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「メアリー様、お話……よろしいかしら」



 それは突然だった。

 まだ皇太子殿下について執務も出来ず部屋で勉学に励んでいる時。

 王国に残してきた未練は無いというのになんとなく気が滅入って空ばかり見ていた。

 わたくしに専属の側仕えが付かないのを悪い方向で考えていたからかもしれない。

 ドアをノックされ受け応えるとその声は一度だけ話したことのある女性の声だった。

 ハッとして開くとそこにはおひとりの皇妃。

 周りを見渡しても身を守る者がいない。



「皇妃陛下、ご機嫌麗しゅうございます」



 最低限の礼をしてすぐに口を開く。



「近衛はどうなされたのですか?おひとりで出かけるなど危険でございます」

「危険……?どうして?」

「どうしてって……」

「何にしろ良いのです。メアリー様、今日はいい天気なの。中庭に降りてきて下さらないかしら」

「……喜んで」



 部屋を出てもやはりお供がいない。皇国は豊かだ。来てすぐに察した。

 光と影がある。それは当たり前の道理で王国は差別意識が心底にあって下民はわたくしでは理解できないような方法でその日を生きている者もいる。

 わたくしは実際に父に連れられ辺境伯のところに伺う際、馬車に飛び出した所々切れた布切れを着た少年に会ったことがある。

 少年は木の棒を片手に御者に飛びかかり取り押さえられた。何もしていないわたくしを恨めしげに見ては暴言を吐く少年に父は心を痛ませて懐から私たちにとってはそれほど価値のないハンカチと腕輪を手渡した。そう、あの時は分からなかった。同じような年頃の少年が王族を恨む意味を。今は理解出来た。"何もしていない"からだ。それは罪だ。義務は果たさなければならない。それを軽んじていた。

 しかしそれにしたって不用心だ。害して皇妃の座に付きたいものなど沢山いるだろうに。わたくしはそれを伝えたかったけれど、皇宮の者に反旗を翻す者がいると誤った情報に塗りつぶされないとも限らない。わたくしを妻としたルーン皇太子殿下のためにも口を閉じた方が良いだろう。




 中庭には殿下とお会いしたテラスもあってその奥には温室も見受けられた。

 皇妃陛下はさくさくと野原のような草花が生える場所を先導して歩いた。

 日がよく当たる場所に着いて、それは小さな見たことも無い花が咲いていた。



「よいしょ……」

「……!」



 あろう事か皇妃陛下はそこに躊躇いもなく座ってこちらを見上げた。わたくしは唖然として見返すしかない。

 すぐさま見下げたままであるのが無礼であると思い至り座ったことの無い草の上に恐る恐る皇妃陛下を真似て座った。



「これ、芝生というのよ。座っても汚れないの」

「は、はい……」

「これはシロツメグサ。これをちぎってねお花の冠を作るの。メアリー様は野花を触ったことがおあり?」

「ありません……申し訳ありません」

「謝ることなんてないのよ!私が特殊なのです」



 わたくしは芝生と呼ばれた草のさわさわとした感触に最初は不快感しか覚えなかったが段々と慣れてきたのか肌に馴染んでいく。

 シロツメグサと呼んだ白い花の色をしたそれを皇妃陛下は根元で手折ると二、三本同じように取り何やら編み込んでいるようだった。



「私ね」

「はっはい」



 わたくしは緊張していた。皇妃陛下は皇宮にいらっしゃるのは分かっているのだが皇帝陛下より見ることが少ないのだ。

 この方を見たのはメアリーが来てすぐ話をされた時と、皇帝陛下と温室で寄り添って薔薇の手入れをしている時だけでこんなにも近くで長らく話すことを想定していなかった。

 何しろお身体に難ありの方らしく、殿下はもちろんの事皇宮の誰もが皇妃陛下の身を案じていた。



「ふふ、私ね、ただの庭師だったの。平民の出よ」

「え……?」

「あなたもこれから習うのでしょうけどこの国は特殊でね、とってもロマンチックな国なのよ。私は好き、では無かったけれど一緒になれたらいいなと思う殿方がいたの。隣の家の幼なじみでね、生まれた時から一緒だったし、農園を共用していたから両親も乗り気でね。でもダメなのよ」



