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>>  しあわせに





 ナシュド家に入ったイリーナの、嫁としての仕事は実のところほぼ無い。3年後に出ていく事が決まっているので当然だった。


 夜会や茶会の殆どは現侯爵当主夫妻が出るし、息子夫婦も必ず一緒に出席しなければならない夜会や茶会も殆ど無い。なのでイリーナは世間向けに『ナシュド家の息子夫婦には問題は無いですよ〜』と見せる程度に顔を出しておけばいいだけだった。しかも今ナシュド家が物入りなのはみんなが知っている事だ。『見栄よりも河川工事』と、領民の為に金を使っている様に見せていれば陰でコソコソとナシュド侯爵家を馬鹿にする者はそんなに居ない。なのでイリーナは表向きは嫁に入った家でのんびり刺繍でもして過ごしているのではないかと噂されていた。


 そうであればイリーナも嬉しかっただろうが、実際は違う。

 3年後に公爵家に入るイリーナにはそれ相応の、いままで覚えていた侯爵夫人とはまた少し違った教育が必要だった。なのでイリーナは(しゅうとめ)となったエルザからナシュド家の本邸にて夫人教育を受けていた。そこにはフィザックの婚約者のマーテル・ジルダン伯爵令嬢も呼ばれていた。マーテルの方も急遽侯爵夫人の知識を覚えなくてはいけなくなったので、彼女の方が大変だった。

 マーテルはフィザックが継ぐ筈だった伯爵家の夫人としての勉強はしていたが侯爵夫人として……ナシュド家の事をそれほどちゃんと覚えていた訳ではなかったので、突然降ってきた膨大な勉強量に目を白黒させていた。

 それは決してイリーナの所為ではないのだが、イリーナは申し訳なく思った。


 余談だが、リルナが侯爵夫人まで行かなくてもちゃんと教育さえ受けていれば、ナシュド侯爵はコザックにフィザックに与える予定だった伯爵位を譲ってもいいと考えていた。侯爵家当主は無理でも、ちゃんと反省し必要な事を出来ていたならば、本来優秀なコザックであれば、伯爵家を上手く成長させられると少しだけ期待する気持ちもあったのだ……

 期待は……したのが恥ずかしくなる結果に終わり、兄弟どちらかに譲られるはずだった伯爵位は次の機会までまた仕舞われる事となった……。



 3年は長いが、目的があって過ごしている者には長くも短くもある。


 コザックは自分は順調だと思って過ごしていたので、イリーナに謎の上から目線と言葉を投げかけたりはしていたがイリーナにとっては別段気になるものでもなかった。表向きの顔を理解しているコザックはちゃんとイリーナをエスコートして侯爵家の息子夫婦を演じていた。毎週リルナで発散出来ていたお陰かもしれない……


 イリーナはコザックとその愛人の話を別に聞きたいとは思わなかったがナシュド侯爵から時々聞く事があった。

 自分で確認すらしないコザックと捕らわれのリルナの話を……

 侯爵嫡男に手を出した年上の女性の状況は、貴族と不貞行為を行った平民女性への罰にしては軽い方ではあるが、自由だった平民へ与えるものにしてはツラいものだろうとイリーナは思った。

 愛する女性と居られる事に浮かれて、その愛する女性の事を全く見れていないコザックの態度に嫌悪を感じた。リルナが既に諦めて罪人の様に言われることに従っていると聞いた時はさすがにイリーナも可哀想になった。


 リルナとコザック、どちらが先に誘ったのかは分からない。もしかしたらリルナが年下のコザックを誘惑したのかもしれない。体を使ってまだ年下のコザックを(たら)しこんだのかもしれない。

 それでも……、浮気をすると決めたのはコザックだ。まだ子供だったからと言っても上位貴族の令息として紳士教育やマナーなどを誰よりも教え込まれていたはずの彼が、誘惑への対処方法も教わっている筈の彼が、誘われたからと言って一線を超えてはいけなかったのだ……

