4.『私たちが私たちである証明』
あれは、小学生の頃か、それよりも前のことか。
あの頃から既に龍樹に対して好意があったのか、今となってはわからないけれど。
「まじかる☆ぴゅあになりたい」
とか、そんなしょうもないわがままを彼に言った。
『まじかる☆ぴゅあ』とは、かわいらしい魔法を使って悪さを働く悪魔的な存在を倒す、みたいなコンセプトの女児アニメだ。
当然、そんなものになれるわけがない。実在もしなければ、そもそも男児である龍樹が認知しているかも怪しかった。
だけど、そんなことは子供心ながらにわかっていた。
ただなんとなく、「たつきくんにわたしだけのためになにかしてほしい」と漠然と思ったのが最初だったと思う。
我ながら嫌な女というか、性格の悪い話だな、とは思う。
だけど、困った顔が愛おしくて。
私のために悩んでくれる姿が、たまらなくゾクゾクしたのだ。
結局、龍樹はお母さんのフリフリした洋服をこっそり持ってきて着せてくれた。
その後しっかり怒られたようだが、あろうことか私は、私のために怒られてしまった申し訳なさよりも、私のわがままに困らされる姿に喜んでしまったのだ。
だから私は、次の日も、その次の日も、龍樹にわがままを言い続けた。
龍樹が困り果て、時にはお母さんに怒られると知っていても、私の内から湧き出す欲望に勝てなかった。
これが、私の性悪エピソード。
今日まで、龍樹にわがままを言い続けてきた理由。
だけど、いつからか龍樹は変わった。
変わったというか、対私用決戦兵器みたいな姿に変貌したのだ。
「あのね、おとこのこは"かいしょう"ってのがだいじなんだよ」
突然、そんなことを言い始めたのはいつだっただろうか。察するに、お母さんに「女の子の前では甲斐性を見せなさい」とでも言われたのだろう。
子供というのは素直なもので、親が冗談混じりに言った言葉であろうと、それが人生の指標にまでなったりするものだから。
この日を境に、龍樹は今まで以上に真剣に私のわがままを受け止めてくれるようになった。
時には笑顔で、時には本気で悩みながら。
――だったらなおのこと、私がわがままを言うのを辞めればいいじゃないか。
もしこの私の独白を聞いている人がいたとしたら、きっとそう思うことだろう。
一度、本気で自分の性格の悪さに悩んだことがある。
こんなに龍樹を困らせておきながら、なぜわがままを聞き続けてくれるんだろう。そう思いながらなぜ、私はわがままを言い続けてしまうんだろう。
もしかしたら、龍樹の人が良すぎるだけで、本当は迷惑に思ってるんじゃないだろうか。いや、そうに違いない。
その悩みを打ち明けると、龍樹は優しい笑顔を浮かべながらこう言った。
「男は甲斐性が大事なんだ。俺が聞きたくて聞いてるんだから、咲は遠慮せずになんでも言ってよ」
その時に、思った。
これは私が龍樹の優しさに甘えているだけかもしれないけど、私の言い訳でしかないかもしないけど、『わがまま』というのは私たちを繋ぐ合言葉のようなものなんだ。
この繋がりは、私たちが私たちである証明。
――10年以上の暗黙の了解である、私たちの、絆だ。
まぁ、近頃の龍樹はちょっと全力投球すぎるというか、完全に冗談で言ったわがままも完璧に拾ってくれようとするから、私も気をつけないといけないけれど。
「咲のお願いを聞くために必要だと思ってとりあえず100億くらい稼いできた!」
って言われた時は、さすがに心臓が飛び出るかと思ったけど。
でもまぁ、私はこの距離感が好き。
私の言葉をひと言も零さずに聞いてくれる龍樹が好き。
だから今日も――
「――ねぇ龍樹! お願いがあるんだけど……」