 皇妃陛下はシロツメグサを取っては編み取っては編みをして円形に整えていっているようだった。

 近くに生えている不思議な形の三つの葉が付いた草は使わないのだろうかと頭の片隅で思いながら皇妃陛下を見つめる。



「彼に『好きでないなら結婚は出来ない。汚らしいことをしてはいけない』と怒られてしまって」

「それは……、この国に伝わる恋愛結婚でなければいけないという規則の話でしょうか?」

「あら、知っていたのね……ごめんなさい、そうよ。その頃旦那様……今の皇帝陛下は独り身でね。下町に花嫁を探しに来ていたの」

「……選ばれたのですか」

「ええ、とっても光栄よ。でも私は皇后になる素質も教養もなかったものだから、1回お断りしたの」

「お、お断り……?したのですか……」

「彼ったら、ふふ……、私に頭を下げて『好きだ』と何度も言い募ったの。恋愛結婚であるべきだから私が彼を好きにならないといけないじゃない?両親が萎縮する中一緒に馬宿に泊まってもらって諦めてもらおうとしたのだけれど、きっと運命なのだわと思って……」

「どうしてですか?」

「お高い服装をしているのに馬の糞をつけたり私が畑を耕すのを見て初めて触るであろう鍬を振るってみたり、一生懸命にしてくださる彼のことをいつの間にか愛していたの。一年かかったけれど」

「一年!?」



 メアリーはその言葉に声を荒らげてしまった。

 王国であれば誰の言を振り切ったとしても誰かを蹴落としたとしても王座を求めるだろう。

 自分の素質など省みない。意外に大変なのだということも伝わらないし、知識もないままでは国は動かせない。しかし誰もがその座を狙うのは贅沢で優雅な暮らしが出来ると盲信しているからなのだという。

 それをこの国のためにと辞退するこの方には素養があったと感じずにはいられなかった。



「めげないで下さったから……、両親も幼なじみも一年も立てば旧知の中のように振る舞いだしたし……好きになってしまったからお受けしたの。でもね、この様よ」

「?」

「私はお飾りの皇后と呼ばれている」

「なんて酷いことを」

「皇国では庶民の読み書きは必須ではなかったから……、自分の名前をかければ良かったし、魔法の質で位が決まるから学校にも行ってなくて……。恥ずかしいのだけれどお勉強……苦手だったのよ……」

「……そのお気持ちは分かりますが」

「この国の方は皆素敵よ。出来なくても咎めないし、小競り合いをしても怒りが持続しないから乱闘には発展しない。……旦那様もとい男性の方はね、少しだけ粘着気質が入っていて、甘やかしてしまうから、勉強しなくていいかってなっちゃったの。今は少しずつしているけれど」

「わたくしも、今猛勉強中です……」

「ふふ、一緒ね!今度ハンナに言って勉強会参加しようかしら!」

「是非」



 皇妃陛下は出来上がったリング状の花の冠をわたくしの頭に乗せた。

 あれほどの花をちぎったのだからもう少し重いのかと思ったけれどそうでもなく、わたくしの頭に鎮座した。

 リングと言えば。

 わたくしは左の薬指にある貴重な宝石であるという装飾品を見つめる。



「そうそう、素敵ねそれ」

「ありがとうございます」

「私の時は温室を貰ったの」

「温室を……貰った?」



 遠くに見える温室を指さした皇妃陛下の表情は明るくて嬉しそうに微笑んでいる。



「ここには芝生もなかったのよ。私が農家の生まれで、庭師の家系だったから旦那様はその手自ら建てて下さったの。これも周知の事実なのだけれど、その人に贈りたい物を渡して婚約とするのね。あなたのはルーンに聞いたら結婚指輪と言うそうよ」

「そのままですね……」

「あの子は生まれた時から変だったから……。まあそれはいいわね。付き合わせてごめんなさい」

「いえっ、こちらこそ有意義な時間を過ごさせて頂きました。お邪魔でなかったなら良かったのですけれど」

「楽しかったわ!何しろ旦那様が許してくださらないから話し相手がいなかったの。ハンナぐらいで……」

「そうなの、ですか?」

「…………あなたもきっと今から苦労するわよ。どこに行くにでもルーンは着いてくるわ」

「?」



 皇妃陛下が立ち上がりドレスの汚れを払うのを見てわたくしも同じようにする。ズレそうになる花冠を支えると皇妃陛下は私を見て微笑んだ。



「ルーンをお願い致しますね、メアリー様」



 先程の下町育ちは冗談だったのではないかと思うほど綺麗で上品な礼をした皇妃陛下に慌ててこちらも最上級の礼をする。

 基本的に礼をしている時は相手の顔は見ないので終わってから対面する。

 皇妃陛下は嬉しそうにこちらを見ていた。



「謹んでお受け致します」

「ありがとう」

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