 ある意味コザックがちゃんと線引きをしていればリルナは平民としての境界線を超えなかったかもしれないと思うと、少しだけ……ほんの少しだけ、イリーナは同情してしまっていた。コザックの裏の顔が醜いと知ってしまったから余計に、イリーナにそう思わせたのかもしれない。


 3年目が迫った時、イリーナはナシュド侯爵にお願いしてリルナ宛に金貨を贈った。色んな感情はあったが……一番イリーナが思っていた気持ちは純粋に『お疲れ様……』という気持ちだった。3年という期間はコザックが白い結婚だと言い出したから決まった様なものだが、イリーナが公爵家の後妻に入る事が決まり、絶対に白い結婚を証明しなければならなくなったのも大きい。その理由がなければ、リルナはもっと早くに解放されても良かったのだ。

 イリーナにはどうしても『わたくしの所為で3年も……』という気持ちが拭えずに、リルナへのお金という形となった。

 

 3年間、イリーナを始め色んな人の人生設計が変わり皆が(せわ)しなくしていた。フィザックも正式に父の跡を継ぐ事になり、必要な知識を3年間で叩き込む事になった。しかもそれをコザックに知られてしまうと騒ぎになるのが目に見えている為、絶対にコザックには悟られない様にしなければならなかった。

 コザックが自分が後継者から外されたと知れば最悪イリーナに手を出し“白い結婚”を出来なくさせるかもしれない。イリーナの周りには護衛や侍女が居るが、コザックと一つ屋根の下に居る事に変わりはなく、警戒するに越した事は無いと考えられていた。

 イリーナが3年間もの間、家の中でもずっと後ろに護衛を連れている事を普通なら違和感に感じてもおかしくない筈なのにコザックはそれを気にもしなかった。『気が利かない』はそのまま『気にもしない』になるのかもしれないとイリーナは思った。


 コザックはずっと『自分の事』ばかりだった。

 彼の中では『誰かの事』もその『誰か』の前に『自分(コザック)』が来るのかもしれない。

 イリーナが聞かされたコザックのリルナへの態度……イリーナの考える“愛”であれば、リルナが泣いていたなら、何故泣いているのか、どうすればその涙が止まるのか、を知ろうとするはずだった。だがコザックはそれをしない。きっと彼の中ではリルナの悲しみも悩みも『自分(コザック)の為に頑張ってくれている証拠』などに変換されているのだろう。だからリルナが泣いていても、拒んでいても『俺の為に頑張って』『俺が側にいるから大丈夫』なんて慰めにもならない訳のわからない発想になるんじゃないだろうかとイリーナは思った……

 知識の一つだと思って読んだ俗物的な小説に『嫌や止めては本心を言えない淑女が唯一口に出来る“お強請(ねだ)り”の言葉です。「いや」は「良い」、「止めて」は「もっとして」だと()()()()()()()()()()』と書いてあった。コザックがその本を読んだとは思えないが、その本を書いた作者とコザックが同じ感性を持っていれば、自然と同じ様な考えになってしまうのかもしれない……

 コザックがちゃんと『リルナ()どうしたいか』を考えていたならリルナは3年の間ずっと精神的肉体的苦痛を味わう事はなかっただろう。

 期間は3年と決まっていたが、その3年の間どうするかまではそれぞれに委ねられていた。コザックがリルナの事を最優先で考えていればリルナは外には出れなかったかもしれないが、意味のない教育からも、コザックから強要された夜の奉仕からも解放されたはずだった。

 彼女に選択権も決定権もなく、全てコザックに委ねられていたのだから。


 コザックとリルナ、二人の処遇をナシュド侯爵に委ねたイリーナにもそこに口を出す権利は無かった。その気もイリーナにはなかった。リルナをかわいそうだとは思ってはいたが、だがそう思ってはいても実際の被害者はイリーナの方である事には変わりはないからだ。貴族としての威厳を保つ為にもリルナへの罰は与えなければならない。……本来ならば、イリーナがリルナを罰してそれをコザックが庇う、なんて事になってもおかしくはなかったのだが……何故かリルナの罰は『コザックから与えられている』様な状態になっていて、イリーナは本来持つ必要のない『リルナを不憫に思う』気持ちを持ちながら3年間を過ごした。






