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片隅に生きる人々  作者: 伊集院アケミ
第三部『時空移動』編
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第31話「二人の食事」

「はい、これ」


 作業服を着た少女が、僕に一片の紙片を手渡す。


「これは何?」

「アート商会の疎開先の住所。アートにも計量器を収めたことはあるから、念のため控えておいたんだ。一旦、上越まで出て、国道18号を道なりに南下すればいい。ここから200㎞もないから、車に残ってる燃料でも、十分に帰れる」

「18号? 17号の方が早いんじゃないか?」

「変なことをいうね。17号は三国峠どまりだよ。トンネルを作る計画はあるみたいだけど、30年後に完成するかも怪しい話さ」

「……」


 僕は自分の記憶力の欠如に愕然としていた。角栄ファンを自認しておきながら、三国トンネルのことを忘れるなんて、ボンクラにもほどがある。1953年、議員立法として道路三法を成立させ、自ら産み出した道路特定財源を使って、三国トンネルを作ったのが他ならぬ田中角栄だ。


「道路がよくなれば、車が増える。車が増えれば、ガソリンが売れる。ガソリンが売れれば、道が作れる。道路は文化。文化は道路だ」


 それが彼の口癖だったのだ。


「どうかした?」

「いや、とても大切なことを忘れてた、自分自身にショックを受けてね……」

「とても大切な事……?」


 彼女の言葉を聞く限り、三国トンネルの計画は、完全に棚上げになっているのだろう。この世界の角栄がどこに居るのかは知らないが、彼が政治家にならなければ、三国トンネルも消える。関越道や上越新幹線も、勿論なくなる。特定財源が消えれば、国道の舗装化すら危ういかもしれない。


 一刻も早く自分の生活を安定させ、この世界の田中角栄を見つけ出して、何が何でも政治家にさせなきゃいけない。そう思った。


「アケミー、なんか揉めとるの?」


 全力さんが、後ろから突然口をはさんだ。


「ぜ……全力さん、ちょっと黙ってて」

「ん? ツーシーターかと思ってたけど、後ろに誰か乗ってるのかい?」

「えっと……。僕の助手みたいなものなんだ。気にしないでくれ」


 CR-Xの後部座席は、「犬でも参るワンマイルシート」と揶揄されたほどの狭い場所だ。普通なら、子どもだってまともに座れない。ましてや、そこで猫がしゃべってる。彼女に覗き込まれたら、一発でアウトだ。僕は全力さんに何か食べさせて、とにかく寝かしつけてしまおうと思った。


「あの……。悪いんだけど、机を少し使わせて貰えないかな?」

「机?」

「ああ、5分くらいでいいんだ」


 まずはこの場から、彼女を引き離さなくちゃいけない。


「事務所の机で良かったらどうぞ。せっかくだから、お茶でも入れるよ。二つでいいかい?」

「いや、一つで大丈夫。ありがとう」

「じゃあ、準備してくるね」


 彼女は再び事務所に駆けていく。かなり怪しまれたとは思うが、とりあえずこの場は凌げたはずだ。僕は後部座席の全力さんに声を掛ける。


「ねえ、全力さん。今から何か作ってくるから、ここでおとなしく待っててくれよ。もう誰も来ないと思うけど、もし誰か来ても絶対に話しちゃダメだ」

「わかった。黙っとくけえ、はようなんか食わせてくれや。もう腹が減りすぎて、このままじゃ夜にしか眠れん」

「はいはい」

 

 食べて寝るのが、全力さんの仕事だ。僕は僕の仕事をしなくちゃいけない。全力さんにちゃんとメシを食わすのは、赤瀬川さんから命じられた僕の責務である。僕はアサリの入った飯盒と、カセットコンロを持って、事務所に向かった。


「飯盒? 何か温めるなら、奥のコンロをかそうか?」


 事務所の中に入ると、さっきの少女が、急須と湯飲みの置かれたお盆をもって奥から出てくるところだった。


「いや、ここで十分だよ」


 僕は、事務所の中央にある応接机の上にカセットコンロを置いた。


「それ何?」

「何って、カセットコンロだけど……」

「カセットコンロ? そんなモノで火が起こせるのかい?」

「そうだよ。見たことない?」

「ないなあ……。それも、アート商会の発明品かい?」

「いや、そうじゃないけど……」


 カセットコンロが発売されたのは、一体いつの事だろう? 単純な構造だから、相当昔からある気がするが、計量器を作ってる会社の人間が知らないのだから、少なくともこの時代にないのだろう。


