊ぶ両性神・ゲレ=イズ】に祈る為だ。最悪な記憶が消える事はないが、ゲレ=イズ神の神力で穢れを流し癒される。そして……
バイド伯爵と孤児院の院長は捕まった牢屋の中で絶叫して悶え苦しんだ。泡を吹いて涙を流しても気を失う事はない。激痛と共に股間からギリギリビチビチと肉が引き千切れる音がして耳からも脳を刺激する。
3日3晩苦しんだバイド伯爵と院長の股間からは綺麗に男性器が無くなり、変わりに新しい穴が増えていた。奥には何も無い、男性を喜ばせる為だけにある様な穴の存在に、これから男しか居ない強制労働場に収監される事が決まっている二人には、素晴らしい贈り物だと、皆が嘲笑った。
元伯爵となったハンセルと元院長は別々の強制労働場に収監されたが、本人が隠したくてもしっかり周りに「穴」の事を告知されて、労働場に居る男たちに神から与えられた「穴」を有意義に使って貰えた。「穴」は使う男たちには快楽を与えるが穴の持ち主であるハンセルや元院長には不快感と苦痛しか与えない。快楽など、ハンセルや元院長はこの先二度と味わう事はないのだ。
ハンセルも元院長も見た目は可愛くも美しくもないおじさんと呼ばれる男性だったので、そんな男性でも男性から愛される事を証明したとして、二人の名前は世界中に知られる事となった。