  ◇ ◇ ◇






 コザックと結婚式を上げた日からきっちり3年目の朝。

 イリーナは侍女を連れて朝早くから教会へ行った。


 この世界の神は五柱(いつはしら)存在する。

 その一柱(ひとはしら)である【純粋純潔を尊ぶ両性神・ゲレ=イズ】が“白い結婚”を神の力の元に証明してくれるのだ。その『純潔の証明』は神殿にて管理され、再婚などをする時には神の使徒である聖職者の一人が証人として式などに顔を出してくれる為、とても感謝されている。

 この神の力は白い結婚の為だけでなく、不貞の審議にも役に立つ上に『無理矢理純潔を奪われた』とゲレ=イズ神に訴えれば、強制性交の場合には純潔は戻り相手の性器は激痛と共に破壊され性器のあった場所から性器が消えると言われている。実際、男性器を失った者や女性器を失った者は存在する。コザックがイリーナを無理矢理襲っていた場合、不能になるだけでは無く男性器その物が消滅していたのだ。だがその場合、イリーナの精神的ショックも計り知れない。記憶を消す事は神にも出来ないからだ。リルナの場合は純潔を自分の意思でコザックに捧げた為にその後いくら無理矢理されたと訴えてもゲレ=イズ神は動かない。ゲレ=イズ神はあくまで『純粋純潔を尊ぶ両性神』なのだ。


 そんな神に自身の純潔と白い結婚を証明してもらったイリーナはその足で国へと白い結婚を申し出た。必要な書類へのコザックのサインは3年前に既に貰っている。3年の間に万が一コザックの気が変わり、イリーナと結婚していれば自分が侯爵家を継げると考えたら面倒になると思われたからだ。コザックは父から言われて必要書類にサインした時、自分の気が変わる訳が無いと言い張っていたが実際にコザックの気が変わる事はなかったので、ナシュド侯爵は少しだけホッとしていた。


 『白い結婚での離婚』は最初から決められていた事だったが、これらはあくまでも『イリーナとコザック、二人の夫婦の問題』であって二人の親であるナシュド侯爵もロデハン侯爵も()()()()()()()になっている。なのでナシュド侯爵もロデハン侯爵も表向きは知らなかった顔をして息子たちが離婚した事を嘆いた。嘆きはしているがナシュド侯爵もロデハン侯爵も『でも俺たちはズッ友だから!』みたいな顔をしているので、空気を察するのが上手い貴族は直ぐに察したし、空気を読んで両家の親たちに同情する顔を向けた。



「貴女が娘じゃなくなるのは寂しいわ」


 ナシュド家から出るイリーナにナシュド侯爵夫人のエルザは心底悲しげな顔をしてイリーナの手を握った。

 その横に立っていた次期ナシュド侯爵夫人となるフィザックの妻マーテルも涙を浮かべていた。フィザックとマーテルは昨年結婚した。ナシュド侯爵家は息子夫婦が二組も存在する状態でどちらの息子もどの爵位も貰っていない“息子夫婦”のままだったので、おかしいと思う貴族もいたがイリーナとコザックが離婚した事により不思議に思っていた全員が一瞬で理解する事になった。

 今後社交界に次男夫婦が出てくる事はあってもコザックが顔を出す事は無いと。


「イリーナ様とご一緒出来て本当に心強かったです……これからも妹の様に接して下さいませ」


 マーテルが胸の前で手を組んでイリーナとの別れを悲しんで祈る様にそんな事を言った。

 そんなマーテルにイリーナは微笑み返す。


「勿論よ。貴女が居てくれた事がどれだけわたくしの励みになったか……

 家族にはなれなかったけれど、これからもわたくしを貴女の姉で居させて。……わたくしにも血の繋がりはないけれど姉と慕っている方がいるの……その方の様な姉になれる様にわたくしも頑張るわ」


