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片隅に生きる人々  作者: 伊集院アケミ
第三部『時空移動』編
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第29話「整備士の少女」

「どうかしましたか?」


 今は無きDJ君あいかたに思いをはせていた僕に、猫のユキさんが声を掛けた。現実に引き戻された僕は、直前の会話を思い返す。確か、「人に力を借りるなら、それに見合う何かを自分も持たなきゃダメだ」という話をしていたはずだ。


「いや、なんでもないよ。確か、僕の持つ武器についての話だったよね?」

「はい」

「僕の持つ有力な武器は、戦後の政治史と相場史に対する知識を持っていることだ。勿論、これからこの世界で起こることが、僕の知ってる歴史と同じになるかは分からない。だけど、歴史の因果律が働いている以上、未来を知っていることは決して不利にはならないよ」

「そうですね」

「僕はこの世界じゃ、戸籍すらない人間だけど、そんなものなくったって、株を買う方法はいくらでもある。まだ株券がある時代だからね」

「では貴方は、再度フォールドするのではなく、この世界でやっていく積りなんですね?」

「君の協力が得られるならね」


 正直に言って、死まで覚悟したあのフォールドを、もう一度繰り返したくはなかった。もしこの時代を去らざるを得なくなったとしても、それはやれる事を全部やってからだ。


「わかりました。ではまず、ガソリンをお金に変えることから始めましょう。近所の販売店を探してみます。調べ物なら、任せてください」

「ありがとう、ユキさん。ところで一つ質問なんだけど……」

「なんですか?」

「箱の所有者が僕のままであることに、本当に問題はないかい?」


 ユキさんはウソだと言っていたが、僕は箱の所有権を失う可能性について、割と真剣に考えていた。所有者に内定しても、その後の行動次第で所有権を剥奪される可能性があることは、最初のテストの時に警告されている。今回のフォールドは、僕の意思とは到底言い難いものだが、確認しておくに越した事は無い。


「大丈夫ですよ。箱の所有者を誰にするかは、私に一任されています。私が不適格だと判断するか、監視の任を解かれるまでは、貴方が所有権を剥奪される事は無いはずです」


 ユキさんの返事を聞いて、僕はホッとした。僕の見立てが確かなら、あの箱は多分、単なる時空転移装置じゃないはずだ。だからこそ、所有者と監視者が、両方必要になる。箱の秘密を守るだけなら、最初から破壊すればいいだけからだ。


 そもそもこの箱が、【所有者の意思に反応して様々な機能を発現する】ことは、ユキさん自身も認めている事実だ。


「箱の所有者を観察し、その機能を解明するのも、自分の仕事の一つです」


 ユキさんは、確かそう言っていた。そしてこの箱に、まだ未知の機能があるからこそ、彼らは僕に箱の力を使わせようとしている。彼らの目的に反しない限りにおいて……。


「株の話に戻しますが、取引所の再開はまだ先です。店頭での相対取引は行われていますが、値段はあってないようなものだと思います。逆に言えば、貴方の交渉能力が活かされることになるでしょう」

「そうかな?」

「ええ。やはり貴方は、政治よりも相場の方が向いていると思いますよ。これから、頑張ってくださいね」

「ああ……」


「その二つは、ほとんど一緒のものなんだけどな……」という言葉を、僕はそのまま飲み込み、泥で汚れた服を着替え始めた。



 しばしの休息をとった後、僕はユキさんに教えられて、タツノ製作所という名のガソリン販売店を目指した。車で、ほんの数十分の距離だった。


 製作所というからには、きっと何かを商品を作っていて、副業でガソリンも販売しているのだろう。あまり世間に知られてはいないが、長岡には国内で数少ない油田と、原油の精製基地がある。掘削くっさく絡みの商品でも作っているのかもしれないなと、僕は思った。


 原爆の投下予定地だったため、ほとんど無傷だった新潟とは違い、長岡は空襲で相当の痛手を受けたはずだが、この辺りはそれほど寂れた様子もなかった。豊富に産出する原油と天然ガスのお陰で、立ち直りも早かったのかもしれない。


「ここか……」


 思ったよりも、元いた時代のスタンドと変わりがないなと僕は思った。形が古風なだけで計量器もちゃんとあるし、建物の作りもしっかりしている。目についた違いといえば、よくある洗車機の代わりに、小さなガレージがついているくらいだった。

 

 終戦からまだ一年もたってないのに、ガソリンが普通に売ってるのか少し不安だったけど、ここなら大丈夫そうだ。僕は計量器の前に車を停め、助手席で寝ていた全力さんを後部座席に移した。


「全力さんは、ここで大人しくしててね」

「かまわんけど、なるべくはよしてなー。もうボク、お腹ペコペコなんよ。このままじゃ、夜にしか寝れない」

「ああ、ガソリンが換金できる場所が分かったら、すぐに食事にしよう」

 

 僕らの気配を察したのか、ツナギの作業服を着たメガネの女の子がガレージの奥から出てきた。歳の頃は、高校生くらいだろうか? アラレちゃんの背丈をそのまま伸ばしたような、ちょっと不思議な雰囲気の女の子だった。クロノトリガーのルッカみたいだなと、僕は思った。


(続く)


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