隠れ子
都市部より少し離れた住宅地。
そこからさらに離れて点在する家々は、田舎では珍しい光景ではない。
街灯は少なく、遊歩道も最低限にしか整備されていない。
そのために当然人通りなどないに等しい。あるのは、たまに車のライトが通り過ぎるだけだ。
その中の、ひとつの一軒家。
明かりは灯されることなく、月明かりがぼんやりと照らし出す。
曰く付きの、噂の絶えない古びた家。
『一家惨殺』
『猟奇的殺人』
『夫婦滅多刺し』
『見つからない子供』
田舎に突如として起こった事件。
犯人が捕まってもなお憶測を呼び、噂が絶えることはなかった。
暇を持てあました若者達にはちょうどいい心霊スポットとなり、いつしかその家は荒れ果てた。
カビ臭く、埃は溜まりに溜まって。
抜けた床に、穴の空いた壁。
蔦の這う外観は、まさに廃墟。
そして、やってきた若者達は肝試しをするのだ。
当時捕まった犯人の、戦慄の供述を基にして。
❇︎❇︎❇︎
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
ばくばくと脈打つ心臓に呼応して、息が切れる。
狭い空間。真っ暗闇。
——逃げ込んだ、押し入れの中。
運動したわけでもないのにどんどん大きくなる鼓動に、額だけでなく身体中から汗が滲む。
階下から聞こえた大きな物音。
争うように悲鳴まじりな声が耳をつき、僕は必死に耳を塞いでいた。
しばらくして、窺うように耳から手を離す。
静寂に包まれた闇の中。
図ったように、聞こえ始めた。
「いーち……にーい……さーん……」
数をかぞえる男の声。
ゆっくりと数字を唱えて、十で止まる。
たっぷりの余白の後、床鳴りの足音は、ゆったりと動いた。鼻歌まじりで。
家の隅々を、さらうようにして彷徨う。
ギシッ
ギシッ
恐怖を煽るように、ゆっくりと。
パタン
扉の開閉音。
真夜中、雑音のない時間帯。
はっきりと聞こえる鼻歌と、ゆったりと動く床鳴り。
移動して、移動して、階段へとやってきてしまった。
ギッ……
ギッ……
一段、また一段と。
近づく鼻歌は、低く、楽しげ。
階段をのぼりきって、立ち止まる。
そして、こう言った。
「————もう、いいかい?」
間延びするように。
僕は恐怖のあまり、無意識に息を止めた。
体が硬直する。耳だけが忙しなく、男の動きを察しようとする。
すると。
バァンッ!!!!
一番遠く、はじの部屋の扉が乱暴に開かれた。
男の鼻歌がまた始まる。
声を出しかけた僕は、両手で必死に口を押さえていた。
鼻から荒く息が漏れる。体がもっと酸素を欲していたが、口から手を離すことはできなかった。
バァンッ!!!!
今度は真ん中の部屋。
僕のいる隣の部屋だ。鼻歌がまんべんなく移動している。
端から端へ、そして上下して。
逃げ場などないのだと、すべての物陰を確認しているようだった。
鼻歌が廊下に近づく。
ギシッと、僕の部屋の前の床が鳴った。
扉の前で、男がもう一度言う。
「————もう、いいかい?」
両手に力を込めて口を覆う。
嗚咽が漏れないように、恐怖の声が漏れないように。
上がりきった息は鼻からのみ、早く細かく繰り返される。
そのわずかな音ですら響く狭い空間に、僕は頼りなく身体を縮こまらせた。
男の鼻歌がまた始まった。
カチャリ、と、静かに扉が開く。
荒々しかった先程とは打って変わった様子に、恐怖はさらに高まる。
足音が部屋に入ってきた。
真ん中まで進み、立ち止まる。
機嫌の良さそうな鼻歌は、迷うことなく押し入れを向いていた。
震える身体を押さえつけて、僕は迫り来る恐怖に耐えた。
足音がやってくる。
部屋の真ん中から、わずか数歩だけの距離。
鼻歌は止まらない。
僕は目を見開いて、その瞬間を待つしかなかった。
押し入れが、開かれる——。
「…………なんだ、なんもいねぇじゃん」
降ってきた落胆の声に、僕は驚いて顔をあげた。
男女数人の若者グループ。
スマホのライトで照らしながら、部屋の中を見回していた。
「有名な心霊スポットだから期待してたんだけど」
「犯人やべぇよな。『かくれんぼしてただけ』って」
「でも何十年も前の事件じゃん。子供が見つかってないって、本当なのかな?」
「どっかにまだ隠れてんのかもな。見つけちまったらどうする?」
「やだ、やめてよー。てかもう帰ろうよー」
「そうすっかー」
笑い声を上げて賑やかに帰っていく若者達。
スマホのライトと共に声が遠ざかり、僕は呆然と自らを思い出す。
……いつからか、記憶が混同していた。
肝試しにやってくる若者達が、あの時の男の真似事をするから。
その度に何度も何度も、僕は恐怖を繰り返す。
母親の悲鳴。
父親のうめき声。
押し入れに逃げ込んだ僕を、じわじわと追い詰める男の鼻歌。
床鳴りの音と共に、だんだんと近づいてきて。
迷いなく開けられた押し入れの中で、僕は赤黒く染まった男に釘付けになった。
振り上げられた刃物から、どろりと液体が伝う。
男は最期に、こう言った。
————見ぃつけた。