「フフ、では是非イリーナ姉様と呼ばせて下さいませ」


「まぁ! 嬉しいわ……ありがとうマーテル……」


 手を取り合って微笑み合うイリーナとマーテルを周りの人達は愛おしく見守った。


 イリーナはナシュド家を出るが、これからも彼女とナシュド家の関係が続く事を皆が理解する。今はまだ口外されていないがイリーナがヤーゼス公爵家の後妻として公爵当主夫人となる事が決まっているので、そんな女性と次期ナシュド侯爵夫人が親しくしている事はナシュド家にとってもプラスでしか無かった。

 長男の関係でゴタゴタとしてしまったが長男の暴挙を事前に掴み先手を打てた事で家への損害を最小限に出来た事はナシュド家にとってもロデハン家にとっても僥倖だった。



 本来ならば『出戻り娘』『傷物令嬢』と呼ばれる立場となったイリーナだったが、その顔はとても晴れ晴れとしていた。


 懐かしの実家に父に連れられて戻って来たイリーナを待っていたのは母と兄と、ディオルドだった。


 イリーナとディオルドは3年間手紙のやり取りを続け、少しずつ自分たちの関係を『親しくしていたお兄さんと少女』から『婚約者』へと変えていった。頻繁に合う訳にもいかなかったが、ロデハン家で偶然来る時間が重なったかの様なふりをして顔を合わせたり、家の集まりでディオルドを招待する形で会う時間を作ったりして二人の関係を紡いでいった。

 コザックが少しでもイリーナの事を気にしていればもしかしたら異変に気づいたかもしれないが、コザックは自分の計画が何の問題もなく進んでいると考えていたし、コザック自身が『自分はリルナ一筋だ!』とその思いに酔っていた事もあり、イリーナが自分の知らない所で誰と会っているのかすらも気にも止めなかった。そのお陰もあって、イリーナとディオルドは3年掛けて愛を育む事が出来た。






  ◇ ◇ ◇






 家に帰ってきた娘と久しぶりの父娘の語らいをしたそうにソワソワしていた父ゼオを兄と母がササッと連れて行き、イリーナとディオルドは二人だけでロデハン家の庭園を歩いた。


「……やっと終わりましたわ」


 ディオルドにエスコートされながらイリーナが呟く。


「3年が何事もなく終ってホッとしているよ。コザック氏がイリーナの魅力に気付いて離婚を拒否するかもしれないと少し心配していたんだ」


 そんな事を言うディオルドにイリーナは苦笑して口元を手で隠した。


「そんな事は起こりませんわ。だってあの方はわたくしに興味がありませんでしたもの」


 クスクスと笑うイリーナのその言葉にディオルドも苦笑する。


 ただ興味がないだけであったならどれだけ良かったか……。コザックはイリーナに興味が無い訳ではなく『都合良く使える相手』だと考えていた。

 ナシュド家とロデハン家が共同事業をしていて物入りだからと言って絶対に婚約解消が出来なかった訳ではない。結婚式に向けて準備していた事への解約金や無駄になった衣装代など、払おうと思えば払えたのだ。ロデハン家への違約金など後払いにするとかその分のお金を事業に多目に出すとか色々出来た。実際ナシュド侯爵は最初その方向で考えていた。少し金銭面で大変になっただろうが、コザックが誠意を見せて自分から婚約解消すると言い出していれば、3年の期間も要らなかったのだ。

 だがコザックは3年の白い結婚を望んだ。イリーナを3年間縛り、自分たちは愛人関係を楽しみ、3年後にイリーナを捨てて自分たちは正式に結婚して侯爵家で自由を謳歌する気でいた。

 それをただ『婚約解消』するだけで()()()()事に出来る程、イリーナは気が弱く優しい女ではない。


 コザックの考えに乗った事。

 それは『この未来はコザックたちが望んだ事』だと、本人たちに身を以て理解させる為のイリーナからの意趣返しでもあった。


 父親が健在で弟も居る状態で、『自分が侯爵家を継いで愛人の教養も無い平民女性を正妻にする』なんて事が障害もなく叶うと思えた事がそもそもイリーナには不思議だった。イリーナたちが事前にコザックの不貞に気付かなかったとしても、その夢が叶っていたとは思えない…… 