「ガスはどうやって引くのさ?」

「ガスなら、このボンベの中に内蔵されてるよ」


 僕はボンベが格納されている部分の蓋を開け、彼女に見せた。


「このボンベの中にブタンガスが入ってるんだ。この部分に切り込みがあるだろ?」

「うん」

「接触部がマグネットになっていてね。この部分に本体の凸部を合わせると、綺麗にくっつく。そしたら、中のガスが流れ出すんだ」

「なるほど。圧力をかけて、ボンベの中にガスを充てんしてるんだね。スプレー缶と似たような仕組みだけど、着火はどうするの?」

「このつまみをひねれば、火花が飛んで着火する。電池もいらない」

「なるほど。圧電効果か……」

「圧電?」

「圧電素子が内蔵されてる。簡単に言えば、火打石みたいなもんさ。原理は理解できるけど、ちょっとやって見せてよ」


 僕は実際に着火してみせた。

 ボンベは、海でおろしたばかりだから、火力も強い。


「おお、凄い! これ一本でどれくらい持つの?」

「火力にもよるけど、1時間以上は余裕で持つかな? 場所も選ばないし、便利なもんだよ。たまにしか料理をしないなら、こっちの方が遥かに経済的だ。プロパンは高いしね」


 この時代には、内風呂がある家も少ないから猶更だろう。電気だって、照明用のが通っているだけで、コンセントもロクにないはずだ。


「海でアサリをとってきたんだ。砂出しはもう済ませてあるから、良かったら、君も一緒に食べるかい?」

「じゃあ、ご相伴にあずかろうかな。お昼ご飯食べてないし」

「ああ。何か簡単なものを作るよ」


 僕は飯盒でアサリを茹で、全力さん用に少し取り分けると、残った分で酒蒸しを作った。ショウガはチューブの奴だし、小葱もなかったけど、それなりに美味しかった。何よりも、誰かと一緒に飯を食うのは物凄く久しぶりで、とても楽しかった。


「ご馳走様でした。料理上手だね」

「僕の母親は朝に弱い人でね。自分の機嫌の悪い時にお腹が空いたというと、直ぐに怒る人だった。だから、自分で作るようになったんだ」

「そっか。僕の父さんは優しかったけど発明マニアで、お金が出来てもすぐ研究につぎ込んじゃう人だった。おかげでいつも、家計は火の車だったよ」

「お互い親には苦労してるな」

「まあ、計量器が当たって、少しは生活も楽になったんだけどね。でも、戦争に負けちゃったせいで、軍の仕事は激減しちゃったしなあ……」


 そう言って、彼女は少し物憂げな顔をした。


「大丈夫だよ。一家に一台、自動車を持つ時代がこれから来る。見通しは明るいよ」

「僕の父さんも、同じ事を言ってたけど、本当かなあ……」

「本当さ。ガソリン販売を始めた君の父さんは、先見の明があると思う。応援してあげなよ」

「そうだね」


 僕と彼女はそんな会話を交わしながら、後片づけを始めた。そういえば、まだお互いに名前も知らない。


「ところでさ……」

「何だい?」

「これ、ものすごく便利だね。このコンロがあれば、ガレージで作業しながらでも食事がとれる。いい値で買うから、良かったら譲ってくれないか? ガスなら付き合いのある業者で充填できると思うし」


 卓上のカセットコンロを指さしながら、彼女はそういった。この辺は天然ガスが豊富に産出するから、充填の話は多分本当なのだろう。


「とてもありがたい話だけど、これがないと僕も困るんだ。ゴメンね」

「そっか、残念」

「それよりも、君のルートでガスが手に入るなら回して欲しいな。予備があと二本しかないんだ」

「それは別に構わないけど、流石にタダって訳にはいかないよ。やっぱり一度、会社に戻った方がいいんじゃないのかい?」

「うん……」


 今この場所を離れたとしても、僕には先がない。良いアイデアも浮かばないまま黙っていると、彼女が急に変なことを言い出した。


「あのさ、どんな事情があるのか知らないけど、もし会社に戻りたくないのなら、しばらくの間、こっちにいたらどうかな?」

「えっ?」 


(続く)

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