 恋に浮かれて盲目的になる事の恐ろしさ見せられた気がした……


「……コザック様は愛に対してはとても誠実でしたわ……」


 それが一方的な愛だったとしても、ただ一人だけを愛した事には変わりはない。


「愛も地位も何もかもを手に入れようとしなければ、少しは尊敬出来たかもしれないな……」


 愛に生き、義務や使命を捨てた貴族は居た。その後にその者たちがどうなったかを誰も知る事はないが、その行為を『愚か』だと全ての人が評価する訳ではない。一部の者はその行為に憧れさえ抱く。

 ……抱くが、それを実行する者は殆ど居ない。自分の全てを捨てて、命をかける程に恋い焦がれる相手に出会う事は、海の中に投げた石を見つけるのとどちらが簡単だろうか……


 ディオルドはイリーナの手を取って足を止めた。

 不思議に思いながらディオルドを見上げたイリーナの目に真剣なディオルドの顔が映り込む。


「私も……何かを捨ててまで君を愛する程の愛を捧げる事は出来ない。

 私には大切なものが多いからだ」


「……理解しておりますわ」


「……一人目の妻を……ネミニアを忘れて君だけを見つめる事も出来ない」


「そんな事をされたら、わたくし怒りますわよ? ニア姉様はわたくしにとっても大切な方ですもの」


 頬を小さく膨らませたイリーナにディオルドは眉尻を下げて苦笑した。


「……もしかしたら、私たちの愛は他の人たちとは違うものになるかもしれない……

 だが、私は君となら信頼し合った家庭を築けると思えるんだ……」


 そう言って、ディオルドは地面に片膝をつき、イリーナを見上げた。


「イリーナ・ロデハン侯爵令嬢。

 私は貴女を慈しみ、守り、その瞳から悲しみの涙が流れない様にすると約束しましょう。貴女がこの先も笑顔で居られるように、私は努力すると誓う。その為にも、私に貴女の隣にいる権利を頂きたい……


 家族に、なっていただけますか?」


「……はい……

 わたくしの方こそ……宜しくお願い致します……」


 ディオルドの手に両手を添えたイリーナが頬を染め、微笑みながら返事をした。


 その時、二人の側にあった白い花が風に吹かれて白い花びらを数枚空へと飛ばし、二人を祝福するかの様にイリーナとディオルドの頭上から舞い降りて揺れた。

 驚いた二人の目にゆっくりと揺れる白い花が映る。


 ネミニアが好きだった白い花の、どこか楽しげに揺れるその様子を、イリーナと立ち上がったディオルドが寄り添いながら見つめていた…………





   ◇ ◇ ◇





 離婚後直ぐに再婚する訳にもいかないので、イリーナの離婚から一年と半年の期間を開けた(のち)、イリーナとディオルドは婚姻関係を結んだ。


 お互い再婚なのだからと全てを内々に済ませばいいとイリーナは思っていたのだが、周りは『不幸に見舞われ傷心していた公爵当主の再婚』と『離婚した長年の婚約者と“白い結婚”だった侯爵令嬢の再婚』話に盛り上がり、内々に済ませて終われる状態ではなくなってしまった。

 再婚といえども公爵家。結婚式をしない訳にもいかないと、イリーナは恥ずかしながら二度目の婚姻衣装を着て、神の前でディオルドとの誓いのキスをした。

 ヤーゼス公爵領の領民とロデハン侯爵領の領民と何故かナシュド侯爵領の領民も祝賀に浮かれて盛り上がり、景気が良くなった。

 遠い地域の貴族や領民からは何故離婚した前の夫の関係者まで? と疑問に思ったが、イリーナとディオルドの結婚式で元(しゅうと)となるアイザック・ナシュドがイリーナの父であるゼオ・ロデハンと肩を組みながら泣いていたらしいという話を聞いて、色々複雑なんだなぁと察した。


 忌まわしき初婚時の初夜と違い、二度目の初夜はイリーナはずっと恥ずかしさに心臓がドキドキしっぱなしだった。


 結婚式が終わり、ヤーゼス公爵家での披露宴を行う最中(さなか)、ディオルドはずっとイリーナの側を離れずに居た。そして披露宴も終盤となる中、公爵家の家令に促されてイリーナは一人、皆の前から退席して、たくさんのメイドや侍女たちに美しく磨かれて夜の準備をする。

 イリーナの為に新しく用意された夫婦の寝室にナイトドレスを着せられて連れて来られたイリーナは、甘やかな香の香りが漂う仄かに照らされた寝室のベッドの端に腰掛けてディオルドを待った。


 二度目の結婚の筈なのに、その全てがイリーナには初めての事だったので、イリーナは緊張しっぱなしだった。侯爵令嬢なのだから、メイドや侍女に世話をされるのは慣れきっているはずなのに、たくさんの人がまだ宴会場に居る中で、自分だけが湯浴みをして薄い夜着に着替えてディオルドを待つ為に寝室に居る事に、イリーナはとてつもない恥ずかしさを感じた。


「こ、……これが、本来のしょ、や、なのね………」


 ただ待つだけが何とも心許なくて、でも立って部屋を彷徨(うろつ)く訳にもいかなくて。イリーナは薄暗い寝室を見るでもなく見渡しながら気を落ち着けた。


「済まない。待たせたね」


 扉の開く音と共に現れたディオルドにイリーナの心臓が跳ねる。

 湯浴みをしてきたディオルドのまだ少し濡れた髪が目に入り、イリーナはサッとディオルドから目を逸した。

 ベッドの端に座るイリーナの横にディオルドも腰掛け、イリーナの手を取った。


「っ……」


 壊れたかの様な速さの心音を感じる。手を取られただけでこれでは、この先どうなってしまうのかとイリーナは慌てた。


「イリーナ……」


 ディオルドに呼ばれてイリーナは小さく肩を揺らしてその目を見た。


「は、はいっ、ディオルドさまっ」


「ふ、……落ち着いて……

 少し……話をしようか?」


「え?」


「疲れただろう?

 もっと楽な姿勢になろうか」


 柔らかく笑ってディオルドはイリーナをベッドの端から、ベッドヘッドや枕を背もたれにして座る様に促した。緊張して少し挙動不審になっていたイリーナもそれには少し拍子抜けして肩の力を抜いた。


 ディオルドの肩に頭を預けながら、寄り添い、二人の手に互いに触れ合いながら、今日の話をゆっくりと交わした。ディオルドに肩を抱かれ、その体温を感じて、その手で腕を優しく撫でられると……イリーナの体からは緊張が抜けて、穏やかな気持ちになれた……


「リーナ……」


 ふと、ディオルドの声が変わった気がしてイリーナは顔を向けた。


「……ルド様」


 名を呼んだ声が、自然と甘くなる。


 二人の唇が重なったのも、とても自然な事の様にイリーナには感じられた。





  ◇ ◇ ◇





 イリーナは無事に娘と息子を産んだ。

 一人目の娘の名は「リセニア」

 二人目の息子は「ロナルド」


 娘の名を聞いて公爵家の前妻の名を思い出してイリーナの事を不憫がる人もいたが、イリーナは気にも止めなかった。


 子供の名前はディオルドと二人で名付けた。


 ネミニアがイリーナとディオルド二人の大切な人である事が変わる事はなく、そんな“愛”がおかしいと人から言われ様とも、イリーナたちにとっては、それが自分たちの愛なのだと、胸を張れる。


 イリーナはイリーナの愛を胸に、愛し愛される、幸せな家庭を築いた。











[了]

  

※最後に【コザックの第二の人生】 前編・後編で終わります。よろしければもう少しお付き合い下さいませ。

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